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第19話 静かな涙



「──!? シャルロッテ……様……?」


 朝から目の覚めるような挨拶をしてくれたのは、朝日に輝く白銀の髪を湖から吹く風に靡かせているシャルロッテ嬢だった。

 透明感のある肌はとても白く──、いや、いつもは白い肌だが、今日はなぜか真っ赤だ。


「!? お、おはよう! ラ、ラルク…… おはよう……おは、よう……」


「え、あ、おはようございます……あの……?」


 いきなりのことなので、なんと返せばいいのかわからずに言葉を選んでいると、


『シャルロッテ様が殿方と会話をなさっている!?』

『おい、シャルロッテ様から話しかけられたぞ』

『誰だよ相手の男は』

『黒髪の……新入生か……? 見ない顔だな』

『シャルロッテ様って、あんな話し方をなさるのか!?』

『あ、ああ、"へい!" って仰っていたような……』


 俺たちの周りに人だかりができ始めた。


「……」


 周囲の声が耳に入ったのか、シャルロッテ嬢の顔は俯いていてもわかるほどに赤い。

 熱い湯に浸かってのぼせたのかと思うほどだ。


「シャルロッテ様……? どうされたのです? 私になにか……」


「……」


 しかし俯いたまま言葉を返してくれない。


『なんだ? なんだ? なにがあったんだ?』

『ちっ! なんだよあの男! 気にいらねぇな!』


 このままでは人が集まり過ぎてしまう。

 シャルロッテ嬢も衆目に晒されるのは望んでいないだろう──と考えた俺は、


「──どなたかとお間違いになられたようですね。では失礼いたします」


 と言って方向を変え、歩き出そうとしたとき


「あの! ……も、申し訳ございません……よく似た人と間違えてしまいました……」


 消え入るような声でそういうシャルロッテ嬢に向き直り、


「どうか私のことなら気になさらずに」


 そう告げるとジュエルとリュエルと先へ進んだ。


『な、何だよ! 人違いかよ! 焦ったぁ!』

『そ、そうだよな、あのシャルロッテ様があんな男に話しかけるわけがないよな』

『いや、でも名前呼んでなかったか? なんとかって』

『だから人違いだったんだろ? 安心したぜ』

『おい、あいつの制服見ろよ、線がないぞ』

『あ? ホントだ、何だあれ』

『間違って入ってきちゃったんじゃねえの』


 そんな声を無視して。


「まったく、ラルクの強さを知らない有象無象どもが喧しいったらないの」


 ジュエルが尻尾を揺らしながら憤る。

 すると身体を寄せてきたリュエルが


『ねえ、ラルクさん、あのお方、人違いなんかではないと思うのですが……』


 声を潜めて少しだけ後ろを振り返る。


「ああ、だろうな」


 シャルロッテ嬢は確かに俺の名前を呼んでいた。

 俺に何か言いたいことがあったのは間違いないのだろうが、俺だって衆目に晒されるのはごめんだ。

 シャルロッテ嬢が高位の貴族であることと、学院内での高感度が非常に高いということくらいわかっている。 

 あんな人通りの多い場所で、そんなシャルロッテ嬢から話しかけられたら悪目立ちするに決まっている。

 大方、先日倒れ込んでいたところを助けた礼を言われるのだろう。

 それであればあの場で十分に感謝されたし、改めて受けるほど貴族とお近付きにはなりたくない。

 だからああ言ってその場をやり過ごすのが最善だっただけだ。


 あの挨拶には驚かされたが……

 それにしてもシャルロッテ嬢にはあんな一面もあるのか……


 もっとお淑やかな印象を持っていたが、少し違ったようだ。


『だろうな、って、それだけですか?』


「仕方ないだろう、あのままでいたら、お互いに気まずい思いをするだけだ」


「ふ~ん」


「なにか言いたそうだな、ジュエル」


「ん、なんでもないの」


 残してきた騒音が遠くなるころには、俺たちの会話は別の話題へと移っていた。







 ◆







「──であるから、学院の外に於いても魔法科学院生徒として秩序と品位ある行動を常に心がけ──」



 大講堂に生徒指導を担当する男性教員の声が響く。

 四学年総勢三百二十名が一同に会して始業の儀を執り行うのは、春季の一度だけだそうだ。

 学院は春季、夏季、秋季、冬季と四期に分かれており、それぞれの期の間に十日ほどの休暇を挟む。

 今から始まるのは春季だ。

 よって今、大講堂には各学年八十名、四学年計三百二十名の生徒が、ひとりの欠員もなく始業の儀に参列していた。

 朝の一件のせいか、はたまた昨日の一件のせいか、あるいは実技試験の噂のせいか、俺のことを横目で(正面切っての者もいたが)ちらちらと窺う視線が多少煩わしい。


『ラルク、初日から人気者なの』


 隣に座るジュエルがからかうような笑みを浮かべて囁いてくる。


『この視線の中にはジュエルを見ているものもあるぞ』


 たしかに人族と比べて、大人の女性らしい体型をしているリューイの双子を、興味深そうにじろじろ見てくる視線も感じられる。


『──興味ないの』


 するとジュエルはつまらなそうに前を向いた。






「──では教員の紹介をする。名を呼ばれた者は壇上へ」


 幾人かの話が終わり、壇上は教員の紹介へと進行していた。

 この手の催事では常なのか、とにかく話が長い。

 長時間に亘る単調な話に、最初こそ義務感からか真剣に聞いていた生徒も、今や少なくない数の生徒が欠伸を噛み殺していた。


「呪術応用学担当、古代魔法師、カミラス教官」


「魔石力学担当、古代魔術師、ベクトール教官」


「魔素力学担当、現代魔術師、リリアンヌ教官」



 進行係りが名を呼ぶと、静寂に声を反響させて返事をした教員が、次々と階段を上り壇上に立つ。

 その数はかなり多く、名前など到底覚えられないほどだ。

 欠伸を噛み殺していたうちの何人かは我慢できずに舟を漕いでいる。


 だが──。


「──個別属性魔法治癒担当、現代魔法師、エミリア教官」

 

 その名が呼ばれた瞬間、講堂は割れんばかりの歓声に沸いた。

 うつらうつらしていた者も、前の席の生徒にちょっかいを出していた者も、教科書を読み、予習をしていた者も、皆一様に顔を上げる。

 そして教官が壇上に上がると、ほぼ全員の生徒が壇上に向かって手を振り、教官の名を叫ぶ。

 椅子の上に立ちあがり、自分の名を売り込む生徒もいる。


 これには俺も驚いた。

 青の聖女という異名が付いた、ということは風の噂で聞いてはいたが、まさかこれほどの人気とは。

 まあ、七年前の騒乱のときは、まだ子どもだった生徒が大半だ。

 そんな生徒の目には、エミルの起こした奇跡は女神降臨のように映ったことだろう。

 あの功績はこの歓声を受けるに値するということだ。

 

 しかしもっと驚いたのは、


「エミリア様ぁぁ!」

「聖女様ぁぁ!!」


 ジュエルとリュエルが、千切れてしまうんじゃないかというほど尻尾を振って大声を出していることだ。


 プリメーラにまで聖女の名が知れ渡っているのか……?


 必死に場を鎮めようとしている進行係りの声も一切聞こえてこない。

 壇上のエミルは困り顔で他の教員に対して頭を下げている。


 エミル、髪の毛切ったのか。

 ──うん、あれはあれで似合ってるな。


 エミルは長かった銀色の髪を、肩口でバッサリと切り揃えていた。

 久しぶりに見る妹弟子は、とても大人に、そしてなんだか遠い存在のように感じた。


 と、そのとき──


 俺の視線と壇上にいるエミルの視線がふいに重なった。

 

 どれくらいの時間だったかはわからない。

 一呼吸の間か、それともそれ以上か──。


 ただ、エミルの瞳が見る間に見開かれ、そしてその大きな眼に浮かび上がる涙を確認するだけのときはあった。


 エミルは自分に向けられる歓声の中、動きを止めていた。

 まるで雷にでも打たれたかのように。

 ただ、大粒の涙があとからあとから溢れている。


 エミルからのまっすぐな視線を俺も逸らすことができなかった。



 庵で目が覚めたエミルと顔を合わせたときもあんなふうに泣いていたっけ……



 俺は涙混じりの再会となったことに苦笑を浮かべ、『よっ』と軽く手を挙げた。


 エミルは、驚愕に顔を強張らせ、開いたままの口に両手を当てる。

 それに気が付いた隣の女性教員がエミルの肩を抱き、一言二言声をかけた。

 するとエミルは我に返ったのか小さく頷き──そして流れる涙をそのままに式に集中し始めた。 


 突然の聖女の涙に、生徒は騒然となった。

 講堂は熱の冷めないまま静けさだけを取り戻し、式は粛々と進行していく。

 


 

 この調子だと師匠はエミルにも伝えていないのか……

 師匠のいい加減さもここまでくると悪魔的サプライズだな……

 というか、ミレサリア殿下は知っていたと思うのに、なんでエミルに教えなかったんだろう……



 さっきから隣から(ジュエル)の視線が痛いが、俺は気付かないふりをして前だけを見ていた。






 ◆






 そして始業の儀は終わり、授業の準備をするために、生徒からではなく教員から先に講堂を退場することになった。

 通路側に座っていた俺の脇を大勢の教員が通り過ぎていく。

 案の定、エミルが通り過ぎる辺りが再び賑やかになる。

 そんなエミルが俺の横を通り過ぎたとき、俺の膝の上に、ぽとり、となにかが落ちた。


 俺はそれがなにか確認すると──小さな紙片だった。

 幾重にも折りたたまれた紙切れを丁寧に開くと──


 そこには懐かしいエミルの字で


『夕刻、書物院でお待ちしております』


 と書かれていた。






 

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