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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第五章:問答 ~干原の謀攻と番場城の攻防~
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第七話「選択の前夜」

「やぁ! お待たせした」


 環より兵権を委譲された本来の総大将、器所実氏はほがらかに、陣中にてそう挨拶した。

 居並ぶ将は彼の引き連れた釜口ら桜尾の諸将と、元々着陣していた環、欠席の由基に代わり代理の介添人である地田豊房、それに相沢親子である。


「いやいや、まさか間一髪というところ。東方の戦乱が落着したかと思えば、義種様が敗走なされたと聞いてな。それで大殿とはかり、環殿らの救援に駆けつけたというわけだ。いやー、間に合って良かった!」


 特別ふざけた風でもないというのに、身振り手振り道中の労苦を語る実氏の姿に、将は皆ふっと表情を和らげた。

 無論、この時もっとも解放感に浸っていたのは、命運の危機にさらされていた鐘山環当人なのだが、と同時に実氏の将器に、新たな戦慄を感じていた。


 ――本当に言葉の通りなら、ここに来るのが速すぎる。そんなことはみんな分かっている。だが……


 それを、信じ込ませている。

 あるいは、勝利のために一万の将兵を見殺しにした事実から、注意をそらしている。

 それも環のように言葉巧みに誘導するのではなく、理屈抜きで人々の感情を操作することに成功している。


 戦地において改めてその偉大さを肌身に感じている矢先「公子殿」と実氏に呼ばれ、慌てて反応する。


「詳しく現状を知りたい。おそらくは貴殿がもっとも把握しておられるであろうから、ご説明いただきたい」

「……はい。それじゃ、説明させてもらいます」


 彼らが布陣しているのは、緑岳および干原の一帯である。

 義種勢の敗残兵、そして増援含めておよそ一万弱。

 南には海やそこから流れ込む海水によって形成される潟や泥地。北東には村落があり、逆に背後には丘陵地帯がある。これが退却する際には邪魔になるようだった。


 大州、圭馬の尽力と差配により、陣屋は人数分の数と宿割りが出来上がっている。

 加え、いずれ敵が来るであろう西方に向けての防壁は出来上がっていた。


 搦め手こそ無防備ではあるが、大手の門には狭間、櫓、横矢の構えが形成され、さらにその外周を空堀が保護をする。

 後背に比して完成度の高いそれは、『城砦』と言うよりかはあらかじめ未完成であることを前提にした『防壁』であるようだった。


「内に関しては、そういう案配になっています」

「お見事」


 と実氏より認められた時、安堵と喜悦で環の胸は満ちた。

 だが浮かれている場合でもなく、かつ他人を立てるのも忘れてはならない。


「ただ実際に槍を合わされた相沢殿の方が、外の、つまり敵軍の動きに詳しいかと」


 と、説明を譲る。

 その配慮に感謝する意を横目で示した老将は、一礼してから実氏に向けて口を開いた。

「は。我らの侵攻を予期していた敵将、鐘山銀夜はこちらに速攻を仕掛けてまいりました。とても二万近くを動かしたとも思えぬ速度で、お恥ずかしながら太刀打ちできませんでな。虚しく敗退いたしました。義種様の逃げ足……いえその神速による陽動は中々のもので、敵はこれを執拗に追撃中とのこと。それでも体勢を整えこちらに到着するまでに三日も要しますまい」

「うむ。城申殿は、敵はどの方角より攻めくるとお考えか」

「あるいは義種様を完全に駆逐した後に、こちらの背後に回ることもありうるかもしれませぬが」

 実氏は一回、首を上下させて視線を再び環へ注いだ。

 それに同調する形で、桜尾家中の古強者たちもまた、同じく彼へと目を向けた。

 父の如き実氏の目つきとは違う。疑わしげで、訝しげで、険しく、厳しい。


「環殿……貴殿の同族である敵将、鐘山銀夜殿は名将と聞き及んでいる。では彼女をよく知るだろう貴殿に問いたいが、その可能性はあるだろうか?」


 ――試されている。いや諸将に納得させようとしているのか?

 その見識をこの場で披露させることで、この軍議の場に出席することを名実ともに許される存在なのだと教えてやれ。実氏は、示唆しているように思えた。


「そのおそれは、十分あると言うんだ」

 袖を引いて耳打ちしたのは、暫定的な副将格の地田豊房だった。

「彼らはお前のでまかせの通じる相手じゃない。実戦経験の豊富な猛者たちだ。ここは素直にそのように打ち明け、すべての判断を名将たる実氏殿に仰ぐのが良い」

「……豊房殿、と言ったか。オレは環殿に聞いているのだがね」

 静かに釘を刺した実氏に、豊房は慌てて頭を下げて差し出口を詫びた。

 そして環自身も、今回ばかりは自陣きっての良識人の言葉に、首を振るのだった。


「その可能性は、ありません」


「……なっ!?」

「ほう? で、その根拠は?」

 戸惑う諸将、唖然とする豊房、そして満足げに頷く実氏。環の一言に対する反応は、三者三様であった。


「まず、第一に桃李府の動き。実氏殿の大軍がこの場に着陣している時点で、あの聡い銀夜のこと。東方の戦いが終わったことを悟るでしょう。とすれば彼女が警戒しなければならないのは俺たちだけじゃなく、圭輔殿の増援と、本国の援軍も、です。ヘタに背後に回り込めば、挟撃を受ける可能性がある。それが分からない銀夜じゃないでしょう。そして何より神速で以て動いたとして……相沢殿、敵は義種公子の度重なる偵騎にも引っかかることがなかった。そうですよね?」

「……うむ」

「であれば、その速さはある程度の補給、輜重を無視した強行軍であった可能性が高い。俺たちは実氏殿の軍勢を待つ間、あえて敵を挑発するようなマネをしてましたけど、それでも銀夜とその麾下は破りやすい義種殿を目標に定めた。そこまで慎重だった銀夜は、無理に兵站線を伸ばしてまで攻めてくることはない。追撃に見切りをつけ、軍勢を戻すはず。それと」

「まだあるのかね?」

 意地悪く目を細める実氏。環は浅く呼吸する。

 わずかな唇の震えを誰にも気取られないままに押し殺し、答えた。


「背後には、牧島村がある。さらにその後ろには、半手の村がある。その間で戦や物資の徴発なんて行えば、それこそ周囲の反発を招く結果になる」

 だが、と環がひそかに想起するのは、燃え落ちる大渡瀬。

 今も忘れられない、あの惨劇の光景。

「……万一そうなったとして、思い通りにはさせない」

 帽子を目深にかぶり直した環の言葉は、自らを納得し、説得させる向きがあった。

「俺一人であったとしても、村を守り、皆さんの退路を確保してみせる」


 環が見せた決意のほどに、シンと場が静まり返った。

 その静寂を破ったのは、器所実氏の快勝だった。


「いやいや、お見事な覚悟。我らも見習わなければならぬようだ」


 過程を取り仕切ったのが自分であっても、結局はその一言で環に対する視線の色が変わったように、彼には思えた。


 ――とは言え、危なかった。


 衆人環視の中でなければ、袖口で汗でも拭いたいところだった。

 環が今まで語っていたことは、実のところ論拠などというものはない。ただそうあって欲しいという願望であった。


 それでも、舞鶴の策を聞いた時に生まれた疑問点を整理し、導き出した自分なりの解答であることには違いなかった。

 それがある程度の説得力を持っていたことに対しては、自信を持つ結果となった。


「……よし。では我らは、この場にて敵を待ち受け、まずその神速と鋭鋒を挫く」


 そう言って結論を導いた実氏は、その場で手早く諸将の部署を発表した。

 まず前面にて敵を待ち受けるのは、相沢親子および義種勢の残兵。

 これは雪辱を果たし、挽回の機会を与えるためという意味合いも大きく、城申、城建の父子は勇んでこれを快諾した。

 ついで中軍を固めるのは器所実氏の本陣、両翼を担うのは彼が伴ってきた釜口、本林。


「で、環殿はこれまで最前線においてよく敵を翻弄していただいた。その心労は察するにあまりある。後衛にあってどうかおくつろぎいただきたい」

「……、承知しました」

「だが、貴殿らはこの戦こそが実際の初陣となるだろう。色々不安なところもあることと存ずる。どうかこの場に残り、この中年の助言に耳をお貸しいただけないだろうか?」


 環は実氏の瞳の奥に底光りするものを感じ取っていた。だがその場では感づいた様子は微塵も見せず、にこやかに笑って承諾する。


~~~


 環は最後まで付き添おうと言う地田豊房の申し出を断った。

 結局は実氏と環、二人きりでの会談ということになった。流石にこの桃李府の重鎮は護衛の一人や二人はついてくるものだと思っていたら、単身だったので面食らう。

 逆に気を揉んでしまったのは、環の側だった。


 ――だけど……


 と、思い出す。

 羽黒屋敷での初対面の際も、実氏は単身屋敷にこっそり忍んでやってきたのだった。

 あの時無造作に差し出された雑炊のことを思い出し、思わず噴き出した。


「? なにか?」

「あ、いえ何も」


 フウム? とやや得心のいかぬ風に首を傾げた実氏ではあったが、その口の端には相も変わらぬ微笑が浮かんでいた。


 話す前から話題がそれそうになったので、環は慌てて自分から切り出した。


「で、実氏殿。何か言いたいことがあった俺を呼び止めたんじゃないですか?」

「……そうだな。事前説明と根回しは必要かと思ってな」

「それは」

 わずかに言いよどんでから、環は実氏をまっすぐ見据えた。


「俺らが受け持つこの緑岳の後背が、おそらくこの戦いでもっと激戦となりうる、という点ですかね?」


 ……話が早い、と言いたげに、実氏は二度三度、首をコクコクと動かした。

「やはり、気づいておられたか」

「……まぁ」

「確かに戦略的に敵方がこちらの後背に出ることはないのかもしれない。だが、実際に交戦となれば思うように動くとは限らんよ。と言うより十中八九は、防備の未完成な搦め手より攻め上がるだろう」

「ましてそこを守るのは、弱卒率いる怨敵、順門府争乱の火種ともなれば、ですか」

 器所実氏は、あえてそうなるような布陣に割り振ったということになる。


 その意図は、いちいち遠くの尼僧に意見を求めるまでもなく明らかなことだった。

 こちらの基本的な戦略はここ緑岳で敵を待ち受け、敵の攻めを凌いで長期戦に持ち込むことである。

 が、それだけでは終わらない。未だ実氏と環と舞鶴の胸中にのみで共有している秘中の一手。それが成った後では、戦は速やかに終わらせなければならない。この時、相手も同様に考えることだろう。そうせざるを得なくなる。

 となれば、交戦は不可避のもののように思える。

 そこであえて敵の攻めを誘引し、限定させ、視野を狭めさせ主導権を握った方が、全体的には有利に運ぶだろうし、対応も容易となりうる。


 そして環もまた、そうすることが逆に被害を最小限に留めることができると信じ、承諾したのだった。


「無論、これには現状抱えている問題を解決しなかればならない。一つ、兵の、特に貴殿の軍勢の士気と意志の統一。……そして、内通者のあぶり出し。もし貴殿の手に余るようであれば、オレの手勢のお貸ししようと思うが」

「ありがたい申し出ですけど」


 環は一考もせずに速答した。

 それらはずっと後回しにしてきた問題。

 自分たちがなんとかするべき問題。

 なんとかできると、信じている問題だった。


 ハッハ、と。

 実氏は好意を蹴られたことをむしろ喜ぶように、青年の身に大きな手を置いた。


「なるほど圭輔殿の言われるとおり、公子殿は天に挑む覚悟をされたようだ!」

「い、いーやぁー……そんな大それたもんじゃなくて」


「…………主とは」

 え、と。

 実氏の声の変調に気づいた環は、改めてその顔を正視する。

 あの桃李府きっての快活な男の笑みは、苦み走った、痛ましげな微笑へと変じていた。

「一国であれ一城であれ、自分が守るべき者たちに死ねと命じなくてはならない。かつての胞輩に裏切られ、死を強いても、為さねばならないことがある」

「……」

「すまないな」

 実氏は舞台を締めくくるように、深々と頭を垂れた。


「我らにもう少しの展望がなかったばかりにかえって世の昏迷を深めてしまった。そのために次の世代、貴殿や圭輔殿には、その重荷を背負わせてしまったな。……今さら言ったところで詮無きことだが、申し訳ない」


 ――我ら、とは誰のことなのだろう……?

 桃李府桜尾家か、あるいは『天下五弓』か、あるいはもっと広義、前の時代を背に負って実氏が、あるいは旧時代を生きた者らが実氏一人の口を借りて、そう詫びさせるのか。


 だが、ふしぎと胸に熱いものがこみ上げてくる。

 かつて、記憶に残らないほどの、かつてどこかで耳にした気がした。ひどく懐かしい、子守歌のように聞こえた。


 肩に、旧世代の英傑の力と熱を感じる。

 環はじっと瞼を下ろし、未だ伐られぬ草木に鳴く獣や虫の声に、耳を澄ませた。


~~~


 環が戻ってきた時には既に日は暮れて、自陣の移動準備に奔走する家中一同の姿が見えた。

 だがその中に流天組構成員の姿は見えず、大半の采配は圭馬と大州が執っているようだった。


「よう大将、面白い話、聞きたくないか」

 開口一番、傲然と言い放って接近してきたのは、他ならぬ亥改大州だった。


 憮然と振り返った環に、不敵な笑みを浮かべた魁組頭目は、隣に並んで主君の肩を抱いた。無礼を咎めようにも、今に始まったことでもない。

「……お前の面白い話は、たいがい面白くないだろ」

「じゃ、聞くのやめるかい?」

「面白くもないから、聞きたいんだよ」

「色市のバカが逃げた」


 そしてそれは、環が可能性の一つとして考慮に入れていた事案であった。

 案の内であったとしてもなお、足を止めて、苦い顔で振り返らざるを得ないことでもあった。


「まぁ良坊に尾けさせてるから万一はないだろうが、ちゃんとした人数で追った方が良いな。で、あんたどうする?」

「一緒に行く」

「じゃ、ついてきな」


 大州に先導されるままに、環は牧島村へ続く林と丘陵を下った。

 環の握る提灯が、早歩きに進む度に大きく揺れる。

 供は、派手に連れ歩けば目立つということで

「そう言えば、かつて笹ヶ岳で攻防した上社信守率いる禁軍にも、裏切り者が出たそうだ」

 大州がふと前触れもなく言った。

「……よく知ってるな」

「俺の家は元々はチンケな海賊でな。……ま、その縁で色々ツテがあったのさ」

 不遜とか傲慢とか言う二文字を抜いたら何も残らないのではないか、というこの男にしては、妙な感傷的な表情で答えた。

「で、上社信守は、奴らの裏切り行為を骨の髄まで利用したあげく、鐘山方に逆撃を仕掛けた。……さて、もう一つの笹ヶ岳を作った大将殿は、裏切り者どもをどう処すのか。なかなか見物じゃねぇか?」

「……なぜ、今さらそんなことを話す?」

 逆に問い返した環に、悪相の男はフンと鼻を鳴らした。


「やっぱこういうことは鈍いな、あんた」


 環は殺気を背に感じた。足を止めた。

 その先では、腰を深く沈めた大州が振り返り、ギラリ、こちらを睨み据えたままに、ダンビラに手をかけていた。

 鞘から走る白刃が、環のかざす提灯を輪切りにした。

 彼らを照らしていた光源が消えると同時に、二人の間を闇が埋めた。

 風が空を斬る。一度振り下ろされた太刀筋は、円弧を描くように翻る。


 カツ、と。


 乾いた音を立てて、環の耳元でそれは、彼をかばった大州の一振りではじき飛ばされる。

 目印となる明かりを見失い、威力を失いながらもなお、飛来したその矢を、大州とて完全に叩き折ることはできなかったらしい。

 環たちの向かいの樹木の幹に、魚骨を思わせる鏃が、突き立った。

 もし大州の剣がそれを妨げなければ、頭蓋を貫通していたに違いない。


「環、お前に色市始は討たせない」


 環は、小さく嘆息した。

 命が助かった安堵と、草根を分けて現れた射手の正体が、自分が半ば予感していたものであったために。


「正気の沙汰とも思えないが、狂気に取り付かれた凶行というわけでもなさそうだな。……ユキ」


 覚悟を決めた環は大州より半歩前に進み出て、微苦笑と共に旧友を出迎えた。

 こちらの心臓をえぐり抜くような彼女の眼光は、この無明の夜にあってもなお、力強い光を放っていた。

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