第23話 第一等特別魔術師──ラルク
それは常闇だった。
闇の塊──。
"残された魂"は一切の光を持たず反射せず、その不気味さは到底言葉では言い表せそうにない。が、敢えて表現するのであれば、『あたかもこの世に存在するすべての暗黒を掻き集めて創られたかのような、闇の塊』──だった。
塊が闇となったのか、闇が塊となったのか。
光をも飲み込んでしまうほどに黒い闇の塊、それが"残された魂"の有様だった。
巨大な闇の塊が、ずるり、ずるり、と、おぞ気の立つ音を響かせて水辺から地に這い上がる。
闇の向こう側にはなにも見えない。在るべきはずの、湖も森もなく──そこにあるのは、身の毛のよだつような『無』だけだった。
あの化け物を相手にどう戦うか──
想像以上にでかく成長している"残された魂"を前に頭を悩ませていたとき
「──そこでなにをしているのですかっ!? あ、あなた名前はっ!」
宙に浮かぶ俺の足元から女の人の声が聞こえてきた。
◆
「──あら、雨かしら」
ラルクという生徒の実力を測ろうと、実技の授業を見学するために外に出た途端、辺り一帯に影が差した。
目線を前に向けると先ほどまで明るかった周辺が暗くなっている。
季節外れの夕立ち──であれば魔法競技場に向かう時間を少しばかりずらしましょうか。
雨雲の位置を確認しようと上空を見上げた私は、初めはそれがいったいなんなのか理解できなかった。
太陽の光を遮る無数の黒い線──。
黒い鳥が一斉に飛び立ったのか──にしては数が多すぎる。
伝報矢が放たれたのか──にしても数が多すぎる。
刹那の後、
「──矢っ!? えッ!? どこから──」
それがおびただしい数の黒い矢だと気が付く。
そして次の瞬間──
見覚えのある光が上空へ舞い上がったかと思うとその光が巨大な竜巻に姿を変え、そうかと思うと次に竜巻は黒い矢をごっそりと呑みこみ──そして一本残らず消し去ってしまった。
──まさか、今の光は!
突如として展開された非現実的な光景に、ではなく、今、私の視界に入った美しい光に胸騒ぎを覚えた私は、光の出所を確認しようと、光が舞い上がった場所と思われる魔法競技場へ走りだした。
すると、今度は私が向かっている場所付近から美しい光の珠を纏いながら上空へ飛び上る人物の姿を視界の先に捉えた。
──加護魔術! やはり! あの光は間違いない!
気が付いたら私は普段は使用を控えている風奔りの術を行使していた。
◆
「──そこでなにをしているのですかっ!? あ、あなた名前はっ!」
魔法競技場に走り込んだ私は、上空にとどまり一点を凝視している生徒に向かい誰何する。
見事なまでに風の精霊様を使役している!
やはりこの少年は──!
感情が昂るあまり、不自然に力がこもった声を発していることが自分でもわかった。
私の声に気が付いた生徒がこちらを向く。
揺れる黒髪と同じ黒の瞳と視線が合う。
そして──その生徒の風采を確認した私は、心の底から湧きあがる脱力感を禁じ得なかった。
なぜなら
『人……違い……』
その生徒が、私の探し求めていた水色の髪の少年ではなかったからだ。
そんな偶然、あるはずがないことくらいわかっていたというのに……。
「──早く建物の中に入ってください!」
消沈している私に向かい黒髪の生徒が険しい表情で声を張り上げる。
その声に私は学長としての職責を果たすべく気を入れなおすと
「──いったい今のはなんですかっ!? なにがあったんですかっ! 下りてきて説明して下さいっ!」
私も生徒に負けじと大声を出した。
しかし生徒は湖の方へ視線を向けると、恐ろしいほどの気を放ったまま目を離そうとしない。
「──!」
私は一瞬生徒から感じる覇気に気圧されてしまった。
一生徒にこのような畏怖を覚えるなど、初めてのことだ。
が、しかしすぐに
「聞こえているのなら早くなさい!」
威厳を込めて命令する。
すると上空で動きを止めていた生徒は一瞬私を見た後、再び湖の方角へ視線を向けると、こちらに向かって下降してきた。
◆
まだ人がいたのか!
周囲に人はいなかったはずなのにどこから現れたのか。
俺の名を確認する教員らしき女の人へ視線を移して生徒たちが避難した建物を指さす。
「──早く建物の中に入ってください!」
しかし女の人はその場から動こうとせずに
「──いったい今のはなんですかっ!? なにがあったんですかっ! 下りてきて説明して下さいっ!」
状況の説明を求めてきた。
やはりこの学院の教員のようだ。
この忙しいときに!
俺は湖へ視線を向ける──と、黒い塊はまだ上手く動けないのか、定まらない形のままずるずると本体を引き摺り、緩慢な動きでこちらへ向かってきている。
「聞こえているのなら早くなさい!」
教員は俺の説明を聞くまではあの場所から退避しそうにない。
どれだけ危険な状況にあるのか説明して、他の教員にも外に出ないように通達してもらうか……
黒い塊は進む速度が遅い。
簡潔にであれば説明する時間はあるか……
そう考えた俺は教員の下へ向かった。
◆
「いったいあんな場所でなにをしていたのです! それにあの矢はなんだったのですか! 説明して下さい! いえ、その前にクラスと名前を──」
「──すべてを説明している時間はありません。お見受けするに、貴方はこの学院の教員のようですが、間違いありませんか?」
「私はこの学院の学長です! 時間がないとはどういうことですか! いったいあなたはなにをしているのですか! 加護魔術師のようですが報告書には──」
学長!? この人がこの学院で一番偉い人!? こんなに若いのに!?
しかも俺が加護魔術師だとわかるっていうことは精霊が見えているのか!?
原初の精霊が見えるということは……
「──聞いていますか! 聞こえているのなら説明を──」
「──失礼いたしました、学長。簡潔に申し上げます。いまこの学院には脅威が迫っています。後ほど詳しく説明いたしますが、とても厄介な敵です。私は今から漆黒の矢を放ったその敵を封じ込めるべく尽力します。ですので学長に於いては生徒や他の教員が建物の外に出ないよう通達をお願いいたしたく」
「て、敵? 敵とはいったいなんですか! なぜあなたがそんなことを、あ、あなた、クラスと名前を──」
「私は一学年一クラス、ラルクと申します。では急ぎますので、くれぐれも外には出ないように」
「ラ、ラルク! あ、あなたがラルクなのですか!? な、なぜあなたがあのような強大な加護魔術を……それになぜあなたが敵を封じ込めると……い、いけません! 仮に脅威があるのだとしたらそれは私たち大人のすることです! 私がその敵を確認しますからあなたは避難して──」
やはりそうなるか。
無益なやり取りをするほど悠長な時間はない。
できればこれは使いたくなかったが、学長であれば……
「──学長これを」
俺はスレイヤ王家から賜った紫の龍の勲章を見せ、
「それは!」
「ご理解いただけましたら私にお任せ下さい」
絶句している学長に一礼すると、リーファを使役して飛び立とうとした。が
「ま、待って! あ、あなたいったい……」
驚愕に見開いた目で俺を凝視している学長に、
「──私は……スレイヤ王室直属、特殊魔術武装部隊、第一等特別魔術師──ラルクです」
そう返すと、俺は今度こそ"残された魂"に向かって飛び立った。