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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
最終章:順問 ~干原の戦い~
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第八話「嵐晴れて」

 禁中では、久しくなかったなごやかな朝議が、帝の御前にて行われていた。


「……かくして桃李府は前非を詫びて恭順と忠誠を改めて誓った」

「中水府も我らの意に屈して尻尾を巻いて逃げたと見る」

「国庫も潤い、いやぁ天下安泰とはこのことですなぁ」

「佐朝府の不届き者もいずれ消え去ることでしょう」


 ――なるほど物は言いようだな。


 父親の言いざまではないが、末席の上社一守は心の中で呟いた。

 彼は『卿』には叙せられていないものの、禁軍第六軍の大将として朝議への参加と、その中での発言の権限を持っていた。

 ……もっとも、それらが正しく行使できているとは思えないが。


 ――まさか『佐朝府の不届き者』とは、直成様でなく彼に抗戦する父のことじゃないだろうな?


 だが楽観視している朝臣らと、それに満足げに頷く帝を前にしては、序列云々で気兼ねしている場合ではない。


「……しかし、宗善勢が桃李府に敗北。順門府は二分され、主上がお目にかけておられた鐘山銀夜姫も、行方知れずと聞いております」


 群臣らには、直面している問題を、あえて場を明るくしようという目論見でもあったのだろうか?

 途端に場は夢から現実に立ち返ったかのように、静寂に包まれた。酔客が氷水でも浴びせられたような、白けた雰囲気で、彼らは一守を白眼視していた。


 だが、次に玉座より発せられし下問は、若干の居心地悪さに耐える美貌の若武者も、彼に対して鼻白む朝臣たちも、皆一緒くたに閉口させた。


 上座に在る若き帝は、哀れなほどに澄んだ目をパチクリとさせて、



「カナヤマギンヤ、とは何者ぞ?」



 ……と。

 かつて、興奮と感動のあまり自らの玉衣までも下賜した天下人の発言なのだから、皆その忘却をたしなめることができずにいる。


 一守とて、当時はその場にいて、順門府の心変わりを喜びつつも、隣で忍び笑いする父信守を疎ましく思ったものだ。

 その歴史的瞬間、転換期とも言うべき刹那を、帝自身が忘れていた。

 開いた口が塞がらないという一点に関しては、一守は自分を冷視していた者らと感性を共有していた。


 そんな彼らに助け舟を出したのが、大相国と呼ばれ、人臣として位を極めた宰相星井文双であった。


「主上が以前お会いされた順門府の姫君でございます。銀髪をお持ちでした」


 何に動じることもない鉄面皮は、平然とその記憶の補填をした。

 その彼を、自らの手記か帳簿かなんかだと思っているのだろうか。

 帝は不快さを見せるわけでもなく「あぁ」と無邪気に声をあげた。


「そう言えば、そのような者もいたか。あの時は思い余って美しい絹衣をくれてやったが……ううむ、惜しいことをしたぞ! 文双!」


 ――惜しく思っておられるのは、姫か、着物か。

 そう問うだに恐ろしく、一守はそれ以上は口を噤んだままに退出した。


~~~


 宮城から退出した一守を待っていたのは義祖父、貴船我聞であった。


「一守様、評定は如何でしたか?」

「どうしたも、こうしたも」


 一守は片頬に引きつった笑みを浮かべて言葉を濁した。

 語ろうにも、語るだけの内容がない。

 皆、偽りの安寧に耽溺し、千秋万歳と諸手を挙げる。それをどう説明せよというのか。


「我聞殿、俺が宮中でどう評されているかご存知か? ……王城一の義将、だそうで」


 突如として話題をすり替えた若殿に、我聞はやや面食らったように目を見開いた。

 曖昧な笑みを称えて「愚老も名誉に思います」と賛辞を唱える彼に、一守は低く呻いた。


「何が名誉なものか。つまりこの一守には生真面目さ以外に何の取り柄もないと、名将上社信守の子が、ただそれ以外は何も持たないということだ」

「……あまりご自身を卑下なさいますな」

「俺だって! あんな男に似たくもないっ! あんな奴を父親に持ちたくなんてなかったさ! なんで俺が朝廷を想い忠勤に励んだのにあんな茶番に付き合わなきゃいけなくて、あんな好き勝手やってる男が『天下五弓』なんてもてはやされてんだ!?」


 自身のどうしようもない不甲斐なさや力不足を棚に上げて、さらにどうしようもないことに勝手に憤っている。

 それを自覚しつつも、彼は激情を持て余していた。


 対する母の義父は、それこそ孫の駄々を見るような目つきでいた。

 縁者言えども家来筋に生暖かく見守られて、愉快であるわけがない。一守は、羞恥頬を染め、屈辱で目と口を鋭く染める。


「よろしいではありませぬか、それで」

「なに?」

「お父上がご自分の悪性にて貫けぬ忠節、耐えられぬ醜悪さ。それに立ち向かうだけの器量こそ、貴方の強さです」

「……」

「耐えて生き延び、力を蓄えた先に、上社信守を超えた貴方がいる。拙者は、そう信じております」


 我聞の、針で布を縫うが如き、ゆったりと、丁寧な口ぶりは、一守の力みと熱と険と、そして毒とを抜いていく。

 頭が冷えて我に返った一守の胸中に残ったのは、空しさだけだった。だが口の端には、かすかな一笑が宿っていた。


「なるほど、物は言いようだな」

 朝議の間に去来した言葉を、今度は口にした。しかしその意味合いは、まったく違っている。


 こくりと頷いた老臣は、「それはそれとして」とさりげなく話題を変えた。

「佐古直成殿であれば、さすがに殿でも苦戦なされましょう。救援軍の勅許は、当然いただいたのですな?」

「うん、第四、第七軍と共同で佐朝府討伐のための正規軍を編成する」


 ……ひとまずは忠勤に励むとするか。

 この世でもっとも嫌いな男をダシに、奴を超える武功を立ててやる。


 そうした熱意は言葉にせず、内に秘めたままにする。

 次代の勇将は熱気を孕ませ、再び西へと歩む。


~~~


 器所実氏と羽黒圭馬が、帰国したのは、客将鐘山環と合同で順門府の仕置を行った後、冬の訪れを感じさせる、霧の深い朝早くであった。


 彼らとその手勢を向かえるように、西の丸に立つ人影は、すぐに圭馬にその正体を悟らせ、笑顔にした。


「兄者!」


 馬を降りて手を挙げる圭馬に、その義兄、羽黒圭輔はニコリともせず近づいた。


「やぁ圭輔殿、貴殿もお父上に復命かな」

 実氏と朗らかな声に、圭輔の眉間の険もようやくとれて、親しみを眼差しに込めた。


「実氏殿、ご無事で何よりでした。圭馬も、ずいぶん活躍したと聞いていますよ」

 物事を順序立てて説明するような、一語一句に使う時間を定めているかのようなきっちりとした口ぶり。いつもの兄には違いなく、圭馬は顔を綻ばせた。


「そうそう、まさに縦横無尽、無人の野を行くが如し、とは圭馬殿の用兵と武勇を言うのだろうな」


 圭輔よりも未だ器量が上の実氏からのお墨付きつきをもらい、圭馬は背中からむず痒いものが全身を巡るのを感じた。

 いやいや、と頭の後ろを掻く圭馬に、実氏の笑みは、ニヤリという怪しさを含んだものへと変じた。


「そう、とりわけの功は、戦勝の宴席における、鮎すくい踊りだな」

「はぅあぁ実氏様!?」

「環公子と組んでの手練手管はまさに最上の肴だった。確かに両人の手の中には若鮎が踊っていたよ。あれこそ名人芸というものだ」

 持ち上げられてから一気に落とされて、圭馬は酒が入った自身の醜態を思い出して動転した。


「……ほう」


 という低い声に、ギシギシとぎこちなく振り返る。凍りついた顔の先に、鬼が見えた。

 うっすらと張り付いた笑みは微動だにしないが、地を揺らさんばかりに怒気を発する義兄がいた。


「まさか武門羽黒の血縁が、そんな浅ましい曲芸を披露するとは、にわかには信じられませんね」

「なっ……なすび斎! あの時の俺はなすび斎でした! 一介の素浪人であれば問題ないでしょう!?」


 と必死の弁解をしてみると、圭輔の殺気じみた黒い気配は、とりあえずは収束を見せた。

 言うだけ言ってみるものだ、と安堵する圭馬の前で、ため息を吐きながら圭輔の首は実氏へと方向を変えた。


「愚弟への説教は後として、鮎すくいの片割れはどうでしたか?」

「うん? 環殿か。……貴殿によろしく、と言付かっているよ。後はまぁ、すこぶる壮健だ」


 あの公子を向後の宿敵と目する圭輔に対し、実氏は言葉を選んでいるような気がする。

 だが、圭輔の色違いの双眸は、目ざとく実氏のごまかしを看破したのだろう。鋭く研ぎ澄まされた輝きが、二人の帰還者を射貫いた。


「そう怖い顔をするな。環殿が今回で得た地は、長細ーい二十万石。確かに一夜にして得たにしては広大な領地ではあるが、彼が元は百万石の後継者であったことを鑑みれば、はるかに少ない」

「だが、商都名津の物産を盤龍宮と赤池水軍の海運が循環させれば、その富は石高以上のものとなりますよ。……せめて一部でも割譲を要求し、有事の牽制としておくべきだったのでは?」


 剣呑な圭輔の意見と見識に、弟は密かに息を呑んだ。

 ――盤龍宮神官、幡豆由有殿を取り込んだことまですでにご承知か。……この方の耳目はいったいどこまで届くのか。

 対する実氏はと言うと、とぼけたようにゴツン、拳固で己のこめかみを叩き、

「オレもそうせぬではなかったが、先回りされてしまったよ。『風祭との戦いを控えて、こんなところに深入りしているヒマなどあるか』とな。要らんちょっかいをかけると、かえって足下をすくわれるぞ」


 圭輔はやや肉の薄い唇を噛んで、うつむいた。

「どうなってもしりませんよ」と言いたげな雰囲気に、さしもの実氏も大仰にため息をついた。騎乗したまま屈み、婿の肩を叩く。

 その去り際、実氏は優しく目を細めたままにこう言った。


「確かに、殺せば容易く片付くのかもしれない。だがそれは易き道だ。一方で、人を活かし、我を活かそうとすることは至難だ。だがそれゆえに、得られるものも大きいはずだ。……違うかね」

「そうかもしれませんが、いずれ障害となることが分かりきっているのです。徒花を咲かすと知れた芽は、摘むべきではないですか。……環のみに、言えたことではありませんが」


 ――まさか、実兄義種様のことか。

 いや、それ以外にも実氏の栄達を危惧し、圭輔を敵とする者は数多い。


 それだけではない。

 彼が長年悩まされてきた番場伴満が戦死した。その死に、黒い噂が立っていることを圭馬も実氏も帰途で耳にした。


 そしておそらくそれは事実であろう。

 表面上、風祭府軍は千載一遇の好機に寡兵相手に大敗し、圭輔も後詰めをした属将である番場父子をむざむざ死なせた。

 だが実情としては圭輔はほぼ無傷で番場城を手にし、一帯を支配下に収めた。

 紛れもなく兄の一人勝ちであり、それが偶然だ幸運だと、彼をよく知る圭馬に思えるはずがない。

 羽黒圭輔は己の才腕で以てして幸運を引っ捕まえ、謀略によって必然を偶然のように演出した。


「……」

 朽ちた桜木に背を預ける、自分と実氏の姿が見える。

 その朽木を隔てて、二人の若い男が立っている。

 西に立つのは、人を活かし、彼らと共に広大な道を拓く者。

 東で駆けるのは、人の死の度にそれを糧とし、その凋落に付け入り、強大になっていく男。


 今は正反対の方角を進む二人だが、いずれ巡り巡って世の果てに、衝突する。

 そんな、予感があった。


「分かっていないのは、貴方ですよ。義父上」


 遠ざかっていく舅に、圭輔がそう呟いた時、圭馬もまた我に返った。


「で」と義兄が振り返れば、弟はしつけられた犬のように背筋を伸ばす。


「お前は、どうします?」

「どうする、とは?」

「来る『その時』、羽黒圭馬は羽黒圭輔と鐘山環、いずれにつくのですか?」

「ははっ、その際はこの圭馬が死力を尽くしてご両所の仲立ちとなりますので、ご安心を」

「……」


 畏敬か、友誼か。

 家か、友か。

 お為ごかしはさておき、どちらをとるのか、と兄の金銀両眼は無言で冷たく問うていた。


 圭馬は迷い、鞘に納めた朱槍を見つめた。己の半身とも呼べる羽黒家の武の象徴に、己の本心を問う。


 環への友情も偽りではない。

 圭輔への敬意もまた、真である。

 だが、この両者いずれかを超えたい、超えねば先に進めない、という強い気持ちもまた、圭馬の中には存在していた。


 圭馬は表情をほろ苦いものにして、首を振る。

 そうした彼の仕草を訝しむ兄に、圭馬は先ほどの問いを答えた。


「俺の武の道は未だ半ば。ゆえに、今の時点ではいずれが正しいのか、見極められません」


 愚直なまでに正直な前置きにも、圭輔は真剣に耳を傾けてくれている。


「されど、その時が来たら……環公子と兄者いずれかの道に歪みや誤りが生じたにならば、この圭馬の槍がそれを正させていただきます。それが、お二人のためであると、この俺が二人を超える瞬間である、と信じておりますゆえ。なのでせめてその時までは、兄者の傍らにて、その技量を我が物としたく存じます」


 腕組みして圭馬の言を聞き届けた義兄は、やがていつものようにため息をこぼした。

 だが兄は、


「十年早い」


 ……非常に稀なる、心底からの破顔一笑を見せた。


「僕らを超えたいのであれば、まずは腹芸の一つでも覚えたらどうです?」

「腹芸……腹踊りとかあダァッ!?」


 圭馬の脇腹に前触れなく一発、拳を見舞った圭輔は、片手で馬、もう一方の手で弟の耳を引っぱった。


「……どうして今の流れで宴会芸の話に戻るのか、僕には理解に苦しみますね」

「冗談、冗談ですってば! だから耳はやめください兄者っ!」


 兄弟二人を覆い包む霧は、次第に薄れつつある。

 その中天にのぼる日輪は、淡く浮かび出る虹の光輪に、守られているかのようであった。

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