10人目 『真鍋由美さんはお酒好きなべっぴんさん』
それは、ある日の夕方のことです。
「あ、そういえば今日ゆうさん来るんだっけ」
「そうですね。私とゆうさんと由美さんの三人でお出かけです。と、言っても店を閉めた後ですから、咲ちゃんとは入れ違いになるかもしれないけれど……」
二人は梅ちゃんが留守の店内でほけっとしていました。
昼間にはお客さんもそこそこ訪ねてきて忙しいことこの上なしでしたが、次第にそんな波は静まっていき、ようやく落ち着いた今日この頃。
そう。そこにあるのは、先で何が起こるのかを知らないが故の静寂です。
分かっていれば響子さんは水を用意し、咲ちゃんは慌てふためいていたことでしょう。
「そっかぁ。由美さんはともかくとして、ゆうさんは最近会ってないから話したかったなぁ……」
何やら聞きなれない名前が二人の間から飛び出します。
その名はどうやら咲ちゃんと響子さんのどちらもが知っているようですが……、
「レベルアップしたいちごパスタ、ご馳走しないといけませんね?」
「えー……、私そんなにまだ美味しく出来ないんだけどなぁ」
「あら。私は好きですよ、今の咲ちゃんのいちごパスタ」
あらあらうふふと笑顔で褒める響子さんに対し、咲ちゃんが目をキラキラさせます。
そして、その喜びを言葉として放出しようとして、事件は起こったのです。
「————響!」
唐突に扉が開かれ、平穏な時間が幕を閉じました。
二人があんぐりと口を開け視線を向けた先、そこにいたのは——、
「お待たせ! 仕事終わったから来たわよ!」
こげ茶の長髪をばさりと後ろへ流し、美貌を損なわず、ビシッとしたスーツ姿で出来る社会人の体現者とも言えるような女性でありつつ、
「…………ひっく」
酔っぱらいお姉さん、真鍋由美さんでした。
ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆
「はい、由美さん。お水持って来たよ」
会社では誰もが頼り、誰もが好意を持ってくれるような美人お姉さん。仕事は当然楽々こなし、周りのフォローも忘れず、上司への態度も良好。
そんな人が裏では……などという話は時折耳にしますが、まさかこんな身近にいるだなんて誰が想像するでしょうか。
「ありがとう、咲ちゃん。わざわざ悪いわね」
とはいえ彼女だってその全てが変わるわけではありません。
顔が真っ赤で酔っ払っていても、咲ちゃんの事を妖しい目で見ていても、謝罪もお礼もしっかりと言うのです。
「ううん、それはいいんだけど……なんで酔っ払ってるの?」
「それがね、咲ちゃん。聞いてよぉ。……あ、でもその前にぃ」
由美さんは咲ちゃんが困り顔で渡した水を受け取ると、それをぐいぐいと飲み干します。
豪快というかなんというか、どうにも普段のイメージとは違い、悲しい表情になってしまう咲ちゃん。
それを見かねた由美さんは、にこにこぉっと笑んで咲ちゃんの頭を撫でつつ、
「響、ゆうちゃんってそろそろ来るのかしら?」
あらあらしている響子さんに視線を移し、問いかけます。
「そうですねぇ。おおよそあと一時間くらいしたら来るでしょうか。ゆうさんの方は既にお仕事が終わっていますから、こちらに合わせて来る……といった感じです」
「ああ、最近ワタシが閉店前に二人を連れ回しすぎたから? すまないわね、咲ちゃん。梅ちゃんと二人で回すの大変だったでしょ?」
咲ちゃんは二人の会話の意味が分からず、一瞬きょとんとしますが、
「あ、ううん。私一人だったら無理だったかもしれないけど、今はさくめちゃんがいるもん! だから大丈夫だよ!」
とりあえず疑問を外に投げ捨てて、えへへーと笑いながら応答。
つまりはこういうことです。
最近、相談所の営業中に響子さんが友人に呼び出されていたのは、由美さんが響子さんとゆうさんを連れて飲みに行っていました。
けれどさすがに頻度が多かったものですから、響子さんもそれを気にして営業後にお出かけをすることにした、と。
「……ねえ、響。咲ちゃんお持ち帰りしていい?」
「えっ」
「もちろん駄目です」
「えー、ちょっとだけだって。ね? ほら、半分くらいでいいから」
「半分って何!? え、私千切られるの?」
「駄目です。咲ちゃんが帰るのは由美さんのお家ではありませんから」
由美さんがいるせいか、いつもとどことなく雰囲気の異なる響子さん。
それは二人が旧知の仲だからなのか、咲ちゃんが取られかけているからなのか。二人のみぞ知る秘密です。
「もう。ちょっとぐらいいじゃないの、けちんぼ響」
咲ちゃんはぶーぶーと不満を口にする由美さんから解放され、ようやく席に着きます。
先は淹れたてだったココアもすっかり程よい温度です。
「それで……そう、ワタシがなんで酔っ払ってるか、だったわね」
「あ、咲ちゃん。お饅頭食べますか?」
「うん、食べる!」
「……二人とも聞いてる?」
「聞いてふほ」
今度は由美さんが困り顔をする番でした。どうやら困り顔は交代制だったようです。
由美さんはお饅頭をもぐもぐと食べる咲ちゃんと、にこにこもぐもぐしている響子さんを交互に見つつ、軽くため息。
そして、
「実は最近、あることに悩んでててね。どうしても相談所の力を借りたいのよ。内容は追々話すけど……」
「肩こりですか?」
「ええ。体系的な問題もあって凝っちゃって……ってそうじゃなくて。いや凝ってるけど。ってそれ二人もじゃない?」
由美さんは豊満な胸を張りつつ、半笑いで響子さんと咲ちゃんの一部分に視線を向け、
「じゃなくて。まあ、素面の時に話すわ。依頼っていうことでね」
「しらふ?」
「酔っ払ってない時、のことですよ。由美さんの場合一日の三割は酔っ払っているのだけれど……」
「ほぇー、そうなんだぁ……」
徐々に酔いが覚めてきた由美さんは、あまりに話が進まなさすぎることに眉間を揉んで耐えます。
なので手短に、
「……で、それにストレス感じて飲んできちゃったってわけ」
話を切り上げます。
その表情にはどこか拗ねたような感情が浮かんでおり、今はまともに相手をしてもらえないと諦めため息をつこうとして、
「由美さんにもそんなに悩むことあるんだね」
咲ちゃんが饅頭を口にする手を止めて言いました。
「ちょっとぉ、それってどういう意味?」
捉え方によっては馬鹿にしているような発言に、思わず由美さんも疑問します。
けれど、
「私、由美さんって大人でかっこいい女の人だって思ってたから、意外だなって思って」
咲ちゃんは咲ちゃんでした。
「……意外?」
「うん。響子さんもだけど、由美さんも私の憧れだもん! 色んなこと知ってて問題なんてすぐ解決出来ちゃうから、悩みなんてなさそうで」
「————」
「私も二人みたいな大人になりたいなっていつも思ってるよ、えへへ」
咲ちゃんの素直な好意に言葉が止まってしまっていた由美さん。
彼女はすっかりと素面に戻ってしまい、そこには凛々しい表情を崩してクスリと笑みをこぼす美人さんがいました。
「ワタシも響も、もっと頑張らないといけないわね。ね、響?」
「あら。私はともかくとして、由美さんは今でも頑張っていると思うのだけれど」
「咲ちゃんに憧れを抱かれるのなら、もっともっとよ。……あ、でもお酒はやめないわよ?」
「酔っ払ってる時がなければかっこいいお姉さんなんだけどなぁ……」
ぽつりとそんなことを口にする咲ちゃんですが、すっかり上機嫌になった由美さんにはどうやら聞こえていない様子。
素面に戻ったはずの由美さんの元気な声や、彼女に抱きつかれてあわあわする咲ちゃん、それをあらあらうふふと見つめる響子さんの声が店内に響きました。
そしてそれは、
「————維澄さん、お待たせしましたー。ゆうですー」
「——ちょ、下ろしなさいったら! 転んだだけだってば! もう、なんであんた達はあたしを背負うのよ!」
のんびり屋さんの日奈森ゆうさんと、彼女におんぶされる梅ちゃん。
この二人が、訪れるまで。




