9.感染
鈴谷凜子はその日、読書喫茶のカウンター内にある椅子に座り、頬杖をつきながら、タブレットで佐野から彼女に送られて来たメールを眺めていた。
店内には客が五、六人ほどいて、それぞれ読書に熱中している。何も注文をする気配はないが、それでも接客業を営んでいる人間の態度ではないだろう。
佐野は鈴谷に好意を持っている。鈴谷はそれに気が付いていた。しかし、ではそのメールの内容が何か浮いたものなのかといえば、それは全く違った。
佐野からのメールには、ロボット人権団体や介護ロボット尊敬派の寺に嫌がらせをしそうな団体の名が列挙されてあったのだ。彼が調べたものらしい。いちいちそんな報告を受ける道理は鈴谷にはなかった。確かに彼女は、ロボットの殺人未遂について、ロボット人権団体などへの嫌がらせを疑ってみろと言った事は言ったが、別に彼女自身がそれを知りたい訳でもないし、報告を頼んだ訳でもない。
恐らく佐野は、そうして連絡を入れる事で少しでも鈴谷に会うチャンスを増やそうとしているのだろう。
鈴谷はそう予想していた。
“こういうのって、私が分かっている事を理解した上でやっているのかしら。それとも、単なる間抜けなのかしら”
そのメールを眺めながら、鈴谷はそんな事を思っていた。軽く微笑んでいる。馬鹿だなとは思うけれど、それほど悪い気はしない。ただし、佐野の寄越したメールには、物騒な内容も含まれていた。女性に送る遠回しの恋文としては、ちょっとどうかと思う。少し前に、殺人事件を起こした団体名までが書かれてあったのだ。組織内で諍いがあり、それで殺人事件にまで発展したのだとか。
やがて、喫茶店のドアが開く音がした。鈴谷は条件反射的に「いらっしゃいませ」とそう言った。しかし彼女は、言い終えた後で目を丸くするのだった。
「あなたは……」
そこには凶悪そうな顔をした男が立っていた。彼は少し前の“原発議論”の時、鈴谷を恐怖させた男である。佐野のお蔭で助かったが、今日は彼はいない。もっとも、店内に他の客がいる状況下で、下手な行動は執らないだろうが。
男は真っ直ぐにカウンター席に向かうと、鈴谷にこう言った。
「よう。仕事中にタブレットで遊んでいるとはいいご身分だな」
鈴谷はやや緊張しながら「何の御用でしょうか?」とそう尋ねた。すると、男は軽く笑った。
「俺の名は崎守って言うんだ。そう怯えるなよ。俺は客だぜ。喫茶店で客がする事と言ったら、茶を頼む事だ。ウーロン茶をくれよ、冷たいやつ……」
それを聞くと、鈴谷はコップにウーロン茶を注いで出す。
「喫茶店で喉を潤したい人の態度にも思えませんが」
彼女がそう言うと、崎守と名乗ったその男はこう言った。
「だから、怯えるなって。だが、確かに俺は喉を潤したい訳じゃない。この店はあれだろう? 客が求める知識を、店主が可能な限り提供するんだろう? まぁ、正確には知識が欲しい訳じゃないが、俺の話を聞いてくれよ。助けて欲しいんだ」
それを聞いて鈴谷は考える。確か、前もこの男はそんな事を言っていた。本当に助けが欲しいだけなのかもしれない。
「何にでも協力する訳ではありませんが。分かりました。話くらいは聞きましょう」
崎守はそれに頷くとこう言った。
「オッケイ。あのな、覚えていないかもしれないが、前にも言った通り、俺は人殺しが見てみたくてよ、それで色々と危なそうな団体に関わったんだ」
「覚えています。あんな怖い台詞は現実では滅多に聞きませんから」
「そう嫌味を言うなよ。あの時も言ったが、続きを聞いてくれ。
俺は人殺しが起こる事を期待して、色々な団体に関わった訳だが、はっきり言って拍子抜けしちまったよ。誰も人殺しなんかしそうになかったからだ。口じゃ色々と言うが、ありゃ口だけだ。誰も殺人なんて犯そうと思っていないし犯してもいない」
恐らくその主張に根拠はない。この崎守という男の単なる印象での判断なのだろう。しかし得てしてそんなものな気もする。鈴谷は黙ったまま頷いた。
「それで、それがどうしたのでしょうか?」
崎守はその問いを無視して続ける。
「しかし、最近になって、殺人事件が起こっちまった」
鈴谷はその言葉に、目を大きくした。
「それは……」
「慌てるな。恐らく、ありゃ冤罪だ。あいつらは人殺しなんかしていない」
鈴谷はそれを聞いて「根拠は…」と言いかけたが、言い終える前に「根拠はいくつかある。そのうちの一つはロボットだ」とそう崎守は答えたのだった。
ロボット?
鈴谷に不気味な予感が走った。タブレットに目を移し、佐野から送られて来た資料にある団体名を目で追う。嫌がらせで、ロボットに何かをしたかもしれない連中……
「それは興味深い話ですね。もっと、詳しく聞きたいです」
鈴谷はゆっくりとそう応える。それに崎守は意外そうな顔をした。彼女が素直に話を聞いてくれるとは思っていなかったのだろう。とにかく彼は話し始めた。
「あいつらの所にいるロボットがな、ちょっと前からおかしな事をするようになったんだよ。ゴキブリとかネズミとかを殺したり、人間に体当たりをしたり。それで怪我をした奴も何人かいるんだ。大した怪我じゃなかったが」
少し考えると鈴谷は尋ねた。
「場合によっては、人が死んでいた可能性もありますか?」
つまり、殺人未遂の可能性もあるか。
それに崎守は頷いた。
「ああ、運が悪ければ死んでいた可能性も充分にあると俺は思っている。だから、俺はロボットが故障しているんじゃないかって考えているんだがな」
「おかしくなったロボットは一体だけですか? それとも数体?」
「数体だな。ただ、あそこのロボットは旧式ばかりだから、同時に故障したとしても不思議じゃない」
それを聞き終えると、鈴谷は腕を組んだ。
「つまり、崎守さんは、ロボットが殺人事件を起こしたと考えているのですか? 故障だとすれば事故ですが」
「流石に察しがいいな。その通りだ。話が早くて助かる」
「ですが、ならその話を、警察に伝えれば良いのではないですか?」
その鈴谷の言葉に、崎守は肩を竦めた。
「もう言ったのに、無駄だったからこうしてお前に相談しているんだろ? 警察はロボットのログを調べて、何も残っていなかったってだけで、もう故障の線を考えるのを止めちまったんだよ。故障していたんなら、ログに残ってなくても当然だろうに」
故障したからといって、必ずしもログに残らなくなる訳ではないが、面倒そうだったのでそこは指摘せずに鈴谷は今度はこう訊いた。
「もしかしたら、何度も起こっていたというそのロボットの事故も、ログには残っていなかったのじゃないですか?」
「いや、最近の事故のログを残していたヤツが一体だけいたな」
鈴谷は顎に手を当てるとこう考えた。
“一体か…… それくらいなら、漏れたと考えれば充分に説明できるわね”
その後でこう訊いた。
「できれば、ロボットの不審な行動以外の根拠も教えて欲しいのですが」
「それは簡単だよ。あいつらは、確かに口喧嘩くらいはしょっちゅうしていたが、殺しなんて馬鹿な真似はしない。お互いに加減を分かり合っていた」
「なるほど。仲間内で起こった事件なんですね」
それを聞いて鈴谷は思う。
“……とすると、やっぱり佐野君のリストにあったあの団体かしら? 組織内で諍いがあったとなっている。この崎守って人の意見には印象も含まれているけど、でも、無視はできない気がするわね”
「崎守さん。私はロボットは専門外ですが、偶然にも似たようなロボットの症例を、最近になって耳にしました。もしかしたら、関連があるかもしれません。
それで、その団体名を確認したいのですが、もしかしたら“木偶の会”というのではありませんか?」
ロボットの症例。もちろん彼女は、村上アキの知合いの女性が体験したロボットの怪行動を思い出していたのだ。
それに崎守は驚いた顔を見せる。
「どうして、知っているんだよ?」
「殺人事件を起こしたと報道されていましたから、そうかもしれないと思ったのですよ」
本当は佐野のリストのお蔭で知っていたのだが、敢えてそれは言わなかった。
“木偶の会”は、ロボットに人権を与えようとする動きに反発している団体で、感情のないロボットに愛着を向ける行動全体を幼稚だと否定しているらしい。それが人間社会の衰退に繋がると考えている。もっとも、その主張の根拠には説得力がないし、明確な証拠も提示されてはいないのだが。
ただし、この“木偶の会”はロボットの利用そのものを否定している訳ではない。それどころか重要な労働力として重宝すべきだとすら考えているらしい。つまりは、男性原理的にロボットを捉え、“奴隷”としての価値はあると考えているのだ。だから組織内でロボットを所持してもいるのだろう。
鈴谷は言った。
「とにかく、話は分かりました。もう少し調べた上で、警察には私の方で伝えておきます」
それを聞くと崎守は安心した表情を見せた。
「そうか、良かった。俺なんかがいくら言っても警察は真っ当には相手してくれなくてよ。あんたみたいな人なら大丈夫だろう」
そして、それから礼を言い、金を払うと店を出て行った。彼が出て行った後で、鈴谷は思う。
“今まで色々な客が来たけど、こんな用事で来る客は初めてね。しかし、それにしても、まさか佐野君はこの可能性を見越して、私にこのリストを送って来たのかしら?”
彼女は佐野からのメールに目をやった。しかしそれから“ま、流石にただの偶然か”とそう思ったのだが。
佐野にこの件について連絡を入れると、その数日後に鈴谷は火田の事務所に呼び出された。火田の事務所には、火田と佐野、そしてロボット技師の菊池が来ていた。
「事態は最悪の結末を迎えた」
そう言ったのは火田だった。それは村上アキの知合いの女性が働く介護寺で、ロボットによる殺人事件が起こってしまった事を言っているのだと鈴谷は察する。彼女は佐野から聞いて既に知っていたのだ。
菊池が口を開いた。
「私が調べた訳じゃないが、警察の発表によると、ロボットに違法な行動パターンパッケージがインストールされていたそうだ。しかも、害獣駆除とログの消去をする行動、及びにロボットの人の識別能力を低下させるウィルスが発見された。警察はそういった行動パターンを見つけたら、消去するよう注意を呼び掛けている。迅速な対応だな。ま、私達が警察に助言したから簡単に見つけられたのだろうが」
それを聞いて佐野は頭を抱える。
「ああ、後少しで食い止められたのに、惜しかったなぁ」
本当に彼は悔しそうにしていた。もっとも、彼の記事の売上的には、事件になってくれた方が良かったのだろうが。
それを聞くと火田が言った。
「まぁ、今は悔やんでいても仕方ないだろう。俺達がやるべき事は、次の事件を未然に食い止める事と、まだある謎を解く事だよ」
――まだある謎。
ロボットの怪行動が、違法な行動パターンパッケージの所為だとは分かった。しかし、どうやってロボットにそれらがインストールされたのか、そのルートがまだ分からないままだったのだ。しかも、誰がそれを行ったのかも分からない。介護寺の住職は、絶対に寺では変な行動パターンはインストールしていないとそう強く主張していた。彼はロボットにそれほど詳しくなく、管理は他の者に任せていたから、そもそも知らないはずなのだが。
これでそれら行動パターンがこの寺だけで発見されたというのなら、内部の者の犯行を疑っても良かったが、かつて沙世が所属していた大学サークルのロボット達からも同じ型の痕跡が見つかっている。同様の手口でインストールされたとするなら、外部の者の犯行である可能性が高い。
更に不可解な点がある。
大学のロボット達や寺のロボット達のほぼ全てから問題の行動パターンパッケージが発見されたのだ。これだけの数のロボットに、誰にも気づかれずにインストールする事は極めて難しい。因みに、長谷川沙世は村上アキの証言などのお蔭で疑われる事はなかった。
菊池が言った。
「そうだね。誰がどうやって、ロボット達に行動パターンパッケージをインストールしたのかは大いに謎だ。正直に言うと、私にはまったく分からない。
しかもだ。ロボット達の中には比較的新しい型のロボットも混ざっているんだよ」
佐野が尋ねる。
「それがどうしたの?」
「ロボットに行動をインストールする為には、管理者権限が必要になるんだ。だから通常はアカウントIDとパスワードを知らないと無理だ。だけど、旧いロボットだとそのセキュリティの破り方が発見されているから、可能なのだね。
ところが、これが新しい機種になるとこうはいかない。セキュリティを破るのは、かなり難しいよ」
それを聞くと、佐野はこう返す。
「なるほど。なら、普通は内部の犯行を疑うべきなのか」
火田が言う。
「内部の人間に犯行動機はなさそうだがな」
それから火田は鈴谷を見て続けた。
「動機でいうのなら、やはり、ちょっと前に鈴谷が知らせてくれた“木偶の会”って団体の関係者が怪しいと俺は思う。そっちのロボット達は調べ始めたのか?」
「警察には連絡したわ。介護寺でロボットの殺人事件が起こったし、きっと調べていると思う。ただ、まだ結果は聞いていないわね。あの崎守って人には話がいくはずだから、連絡をくれると思うのだけど」
菊池が言った。
「まぁ、そこはロボットに行動パターンパッケージがインストールされている前提で考えても良いと思うけどね。偶然にしては、ロボットの症状が似過ぎている」
ところがそれを聞くと、佐野がこんな事を言うのだった。
「でも、世の中って案外、凄い偶然が起こったりするもんだとも思うけど。こうやって、僕らの所にロボット殺人事件の情報が集まって来たのだって、凄い偶然だろう? 特に鈴谷さんの情報には驚いた」
鈴谷は佐野のその言葉に、“やっぱり、メールを送って来たのは偶然だったか”とそう思う。その後で火田が佐野に反論した。
「いや、意外に偶然って訳でもないと俺は思うぞ」
「どうして?」
「スモールワールド・ネットワークって知っているか?」
「知らない」
そうあっさり答える佐野に、火田はやや冷たい視線を送りつつこう返した。
「例えば、知合いの知合いの知合いって辿って行けば、人間社会にいる誰とでも平均六回ほどで至る事ができる。そういう構造を持つネットワークをそう呼ぶんだよ。スタンレー・ミルグラムって社会心理学者が実験によって初めて明確に提示したんだがな。人間社会のネットワークは密だって事だ」
その説明を受け、少し考えると佐野はこう問いかけた。
「つまり、その密に結ばれたネットワークによって、鈴谷さんや僕らの所には、そういう情報が効率的に入って来るって事が言いたいのか?」
佐野は印象よりは理解力があるのだ。
「その通りだよ。俺達の“市井の考者達”はそれなりに注目されているし、鈴谷だって相談役として一部では有名だ。なら、情報だって集まって来易いさ。必然性はないかもしれないが、蓋然性はあるって訳だ。因みに、人間関係が密だからこそ、病原菌の感染は急速に拡大するんだけどな。
……っと、関係のない話をしちまったな」
ところが、そう火田が言い終えると、鈴谷がこう口を開いたのだった。
「いえ、もしかしたら、完全に関係がないとも言えないかもしれないわよ」
――感染。
どうも、その言葉が鈴谷には気になったらしい。
「もしかしたら、その問題の行動パターンはロボットからロボットへと“感染”したのじゃないかしら?」
そう彼女は言うのだ。しかし、それに菊池が反論する。
「いやいや、待ってくれたまえ鈴谷君。ロボットの行動パターンが、病原菌のように感染するはずがないよ。いくら専門外とはいえ、それくらい君にも分かるだろう?」
「ええ、菊池さん。それくらい私にだって分かっているわよ。確かに、ロボットからロボットへ病原菌のように、行動パターンが感染する事はないでしょう。だけど、ログを消去する時の要領で、ロボットが自分の行動パターンを他のロボットにコピーする事ならできるのじゃない?」
それを聞いて、菊池は驚く。
「ああ、なるほど。確かにできる……」
そして、そう呟くとこう続けた。
「まず、旧式のロボットを捕まえ、セキュリティを破って、行動パターンパッケージをインストールする。そのロボットがロボット集団内に戻る。メンテナンスなどのチャンスを窺い、そこで他のロボットのアカウントIDとパスワードを知る。ロボットから観察されている事を意識する人間などあまりいないから、恐らく無警戒だろう。上手くいくはずだ。後は誰もいない時に、そのアカウントを利用してコピーを行う。もちろん、ログの消去もこれと同じ方法で上手くいく。それが自分のアカウントか、他のロボットのアカウントかの違いでしかない」
菊池の説明を受けると、火田が言った。
「そんな方法がもし可能なら、どれか一体だけでもロボットへインストールを行えば、後は自動的に蔓延する事になるな」
しかしそこで鈴谷が言った。
「ただ、それでも疑問は残るわね。隠れて行うように学習させたのだとしても、果たして一度もそれが見つからないなんて事が有り得るのかしら? ログの消去だって同じ。考えてみれば不思議よね」
ところがそれを聞くと、まるで当たり前の事を言うように、佐野がこう言うのだった。
「もしかしたら、見つかっていたのかもよ?」
その言葉に一同は「え?」といった表情を浮かべた。佐野は続ける。
「介護寺の僧や老人達は、あまりロボットに詳しくないから、ロボットのそんな行動を観ても“こんな事もするのか”で、特に気にしない可能性が大きいし、その木偶の会でもそれは同様。
唯一の例外は、大学サークルだけど、ここは五体だけとロボットの数が少ないから偶然に見つからなかったのかもしれない。または、何かの実験だと思って、それを誰も気にしなかった可能性もある」
佐野がそう淡々と説明をし終えると、火田が言った。
「ほーん。なるほどな。偶には役に立つじゃねぇか、佐野。確かに、発見してもロボットに詳しくなければ、そんなもんだと思って警戒しないかもしれない。こりゃ、早速聞き込みをした方が良いかもしれないな。その介護寺の僧と老人達、後は木偶の会のメンバー…」
それから数日後、佐野が予想したように複数の人間がロボットのそんな行動を目撃していた事が分かったのだった。火田はロボットが行動パターンを感染させているだろう話を以前と同じ様に警察に伝えた。そして、時期を同じくして、木偶の会のロボット達からも問題の行動パターンパッケージが発見されたと警察から発表があったのだった。つまり、ロボットが殺人を犯した可能性が濃厚になったのだ。
これで後は、誰がどんな目的で、そんな行動パターンをロボットにインストールをしたのか、その謎が残るのみとなった。




