プロローグ 勇者と魔王の な れ そ め ❤
――戦いは、終わった。
溶け落ちた石壁
砕け散った天蓋
焼け焦げた装飾品
穿たれた大穴
否応なく、この場所で行われた激戦を物語っていた。
静寂の中、
影は二つ。
立ち構え睥睨する一人の魔王と、倒れ伏す一人の勇者。
戦いは終わった。
勇者の命は、今、尽きようとしていた。
「安寧の間に有りて生き置く、脆弱な人の身にして、勇敢なる者よ。――称えよう」
女の声が響き渡る。
荘厳な、しかし人の心を押し潰すが如き圧力を持った、女――魔王の声。
沈黙。
それは憐憫であったのだろうか。
魔王の影がゆるりと勇者に近づく。
世界の運命を背負う二つの影が、そのひととき、重なった。
「勇者よ、命尽きる前に、言い残すことがあれば、……聞こう」
二人の視線が交差する。
魔王の煉獄の瞳と、勇者の消えかかる命の瞳。
「じん、人類……、の、ぁ、安寧を、……のみ、頼みた、い」
喉を吹き上げてくる血の塊に激しくむせながら、裂けた体の狂うほどの痛みに耐えながら、勇者は伝えた。
――しばしの間
「勇者としての言葉。それは聞き届けよう。
しかして、今ひとつ、一人の人間としての、生身の言葉はあるか」
勇者が血にまみれた目を細める。
「もう口がきけぬか」
「ま、……て」
驚くべきことに勇者は立ち上がった。
五体ともわずかに繋がっているだけの体。
最期の力か。
「勇者としてではなく、人として、残したい最期の言の葉。……言うてみよ」
勇者は魔王を見つめる。自らを滅ぼした相手を。
魔王は勇者に正対し臨む。自らを倒そうとした相手を。
互いの幾千もの言葉にならぬ思いが、交わる。
刹那、勇者の血まみれの口から、文字通り肺腑をえぐる絶叫がほとばしった。
「BBAァ魔王ぅぁああーー! 俺と結婚してくれぇえあァあーーーア!!」
言葉を出し切ると、糸がぷつりと切れたかのように、勇者は仰向けに倒れていく。
勇者は、自らの命が消える寸前に、何か、聞こえたような気がした。
――闇
いや、光……?
うっすらと、まぶたの上を照らしてくる。
やわらかな光に促されるまま目を開くと、そこは緑の野原だった。
雲ひとつ無い青空。
緑の木々がざわめき、小鳥が舞っている。
色とりどりの花は惜しげも無く咲き乱れ、
涼やかな風は頬を撫で、駆け抜けていく。
どこだ、ここは……。
いつか伝え聞いた理想郷のような光景だった。
ハッと我に返り自分の体を見回すと、先ほどまでの狂うような痛みは無くなり、千切れた五体の傷は、傷跡もなく繋がり、癒えていた。
……死んだのだろうか? ……いや、違う。
――思い出した。
倒れ伏し命が消える直前、勇者は魔王の言葉を、確かに聞いたのだ。
サラサラとした衣擦れの音がわずかに聞こえてきた。
振り向くと、そこには一つの影。
二人の視線が交差する。
二つの影は近づき、
そして魔王の指が、静かに勇者に触れる。
『星と月の心錆びの狭間において、常命と興廃の最果ての盟約において。
勇者よ。この魔王、そなたと結婚してやろう』
――そして、伝説の新婚生活は始まった