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撫子桜花  作者: なすみそ
季節物語〜春〜
2/5

風啼きの街

 海や山に囲まれた都市、函館。

 歴史的景観を保ちつつ、技術の進歩を照らす夜景は世界から注目されるほど美しいもので、観光客は毎年四百万人を越えている。

 また、恵まれているのは景観だけではない。自然の恩恵をたくさん受けている事もまた、観光客が来る一因となっている。

 大きく広がる海ではあらゆる海産物が揚がる。その中でも特に『イカ』は有名だろう。そのため、水揚げされたイカはイカ飯やイカソーメンなどといった広い用途に使われる。


 そして、この函館に住む彼は──


*****


 山の手の坂を、自転車で下る少年がいた。春の穏やかに吹き付ける風が、彼の頬を撫でる。

 名を八坂嘉人やさかよしとと言う。幼い頃から活発で、休みの日になればいつも赤レンガ倉庫の方へ自転車で向かう。

 函館の高校に通い、今年で二年となった彼は一年の時にも増して行動範囲が広がった。

 今日もその道すがら、コンビニでオレンジジュースを買って体の熱を逃がした。

 彼は高校のクラスメートによく言われる。そんなに毎日向こうへ行って何をしているのか、と。

 すると彼は決まってこう答える。「ただ、海を眺めたいから」。

 彼はこの函館の海が好きだった。寄せては引きを繰り返し、街々をオレンジの夕焼けに染める夕日と共にある、その海が。

 そうして日が落ちるまで海を眺め、ひとり静かに涙を流すこともしばしばある。

 悲しいからではない。その美しさゆえに、自然と泣いてしまうそうだ。

 彼の感傷癖も相まって、より一層涙が増すらしい。

 そして午後一四時頃、彼は摩周丸が鎮座した海の脇に自転車を停め、ゆっくりと足を運んだ。

 彼は歩くことも好きなのだ。ただあてもなくぶらぶらとその辺を散策する楽しさを、若くして覚えた。

 周りには観光客の姿と函館朝市の店が並ぶ。

「はい、お土産にどうだい!鮮度なら心配無いよぉ!」

「らっしゃい!毛ガニなんてのもいいんじゃない!」

「さあさあ!氷と一緒に詰めてあげよう!」

 威勢のいい、暖かい声は観光客の喧騒に紛れる。こんな景色も、彼は好んでいる。要するに、人の暖かみと自然の生きた姿を愛するという事だろう。

 また少し足を進めると、今度は摩周丸の真横のベンチへ腰をかけた。

 ここが彼がいつも日が暮れるまで過ごす場所である。ここなら函館山のてっぺんも眺められるし、遠くまで広がる海も一望できるからだ。

 腰を下ろしてから三十分ほど経過したころ、彼の横に少し腰を曲げた男性が横に座る。風貌からいって七十代といったところか。

「いやいや、若いのに随分と遠い目をしているねえ」

「ええまあ……この海が好きなんですよ」

 すると男性は可笑しそうに笑う。

「はは、やっぱりね。今時の学生にしては澄んだ目をしてる」

「そうですかねぇ……?」

 彼は人と話すことも苦としない。穏やかな波が岩肌に打ち付け、きらきらと光り輝く。

「君、名前は?」

「八坂と言います」

「八坂くん。この街は変わるぞ。今に変わる。この綺麗な景色が果たしていつまで続くか分からない。私は年齢的にも厳しいからね、その変化を目の当たりにできないと思う」

「……そんな寂しいこと言わないで下さいよ。せっかくこの恵まれた土地に生まれたんですから」

「そうだね……でも、私はここが変わる前に逝きたい。この景観を崩される様を見たくないんだ……」

「……」

「変な話をしてしまったね、じゃあ、私はこれで。八坂くん、有意義な時間をどうもありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございます。では……」

 男性は何度も何度もこちらを振り向きながら、景色と共に別れるかのようにこちらを見ていた。


 あるとき、母に聞いたことがある。「人生は一期一会。初めて会った人とは、もう会えないかもしれない。その出会い一つ一つを、大事にしなさい」と。

 幼い頃から礼儀や行儀を自ら気にしていた彼は、その言葉を頭の中で反芻し、暗く音だけが伝わる海を見、涙をこぼしていた。

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