第2話 特権階級
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魔法科学院の広大な敷地には小さなものも合わせると百を越す建物がある。
用途ごとに外観も建物内の仕様も異なるが、その構造物すべてが理に適った造りとなっていた。
正門から最も遠い場所には、特権階級専用の社交用施設が建てられている。
湖のほとりに佇むその施設は、一階建てではあるものの余計な壁や窓を取り払った開放的な造りとなっており、湖面に反射する青い光が白い建物全体を美しく照らし出していた。
空からは春の木漏れ日が優しく降り注ぎ、まるで水中に造られた神殿のように見える。
そしてその白亜のサロンの外庭には、ひと目見て特権階級とわかる男女の姿があった。
談笑する八人の男女はここが学院内の施設であるにもかかわらず、学院の象徴である白地に青の制服を身にしていない。
まだわずかに幼さが残る顔付きから察するに、明日の試験を受ける入学希望者であることが窺えた。
「このような素敵な場所をわたくしたちだけで貸し切りにしてしまっては、なんだか申し訳ないですね」
四人いる女子の中で中心人物と思しき青髪の少女が他の七人に向かって話しかける。
「上級生も遠慮なさっているのですわ」
「ご覧ください、遠巻きにこちらを窺う生徒も……ほら……」
「御用があるのでしたらこちらにいらっしゃって直接お話し下さればよろしいのに」
「無理もないさ、今年はサリアがいるんだからね、今年の顕現祭でも巫女を務める学院一の美少女に話しかける勇気なんて、その辺の男にはないだろう」
男子の中心人物らしき金髪の少年が髪を掻き上げながらそう言うと、
「まあ! クラウズ様ったら、男子生徒だけではなく女子生徒もいらっしゃいますわよ?」
「クラウズ様も注目を浴びておいでですわ」
女子たちが黄色い声を出す。
「僕を見てくれるのは嬉しいね、だけど……どの娘もサリアには敵わないじゃないか」
「あら、ノースヴァルト卿、わたくしに敵うのであればその方と交際するのですか」
「なんだい、サリア、嫉妬かい? 君は僕の婚約者なんだよ? 将来僕の妻になるのだからもっと心を広く持ってくれよ」
青い髪の少女──ミレサリアは、小さく息を吐く。
クラウズに聞こえても聞こえなくてもどちらでも構わない、といった嘆息だった。
「それにサリア、前から言っているじゃないか、僕のことはノースヴァルト卿などといった他人行儀な呼び方ではなく、もっと親しみを込めてクラウズ、もしくは貴方と呼んでくれって」
木陰からサロンを窺っている女子たちにチラチラと視線を向けながらクラウズが言う。
ミレサリアは表情をひとつも変えることなく紅茶のカップをテーブルに置くと、
「わたくしたちは他人ですわ。あくまでも親同士が決めた婚約です、四年後にはクラウズ=ノースヴァルト卿の気も変わっていらっしゃるかもしれませんわ」
さらに他人行儀な言葉でそう返したミレサリアが『そうなるように毎日お祈りしていますけれど』と呟く。
するとその呟きが聞こえたのか、ミレサリアの隣の席に座る少女が、
「そ、そう言えば、青の湖の調査の件はどうなったんでしたっけ!」
慌てて話題を変えた。
すると男子のひとりが
「そういえばいったい何だったんだろう、こんなに綺麗な水が一晩で濁ってしまうなんて」
湖面に目をやると全員がそれに倣う。
「そのことは陛下も案じておいででしたが、識者も調査隊も皆、首を傾げるばかりで」
そのことに関してなにも知らされていないミレサリアは、まだ調査中ということを伝える。
「まあ、今はもう収まったんだからいいじゃないか、大方、湖の底の汚れが舞い上がったとかじゃないのか?」
クラウズが肩を竦めてそう言うと、
「そうですわよね、クラウズ様、もしなにかがありましてもクラウズ様が私たちのことを守って下さいますわよね」
「ああ、第三階級古代魔法師の僕が君たちのことを纏めて守ってあげるよ」
女子の間から再び黄色い声が上がる(といっても約二名からだが)。
そんな他愛もないやり取りをしていると
「ここにいらっしゃったのですか、ミレサリア殿下」
ミレサリアを呼ぶ声がした。
ミレサリアは振り向かずともその声の主がわかったのか、
「エミル先生!」
席を立つと同時に名を叫んだ。
するとそのことに他の生徒も
「エミリア先生!」
と口々に声に出し、全員が立ち上がった。
「ああ、どうぞそのままで、私はすぐに教員棟に戻りますから」
そう言うが、なぜか全員座ろうとしない。
銀色の髪を肩口で切り揃えた女性はそのことに苦笑を浮かべると、
「では少しだけミレサリア殿下をお借りしますわね」
と言い、ミレサリアと目配せをする。
ミレサリアは今まで見せていた作り笑いとは明らかに異なる素の笑顔で頷くと、
「それでは皆様、わたくしはこれで失礼致します。明日の試験、皆様揃って合格することを心よりお祈りいたしますわ」
丁寧にお辞儀をしてサロンを後にした。
「ありがとう! エミル! もう肩が凝って凝って大変だったんです!」
木漏れ日の中を歩きながらミレサリアが自分の肩を擦る。
「ふふ、ミレアは相変わらずですね、トレも心配していましたよ、そろそろミレア様の不満が爆発するころでは、と」
隣に並んで歩く女性──エミルが微笑みながら返す。
「もう! それならもっと早く来てくれても良かったのに!」
「ミレア? 私はこう見えても明日からの試験で大忙しなのですよ? 誰かさんのお陰で受験者が三倍に膨れ上がってしまったので」
「う、それは……でも、エミルが先生になってからもすごい増えているじゃないですか! しかも生徒だけではなくて教員志望の方も増えているって、ハイア学長から聞いたわ! ひょっとしてラルクロア様よりもいい人を見つけた……とか?」
「ミ、ミレア!? そ、そのようなこと聖者さまに聞かれたら──」
「あらぁ? 否定しないのですかぁ? これは少し怪しいですねぇ、トレに言って調査隊を派遣しますかぁ? 報告書はラルクロア様に──」
「ミ、ミレア! そんな殿方はいません! ミレアなんて七年前、聖者さまが修行にお戻りになった三日後にすぐ呼び出して、酷く叱られて聖者さまとはそれっきりじゃないですか!」
「あ、あれはまだわたくしが子どもだったから、い、今は反省しています!」
「部屋に蜘蛛が出た、などという理由でレイクホールから聖者さまを呼び出すなど、専属とはいえ近衛の使い方を間違えています! 蜘蛛なんて、元冒険者の私なら手で摘んで窓の外に放り投げますから! あれ以来聖者さまはミレアの呼び出しに一切応じないではないですか!」
「い、言わないでください! それ以上言わないでくださいエミル! あのときのラルクロア様の冷めた目が……ああ、ラルクロア様ぁ……」
七年の月日が経ち、青姫ことミレサリアと、ブレナントの聖女改め青の聖女ことエミリアの距離はぐんと近くなっていた。
そしてミレサリアとエミリアが職員棟に入り、サロンに残っていた男女も解散し、湖のほとりに誰もいなくなったとき──
──ボコリ……
湖の底から黒い泡がひとつ湖面に浮かび上がり、不気味な音を立てながら消えていった。
ラルクは次話から登場します。