第33話 フレディアの苦悩
「ラルク君はシュヴァリエール公国って聞いたことあるかな?」
魔道具を制服の内ポケットにしまったフレディアが、大楠の太い根に浅く腰をかけながら質問してきた。
「シュヴァリエール……」
スレイヤと何百年も前から親交がある西方の小さな国、程度の知識しかないが、その名前は記憶にある。
「ああ、詳しくはないが名前だけなら知っている」
俺は話しを聞く態勢を作ろうとフレディアと向き合うように草の上に直接座り、そう答えた。
「朝露が……制服が汚れてしまうよ」
フレディアが魔道具をしまった反対側のポケットから白布を取り出すが、
「構わない。話を続けてくれ」──首を横に振って断り、続きを促した。
白布を几帳面に折りたたんでポケットにしまうフレディアの所作を見て、神経質とは違う品のようなものを感じる。
「僕と妹はシュヴァリエールのある家に生まれた。そして今から一年半前、妹が国を代表する大使に選ばれ、国交を結ぶためにバシュルッツに赴くことになったことからすべては始まったんだ──」
そう話し始めたフレディアの目に、涙はもう見えなかった。
◆
ミスティアさんとファミアさんと同じ呪いに違いない……。
フレディアの説明を聞き終えた俺はそう確信した。
バシュルッツ──。
そして白銀の魔女──。
出発から半年後に戻ってきたフレディアの妹は、白銀の魔女の呪いによって蝋人形のようになってしまっていたそうだ。
フレディアの口から出てくる単語のすべてが、俺の苦い記憶と重なる。
いったいあの国になにがあるというんだ。
何千年も他国との国交を絶っていたバシュルッツになにが──。
スレイヤとバシュルッツとの国境は長年に亘って小競り合いが続いていた。
七年前、ドレイズがまだレイクホール自治領の猊下であったとき、ヤツが私恨からミスティアさんを警備の任に赴かせた場所だ。
そして派遣されてから四年後、聖教騎士団序列一位と二位の騎士は見るも無残な姿でレイクホールに戻ってきた。いや、運ばれてきた。
俺は怒りに我を忘れ、単身敵国に乗り込み持てる力の限りを尽くしてバシュルッツを蹂躙してやろうと決意した。四柱の精霊の力があれば一国を滅ぼすことなど容易いだろうと。
だが、師匠は許可をくれなかった。
なぜ行かしてくれないのですか、と何度もしつこく食い下がる俺を、師匠は『政治の駆け引きも知らぬ小僧が一時の感情で盤を踏み荒らすな!』『そんなことに精霊様が力をお貸しくださるとでも思っているのかい!』と叱り飛ばした。
あのときほど激高した師匠を俺は後にも先にも見たことがない。
それほどの師匠の叱責を受けて、どうにか俺は思い留まることができた。
しかし今思えばわかる。
両国間にある歴史やら政治やらそんなもの関係なくバシュルッツを焼き滅ぼしたいという思いは、俺なんかより師匠の方がよほど強かったのだと。
杖を握る手から血が滴り落ちていたのは俺に対する怒りではなく、孫たちをこんな目に遭わせた存在に対してのものだったのだと。
「──ラルク君」
ふたりの間に生まれた長い沈黙を破り、フレディアが先に口を開いた。
俺は悪夢を見た後のように頭を振り、忌々しい記憶を頭の隅に追いやるとフレディアの青い瞳を見上げた。
「僕は妹をあんな姿にした白銀の魔女が憎い。そいつをこの手で絞め殺すまで、僕は繭の中から出られずにいるんだ」
──それはそうだろう。
俺だって師匠が許可をくれれば今すぐにでバシュルッツを焼き払いに行きたいくらいだ。
しかしそれでは今までの陛下の苦労が水の泡になってしまう。
「しかしバシュルッツは謎が多い、だけではなく強い。シュヴァリエールから派遣した兵は悉く返り討ちにあっている。──父さんが僕を行かしてくれさえすれば……いや、僕でもどうにもならなかっただろう」
「僕たちシュヴァリエールの力では正面からではとても……」フレディアは硬い表情で、拳と手のひらを打ち合わせる。
「ラルク君も知っている通り、バシュルッツは数年前から交換留学生を受け入れる国策を取っている。国を閉ざしていた彼の国に何があったのかは知らないけれど、僕はそれを利用するためにこの学院に来たんだ」
「──それ自体がバシュルッツの罠、だったとしたら?」
「関係ない。裏に陰謀があろうとも僕は必ず交換留学生の座を勝ち取ってバシュルッツに行く。そして、白銀の魔女を僕の光魔法で倒す──」
言葉に力が籠ってきたフレディアは、いったん立ち上がると俺の前までやってきてしゃがみこむ。
「──そう僕は誓っていたんだ。……でも、君のあの魔法を見て、僕は君には敵わないと悟ってしまった。交換留学生に選ばれるのは僕ではなくてラルク君だと。だから──」
フレディアの言いたいことはこの時点でもうわかった。
「ラルク君、恥を忍んでお願いがあるんだ。こんなことをラルク君に頼むのは筋違いだだということも重々承知だ……ラルク君、来年の交換留学生には君が選ばれることに間違いはない。その際、どうか留学先にバシュルッツを選んでほしい。そして、あの魔法で白銀の魔女を──」
「フレディア」
俺はフレディアの言葉を最後まで聞くことなく言葉をかぶせた。
「な、なんだい?」
気勢を殺がれて面食らった表情のフレディアに向かい、俺は続ける。
「お前に言われるまでもなく俺はバシュルッツに行く。そして白銀の魔女を探しだす。それは予定や願望なんて底の浅いものじゃない。そうしなければならない、そしてそうするためには手段を選ばないくらいに俺の中では確実なものになっている。俺はお前と同等かそれ以上の覚悟を持ってこの学院に来ているからな」
「ラルク君……それは……」
「お前が私的なことを話してくれたあとで悪いが、俺の事情は話せない。──だが、バシュルッツには許しがたい感情を持っているのは確かだ」
「それじゃあ僕の頼みを──」
「だが俺は白銀の魔女を殺さない」
「え……そ、そう……そうだよね……いきなり白銀の魔女なんて言われても……普通じゃない頼みごとだよね……」
「勘違いするな、フレディア、俺はお前の心の痛みはわかるつもりだ。俺とお前の想いは共通点が多いからな」
「それならどうして……」
「──留学生には何人選ばれるか知っているか?」
「そんなこともちろんだよ! 各学年から四人、計十六人が三カ国に……って、まさか!」
「俺はお前の心の痛みがわかるつもりだ。──だからその怒りはお前が直接ぶつけてやれ」
「ぼ、僕も留学生になって一緒にバシュルッツに行く、と、そういうことなのかい!?」
「ああ、そういうことだ。妹君、エルナさん、といったか? その仇を取るのは……妹君の呪いを解くのは俺じゃない。いや、俺ひとりの役目じゃない。兄であるお前の役目だ、フレディア」
俺は立ち上がりズボンの朝露を払うとフレディアに右手を差し出した。
フレディアは目を輝かせて俺の手を取り立ち上がる。
俺とフレディアの間に固い絆のようなものが芽生えた瞬間だった。
そして俺たちは同じ草の上に向き合って腰を下ろすと、知り得る限り、話せる限りの情報のやり取りをした。
◆
フレディアの話を聞き、ミスティアさんとファミアさんの呪いは白銀の魔女によるものだということでほぼ間違いがないことがわかった。
師匠は『白銀の魔女の術にしては穴があるね』と言っていたが、バシュルッツで他にそんな高度な魔法を使える魔法師は聞いたことがないらしく『白銀の魔女の仕業だとしてもあくまでも可能性だから、むやみやたらに動き回るんじゃないよ』と釘を刺されていた。
だから俺は慎重に慎重を重ねて師匠にばれないように調べていたのだが──フレディアの口からも白銀の魔女という単語が出てきたということは、白銀の魔女が今回の件に関して重要な鍵を握っているということは確実だろう。
「しかし、それでシャルロッテ嬢を睨み付けていたのか……」
「白銀の髪の女性を見ると、どうしても条件反射で……彼女には申し訳ないことをしたよ……」
話の最後に学院生活初日の講堂で、フレディアが一体誰のことを睨みつけていたのかそれとなく確認した俺はホッとした。
もし他の事情があるのなら問い質さなければならない。
特に対象がミレアだった場合、フレディアの素性を詳細に報告する義務がある。
白銀の髪ってだけで……
白銀の魔女に関する文献はスレイヤにはないが、シュヴァリエールにもないそうだ。
そのためどんな姿なのかもわからないが、ひょっとするとシャルロッテ嬢のように白銀の長い髪の持ち主なのかもしれない。
「そうか、彼女には今度謝っておけよ」
まあ、シャルロッテ嬢本人は気付いてもいないだろうが。
「そうするよ」という返事を聞いて、俺はフレディアに対する警戒心を大幅に下げた。
「──さてフレディア、ここからが第二の本題だ。お前はさっき妹君の処置はまだ何もしていないと言っていたな」
「あ、ああ、処置なんて、あの呪いに対してどうしていいかどの文献にも載っていなくて……」
「いいか、脅かすつもりはないがしっかり聞けよ? 俺の知る限りではあの呪いはとてつもなく厄介だ。早期に呪いの進行を止める処置をしないと肉体はそのままでも魂が朽ちていってしまう」
「そ、そんなッ! それじゃあエルナはッ! エルナはどうなるんだッ!」
悲壮な顔をしたフレディアが四つん這いになり俺に詰め寄って来る。
「落ち着けフレディア! ここから妹君のいる場所まで距離にしてどれくらいだ」
俺はフレディアの肩を押さえて落ち着かせ質問をする。
「きょ、距離!? 妹がいるってことはシュヴァリエールかい!? なにを言って──」
「いいから、俺のした質問に答えろ!」
「こ、ここからは馬車で五──いや、単騎駆けで馬を乗り潰しても三カ月はかかるけど──」
早馬で三カ月──。
全開の風奔りで三アワルはかかるな……。
印を結べばもう少し早くなるか……?
「それでラルク君、妹はどうなるんだいッ!? なにか手はあるのかいッ!?」
「方角はどっちだ? いや、いい、お前の伝報矢をその方角に放て」
「そ、そんなことしてなにに──」
「いいから言うとおりにしろ! 伝言は白紙でいい、思いっきり魔力を込めて最高速で放て!」
「わ、わかった」
フレディアは二言三言呟き、上空に向けて矢を放つ。と、俺の指示通りかなりの魔力を込めた矢は一瞬で見えなくなった。
俺はその矢の飛び去った方向を確認すると、
「よし、フレディア、なにか書くものは……ああ、さっきの白布でいいか、それに俺がシュヴァリエールに向かうことを書状として認めてくれ。あとお前の妹君を救うにはいくつか条件がある。聞けるか?」
「そ、それはもちろんだけど、ら、ラルク君、さっきから君はなにを──」
「時間が惜しいから簡単に説明する。俺は今からシュヴァリエールに言ってお前の妹君に治療を施す。治療といっても解呪はできない。あくまでも魂が朽ちていく速度を緩めるだけだ。そしてフレディア、俺の出す交換条件は三つだ──」
「今からッ!?」と、端正な顔を驚きに染めたフレディアに構うことなく俺は続ける。
「──これから言う人のところへ伝言を頼みたい。それと今から言う場所へ行って俺の都合が悪くなって今日は来ることができなくなったと伝言すること、そして俺のことは誰にも口外しないこと、どうだ、護れるか?」
「ほ、本当にそれをすれば妹は助かるのかいッ!」
「助かりはしない。魂が朽ちる速度を遅くするにすぎない。ただなないもしないよりは──」
「わかった!! 僕はあの日からラルク君を信じると決めたんだ! 自分の身を犠牲にしてまで生徒を護ろうとしたラルク君の行動を見て! さあ、早く僕に指示を出してくれ!」
俺は手短に、この後の頼みごとを説明した。
「でも僕のせいで長期間学院を休学させてしまうなんて……僕はこの恩をどう返せばいいんだい? それにもしそれが原因でラルク君が交換留学生に選ばれなかったら……」
飛行魔法で向かう、としか説明していないからフレディアの心配もわかる。
「──心配するな、フレディア、俺はすべてを諦めない」
俺はフレディアが即席に書いた書状を制服のポケットにしまいながらそう答えた。
「ラルク君……君は一体……いや、聞いてはいけないんだろうけど……凄い人だ……」
「それは違うぞ? フレディア、俺が凄いんじゃない、俺の師匠が凄いんだ」
俺はそう言うと心の中でロティさんに『次の休みには必ず行きます』と、お詫びをしてから
「──普賢三摩耶印、臨!」
印を結ぶ。
「──ああ、そうだ、フレディア、この間のこと、お前のやったことになっているようだが」
「そ、そうだよ! ラルク君! 居心地が悪いからみんなにラルク君から説明してよ! 『巨神は俺が倒したんだ』って」
「そのことなんだが、もうひとつ条件を付け足させてくれ。この間の件もそうだが、今後もそういったことがあったらお前の功績にしておいてくれ。──よろしく頼むぞ? 光の貴公子様」
「ちょ、ラルク君! それは──」
「──リーファ! 全力で矢を追うぞ!」
空高く舞い上がった。
「や、矢を追うって!? なにを言って──」
フレディアの驚きの声は瞬く間に遠ざかっていった。