第32話 過酷な休日の幕開け
夏というにはまだ早く、かといって春なのかといえばすでにその時期は過ぎていた。
学院生としての生活が始まってから約一カ月。
七年に一度の顕現祭まであとひと月となり、気候的にも過ごしやすくなった時期にきて、ようやく俺は終日自由の身となる休日を得ることができた。
常闇の巨神の騒動の影響で教官も生徒も授業意外のことにかかる時間が多くなり、その訳あって休日返上で授業の遅れを取り戻していたのだ。
よって俺も他の生徒と同様に、寮と講堂の往復、外に出るのは深夜に寮を抜け出して鍛錬を行うときだけ、といった毎日を過ごしていた。
「……さて……そろそろ時間か……」
休日であろうと着用を義務付けられている魔法科学院の制服に着替えた俺は、頃合を見て部屋を後にした。
学院に入って初となる貴重な休日。
『はぁ……』
──であるにもかかわらず、足取りが重いのは、これから会う人物のせいだった。
『早く済ませてしまおう……』
昨日の夜からため息とひとりごとが多くなったような気がする。
そんな俺が向かった先は、かねてより約束をしていたロティさんの治療をするためのコンスタンティン邸──ではなく、
「──待たせたか?」
「いや、僕も今来たところだよ」
光の貴公子、フレディアとの待ち合わせ場所である、学院敷地内の大楠の木の下だった。
◆
数日前──。
「ラルク君、少しいいかな?」
午前の授業を終え、午後の実技授業のための着替えをしている俺のところへフレディアがやってきた。
「──フレディアか……構わないが、どうした?」
騒動の日以来、フレディアは俺と話をしたそうにしていたがお互いに忙しく、こうして話しかけられるのは初めてのことだった。
俺は脱いだ制服を壁にかけると上半身裸のままでフレディアへと向き直った。
フレディアは制服は着ていた。が、今から着替えようとしていたのか、いつもは結わかれている長い髪が解かれている。
知らない人が見たら女性と見間違えてしまうことだろう。
「ラルク君、名前……憶えてくれたんだ……」
「ん? ああ、あのときは咄嗟に729点って出ただけだ、だいぶ慌てていたからな。普段からそんな呼び方しやしないさ」
「そう、ありがとう……」
「で? どうした、フレディア、こうして話しかけてくるのは初めてだと思うが」
「え……ラルク君……僕、何度も話しかけているんだけど……でも、ジュエルさんがすぐにラルク君をどこかに連れて行ってしまうから……」
「そうなのか? それは済まなかった」
ああ、そういえば確かに。
誰かに呼ばれたような気がして振り返ろうとすると、決まってジュエルに用事もないところに引っ張られていたような気がしたが……。
あれってフレディアだったのか。
「いや、ラルク君が謝ることなんてないよ。こうして男しかいない場所だったらジュエルさんに邪魔されることもなく話せるだろうし」
それでこのタイミングで話しかけてきたわけか……
「で、俺になにか用事か?」
「あ、うん。その、ラルク君、今度の休みって何しているのかな?」
「今度の休み? それなら知り合いの家を訪ねようと予定しているが……?」
その日は教官であるエミルは休みではなく、ミレサリア殿下──ミレアは家の都合で城に戻らなければならないとのことだったので、俺ひとりでロティさんの館に行くつもりでいた。
「そうなんだ……一日忙しいのかな? その、ほんの少しでいいから時間もらえないかな……」
「時間? いや、その日は生憎と朝から──」
「一アワルだけでいいんだ! 朝早くでも夜遅くでも僕は構わないから! どうしても聞いてほしいことがあるんだっ! ラルク君になら僕の大切なものを見せられるんだっ! いや、ラルク君じゃなきゃ駄目なんだっ! ラルク君に見てほしいんだっ! だって! だって──」
更衣室がにわかに騒がしくなる。
俺たちを遠巻きに見ていた他の男子生徒たちが、ひそひそと小声で話しだす。
「フ、フレディア! お、落ち着け! わかったから! それなら学院を出る前の朝一番で会おう! な!?」
朝早くに用事を済ませてしまえば、ロティさんの治療にもそう支障はないだろう。
というか、そうでもしないと収まりが付かなさそうだ。
「ラ、ラルク君! ありがとう! そうしたら一の鐘にラルク君の部屋に行くよ!」
「いや、そ、外だ! 外で会おう! 一の鐘に大楠の木の下で! じゃ、じゃあそういうことで!」
俺はジュエルから受けていた忠告を思い出した。
『フレディアはラルクの身体を求めてるの。でもジュエルが護ってあげるの』
俺は背筋に走る悪寒を必死に振り払いながら急いで着替えを済ませると、魔法競技場へ駆け出した。
◆
「……で、話っていうのは?」
フレディアと一対一で会うこと、ジュエルにも相談すればよかったかな……。
しかしそうなると先にジュエルたちの誘いを断ったことを問い詰められるかもしれない。
『ジュエルと食事に行くよりフレディアを選択したのね!』と。
リュエルとジュエルの誘いを断るのは大変だった。
コンスタンティンさんの館に行く、などと言えるわけもなく、『ジュエルたちにご馳走する食事代を稼ぐために貴重な素材を売りにいく』ということにしてようやく解放されたのだ。
「まず、これを見てほしいんだ」
フレディアはそう言うと制服の上着のボタンを外し──
「フ、フレディア、いくらなんでも俺は──」
俺は反射的に後退りすると安全圏まで離れた。
しかしそんな俺の心配をよそに、フレディアがとった行動は──制服の内ポケットにしまった魔道具を取り出すことだった。
「どうしたんだい? ラルク君、そんなに離れて、もっと近くに来てよ」
「あ、ああ、魔道具……そうか、そうだよな、いや、済まない」
不思議そうに首を傾げるフレディアが魔力を流すと、手にした魔道具がわずかに光り──
「──これは! フレディア……か……?」
俺の目の前にフレディアとよく似た人物が姿を現した。
「いや、これは僕のふたつ下の妹……エルナだよ……元気だったころのね……」
フレディアが整った顔を苦痛に歪ませて説明を続ける。
「この魔道具が記録した映像だよ。去年まではこうして笑っていたんだ……去年までは……だけど……」
俺がフレディアから見させられたのは、昔、俺が父様から見させられた無魔の黒禍の像と同じ仕組みの映像だった。
フレディアと同じ金髪の少女。
俺は美しく笑う少女の像を見ながらフレディアへ声をかけた。
「──なにがあったんだ?」
フレディアが魔道具を操作すると
「──白銀の魔女の呪いにかかってしまったんだ……」
次に映し出された映像は、笑顔をなくし静かに横たわる少女の姿──。
「白銀の……お前の妹はバシュルッツに行ったのか……?」
「やっぱりラルク君は知っていたか……」
「お前……それでこの学院に……」
フレディアが今にも泣き出しそうな顔で頷く。
「処置はしたのか……?」
俺の質問に今度は首を横に振った。
その拍子にフレディアの目尻に溜まっていた涙が零れる。
「呪いを受けてから一年……フレディア、すべて俺に話してみろ」
大楠の木の下の空気がピンと張り詰めた。
青年編 第二章『呪われた姫と顕現祭』の開始となります。