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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
最終章:順問 ~干原の戦い~
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第二話「新風緑岳」

 ――地田綱房は失敗した。


 諸将は三重の意味でそう呟き合った。

 一つの意味では、彼の息子やら配下による環の暗殺は失敗したということ。

 一つの意味では、朝廷の説得の失敗。

 一つの意味では、この軍議の場を離れたこと。


 彼という理解者であり、心のよりどころを喪った鐘山銀夜は、さらに心の均衡を失ったと言って良い。

 あからさまに苛立つことが多くなり、わけもなく、あるいはちょっとした失言やつまずきで周囲に当たり散らしていた。

「自重すべし」という綱房の禁さえ破り、配下に命じ攻勢に出ること連日。

 ところが外側だけと言えども緑岳砦の威容は兵士たちの士気を折り、そこに詰めた大軍は、実氏らの指揮の下、攻守剛柔を自在に入れ替えて巧みに攻め手を翻弄し、確実に兵力差を埋めてくる。


 ――かつて『順門崩れ』にて大敗した先々帝と、その陣中はこのような状況だったのではなかろうか……


 主将の怒号に辟易しながら、諸臣にはふとそんな空想が去来した。


「……もう、良いッ! 下がれ!」


 五度目の突入に失敗し、それに伴う五度目の叱責を受けた新組勇蔵が、すごすごと己の席へと戻っていく。

 その彼の着座と同時に、少女はいかり気味であった肩を持ち直す。

 一定の神秘性を持つ白銀の長髪を翻し、いつものような調子で高らかに宣言するのだった。


「三日だ! あと三日で朝心斎が戻らなければ、わたし自ら指揮を執り、総攻めにかかる! 各々その準備をするべし!」


 ……ただし、それに応じる将士の声は、かつての陶酔の熱を失っていた。

 秋風のように粛々とした承諾がかさなり、いかにも活気というものが感じられなかった。


~~~


 陣幕から出てきた大将たちは、老いも若きも皆嘆息した。


「銀夜様も終わりじゃのう」

「大殿も姫に継がせることはない、と言い放ったとの噂もある」

「嗚呼、いかに被害を少なく撤退できるか」


 そして皆、最後に調子の低い声を揃えるのだった。

「我らが何をした? これほどの報いを受けるほどのことなのか?」


「……何も、してこなかった故でしょうなぁ」


 その最後尾から、しがわれた声が、彼らの背を刺した。

 一同が振り返ると、例の響庭宗忠がぼんやりと夜天を見上げていた。

「これは聞き捨てならぬことを」

「我らは国を憂えて宗流公を討った」

「今また銀夜様のために身を砕いている」

「その我らが、何もしておらぬと!?」


 詰め寄られる老将は、未だ六十そこそこである。

 現在は隠居の身であったが、当主が病床にあり、その嫡子も意志薄弱ゆえ、自ら老体を押して家中を取り仕切り、そして今自ら兵を率いての出陣という。


「では、逆にお尋ねするが」


 と、好々爺然とした老将は、柔和な笑みを浮かべて、かつ往年の秀才の理知さをその目に宿し、鋭く問い返した。


「この中で宗流公存命時、あの方へ諫言した方はおられるのですかな? 現状、対環へ対策を講じましたか?」


 反応は、まちまちであった。

 露骨に口を噤む者。そんな彼らに、暗い安堵もしくは嘲笑の表情を浮かべる者。

 だが皆、老人に対して確たる返答ができなかったのは、共通していた。


「……そう。結局は、何も考えていなかった。このわしも、過去に失敗し、大殿よりご勘気を賜って以降は、失敗をしない生き方をしてきました」


 いやいやと、自らの言葉を宗忠は即座に否定した。


「正しくは、過失を見て見ぬふり、ということでしょうなぁ」


 遠い目をし、押し黙る諸将に、憐れむが如き微笑を返す。

 いや、嗤っているのは、己自身に対してか。


「ただ多きにつき、強きに従い、主の命に諾々と従っておれば、誰か別の者がその業を負ってくれるものと。そのうち何処かなりの英傑とやらが世を平らげて、気がついたら平穏無事になっておるのだと。そんな甘い夢を見ておったのです。だが、いつかは夢は醒める。醒めた時に顧みれば、後回しにしてきた負債は誰かが立て替えてくれるはずもなく、因果は己に巡る。マ、今がその時なのでしょうな」


 老人は、穏やかな目で再び夜を見上げた。

 天高くきらめく星々に嘆息を吐きかけて、鼻白む人々の先を行く。


「幸いなのは、この咎が我らが次代に及ぶまでもなく、我らの身に降りかかったことなのでしょう。それで良しとしませんかな」


 この演説を聞いた者は、皆老人も戯言と嘲り、あるいは不忠者と面罵した。

 彼の孫、響庭村忠が環陣営についたことをなじる者さえいた。


 だが、これが鐘山銀夜率いる順門府軍首脳部の結束力と戦意を削ったのもまた、確かなことであった。


 ~~~


 彼女や群臣は期待こそしていなかったが、予想はしていなかった。

 

 ――まさか本当に、伝令が来るとは。


 何の益にもならない軍議の中、飛び込んできた早馬に誰よりも驚き、誰よりも早く反応したのは他ならない大将、鐘山銀夜だった。

 白昼、汗馬から母衣武者が飛び降りる。しかし彼の膝は疲労と動揺で笑って、立つことさえままならない。


 仕方なく兵の二人に抱えられるようにして陣中に駆け込んだ伝令は、彼の発した短い急報が、確かに停滞していた銀夜たちに新風をもたらした。

 姫の鬱憤を頭から吹き飛ばした。彼女らに事実と方針をと与え、すべてを悟らせた。






「……御槍城、敵別働隊の奇襲を受け、陥落いたしました」






 凶なる逆風が吹き荒れる。

 姫に鬱屈を感じさせる心理的余裕を完全に取り払う。

 彼女らに、目の前の大軍が陽動であった事実を与え、自分たちの策などとうに看破されていたことを教えた。


 ――すでに、敗北していたことを、鐘山銀夜たちに悟らせたのだった。

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