感動
放課後、一人足早に帰ろうとする八坂に、不意に声がかかった。
「ねえ、ちょっと待って」
八坂はぴたりと足を止め、後ろを振り返る。するとそこには、同じクラスの水上玲奈がいつものように静かな眼差しでこちらを見つめていた。
「え……?」
水上は八坂を見透かすように言った。
「……あんた、まさかあの失踪事件のこと気になってんじゃないわよね……?」
図星で思わず目を逸らす。そこに水上から痛烈な一言が飛んで来た。
「バッカじゃないの」
「ば、バカって……そんな言い方──」
「へぇ、じゃ何て言えばいいわけ?ありもしない霊だの神隠しだの、そんな無象のもの追っかけてどうすんのよくだらない」
「……」
有無を言わせない、且つ完全な正論に、八坂は思わず俯いた。
──そう、この水上玲奈という女。相手が男であろうと子供であろうと、それが一般常識的に誤に値すると判断した場合、壮絶な言葉責めを繰り出す。その恐ろしさたるや、計り知れない。ある時は、同じクラスの所謂『ぶりっ子』キャラの女子を「キモい、愛想振り撒くなブス」と、いきなりどストレートにぶちまけた。無論、その女子がすすり泣き出したは言うまでもない。
その口の悪さはもはや常識の範疇を越え、ある意味阿修羅のような存在へと変貌を遂げている。
それが──まさか自分へ回ってくるとは思ってもいなかった。
「それに──」
ため息を吐くように水上が続け、八坂が静かに顔を上げた。
「現場を確認しようにも、もう警察の手が回っているはずよ。規制線が張られて入れないだろうし」
「でも……俺」
「でもも何も無いの。私は意地悪で言ってるわけでもないし、あなたが無謀な行動を起こさないように止めてあげてるのよ」
完全に八坂の行動を読み切っている。それでも八坂は喰らい付いた。
「……水上……さん、だよな」
「ええ、そうよ」
「水上さん……函館に住んでいて、一番に思った事って何だい……?」
水上は、怪訝な顔をして答える。
「そうね……。まず一番に、街並みが綺麗よね。夜道を歩いていても、寂しさを感じないもの。それに人当たりが柔らかくて、とっても親身。……それくらいかしら」
「そう、か……。水上さん、あなたはこの函館で、こんな神秘的、幻想的現象が起きてじっとしていられるのかい……?」
「だから、そんなバカバカしい話が──」
「俺だって最初そう思ってたよっ!!」
びりりと、空気が震えるほどの大声を上げる。流石の水上も少し体をびくりとさせた。そして八坂が顔を上げた時──目には涙が浮かんでいた。
「でも……でもっ!人が消えて、痕跡も何も残っていない……。その事件性の薄い現象を──それ以外に形容しようがないって……分かったんだ……。そうなったら、もう……何だか……」
八坂は、嬉しそうに笑う。その姿はまるで――狂っているようだった。
「……凄く楽しくて、嬉しいんだ」
そう答えた八坂に、水上は呆れ果ててしまい、ついには目を伏せてしまった。
「……バカみたい」
「はは……バカかもね……」
水上は何かを決めたような顔をして、八坂に向き直った。
「いいわ、勝手にして。でも心配だから、一応私も着いていくことにさせてもらうわ」
八坂は思わず聞き返す「なんで……?」
「あなたが変な行動起こさないように見張るためよ!」
「ええ……。いや、別にそんな度の過ぎた事はしないよ……」
八坂は完全にジト目である。
「うるさい!いいから!ほら!」
──この人も、ホントは知りたいんじゃないの?
八坂はほんわかとそう思っていた。
函館中央図書館にて
「あるかな……何かしらの資料」
「さあ、どうかしら。神隠しなんて事象、これまで無かったんじゃない?」
あれ?と八坂が首を傾げる。
「水上さん神隠しって思ってるの?」
水上は慌てて首を振った。
「お、思ってるわけないでしょ!?ただ、その……そう!あんたがそう言ってるからよ!」
その必死な姿に、八坂は少し押されてしまった。
「へ、へぇ……」
やれやれと、資料を積み上げた机に向かいながらため息を吐く。
「水上さん、どこ行ったんだ……」
完全に見失ってしまっていたのである。と、そんな矢先。
ゴン。と、本が落ちてきた。
「いって……!み、水上さん!?」
「ほーら。良さげな資料見つけてきたわよ」
そう言って手に持つのは、いかにも重要書物といった様相を呈している分厚い本だった。
──え?まさかこの人この本を俺の頭に落としたの?
「んーと……?……『箱館異質郷土史』?なにこれ?」
「明治やら、大正やらの時代に起きた変死事件とか、未解決事件をまとめたものらしいわよ」
「あ、ありがとう」
そこには、まさに時代の変化を受け入れようとしていた函館の事件が克明に記されていた