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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
最終章:順問 ~干原の戦い~
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特別編:もう幾年寝ても

 賀正。

 新年の祝いというのは、新しい年の誕生というのは万国共通、諸人にとって基本的には慶事であり、儀礼や形式を伴うものである。


 それは彼の国にとっても、戦国の世においても同様であり、むしろそれは平時よりも重要な意味合いを持つ。


 その祭事を司る寺社仏閣勢力の派閥や宗派の抗争はもちろんのこと、それに介入利用せんとする大名、豪族や府公と言った権力者たちもまた、その勢力圏内や隣国への挨拶回り、その優先の順序や振る舞いによって今後の吉凶や盛衰、組むべき相手と仮想敵を見定めることとなる。


 そしてそれは新興国家順問府にしても例外ではなかった。


 桃李府公子にして羽黒家当主圭輔が御槍城の本丸御殿を訪れたのは、年が明けて十日ほど後の事だった。


「新年、あけましておめでとうございます」

 群青の直垂に枯れ草色の髪。同色と黒の金銀妖眼という、艶やかにして浮世離れした美男子。でありながら、有職故実に則る折目正しく辞儀をする圭輔に対して、上座の鐘山環は首脳陣を彼らの左右に侍らせ、、自身はいつもの赤帽子を片割れに朱色の羽織と白襦袢で申し訳程度の紅白を演出。そして胡座をかいたまま、新春の寒さに背を丸めて頭を下げた。


「これはこれは、ご丁寧な挨拶痛み入ります」


 若干引きつった微笑を浮かべる環。顔を持ち上げ、それを圭輔は正視した。環はそれとなくその背後の圭馬を見た。


「圭輔殿におかれてはますますの躍進とともに日々壮健に過ごされめでたく信念を迎えられましたこと」


 圭輔、凝視。

 環、チラチラと圭馬を見遣る。その額に冷汗を浮かべたままに。


「盟友としてこれに過ぎたる喜びはなく……ヘブっ!?」

「せめて新年の挨拶ぐらい義弟に縋らず目を合わせて祝ってもらいたいんですがね。いったい何をそんなに恐れることがあるんですか」

「こういうとこだよこういうとこが!」

 瞬歩ともいうべき速度で接近した圭輔は、笑顔を張り付けせたままに頬を片手で締め上げた。

 主君を火男顔にされて勇を揮って諫めたのは、祐筆の色市始であった。


「お待ちを! いくら新年の無礼講でも、その横暴な態度は互いに人君たろうという御方にあるまじき」

「あ?」

「いえなんでもありません! どうぞご存分に!」

「お前ッ! 舞鶴、舞鶴! 助けてくれーっ!」

「がんばえー」

「殿さまのしがいのない連中だなぁ!」


 そんなあんまりな遇され方に思うところがあったのだろう。もしくは溜飲の下げる機となったのだろう。

 落としどころを見失う前に圭輔はあっさりと身を退いてくれた。


「で?」

「で、って何がです」


 一言にも満たぬその問いかけで全てを察しろというのかこの公子は。左右非対称の目が、静かな怒りに歪む。


「大恩ある僕に挨拶に来ないのか。来たくないのか。来ることもできないのか。来る度胸もないのか」

「自分で大恩とか言う!? ちゃんといイの一番に行きましたよ、こうなるのが怖くて! でも圭輔殿は風祭戦やら豪族の挨拶回りで岩群に詰めてたってんで、代わりに留守居の圭馬殿に挨拶したんですよ! そうですよね圭馬殿!?」

「その通りです、なんですがその……兄者にはそういう理屈は通じませんので」


 控えめに苦笑した義弟を、ほう? と圭輔が顧みた。


「まるで僕を他者の都合を顧みない非常識な人間のように言いますね、圭馬」

「えっ!? いやその……言葉の綾と言いますか」


 いやだから、そういうとこな。

 飛び火した圭馬の青ざめた顔に、環はひとかたならぬ憐情を抱いた。なんで新年早々に胃を痛くするような思いをしなければならないのか。


「それで」

「……すみません、生来愚物にして『で』とか『それで』じゃ分かりません」

「殿、圭輔殿は『その挨拶の際に何かしら残すところはなかったのか』と仰りたいのだと」

「あぁ、分かるんだ。あれで」


 助け舟を出した舞鶴に感謝しつつも、その極短な問いかけの真意を知りつつも、答えとしては窮するばかりだ。


「いや、桃李府でやったことと言ってもな……典種公にお目通りした後は実氏殿に御歳魂の餅もらったり、圭馬殿と双六や蹴鞠って遊んで帰りましたけど」

「近所の孺子(ガキ)か」


 圭輔の指摘は客観的に自分の行動を振り返ればもっともであった。

 しかしそれが事実なのだから偽りようもなく、かつそれの何が問題であるのか。

 またこちらから考え、答えねばならないのかと気鬱に陥りかけていたところに、今度は圭輔みずからがその心底を明らかにした。おそらくこのままでは埒が明かぬと見越してのことなのだろう。


「手土産に西方の情報ぐらい共有させてくれても良いものでしょう。たとえば先に貴方がたに参画した佐朝府の」

「あ、佐朝府で思い出した。倉兄から今朝年賀の品が届いてな。それが宝と見まごうばかりの山海の珍味! 食い切れないから圭輔殿にもお譲りしますよ」

「倉兄?」

「直倉公のことです。いやぁ、なんか気が合っちゃって義兄弟の盃かわして兄貴と呼ばせてもらってます」

「任侠者か」


 圭輔は呆れながらに言った。


「ひょっとして、圭輔殿もお兄ちゃんと呼んでもらいたいのでは?」

  舞鶴が膝を寄せてそう耳打ちした。むろん、聞こえるような声量である。


「え、やだよ怖いもん」

 即答であった。


「……そうきっぱり言われるとそれはそれで腹が立ちますね……」

 圭輔はそう言いながら、立ち上がった。


「あれ、食べてかないんですか」

「御相伴には預かりますよ。しかし、流れを狂わされっぱなしというのも癪なのでね」

 そう言って圭輔はどこか挑むような調子と表情で上衣を脱ぎ捨てた。


「台所をお借りします」


 ~~~


 一の膳。擦った鮑と山芋を掛け合わせたもの。

 二の膳。勝ち栗の酒と蜜での炊き合わせ。

 三の膳。鰊の昆布締め。


 本来は賓客であるはずはずの圭輔は以上三品を手早く調理し、その他もろもろの魚も捌いて艶やかに盛り付け、そして供した。

 さながらおとぎ話の盤竜宮の饗応のごとしであったが、主題として設定されているのは所謂三献の儀だ。


 敵を討ち鮑。

 勝ち栗。

 そして喜昆布。


「うはっ、美味そう」

 これについては環は率直に感想を述べた。

 何しろ鳥鍋を振る舞われた時には危うく斬り殺されそうになって気もそぞろになっていた。

 包丁達者として知られる圭輔の手料理をちゃんとした形で食べるのは、これが初めてだ。


「これを三度に分けた酒に合わせて召しあがりください……と言っても、今回はそこまで形式にこだわることもないでしょうが。武家の棟梁たらんとする環殿に合わせてみました」

「……いや、いちおーこれでも既にして武家の棟梁なんですけども」


 それを踏まえての皮肉ではあろうが、それはそれとして見た目通り味の質は高い。

 皆もそれぞれに舌鼓を打ち、着替え直した圭輔もまた環の隣に座して、その出来栄えに納得していたようであった。


「時に、佐朝府と言えば知っていますか」

 盃を傾けながら、圭輔が口を開いた。

「あ、もう一献どうです? 入れますよ」

 と言って当主でありながら手酌を捧げようとする環の手首を取り、それを遮った。


「先年彼らとの戦で受けた傷が原因で、禁軍第五軍の上社信守が重篤との噂があります。あるいは死んだとも」

「……」

「どういう傷を負ったのか。あの悪鬼相手に傷を負わせた者が誰かいたのか。何か直倉殿から聞いていませんか?」


 浮かれ切った他の者には聞こえぬような声量で、問い質す。


「……いやー何かと言われてもなぁ」

 環はすかさず答えて肩をすくませた。

 圭輔に注がんとしていた醪酒を自身の盃に注ぎ、ちびちびと飲りながら


「どうでしょうかね。あっちは海に浮かぶ島で、そういう世事なら、むしろ圭輔殿の方が詳しいでしょう。その圭輔殿が真偽定かならんものを迂闊に言葉にするとも思えないし、まぁ十中八九はそうなんだと思いますよ」


 などとのたまう。

 眉をしかめた圭輔に対し、環は杯を東へ向け捧げ持つように天へと衝き出した。


「何を?」

「向こうに逝ったかもしれない信守卿に、手向けを」

「貴殿と彼の鬼とで、面識があったとも、思えませんが」

「それでも、ずっと敵だったとしても、俺が生まれる前から英雄で、そしてその死は一つの時代の終焉でしょう」

「……たしかに」


 圭輔はふと視線を戻しながら応じた。


「因果な家業です。正月のめでたい日にも人の死に一喜一憂せにゃならない。それでも、どうにか業と情とを結び合わせた答えが、この所作……なのかなと思います」

「本人は、迷惑がっているかもしれませんがね」


 完全に敵として国交が断絶している順門、もとい順問府と違い、多少はその為人を知っているのだろう。

 桃李府公子たる圭輔は複雑そうに微笑を浮かべた。


「あぁ、そうだ」

 杯を膳に戻して環は尋ねた。

「この後盤竜宮に詣でてユキの似合いもしない巫女服を拝みに行くんですけども」

「あぁ、どうりで弛緩しきった空気だと思いましたが、あの娘が引き締めたいないからでしたか」

「良ければ圭輔殿たちも一緒にどうです? ……良ければ」

「良ければ?」

「……良ければ」

「つまりは……来るな、帰れと?」


 環は細めて固定させたままの青い瞳を、ゆったりとした速度で脇へとずらしていった。

 再び頬を掴まれ、無理やりに目線を合わせられた。


 ~~~


 景勝地としての盤竜宮には興味があるが、強いて行くほどのことでもあるまいし、そんな余暇もない。

 どう見てもホッとした様子の環を殴りたくなるのをこらえて、義弟を伴い圭輔は城を発った。


「相も変わらぬ様子、といった感じですね。環殿は」

「熟達の戦巧者をして、そのように騙しおおせているのだから、役者ぶりは上がったようですがね」


 圭輔がそう言うと、圭馬は意外そうに瞳を円にした。

 阿呆、と面罵したかったがそれをも抑えて、静かに圭輔は続けた。


「亥改大州は上社信守の亡室の縁者で、勝川舞鶴は宗派をこえて各寺社勢力に情報網を持っている。当然葬儀を伏せたところでそれら一切も耳に入ってきているでしょう。……信守がすでに死んでいることを知らないはずがない。だがあの男はその様子をお首にも出さなかった。素知らぬふりだった。あえて彼の死を悼むことでおのが本心さえ隠匿した」

「つまり兄者が確認したかったことは、ここに来た用件というのは、その裏付けのためでしたか」


 それについては圭輔は答えなかった。

 違う。だがその正答について自分から解説するのも癪だった。


「しかしそれならば、何故環殿はそのことを秘匿していたのでしょう」

「……お前、彼らと自分たちが他国の人間だという分別もつかなくなりましたか?」


 容易に最重要に位置する情報を明け渡す馬鹿が、どこに居ると言うのか

 そう指摘されて、あぁ、と圭馬は呑気に手を打った。


「圭馬」

「はい」

「察しが悪すぎる」

「……面目次第もありません」

 この政治外交への無関心さ、鈍重さはどうだ。

 良い加減に正月の、いや環の毒気に当てられているような気さえする。


「そんなことでは、つまらない死に方をしますよ」

 辛辣な忠告に苦笑した義弟は、その表情のままに言った。

「既に知っていることをあえて環殿にぶつけ、その反応を見た。となればそれは……環殿を試されましたか」


 そこまで喋ればさすがに本意も知れたらしい。

 圭輔は一拍子のみ足を止めて、それから速めた。

 それが言外の肯定で、言い当てたことを圭馬は無垢に喜んでいるようであった。


「それで、かの『盟友』殿の、今年の吉凶や如何に」

 なお問いを重ねる圭馬と、そして後にした御槍の城郭を顧みた。笑った。


「まぁ一年ぐらいは、誼を保つに足るでしょうね」

 その後のこと。信守の死が明らかになり天下の形勢が大きく崩れたのちのことは、ともかくとして。


「それでは鐘山環殿……良きお年を。そしていずれまた、あるいは戦場にて」


 ~~~


 盤竜宮。

 そこにあって幡豆親子より礼法や学問、各府の情勢を学ぶ鈴鹿は久方ぶりに順問府公が訪れた。

 人君となった彼に近づくために必死の思いで学んだそれらも、邂逅とともにすべて吹き飛んだ。

 披露したかったのに、褒めてもらいたかったのに、鐘山環は変わらないままだったから。

 数十万石の、千万の将兵を抱える身でありながら、帽子を手で押さえつけながら背を丸めた姿も、本人は至ってまじめなのにどことなく緊張感に欠けた所作や表情だとかも、すべてあの闇市で会ったあの時のままだ。


「おう、あけましておめでとう。茶化すつもりだったのに意外と巫女服似合ってんな」

 のほほんと、かつぬけぬけとそう言うこの男になんとなしに腹が立って、臑のあたりを軽く爪先で小突く。


「なんだよ」

「べつに」

「一緒に詣でたくなかったのか?」

「頼まれてた整理やってから行くから、待ってて」


 そうした自分の感情の所在がよく分からない。

 よく理解できないまま、いや理解しようとしないままでもなお、彼の、彼らの側に在りたいという自分と、それではだめだと訴える内なる己がいる。


 盤竜宮四の宮は水上に浮かぶ社殿である。悶々としたままにその水橋を渡っていると、ふわりと鼻先を何かがかすめた。


 ――桜の花?


 訝るものの、それらしきものは影も形も見当たらなかった。水面の反射がそんな季節外れなものを錯覚させたのか。

 だが気が付けば目の前に、橋の欄干に腰掛ける、見慣れぬ娘の姿があった。


 鈴鹿よりかはいくらかは年上だろう。

 雪のように、白く、柔らかそうで、それでいて凛とした張りがある肌。

 強さを帯びた、灰色がかった瞳の光。

 仕える女官かあるいは巫女かと思ったが、その装束は白と紺とを掛け合わせた見慣れぬ仕様と意匠で、裾丈は短く、股を惜しげもなくさらしているが煽情的だったり淫靡な気配はない。むしろ清浄さ、神聖ささえ感じさせた。


 俗世から隔絶されたその姿に鈴鹿は、

「かみさま……?」

 などと益体もない独語を漏らした。


 それを耳ざとく拾ったその少女が、顧みる。

 すると破顔一笑。白い歯を悪戯っぽく見せて、

「お、よく気が付いたな娘っこ。そうです、俺が神様です」

 などと公然と肯定する。

 神であることをすんなりと認めたが、その僭称がために神々しさが消し飛んでしまった。


「……これはこれは、当宮によくぞ御身をお運びいただきました」

 途端に憧憬などないものとなり、胡散臭げな目つきでもって応対する。


「信じてないな。まぁ当然だけど」

「だって盤竜神様でしょ。だったら竜の形してないとおかしいでしょ」

「滅んだ人類が外宇宙に適合させたバイオノイドを竜なんて呼称する惑星も存在するらしいからな。でっかいヘビだのトカゲだのという姿でなきゃいけない理由なんてないだろう。そもそも、それは伝承だ。俺はそのモデル。オリジナル。大元。源流」


 ……正直、どこをどう拾っても、何を言っているのか微塵も理解できない。

 適当に吹かして煙に巻かれたようでいて、理解できぬ領域の真実を語っているようにも聞こえる。

 とにかく、関わらない方が身のためだとは思うが、それでも好奇心は失っていない。

 神ならぬ魔であればこの神域には踏み込めないだろうし、凶漢にしてもまた然り。そもそも自分を殺したりかどわかしたり、あるいは犯したところで何の益も悦楽もないだろう。

 どうせ環を待たせるだけなので、問いを重ねるだけにした。


「で、その神様が何しに来たの? ……や、確かにお社なんだけど」

「そうだな、お社だな。といっても、普段は降りてこないんだ。と言うよりも、来られないんだ」

「来られない?」


 問い返す。

 ふと物寂しげに目を細めた少女は、欄干の上で足をぶらつかせたまま答えた。


「たしかに、この世界を生み出したのは俺だ。もっと言えば、四散した俺の残骸がこの『アース100.5』となった。今の俺はその意思の残滓に過ぎない。夢か現かっていう微睡の中、ふと浮かび上がっては刹那の間に沈む。そうやって曲がりなりにも自分の成れの果てと向き合ってきた。……君とこうして語らうのもその束の間の一興だよ、鈴鹿」


 名乗りもしていないのに、そう呼ばれて、当惑する。

 いや、散々に心を掻き乱されまくられているのだが、それでも断片的に拾った情報から推察するこの神様の境遇は、なんて酷いものかとも思う。


 少なくとも今この時代、自分の躯の上で、自分の子らが飢えて苦しみ、あるいは殺し合うのを見ているというのは。


 そんな鈴鹿の感傷をよそに、彼女はすくっと立ち上がった。

 不安定な足場をものともせず直立する少女は、身体ごと鈴鹿を顧みて言った。


「こうして会ったのも何かの縁だし、正月だろう。なんか願い事言ってみろよ」

「叶えてくれるの?」

「いんや? 実際のとこ俺にあんまし権能は残ってなくてな。でも賽銭箱祈るのも神様を名乗る不審者を拝むのもまぁ似たようなもんだろ」

「……たとえば環好みの豊満な肢体を手に入れるとか」

「あぁ、あの年上人妻大好きボーイか。いや無理、俺を見てみろ。全然胸とか大きくなかろ?」


 実に身も蓋もないことを適当な調子で言う。

 だが一方で安堵もしていた。叶えてくれると答えられても、喜びや期待よりも困惑と不公平感の方が強い。


「……それじゃあ」

 と前置き、ごくありふれた、毒にも薬にもならぬ願いをそっと口にした。

 やはり神は叶えてくれるともくれぬとも、叶うとも叶わぬとも明言はせず、ふと慈母のごとく微笑して答えた。


「良い願いだ」


 ふたたびザアザアと風と波の音が立ち、二人の間、鈴鹿の視界を桜の花弁が覆い尽くした。


 ~~~


「うー、やっぱ冬の海は寒い」

 ふと気が付けば、赤帽子の青年が足と手をこすり合わせながら目の前に立っていた。

「どした? 遅いからユキが心配してたぞ。すっごい分かりにくかったけど、あいつなりに」

 環。その彼の名を、白い呼気とともに口にすると現実が帰ってきたような心地さえした。

 気が付けば神を名乗る女の姿も桜の花びらもなく、静謐で張り詰めた空気が支配する、いつもの盤竜宮でしかなかった。


「どうした、一体?」

「いや」

 果たしてあれは現実だったのか幻だったのか。自分でも定かならないままに、

「そこに、神様がいたの」

 と漫然と口にする。

 対する環はふうん、と相槌を打っただけで真摯さに欠けた。


「信じてない」

 膨れる彼女に、環は肩をすくめて答えた。

「いやいや、お前が見たのならそうなんだろうよ。というか、近くに年取らない尼僧(ババア)がいるから今更って感じが……て、お前もどうした? 妙な顔して」


 環にばかり気を取られていたが、舞鶴もそこにいた。

 平素飄々としている彼女にしては珍しく、露骨に渋面を作って。


「……いえ、確かに嫌なオンナの臭いがしたものでね」

「その神って奴か?」


 舞鶴は珍しく環を無視してすたすたと歩き始めた。

 その詳細を鈴鹿も環も掘り下げることはせず、やがて行先に巫女服姿の幡豆由基が苛立った様子で腕を組んで待ち受けていて、追いついてきた良吉が黙々と合流し、さらにそこに亥改大州が加わって由基の装束に言及して一触即発の事態となり、それをなだめようとした色市始がとばっちりを食らい、その乱痴気騒ぎを眺めて響庭村忠がフンと鼻で嗤う。


 水平線の向こう、淡い陽光に照らし出されるその光景を眺めて、あらためて自身の願いを心の中でつぶやく。

 最初は自分が、と思った。だがそれは違う。きっと、こう祈る方が正しいはずだ。


 ――これから先もずっと、この人たちが一緒にいられますように。


 その望みが果たして叶えられるのか。

 ……叶ったとして、果たしてそれは幸福であるのだろうか。

 この場にいる同胞たち誰もが、知るすべはなく、ただ今は、時代を潮目の変わりを感じ、新たな時を刻むのを迎えるのみであった。

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