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4.原発とアニミズム文化

 読書喫茶。

 西洋風の、随分と古風な店内にあるたくさんの本棚には隙間なく書籍が並んでいる。この情報技術が進んだ時代に電子書籍は一つもなく、しかも一般人がおよそ好みそうにない難解そうな古今東西の民俗学や社会学の書籍が中心だ。これでは、客が寄り付きそうにもない。店主は商売する気があるのかと疑いたくなるが、意外にもそのマニアックさが逆に受け、充分に経営可能な客数は確保しているというのだから、世の中分からないものだ。

 もっとも、一昔前の図書館のような落ち着いた雰囲気の店内は、好きな人にとってみれば堪らない魅力があるというのは分からなくもない。置いてある本だって、一見難しい本ばかりに思えるが、店主に読み易いお薦めを尋ねれば、ピッタリの本を用意してくれるから、お茶を飲みながら、お菓子を食べ、インテリ気取りで読書に没頭する楽しみ方もできる。

 この店は、一見、時代の流れに歯向かい、そのアナログさを誇示しているようにも思えるが、実を言えばある意味では、普通の喫茶店以上に情報技術に頼り活用している。

 まず、この店に客が来るのはインターネットによって口コミでマニアの間で評判が広まっているからで、それがなければろくに宣伝もしないこの店はやっていけないだろうという点が一つ。そして、この店の店主が、インターネットを利用し、人間関係を結ぶ事で、自分の好きな本や知識を得、更にその繋がりによって、この店に客を呼んでもいるという点が、もう一つ。

 ただし、それを常に店主が望んでいるとは限らないのだが。場合によっては、来て欲しくもない客が来る場合もある。そして、その日もこの店には、店主が望まない客達がやって来ていたのだった。

 

 「国内に大量に保有しているプルトニウムを消費する為には、原子力発電所の活用しか道はない! 復活をすべきだ!」

 そんな声が響いた。発言者は男で、痩せていて眼鏡をかけている。やや長めの前髪が顔にかかり、その表情を隠している。だが、少なくとも彼が穏やかな気持ちでいない事だけは確かだった。口調を聞けば簡単に分かる。その発言に対して、彼の反対側に座る女性が口を開いた。

 「この地震国の日本で、原子力発電所を再び建造するなんて、常軌を逸した考えと言わざるを得ないわ。しかも、経済的なメリットもほとんどない」

 そう言った女性はOL風の姿をしており、清潔感が漂っている。髪はきちんとセットされていて、男とは好対照だ。

 テーブルを二つ合わせ、合計10人の男女がそこには集まっていた。彼らは議論をしているようだ。両陣営に分かれて、互いの主張を述べ合っている。

 どうやら一方は原発復活派で、もう一方は原発反対派のようだった。

 「地震国だから、何だと言うのだ? まだ、福島原発事故なんて気にしているのか? あれから技術は更に進歩している。今なら、より安全な原発の建設が可能だ」

 原発推進派の、先とは別の男がそう言った。小太りで、口元にちょび髭を生やしている。すると、原発反対派がこう返す。中肉中背の童顔の男だった。

 「原発が安全なんて、福島原発事故の前からずっと言われていた。でも、実際に事故が起き、大損害を日本は受け、そして、日本からは実質的に国土が失われた。日本や日本神話が好きな君達なら、むしろ原発を憎むべきだと思うがな。いくら神話が好きだからって、原発安全神話まで復活させる事はないんだぞ?」

 その言葉には明らかに皮肉が込められていた。その所為か、俄かに原発復活派達は興奮をし始める。

 「我々は確かに日本が好きだ。だからこそ、日本の技術力を信じているのだ!」

 「日本の八百万の神々だって、我々が日本の為を願っている事は分かってくれるはずだ。きっと、応援してくれるぞ!」

 「ロボットに作業をやらせれば、放射能の危険だって随分と減る」

 その時、そう口々に原発復活派が言っている姿に、やや遠く、カウンター席の中で読書をしていた女性が、読んでいた本から顔を上げ、呆れた視線を向けた。少し厚めの眼鏡越しでも強さを失わない瞳が印象的だった。セミロングの髪形が、いかにも知的に彼女を演出している。

 「お客様方、お静かにお願いします。他のお客様のご迷惑になりますので」

 そう彼女は言ったが、店内には今、彼らの他に客はいなかった。しかし、それでもそれを聞いて原発復活派の人間達は、一斉に静かになった。本来は大人しく真面目な連中なのかもしれない。ただ、その反応を観て彼ら中の一人、一番端の席に座り、まったく議論に参加する様子のない男が、小さく「ケッ」と呟いてそっぽを向いた。男は元より人相が少し悪かったが、不機嫌な顔になった所為でより凶悪そうな面相になっていた。

 カウンター席の中にいる女性は、原発復活派が大人しくなったのを確認すると、再び視線を本に向けた。実は先ほどから、ずっと彼女は読書をしているのだ。接客する気がある態度には思えないが、実はこれでも彼女はこの店の主である。名を鈴谷凜子という。

 やがて気まずそうにしながらも、原発復活派の一人が再び口を開いた。

 「核分裂により質量からエネルギーを取り出す技術は、宇宙開闢を想起させる。当に神の領域だと言える。神道とは、読んで字のごとく、神の道と書くのだから、原子力エネルギーを活用するのは、その道に充分に則っていると言えるはずだ。日本人は、神の道を究めるべきだろう」

 本人はよく考えて言ったつもりだろうが、もちろんこれは暴論だ。否、論ですらない。遠くで聞いていた鈴谷はその発言に変な顔をし、原発反対派だけでなく、原発復活派もそれを言った彼に非難の目を向けた。それからそれに反論する為に、原発反対派の一人が口を開こうとしたが、何故かOL風の女性が止める。どうやら彼女が原発反対派のリーダー格らしい。

 「店長さん! ちょっと、コーヒーのおかわりが欲しいのだけど」

 彼女はそれから、そう声を上げた。

 その声にいかにも気が進まないといった様子で鈴谷凜子は反応をする。ゆっくりと立ち上がると、コーヒーポットを持って彼女らに近付いていった。鈴谷がコーヒーを淹れ終えると、OL風の彼女は言った。

 「後少しお菓子も欲しいわ。クッキーを二皿ほどお願い」

 それに鈴谷は頷く。

 「分かりました。綾さん」

 “綾さん”。名前を知っている。どうやら、彼女達は知合いらしい。恐らく、敢えてそれを伝える為に、鈴谷はそう言ったのだろう。多少、綾という名のOLを非難しているようにも思える。それから、鈴谷はクッキーを持って来る為に席を離れようとしたが、それを綾は止めた。

 「ちょっと待って、凜子ちゃん。少し訊きたい事があるのだけど」

 「なんでしょう?」と、鈴谷は振り返る。その表情は、その展開を予想していたようでもあった。“やっぱりか”といった顔をしている。

 「さっき、そこにいる人が言った通り、神道って神の道って意味なの? だから神道って名付けられたのかしら?」

 「そんなの簡単に調べられると思いますよ」

 「お客から質問されたら、可能な限りそれに答えるのがこの店の“売り”でしょう?」

 それを聞くと軽くため息を漏らしてから、仕方ないといった様子で、鈴谷はこう答えた。

 「神道はそんな意味で名付けられた訳ではないと言われています。神道とはそもそも中国の道教の言葉ですしね。しかも、やや侮蔑的な意味で、昔の中国人、或いはその知識を得た日本人が、日本の信仰を評した言葉だと思われます」

 その鈴谷の説明に、原発復活派は驚いた声を上げた。

 「侮蔑の意味?」

 鈴谷は頷く。

 「はい。道教では、鬼道、神道、真道、聖道と宗教は発達するものだと考えられていました。神道とはここから取られたものでしょう。つまり、その昔、日本の信仰は未発達な宗教だと軽めに侮蔑されたのではないか、と思われるのですね」

 それを聞き終えると、綾が言った。

 「……だ、そうよ。だから、さっき、あなたが言った説明は間違いね。神道に原発が相応しいとは言えない」

 満足そうに笑っている。それから、鈴谷はクッキーを持って来る為に席を離れた。鈴谷が席を離れると、また原発復活派が口を開く。

 「神道という言葉の意味が何だろうが、神道が日本の為にある宗教だという点は変わらないだろう。日本の為を願って原発を復活させるべきだと主張している我々が、それを信じるのは矛盾しないはずだ」

 なんだか議論の方向がおかしくなっているようにも思えた。原発反対派は、それにこう返す。

 「日本の為を願っていても、それが日本の為になるとは限らないだろう? あなた達は間違っているからそう言っているんだ」

 綾はそれに何も言わない。「ふーん」と、そう呟くと頬杖を付いた。それからも似たようなやり取りが続いたが、やがて鈴谷がクッキーを二皿運んできたので中断した。彼女が机にそれを並べると、また綾は質問する。

 「凜子ちゃん。また質問なんだけど。神道ってどんな宗教なのか教えてくれる? 本当にその教義が原発の開発と矛盾しないのか知りたいのだけど」

 また軽くため息を漏らすと、鈴谷はこう答える。

 「神道に教義はないと言われているので、教義の内容は説明できませんが、どんな宗教かと問われれば、アニミズム的な自然崇拝の特徴を色濃く持つというのがその答えになると思います」

 「教義はないの?」

 「はい。ありません。先ほど、神道は“発達していない宗教”の意味だと言いましたが、或いは教義がない点も、その評価の一因になったのかもしれません。因みに、教義がないので、神道は習俗であって宗教ではないという考えもあるようですよ」

 その説明に原発復活派は反発した。

 「神道が宗教ではない? それは、また随分と乱暴な話だな。馬鹿にするにも程がある。認める訳にはいかない」

 ところがそれを聞くと、鈴谷は冷静な口調でこう返すのだった。

 「いいえ、これは神道を馬鹿にした言葉ではないと思います。ただ単に、宗教をどう定義すべきなのかといった問題に過ぎないかと。それに、そもそも価値のあるなしは、宗教であるか否かによって決まるものではありません。宗教であろうとなかろうと、機能的に役に立っているのなら、神道には充分に価値があると言えるでしょう」

 その鈴谷の説明に、原発復活派は嬉しそうな表情を浮かべ頷く。しかし、それが何故か鈴谷には気に入らなかったようだった。綾から何も言われていないのに続ける。

 「ただ、あなた達の主張には疑問を覚えもしますね。果たして、本当に神道を機能面から評価できているのか……。

 神道は先ほど述べたように、自然崇拝をその特徴とします。万物には霊が宿ると考え、それを敬う。神道における神奈備という言葉を知っていますか? これは、自然そのものをご神体とすること、或いはその自然環境そのものを言います。実際、神道の考えに則り、聖域として森が護られているケースが日本では数多く存在しています。ご存知であると思いますが」

 その鈴谷の言葉に原発反対派は顔を見合わせた。そして、「もちろん、知っているとも」とそう返す。しかし、知ってはいたが、彼らは恐らくはその事と神道とを結びつけて考えてはいなかったのだろう。自然を神と崇める概念は、何処か彼らのイメージする神道とは違っていたのだ。

 それを受けると、鈴谷は少しだけ恐い顔になった。無表情に思えるのだが、怒っているように感じられる。口を開いた。

 「では、自然を破壊する原子力発電所の建設が、神道に反しているとも理解できるはずですよね? 核汚染された土地は、半永久的に元には戻らない。それは自然を穢す行為であるはずですから、神道にとってみれば神を穢す行為と同じです。実際、過去、一部の神道家は神道の立場から、原発の建設に反対しました。また、神社を参拝する総理大臣が、原発推進派である点に疑問の声が上がった事もあります。本心から、神道を信じている人にとってみれば、原発推進が不敬に見えたのは想像に難しくないでしょう」

 その説明に、原発復活派は気圧されていた。確かに、神道を信仰しながら、原発復活を訴える事は、明らかな矛盾であるように思える。

 そして、そう鈴谷が語り終える段に至って、ようやく原発復活派のメンバーは、この喫茶店内に数々の民俗学や社会学の書籍が置かれている事の意味を理解した。全てではないかもしれないが、この女店主はここにある本の多くを読んでいるのではないか。ならば知識量で敵うはずがない。更に、議論の場所として、綾という原発反対派の女性がここを指定した理由も同時に察した。彼女はこの矢鱈と宗教などに詳しいこの女店主を味方に付けるつもりで、ここを選んだのだろう。鈴谷がまた口を開いた。

 「それとも、あなた達は充分に神道を学び、理解し、その上で独自の見解や理論を発達させ、原発復活を主張しているのでしょうか? ならば、是非ともそれをお聞かせ願いたいですが……。個人的に非常に興味があります」

 その鈴谷の言葉を受けて、原発復活派達は互いの顔を見合わせた。彼らは深く神道について考えた事などなかったのだろう。誤魔化す為か、長い前髪の男が口を開く。

 「いや、取り敢えず、神道は置いておこう。我々は、神道にこだわるつもりはない。総合的に判断して、原発を復活させた方が良いかどうかを議論しているのだから」

 この喫茶店内にある本は、民俗学や社会学の本が中心だ。だから、男は別の話題なら彼女との議論に勝てると踏んだのだろう。しかし、鈴谷は物怖じする様子を見せない。躊躇も容赦もせずに言葉を続けた。

 「総合的に判断しても、原子力発電所にそのデメリットを上回るメリットがあるとは思えませんが。

 原発依存度の高い電力会社の電気料金が高かった事を考えるのなら、原発コストはやはり高いのだろうと考えられますし、大災害に対する実証実験が不可能な点を考えるのなら、その安全性も保証できません」

 それから彼女は腕組みをする。その言葉に、原発復活派の人間達は何も言い返せず、そのまま小さくなってしまった。つまりは、負けを認めてしまったのだ。知識量の差に降参をしたのかもしれない。彼女は民俗学や社会学方面以外の知識もある程度は持っている。

 

 議論の勝敗が明確になり綾が終わりを宣言すると、参加していたメンバーは直ぐに帰り始めた。勝った原発反対派は満足げに、負けた原発復活派は何処か納得いかないという表情で店を出て行く。原発復活派は罠に嵌められたようなものだから、それも当然かもしれない。

 皆がゾロゾロと出て行く中、原発復活派の一人、議論にほとんど参加していなかった人相の悪い男が店の奥に入って行った。トイレに向かったのかもしれない。誰もそれを気にしなかった。

 ガチャンとドアが閉まったところで、綾が口を開く。彼女は、鈴谷凜子と話す為に店内にまだ残っていたのだ。

 「いやぁ、快勝だったわ。ありがとうね、凜子ちゃん」

 やや機嫌悪そうにしながら、彼女はそれにこう返した。

 「“ありがとうね”じゃ、ありませんよ、綾さん。私を利用するのは止めてください。逆恨みされるのとか、嫌なんですから」

 綾は雑誌社で働いている。さっきまで開かれていた会議は、記事を作る為の企画の一つで、原発復活を望むグループとそれに反対するグループで議論をするという趣旨のものだった。主催者である綾も原発には反対で、だから議論に勝つ為、一計を案じたのだ。この喫茶店の鈴谷凜子を頼ったのである。

 因みに、綾はネット上の知識者集団“市井の考者達”を介して彼女を知った。彼女はその一員なのだ。彼女はそれを否定しているが、“市井の考者達”は明確な組織ではない為、関係ができてしまえば、それで一員になったも同然である。

 「大丈夫よ。そんなに危ない連中じゃないから。もっと危ない連中も知っているけどさ。そういう連中には私も関わりたくないし、もし関わってしまったとしても、本気で危なかったら、ここには連れて来ないわ。

 それに、お客さんがたくさんで、お金も稼げて良かったでしょう?」

 「良くないです。稼げたと言っても、大した額じゃありませんし、店内であんな議論されたら他のお客さんが寄り付かなくなっちゃうし」

 「店の中に他のお客さん、いなかったじゃない」

 「だから、これから入って来なくなってしまうという話ですって」

 しかし、そのタイミングで喫茶店のドアが開いた。綾も鈴谷もそれに注目する。綾が言う。

 「入って来たみたいよ。お客さん」

 それに鈴谷はこう返す。

 「お客さんじゃありません」

 おどけた表情で綾は言った。

 「いやいや、客だって。彼だって一応は、コーヒーを飲むのだし」

 その言葉を聞いて、入って来た客…… 佐野隆は困った表情でこう言った。

 「二人とも、こんにちは。なんか、酷い事を言われているような気がするんだけど?」

 彼はいかにも人畜無害そうな穏やかな表情をしていた。まったく怒っていない。綾がそんな彼を無視して言った。

 「でも、凜子ちゃんだって、最後の方は本気になっていたじゃない。彼らを積極的に論破していたみたいに思えたわよ」

 「ええ、まぁ、私は別に神道の信者ではありませんが、それでも、やっぱり、彼らのような態度には腹が立ちますから。表面上だけ、神道を信じているような振りをして、実はまったく勉強していない。自分達の考えがない」

 その二人の会話を聞いて、「なんだ。何か議論をしていたんだ」と、佐野は間抜けそうな声を出した。

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