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2.犬だね

 「犬だね」

 と、菊池奈央はそう言った。それはライターをやっている佐野隆が、取材の為、ロボットに関する話を聞きたいと彼女の工房を訪れた際のことで、その時ちょうど彼女は熱心に作業をしている最中だった。忙しくロボットのアームを調整しながら、その片手間に彼と話をしているといった感じ。ただ、それにもかかわらず、彼女は佐野との会話を少しも煩わしそうにしてはいなかった。むしろ、楽しんでいる風にすら思える。

 「イヌってあのイヌ?」

 「他にどの犬がいるのだい? 佐野君」

 一瞬だけ手を止めると、可笑しそうに笑いながら彼女は佐野を見た。

 彼女はいかにも理系といった雰囲気の顔をしている。分厚い眼鏡をかけていて、髪は短い。以前は長くしていたらしいのだが、作業するのに邪魔だからという理由で切ってしまったそうだ。ただ、それでも充分に彼女は女性らしく思える。身体つきは痩せている部類に入るが、それでいて妙にアグレッシブさを感じさせる。きっと、彼女の機敏な動き方の所為だろう。

 菊池奈央はロボットの技術者をしている。当然、ロボットに詳しい。しかも彼女は、生体部品としてのロボットの可能性を追求しているという少々変わったタイプの技術者で、その時は脳からのフィードバックをアームに活かす機構の微調整をしている最中だった。

 「でも、ロボットが犬をモデルにしているなんて、ちょっと実感沸かないな。まったく形状が違うじゃない」

 そう佐野が言うと、菊池は「いやいや」とちょっと困ったような声でそう言った。彼を馬鹿にしない言い方で、それを訂正するにはどうしたら良いのかと迷っているようだ。

 「ロボットの形状の事ではないよ、佐野君。確かに犬型のロボットもあるし、生体の構造をロボットは大いに参考にしてもいる訳だけど、それとはまた別の話だ」

 上手い言い方を思い付かなかった彼女は、結局いつも通りの言い方でそう言った。彼女は佐野が気を悪くしたかと少しばかり不安になったが、それは杞憂だったようだ。まったく表情を変えずに彼は返す。

 「だとすると、何の事だろう?」

 その言い方が何とも間抜けに思えて、彼女は一瞬、本気で彼を馬鹿にしたくなった。彼は中肉中背で、何もしなければ頼りになりそうに見えない事もないのだが、行動が伴うと一気に隠し切れない“ヘタレさ”が、身体全体から滲み出てしまう。だから、ちゃんと話を理解してくれているのかと周囲の人間をいつも不安にさせるのだ。ただ、ライターである彼が仕上げる文章は、いつもそれなりに形になってはいて、一般読者が読む分には何の遜色もないレベルになっている。だから、彼に理解力がないという訳ではなさそうだった。

 “流石に、火田君が全てを指導しているとは思えないしね。もしそうなら、彼を雇っている意味がない”

 そう思うと、彼女はこう言った。

 「犬がロボットのモデルというのは、飽くまで人間の生活のパートナーという意味でだよ」

 「生活のパートナー…」

 「そう。犬は多くの動物の中で、最も人間社会に溶け込んだ種の一つだと言える。犬が人間社会で担って来た役割は、多彩かつ重要。犬は単なる愛玩動物ではない。狩猟犬からはじまって、牧羊犬、盲導犬、麻薬探知犬、災害救助犬、なんと癌を見つけ出す癌探知犬や、セラピードッグなんてものもいる。16から19世紀頃のイギリスには、ターンスピットという犬種がいたそうだが、この犬は肉を焼く為の回し車のような装置を回すという役割を担っていたらしい。ほら、よくマウスやハムスターなんかが回しているようなヤツだよ。想像すると、少し可哀想だがね……」

 そう説明する菊池奈央の手は完全に止まっていた。作業を中断している。それを見て佐野隆は“いいのかな?”とそう思う。心配しているような、罪悪感を覚えているようなそんな表情。その彼の表情を敏感に感じ取ると、彼女はこう言った。

 「ああ、気にしないでくれ。そろそろ、君の取材に集中しようと思っていたんだ。作業しながらじゃ、録音した内容に作業音が混ざって邪魔だろうし、会話も途切れ途切れになって聞き難いだろう」

 それを聞いて佐野は、仕事の妨げになってしまったかと思い「別に作業しながらでも構わないのに……」と言いかけて口を閉じた。予め取材をしたいと連絡を入れ、OKをもらった上で訪ねたのに、作業をしていた彼女の方が悪いと言えば悪いのだ。気を遣う必要もないのかもしれない。いくら彼女の方が立場的に優位であったとしても。

 菊池は工房の仕事机の席から立ち上がると、手袋を脱ぎタオルで手を拭きながら、まるで遠くを見る時にやるように、手を目の上にかざしてこう言った。

 「ここじゃなんだから、あっちに移動しようか? 佐野君」

 見るとテーブルとイスがある。彼女の家は工房と一般生活の為のスペースがシームレスになっている。開放感を好む彼女が特別に注文した構造だ。だから、工房から台所や居間なども見えている。居間は一面が大きくガラス戸になっており、そこから庭にたくさん植えてある植物の緑がよく見える。その光景はこの家を爽やかさに演出していた。

 菊池が示したテーブルとイスは寛ぐ為の場所のように思えたが、佐野はそれを見た事がなかった。彼が彼女の家を訪ねるのはこれで二回目だが、一回目の時は座った記憶がない。今のようにずっと工房で話していたのだ。その彼の様子を察したのか、それとも単に言いたかっただけか、菊池は得意そうな顔になるとこう言った。

 「お客が訪ねて来た時の為に、つい最近、用意したのだよ。使うのは初めてだがね。皆、私を世捨て人か何かのように考えているようだが、どうだい? 私だって、最低限の一般常識くらいわきまえているだろう?」

 それを受けて、佐野は返答に多少窮してしまった。それで「うん。まぁねぇ」とそう返す。彼女はまるで芝居がかった学者のような特徴的な喋り方をするくせに、時折、妙に子供っぽいこんな一面を見せる事があるのだ。

 “本当に、変わった女の人だな”

 それから、佐野はそう思った。続けて“まぁ、あそこに所属している人達は、変人が多いのだけど”と、そう思う。

 

 佐野のいう“あそこ”とは、“市井の考者達”というインターネット上の集いの事だ。この集いは、明確な形を持った組織ではない。だから、入会もなければルールも存在しない。本当に単なる“集い”なのだ。だから、“市井の考者達”というのも正式名称ではない。通称のようなものだ。そもそも正式名称など存在しないのだが。

 ただし、この“市井の考者達”には、成立の為の立役者はいる。火田修平という名の佐野隆の仕事上の上司かつ友人に当たる男だ。ネット上で時折、無名ではあるが、妙に知識を持った人間を見かける事がある。有名ブロガーに鋭い突っ込みを入れていたり、テレビのコメンテーターの間違いを指摘していたり。火田はそういった人間達に注目をした。そして、積極的にコンタクトを取り、知識や考察の為に頼ったり頼られたりを繰り返し、人間関係の構築に腐心したのだ。初めは大いに不審がられたそうだが、そのうちに火田を介して様々な分野の専門知識を結びつける知識ネットワークのようなものが形成されるようになっていった。

 ある程度そのネットワークが大きくなると、もう火田が介在しなくても、そのネットワークは機能するようになっていた。勝手に拡大し進化すらしていた。知識の交換や議論が交わされ、その場所は、ある電子掲示板だったり、SNSだったり、メールなどの個人同士のやり取りだったりと不定形で特定できない。しかしだからこそそれは柔軟で、安定していた。そしてそんな状態になった頃、そのネットワークは“市井の考者達”とそう呼ばれるようになっていたのだ。

 彼らの中に質問を流せば、何かしらの“回答”が得られる。それが正しいという保証はないが、それでもそれは一考に値するものばかりだった。だから、メンバーだけでなく、一般の人間も彼らを頼ることがしばしあった。もっとも、何処までが“市井の考者達”と呼べるのか、その境界線はないから、相談した時点で、その一般人も既に“市井の考者達”の一人になっているのかもしれなかったが。

 先に述べたが、佐野はライターをやっている。主にWebで活動しているが、実はその仕事は、ほとんど火田が経営している小さな会社からの依頼ばかりだった。一応、佐野は個人名義で活動しているのだが、だから実質的には火田に雇われているようなものだった(だから正確にいえば、火田は彼の上司ではなく雇い主なのだ)。もちろん、原稿のチェックも火田が行う。そして火田がその為にこのネットワークを作り上げたのかどうかは分からないのだが、彼らはこの“市井の考者達”を大いに活用していたのだ。

 つまり、佐野が記事にするそのネタの大元は“市井の考者達”からの情報や考察である場合が非常に多いのだ。

 “市井の考者達”には、様々な人間達がいる訳だが、火田と佐野は快く協力してくれる人間に的を絞り、上手く彼らを頼っていた。予算が少ないから、お返しも少ししかしないのに、彼らの多くはそれを嫌がりはしない。火田が作ったネットワークを、彼らも利用させてもらっているという事もあるのかもしれないが、それでも佐野達にとって彼らは恩人だった。

 もちろん、ロボット技術者の菊池奈央もその一人だ。だから佐野は、彼女から失礼に扱われても文句を言える立場ではないのである。

 

 「……えっと、何を話していたのだったかな?」

 

 慣れない手つきでお茶を出すと、佐野の目の前の椅子にゆっくりと腰を下ろしながらそう菊池奈央は言った。意外にもお茶は日本茶だった。何故か佐野は勝手にコーヒーや紅茶を想像していたのだ。彼女は洋風のイメージだろうと。もちろん、それは彼の勝手なイメージなのだが。

 「犬の話だよ。ロボットが人間の生活のパートナーとなる際に、犬をモデルにしたという話」

 「ああ、そうか。そうだったな。うむ。さて、何から話したもんかな」

 そう言って彼女はまるで誤魔化すように指を頬に当てた。慣れない接客をしている所為か、または工房から出た所為か、彼女は少しばかり気弱になっているように佐野には感じられた。気の所為かもしれないが。

 「ロボットに学習機能がある事は、君も承知しているだろう? 人間の生活をサポートする為の全ての行動をロボットにプログラミングするのは非常に難しいし労力がかかり過ぎる。それに柔軟性もなくなるしね。様々な状況に対応する汎用性をロボットに持たせるには、それでは問題がある。

 だから、重要で基本的な部分以外は、ロボットに自ら学ばせる仕組みを作ったのだね」

 そう言って菊池はお茶をゴクリと飲んだ。稼働しているレコーダーが、その音まで拾いはしないだろうかと、どうしてか佐野はそんなどうでもいい事を考えた。

 「しかしだ。ここで一つ問題があった。ロボットが何を学習するのか、その判断はどう行おう?

 人間が目的を設定し、それを達成した場合、それを学習する。例えば、そんな事をやればロボットに学習させる事が可能だろう。しかし、全てのロボットの行動に、いちいちこんな事をやっていたら手間がかかって仕方がない。そこでロボット技術者達が注目したのが、“犬”だったのさ。

 犬はどうしてあんなにも多種多様な仕事を覚える事ができ、更に問題なく人間と生活を共にできるのか、その理由が分かるかい? 佐野君」

 佐野は軽く首を捻るとこう言った。

 「高い能力を持っているから? 鼻が利くとか、頭が良いとか」

 「確かにそれもあるだろうね。しかし、犬よりも鼻が利く動物も頭が良い動物も実はたくさんいる。しかし、犬のように人間のパートナーにはなってくれなかった。明らかに犬には特別な何かがあるんだ。分からないかな? 更に情報を足そうか?」

 「うん。分からない。お願いする」

 佐野はこういう時、直ぐに諦める。そういった点も、彼のヘタレ感を増す一因になっているのかもしれない。

 「普通、動物を調教するといったら、何か餌を利用するのが普通だろう? それに成功したら褒美として餌を与える。それで、その動物はそれを学習する。

 ところが、犬には餌が必ずしも必要ではないんだ。ただ人間が頭を撫でたり褒めたりするだけで、それが褒美になる。それどころか、なんと犬は人間が傍にいるだけで、快感を感じるらしいよ。実験でそれが確認されているんだ。逆に言えばそれは、人間から叱られたり一匹になったりすると、犬は酷く傷ついたり不安になったりするという事でもある」

 そこまでを聞けば、流石に佐野にも彼女の言いたい事が分かったらしかった。こう口を開く。

 「つまり、犬に多種多様な仕事が覚えられるのは、人間が大好きだからってことが言いたいのかな?」

 「まぁ、平たく言えばそうだね。なら、ロボットにもこれと同じ仕組みを用意すれば良いとは思わないか? 君の平易な言い方を採用するのなら、ロボットに人間を大好きにさせるんだ。具体的には、人間に褒められたらその行動を強化し、叱られたらその行動を弱化するという仕組みを作る。疑似的なものだが快感や痛みをロボットに設定するって事でもあるね。

 犬でも子供でも、褒めたり叱ったりする事を人間はごく自然に行っているから、人間側にとってもこれは馴染み易い仕組みだった。

 ただ、この仕組みが原因で、ロボットを人間扱いするってアニミズム的な発想を持つ人が増えてしまった気もするけどね」

 それを聞き終えると、佐野は腕組みをした。

 「なるほど。それで、ロボットの学習を受け持つロボットの調教師って職業も生まれたのか」

 「その通りだね。ロボットに学習させた色々な行動をパッケージ化して売る。犬との違いもそういった点に求められるだろう。ロボットの場合、インストールしてしまえば、簡単にその行動を学習できるし、だから瞬く間に広める事が可能だ。

 ただしそれは、問題のある行動が広まってしまう危険性もあるって話だが」

 その菊池の言葉に佐野は反応した。

 「例えば、“人殺し”とか?」

 しかし、その言葉に菊池は肩を竦める。

 「いやいや、それはどうかな? 流石に早計な判断だと思うよ。その君の知合いの知合いが体験しているっていうロボットの殺人未遂が、そうだとは限らない。と言うか、そもそも人に危害を加える行動は、更に上位の機構で禁止されているから、考え難いだろうね」

 「だけど、ロボットの“人に危害を加えてはならない”ってルールは厳密なものではないのだろう?」

 「それは確かにそうだね。色々と抜け道はあると思うよ。ロボットに事故を発生させ易くするとか……」

 「事故?」

 「そう。例えば、バランス制御能力が劣っているロボットに、“刃物を持ったら、片足で立つ”と学習させる。すると、意図的なものではなくても、周囲にいる人間を傷つける可能性が高くなるだろう? ロボットが転んで、持っている刃物で周囲の人間が怪我をするかもしれない」

 「なるほど……」

 それを聞いて佐野は考え込み始める。そこに向けて、菊池は更に語る。

 「後は、ロボットが人間に危害を加える行為だとそれを理解していないとかね。その上で学習させたら、殺人ロボットだって作れるだろう」

 それを受けて、佐野は更に真面目な表情になった。それを見て、彼女は言う。

 「一応断っておくと、思い付きで言ってみただけで、私は心配ないと思っているよ。そんな事は起きていないと思う。だって、そもそもログに残っていないのだろう? 仮にそんな問題行動を執るロボットの行動が広まってしまっているのなら、絶対に一体くらいにはログが残るはずだ。

 違法のダウンロードサイトで、“殺人を学習させました”ってなパッケージが売られている事がよくあるらしいのだが、そのほとんどはイタズラか勘違いらしいよ。稀に本物らしきものが見つかっても、直ぐに除去されているというし。だから、殺人を学習したロボットが野放しになっているなんて、私はないと思うがね。

 もちろん、何らかの理由で特別にその人が接したロボット達だけ狙われた可能性もある。詳しくその件のロボットを調べた訳ではないから、なんとも言えないが」

 その説明に、佐野はこう言った。

 「じゃ、その話の件は、やっぱり神経症なんかの可能性を考えた方が良いのかな?」

 「私はそう思うね。ロボットという異形の存在を未だに受け入れられず、恐怖感を覚えてしまう人も世の中にはたくさんいるし。ほら、君の話では、その人はロボットに人権を与えようって団体と繋がりがあるのだろう? 可能性はあるのじゃないかと思う」

 「それだと、むしろ逆じゃないか? ロボットを好きで、ロボットに人権を与えようとしているのだから」

 「そうかな? 私は違うと思うぞ。ロボットを人間と見做すって意識は、恐怖するって意識に結び付き易いのじゃないかと想像をするが。まぁ、専門外だから、強くは主張しないけどね」

 それを受け、少し考えると佐野はそれからこう言った。

 「なら、今回の記事“ロボット問題の真と偽”はやっぱり、社会文化人間心理が中心になるのかな?」

 心なしか、少し彼は嬉しそうにしているように思えた。その様子を受けて、菊池は察する。

 「ははぁ なるほど。鈴谷君を頼る良い口実ができたと思っているな、君は」

 慌ててそれを佐野は否定する。

 「そうは言っていないよ。確かに、鈴谷さんには会いたいけれど……」

 しかし、そう言い終えた後でこう続ける。

 「……彼女には言わないでおいて欲しい」

 「私が言わなくても、バレバレだと思うがね」

 そう言うと、菊池は音を立ててお茶を飲んだ。お茶は既に温くなっていたが、それくらいの方が彼女の好みだった。「美味しい」とそう言う。

 鈴谷というのは、フルネームを鈴谷凜子といい、社会文化関係に詳しい“市井の考者達”のメンバーの一人で女性だ。佐野はその彼女に好意を持っているのだ。

 それから彼はこう言った。

 「しかし、せっかく、村上君が相談しに来てくれたのに、これではあまり役に立てそうにないなぁ。ロボットの故障の類なら、物理的に対処すれば良いけど、神経症の類だとそう簡単にはいきそうにない。記事のアイデアとネタを提供してくれたのに、また何もお返しができそうにない、か」

 「なんだ。相談して来た知合いというのは、村上アキ君の事だったのか。という事は、知合いの知合いというのは、彼の彼女なのかな?」

 「さぁ? かなり怪しそうだったけど、そこまでは分からないな」

 それを受けると、「ふぅん」と彼女は返す。その後で、佐野はこう言った。

 「それでは菊池さん。僕はそろそろこの辺で、失礼するよ」

 それから彼はレコーダーのスイッチを切って、カバンに仕舞った。それを受けると、菊池は彼の為に用意された湯呑を見た。彼はそれに一口も口をつけていないのだ。

 接客に慣れない自分が、がんばってお茶を出したのに。

 その視線には、そんな気持ちが込められているように佐野は感じた。それで、湯呑を持つと一気に飲み干す。コトンとそれをテーブルの上に置いた。その後でこう礼を言う。

 「ごちそうさま。今日は、色々と話をしてくれてありがとう」

 それを聞くと、菊池は「いやいや、私も話せて楽しかったよ。工房にずっといると、偶に誰かと話したくなるんだ」とそう返して、手でバイバイのジェスチャーをした。佐野はまた礼をすると、そのまま部屋を出て行った。菊池はそれを見送らない。彼が出て行った後で、「あっ…… しまった。失礼だったかな?」とそう呟いたが、もう手遅れだった。

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