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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
最終章:順問 ~干原の戦い~
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第四話「すべては、過ぎたこと」(1)

 幡豆家は水の武の神、盤龍神を奉る宮司家の一家であり、鐘山家が布武帝の命により順門府に赴任する以前より、その土地にあった名家である。

 それ故に各府公に厚く遇されていた。特に、当代の由有においては計数の才に秀でていて、その財によって他の宮司家四家を凌駕しその支配権を強めた。

 先々代、鐘山宗円の代より若くして重用されてきた傑物であったし、宗流の右腕として外交や内政に大きく貢献した人物でもあった。


 順門府の初夏である。

 その日、幡豆家当主である由有も、板方城を訪れていた。


 腰には宗円公より頂戴した古刀を佩き、若緑の着物に、黒の裃を身につけていた。

 末の娘に受け継がれた端麗な容貌は、壮年を超えた今となっても衰えることはなく、むしろ枯れた男の魅力は、一部の女たちに熱狂的な支持をされていた。


「これは、由有様」


 と、板方城南に位置するの黒金門に差しかかったあたりで、地田豊房と出くわした。

 互いに目礼すると、並び立って歩くことになる。


「地田殿か。……どうかね、公子様とウチのじゃじゃ馬の様子は」

「相変わらずですね」

「そうか、相変わらずか」


 微妙な笑みと共に肩を持ち上げる青年と、これまた微妙な笑みをたたえる中年とは、登城の道を行く。


「それで、本日の評定はどのような議題になるでしょうか?」

「器所実氏の居城との対の城の建築についてだろうね。いやあるいは桃李府を無視し、王土を大水軍を直撃しようという計画のことか。……まったく次から次へと手を考えつくものだ」

「……」

 何が言わんとして口を半開きにする豊房に、由有は何度も首を振った。

「いや、褒めてはいるのさ。……その資金をどこから捻出するのか、度外視していなければな」

「由有様」

 それとなく顔を近づけ、豊房は耳元にて囁いた。


「その計画のために、多くを幡豆家始め盤龍宮五家が負担。ご心中察しいたします。まして、その既得権益まで剥奪されようという風聞も」

「豊房」

 同朋の名を呼ぶことで、それ以上鋭く尖ろうとする口吻を、封じる。

 男の魅力を多分に秘めた気品ある微笑と共に、幡豆家当主は


「もう、過ぎた話さ」


 とだけ告げた。


~~~


 結局その日の評議は由有が予測、いや危惧したとおりの話がお題目であった。

 主君の横暴さはいつに始まったことではないが、それに必要な木材は、資金は? ……という根本的な点から暗礁に乗り上げた。

 我がと名乗り出る者などいようはずもなく、先に堪忍袋の緒を切った順門府公、鐘山宗流が、


「……もう、良いッ!」


 と席を立ち、自らの鉄扇を由有に突きつけた。


「貴様がやれ」

「……は?」

「貴様の家にはまだ余裕があろう。私財を蓄えていること、知っておるぞ」

「そ、それは……」


 その光景は、この手の無茶の言われるのは、由有にとってはいつものことであった。

 従来ならば、それを諫め、かつ言い分を弁護してくれる公弟宗善がいるのだが、その日は病と称して出席していなかった。


 故にまともにその恫喝に当てられ、返答に窮す。

 そんな由有に代わり、


「明日植える種籾さえも、刈り取ろうってか」


 はっきりとそう申した人間がいることに群臣はまず驚き、その直言の主の正体に、驚愕した。

 翻った親獅子の怒りは、平素軟弱者と陰口をたたかれている子獅子へと向けられた。

「いい加減にしろ。あんた自分の父親から何学んできたんだ。いい加減当主らしく振る舞ったらどうだ?」

 それは、この場にいた誰もが思っていたであろう、当たり前の言葉であり、この放蕩息子が、鐘山環が特別なことを言ったとは、思っていなかった。


 ただ家臣たちは、「この馬鹿息子にそんなことを言える常識と胆力があったのか」と、目と目で囁き合っていた。

 そもそもこの時まで、珍しく出席していたことにも気づいていなかった者までいる様子だった。


 だがその無言のやりとりも凍り付く。

 彼らの目の前で、順門府公の怒気は膨らみ続けていた。


「……この父に、王座の座り心地も知らん者が、王道を説こうてか?」


 殺気ともとれるこの怒りに際して、環公子は、どのような言葉と感情を顕すのか? それとも臆病に弁解を言いつくろうのか?

 一同がそれを見る前に、宗流の足が我が子の腹に叩きつけられていた。


 苦悶の声と共に床を滑った環に、父は、つかつかと近寄った。そして絢爛な装飾の施された朱鞘を握りしめる。守刀を、鞘走らせる。

 地田豊房が思わず腰を上げた。

 幡豆由有が、なけなし勇を振り絞ったのはまさにこの時だと言って良かった。


「若の直言に、お父上が御刀を下さるとのこと! いやめでたい!」


 彼の機転に、主君は忌々しげに振り返る。舌打ち一つでその場は事なきで済んだ。

 やがて場も白けながらも穏やかさを取り戻し、評定は平行したままに終わりとなった。


 ――だが我が身の情けなさとどうにもならなさを持て余しておられるのは他でもない、殿ご自身なのだろうな……


 低頭し、宗流の不機嫌面を上目でうかがいながら、由有は確信に近いものを抱いていた。

 すべては、過ぎたことだった。


~~~


「由有殿……あのぅ……」

 その終わりがけに、おずおずと話かけてきたのは、環公子の方だった。

 自分の命を助けてくれたこと、父親の横暴に対する申し訳なさ。語らずとも分かるさまざまな理由から伏し目がちになった空色の瞳。その両目の浮つきように、強ばりを残していた顔の筋が、ふと和らぐ。


「若殿には危ういところを助けられました。感謝いたします」

「あぁ! いえいえ、そんな!」


 慌てて手を振る公子はいかにも腰低く気弱げで、

 ――いま少し、このお方が宗円公の英邁さと、宗流公の胆力を分けてもらっていたならば……

 などと無礼を承知で惜しむ。そしてそんなおのれに、幡豆由有は自嘲を向け、首を振った。


 ――すべて、過ぎたことだった。


 彼の娘への愚痴の言い合いもそこそこ、由有は環とは渡り廊下にて分かれた。

「腹も痛むでしょう。今日ははやくお屋敷に戻りなさい」

 そう、言い置いて。


 そして踵を返し、介勝山の青々とした新緑を狭間越しに眺めつつ、南へと向かった。

 曲がり角に差しかかった時、主君宗流公の後ろ姿が見えた。

 新参の家臣、弥七郎が後に続く。この陰険そうな近臣は、由有の視線に気づくや主に気取られることなくしずしずと振り返り、由有に向けて一礼を返した。


 反射的にそれに応じながらも、由有は自信の動悸の激しさに戸惑っていた。


 ――なにか、いやな予感がする。


 そう思った刹那、主の背が消えた角の向こうから、くぐもったうめき声が聞こえた。

 かすかな声ではあったが、異常を知らせ、由有の背筋を本能的に凍らせるには、十分すぎるほどであった。


 爪先で走るようにして、主君の後を馳せる。

「と、の……ッ!」

 鮫肌の柄に手をかけ、角を曲がった彼の目に飛び込んだのは、紅色に染まった、主の胴回りであった。

 直立する鐘山宗流の前に、弥七郎が密着している。その手には、小刀が握りしめられていた。

 周囲には、まるで意図的に人払いをしたかの如く、何者も介在していなかった。


「殿ッ!」

 矢も盾もたまらず主に近寄る由有の鼻を、濃厚な血臭が刺激した。

 

 ずるり、と。

 米俵でも落ちるような重い音がした。

 目の前で、人の形をしたものが、崩れて倒れる。

 そして、





「おう、幡豆!」





 ……鐘山宗流は、そんな家臣に笑顔で振り返った。


 三歩の距離で立ち止まる由有の目の前で、弥七郎は無念の表情のままに、倒れていた。

 彼の肩口から、見事な両断の傷から、おびただしい出血が、止まることをしらない。


「慮外者め。汝の如き小者の殺気を気取れぬほど、この宗流は衰えてはおらん」


 遺体に唾を吐きかけ、返り血を浴びたままの装束で、鐘山宗流は、壮健であった。

「ご無事、でございましたか……」

「おう。……環に長刀の方をくれてやらんで良かったわ」


 そう言って、朱と脂とを絡ませる刀身を、いたずらっこよろしく見せびらかす。

 よく見ると、その根本には、わずがな歪曲が生じていた。

 やや脱力気味にそれを注視する由有に、ばつが悪そうな顔で、


「いや、言い過ぎた。……流石に動揺したわ」

 と、素直に言い直し、鞘に入らなくなった刀を乱暴に床に捨てる。


 幡豆由有の胸中で、相反する感情が同居している。

 右の肺腑を安堵感でいっぱいにしながら、右の胸では心の高鳴りが止まない。

 だが、不思議と頭は冷めていた。


「どうしたどうした心配性が」

 主君、鐘山宗流はそう言って笑った。

 久々に見る、主の笑顔だった。それに振り回されながらも、自分はいつまで経ってもガキ大将な、この快勝のために働いてきたのだと思い返される。


「が……お主は真っ先に駆けつけてくれるな。嬉しく思う」

 肩を気安げに叩く宗流の手の熱さと力強さが、由有の身の震えを止めた。


「それはそれとして、この大逆、裏で糸を引く者があろうな。……だいたい察しはつくが。乱に与した者はことごとく誅さねばならぬ」


 震えは、止まって、しまった。

 すべて、過ぎた、ことだった。


「……それには及びませぬよ。鐘山宗流公」


 彼の発言を訝しむ間は、鐘山宗流には与えられなかった。

 己の手と、己の信を置いた目の前の相手、幡豆由有。






「弥七郎がし損じた時のために、私が来たのですから」






 その彼の刀が、同朋が刺し損ねた主君の腹部を貫いたのだから。

 幡豆由有が身につけた新緑に、季節外れの紅葉が咲いた。


~~~


 ――すべて、過ぎたことであった。手遅れであったのだ。幡豆由有。


 長きにわたる鐘山本家との悶着も。

 公子、鐘山環の器量の萌芽も。

 鐘山宗流から受けた温情と信頼も。

 彼の不器用さを理解していた己自身も。


 今目の前に転がる鐘山宗流の横死によって、無に帰した。


 ――だが、まだやり残したことは、ある。

 それまでこの膝は、屈してはならない。


 ――私がやらねば、誰もしなかった。故に、誰にも私を罰することなどできようはずもない。


 それができるのは、ただの一人。

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