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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第五章:問答 ~干原の謀攻と番場城の攻防~
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第九話「真実を問う」(1)

「乳繰り合いは終わったか?」


 ガサガサとうるさく草の根を鳴らして現れた亥改大州は、悪童の笑みを滲ませている。

 そこで環たちは、途中で大州が姿を消していたことにはじめて気がついたのだった。


「っていうかお前どこにいたんだ?」

「どこにも何も、色市をとっ捕まえるための夜歩きだろうが。痴話喧嘩はどうでも良いから、さっさと仕事を終わらせようと思ってな」

「お前……主君が矢で射られて押し倒されてぶん殴られたのに。いや、まぁ良いけど」


 どうにも気にしているのは環だけらしく、由基の方はと言えば、いつもの傲岸な顔つきに戻っている。先ほどまで見せていた情熱はなりを潜め「で」と、大州を睨む。


「あのバカ見つかったのか?」

「おや、そいつはあんたが一番ご存知じゃないのかい」

「あ?」

「あんたがあのガキを唆した黒幕じゃなかったのか?」

「バカ言え」


 由基は挑発的なカマかけにも動じず、つまらなさそうに


「オレが本当に裏切る気なら、真っ正面からお前らを殺してる」


 身も蓋もなく吐き捨てた。

 苦く笑いながら「だ、そうだ」と環は肩をすくめ、目で大州に経過報告を促す。

 大州がアゴでしゃくった先、暗闇の中から、大きな人間の塊が現れた。


「放せ、放せコラ!」


 無表情の良吉少年と、彼に腕を極められたままにジタバタともがく、色市始。

 彼が暴れたところで、武の心得もなく良吉の拘束が解けることはない。もがく都度、脱走者の旅荷から筆やら硯やらがこぼれ落ちる。

 環はため息混じりにそれらを拾い上げながら、呟いた。


「その三人に勝てるわけないだろ」

「馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前!」


 ……と、暴れまくっていたのもつかの間のこと。由基の威圧、良吉の技量、そして大州の冷笑にと囲まれ、脱力し、沈黙する。

 やがて目の前に座り込んだ環に気がつき、不敵に笑んだ。


「ふ、ふふふふふ! そうだよっ! おれこそが、銀夜殿の誘いを受けていた埋伏の毒だったんだ! 桜尾義種を舌先三寸でもって影で操り、桃李府の千軍万馬を思うがままに操った張本人! 我が大計が成れば、一軍を崩壊せしめ、一国を沈ませる大波乱をもたらしたことだろうッ! まさか自分たちの親友に敵が紛れ込んでいたとは、夢にも思わなかっただろう!?」


「いや、全然。最初から気付いてた」

「バレバレだっつの」

「うん」


 一世一代の大暴露、のつもりだったのだろう。流天組三人から冷酷な反応を与えられ、弁士は白眼を剥いた。


「ついでに、お前がいっぱしの大悪人ぶって、誰を庇おうとしているのかも分かっている」


 胸の痛みを伴った環の一言は、色市始から道化の仮面を剥ぎ取った。

 小さく声を漏らした彼は、うつむき、前髪を垂らし、唇をわななかせている。

 彼の口から発せられる呼気が、同様の内容が繰り返されている呟きだと知った。次の瞬間、それは大音声となって環の耳を突いた。


「あんたがいけないんだッ!」


 キッと両目を鋭くさせて、叫ぶ。修辞を用いない分、その非難はされる側の心を波立たせた。

 良吉が匕首を色市の喉元に当てようとするが、環が手で制した。

 かざした手を振り下ろすと、主君の意向を汲んで、少年は虜囚を解放した。

 色市始はドッカリと地上に腰を据えると、人さし指を何度も環の方へと前後させた。


「誰のおかげでここまで来られたと思ってやがるっ! 最初、苦境にあったあんたを救いに来たのは魁組だったか!? 羽黒圭馬だったか!? 違うだろ、おれ達流天組だったろ!? じゃあ相応の遇し方をしたらどうだ!? 鐘山環の言動は不忠の種であり、友を遇する術を持たざるはこれ不仁なり! そして今同族と相対するのは不孝の所業である! この色市始においては未だ無名の処士に過ぎんが、それら三の毒を肯定するほど落ちぶれてはいない! ……確かにおれは一時は友を裏切るようなマネはしたが、あんたは信義を軽んじたばかりか、国を盗ろうとしている! その罪に比べたらおれの行いなど大したことではないっ!」


 そう、一気にまくしたてた彼は、腕組みし、きっと環を睨み上げ、


「言うことは言った! さぁ殺せ! 殺してまた罪を重ねるが良いさ!」


 おそらく人生で一番勇ましいことを言ったのではないか、と思わせる強固な態度に出た。

 まぁこれから死ぬことを覚悟し、今まで出し惜しみしていた勇気の一つでも出してみようという気にもなったらしい。

 そう環が思い直した矢先に良吉が匕首の角度をわずかに変えると「ひぃ」と情けない悲鳴をあげて頭を抱えて膝を曲げた。


「あくまで色市始は色市始か。それでも、今の演説は普請場でのものと違って、芯が通ってはいたか」


 微苦笑をなんとか押しとどめ、あくまで冷厳な処刑者として順門府公子は色市の前に立った。

 そしてその彼の判断を裁定するかの如く、幡豆由基は傍にいて屹立している。


「……確かに、お前達に対する言動に対して非礼があったのも事実だよ。だけど、俺の非はお前が裏切ることに対する理由にはなっても、それを正当化する理由にはならない」

「っ!」

「一歩間違えたらお前の弁舌で逃散兵、敗残兵が各地に飛び散り、村々が略奪されていたかもしれない。あるいは銀夜への手土産に俺やお前の暗殺をはかるかもしれない。計画を練ったのは『あいつ』だとして、お前、そこまで考えていたか?」

「今さら、説教か……っ、とっとと斬れよ!」


 怒りが恐怖を上回り、胆も練れたらしい。

 今度こそ本当に落ち着きを取り戻した始に、環は首を振った。膝を折って彼の前に座った。


「赦す」


 彼を、赦免した。

「……へ?」

 目をぱちくりとさせる弁士の、半開きの口が理由と説明を求めている。


「赦すよ、お前を赦すことができるのは、名目上とは言えお前の大将である、俺だけだ。だから赦す。俺の危機に駆けつけてくれた一騎としたの功と、俺自身の罪。その二つに免じて、今回の謀反の罪を帳消しとする」

「だ、だがそれは……それを受けてしまえばおれは……っ」


 あるいは、環の突きつけたことは、矜持高いこの弁舌家にとってはむごい仕打ちであったかもしれない。

 彼の罪を免ずることができるのは、大将であるおのれのみ。

 そう、環は始に告げた。

 ともすれば、それは始が家臣であらねばならない、ということの突きつけでもあった。


 素直に、環の、今までの半生、小馬鹿にして侮ってきた少年の器量を認め、己の才能の限界を認め、かつ目の前の勝利者に屈しなければ自分の生きる道はないのだと、そう認めるか?

 ……そう、環は少ない言葉と蒼天色の双眸でもって、問うて、いた。


「……これで、これまでお前が頼っていた縁故や才能は、もうない。今後はあぐらをかくことなく、奢りを捨てて邁進しろ」


 唇を噛みしめ、めいっぱいに開かれた両眼が、環を見返していた。

「……なんだよ、急に……聖人ぶりやがって」

 口は閉じたままに、ただその端からは悔しげな涙声が漏れてくる。


 ――すまん。


 環は内心で詫びた。こうして主人ぶるしか彼を救えない己を、恨んだ。

 それでも外見上は心中のひどさを出さずにいることはできた。

 始は、大きく息をついた。深く、長かった。

 今まで海中にずっとさまよっていた者が、水面で行う呼吸にも聞こえた。


「……承知いたしました。色市始、向後は性根を入れ替え、鐘山環殿にお仕えいたします」


 威儀を正し、旧知の『投降者』は堂々たる礼儀と節度でもって、深々と頭を下げた。

 それに対して慣れない相応の礼で報い、環は内心でほっと安堵の息をこぼした。

 同様の気配が、背の幡豆由基からもひしひしと感じる。

 ちょっとしたイタズラ心から振り返ると、戦巫女は常と変わらない武張った雰囲気と、美鬼のしかめっ面で睨み返し、直立しているだけだった。

 その隣で亥改大州がニヤニヤしながら横目で彼女を眺めているのから察するに……実は本当に笑っていたんじゃないだろうかとも思う。


 肩をすくめる環だったが、すぐに表情を改め、立ち上がった。

 ――まだ、なんにも片付いちゃいないんだからな。


「……それでも、最初から俺たちを利用する気で接近し、破滅に追い込むためだけに仲間面したヤツまで、無条件に許す気にはなれないな」


 それを聞いて、始も慌てて腰を上げた。

 何か言いかける彼を目で制して好意と弁解を封じ、環は夜の虚空に声を放った。


「見ているんだろう!? ここで!」


 環の一言で、良吉、大州、由基が臨戦の態勢に入った。

 彼らの武でもっても見破れない、隠身の術。環は幼い頃から、それを肌で感じる体質を持っている。


 反応はない。草の葉擦れの音一つさえ立たない。

 森全体が死んでしまったかのような、不気味で不自然な静寂だった。


 ――それでも、いる。

 直感だけではなく、理屈でもそれが分かる。

 色市始は、『あいつ』と場所を決めて待ち合わせていたのだろう。時刻と道をお互いずらしてそこへ向かう道中、色市が捕まる様か、あるいは由基が己を追い、襲撃するところを目撃したのだろう。


 そして思ったのだろう。

 ――同士討ちになれば、これ幸い。生き残った方も始末してやろう。

 とでも。


「もうとっくにお前の正体は割れてるんだ、大人しく姿を見せろ!」


 第二の音声にも、反応はまったくなかった。

 四人の警戒は、環自身への不審へと変わりつつあった。

 しかし響庭村忠を襲った隠密集団の頭目だろう。彼ら精兵たちの索敵をかいくぐるだけの力量が、奴……この一件の黒幕には備わっているはずだった。


「これはハッタリなんかじゃない。分からないのか? あんたは村忠が襲われた晩、あいつの仕掛けた罠に引っかかったんだよ」


 反応はない。ぬるい風が頬と汗を撫でた。

 環が視線を由基の弓矢へと投げた。それが良吉へと移った瞬間、ふと、幽霊か何かが浮かび上がる気配を、背より感じる。


 それが、この暗躍者がはじめて見せた動揺だった。

 三人もまた、そのかすかな困惑を瞬時に察知し、環と同時に西の方角へと振り向いた。


「ようやく気づいたな……そうだ。『響庭村忠が矢で射られた』。この無口な良吉が村忠にそう言われた以上のことを伝えるはずもない。だから」


 高鳴る動悸。真実はとうに少年の胸の内に収まっている。

 にも関わらず、糾弾しようという彼の咽喉は、震えていた。


「それが毒矢だなんて一言も漏らすはずがない。加担していた始にさえも、それは伝わってはいなかった。……にも関わらず、なんであんた、最初からそれが毒矢だって分かってたんだ?」


 由基でさえ、その時点で分かっていたはずだったがあえて見守っていた風さえある。事が露見した色市でさえその名を告白するのをためらい、そして真実が見慣れた男の姿をして現れた今、大州の悪相からさえ不敵な笑みがかき消えた。


 なんで、という一語の響きには、別の色が混じっている。

 なんで、裏切った?

 なんで、平然と自分たちを裏切れるんだ?


 これまで、ずっと、何年も一緒に生きてきたというのに。

 どんなに無茶して、バカして、こうして死に目に遭っても、ずっと柔和な笑みで守ってくれていたはずだったのに。


「あんたが自身で教えてくれたんだ。俺と鈴鹿の前でな」


 感傷的な己を殺し、環は帽子を目深にかぶる。

 刀に手をかけて現れた黒装束の青年に、鋭い敵意をぶつける。






「そうだろう? 元禁軍第六軍大将、地田綱房(つなふさ)改め朝心斎の子、地田豊房よ」

まぁ、後犯人らしいのって言えばこいつしかいないよね、っていう。

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