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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第五章:問答 ~干原の謀攻と番場城の攻防~
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第六話「羽黒圭輔の問答」

「……圭輔め、態勢を整えるなど見え透いた嘘を。我らに露払いをさせようというのは、目に見えているではありませんか、父上」


 追撃中、番場伴満は随行する倅の言葉に呵呵、と快勝した。


「そう言うな。我らとて未だこちらについて日の浅い身。ここいらで武功の一つでも立てねばな」

「しかし、下手に追い詰めれば風祭方の恨みを買います。となれば後日、面倒なことになりますまいか」


 伴満が兵を進ませながら顧みると、息子は切れ長の目に、理知の輝きを宿していた。

彼の言う後日、とはもしもの時。

 再び風祭府に寝返る、まさにその機のことを示唆していた。


 父は笑い声を遊ばせて、息子の肩を叩いた。


「心配せんで良い。我らに番場の地の利がある限り、誰と与したところで、何度敵したところで、羽黒も風祭も強くは出られんよ!」


 我が子の意見を否定しつつ、その成長を嬉しく思う。


 ――かつては義理だの忠だのと青臭いことを抜かしておったのに。やはり子が出来ると違うようだな。


 己が護るべきものが、目に見える形となって生まれ、そして愛情が芽生えた。

 そのことが、乱世を生き抜くために必要なしたたかさを我が子に与えた気がする。


 思わず緩みそうになる頬を、わずかに感じる殺気が引き締めた。


 ――いるな。


 間違いなく兵の、戦の気配がする。

 火薬の匂い。立ち上る黒煙がそれを教えてくれる。

 一度制止を命じ、態勢を整えた後にその先の敵に迫った彼らは、少々意外の念に囚われた。


 川を挟んで対する敵は、風祭武徒。

 だが、風祭の両翼と謳われた武神の傍らには、わずか百騎ばかりの武者と、左右に広がる竹束しか存在していなかった。

 

 ――影武者ではない……


 何度か顔を合わせた仲である。

 一見して好青年に見えなくもない端正で精悍な顔立ちに反し、まるで死者や隠者であるかのような、深い闇を抱えた双眸。

 極度な華美を好んだ先代と違い、黒一色に塗り固められた鎧の上に、浅黄色の陣羽織。

 青毛の悍馬の上、太い腕を傲然と組んだ、不遜な態度。


 紛れもなく、その姿こそ大首級、風祭武徒そのものであった。

 その像が、彼らの間の陽炎にて、大きく揺らめいている。

 その出所は、焼かれ、轟音と共に激しく燃えさかる板橋であった。


 さしもの老将もこれには

「……フム」

 とたじろぐ。


「……いかがなさいます? 父上。あるいはあの竹束の影に伏兵が潜んでいるやもしれませぬが」

「いや、それはない。あれは偽装よ」

 息子の言葉に、今度は断固とした態度で否定をする。

 その理由と根拠を問われるよりも先に、彼は燃えさかる橋に鞭を突きつけて、答えた。


「奴に他の兵がいれば、このような小細工はせず、橋を焼かずにそこを活かし我々を待ち伏せておれば良いはず。さすれば少ない兵力で我らを受け止め、しかる後に余剰の兵力で側面から矢玉を撃ちかければそれで済むはず。橋を焼いたは、その余裕すらないことの証左だのぅ」

「なるほど……」


 倅は己の自論よりも、経験に基づく尊父の推測を優先した。


「では、奴らは知らぬということになりますな……この季節、この川は水量が減るということを」


 我が子の言う通りだった。

 実はこの河川は、この節になると、山の気の変化ゆえか水かさが減る。

 そして橋や船に頼らずとも容易に渡ることが能うのである。

 まして時刻は黄昏時。その水深を錯覚したとて、無理らしからぬことであった。


「いかがなさいますか? 番場勢七百がこのまま力攻めすれば、武徒とて逃げ切れるものではないでしょう」

「そうさなぁ……小僧の芝居に付き合って大人しく退いても良いが」


 と逡巡するそぶりを見せた伴満は、


 ぞくり、と。


 背に冷たい視線のようなものを感じた。

 慌てて振り返り、その出所を目で探っても、そこにいるのは主君の挙動に当惑する将兵たちである。


「……」


 だが、見られている。

 彼の戦場における日々の積み重ねが、それを確かに伝えている。

 身に覚えのある、恐怖。

 つい先頃、総身で感じたばかりのもの。


 ――羽黒圭輔が、わしの言動を観察しとる。


 自分にとって有用か、無用か。

 それを品定めするために。


 実態も見えぬその視線自体も不愉快だったが、彼にとっては、あの色違いの両目に無用者と断じられることこそ、耐えられなかった。


「……攻める」

「は? ……ははっ!」


 父の急な心境の変化に、子はほんの少し意外の念を覚えたに違いない。

 だが大将が一度放った決断の一言を、たやすく翻せるわけもない。

 この勢いに乗るのが上策、と本当に思える気がした。


「上流より勢いを借りて押し渡れ! マヌケに正面で待っておる敵を、側面より叩くのだ!」


 振りかざしたその手に導かれ、番場勢七百名が一気に渡河を決行する。

 彼の子の言う通りに、彼自身の案の通りに、水量の減った川は膝下ほどしかない。

 そこに足を取られながらも流されることなく、川水を足で切り、しぶきをあげながら武徒の本隊へと迫っていた。


 大将親子を含めた全員が、その川に足を浸からせた。

 まさに半ば渡りし、その時であった。


 武徒は動揺もせず、馬首を番場勢に向けたのは。

 おもむろに右手を挙げたのは。

 その手に反応した武者が一人、火箭を天へと射放ったのは。


 武徒の両脇の竹束が、内側より倒れた。

 露わになったのは、潜んでいた鉄砲衆。武徒の左右に五十ずつ配置されている。

 琴でもつまびく指先のように、銃口はなめらかに、波打ってこちらへと狙い定められている。


「父上っ!」

 判断の誤りに舌打ちし、老将は馬の脇腹を蹴った。

「怯むな、寡兵ぞっ」

 止まりそうになる兵たちを叱咤すべく、太刀を抜いて自ら前へと躍り出る。

 前進し、被害を出し、たとえ後日愚将の誹りを受けようとも、この川で足を止めることこそ最も愚策。

 流れに逆らい、止まり、あるいは退けば、かえって被害が増すばかり。それを知るがゆえに。


 だが、知っていても、なお……




「は、背後より敵ッ!」

「!?」




 絶望と衝撃を前にしては、そうした理屈も泡となって消えた。


 先ほど自分たちが立っていたはずの川縁。いつの間にか、そこには五百ほどの鉄砲が結集していた。


 ――退路が、断たれた。


 活力が、川水の冷たさに溶ける。

 燃えさかる橋の熱が、心身を焦がす。

 将兵の足が止まり、思考も打算もまた、白紙に還る。


「放て」


 あの陰気な男の号令は不思議と、番場勢まで達した。

 そして、川向かいの奇襲部隊の一兵卒に至るまで、またたく間に浸透していった。


 轟音が地を揺さぶり、三方から発せられたおよそ五百の弾は、交錯しながら水上の番場勢を撃ち抜いていった。

 瞬時に倒れる味方の中に在って、番場伴満はすべてを悟った。


 ――何故、敵は橋を焼いたのか?


 一つ、伏兵がいないとこちらに錯覚させるため。

 一つ、まさか味方を残したままその退路を潰すはずがないという思い込みを誘うため。

 一つ、密かに寄せる伏兵の存在から注意をそらすため。

 一つ、準備していた火縄の白煙と弾薬の異臭を、炎と煙で覆い隠すため。


 そして、こちらの進路を限定し、かつ退路を遮断するため。

 もはや進んでも勝利は得られない。水流に逆らって退路へ転身するのは、至難であった。

 それでも、退くしか生存の道はない。

 翻しざま、伴満は武徒の手がゆっくりと持ち上がるのを見た。


「退……ッ」

「遅い。第二射放て」


 無数に聞こえる轟音は、ひとかたまりに寄り集まって、さながら龍の咆吼の如きものであった。

 雷火が番場勢に降り注ぎ、番場勢を破滅の底へと叩き落とす。


 常識では考えられない装填速度である。

 あらかじめ、一人二挺備えていたに相違ない。


「ぎィッ……」と、伴満は歯を食いしばる。


「羽黒勢は!? 後続の追っ手はまだかぁっ!?」

 と、指示を忘れて声を張り上げた時、


 ぞくり、と。

 ふとした予感が、かの『若造』の冷酷な視線となった肌身に突き立った。


 ――まさか……そういうこと、なのか……っ


 あの男が何を待っていたのかが分かった。

 どういう結果を期待していたのか分かった。


 ……己が、もはや何の望みも持たれていないと分かった。

 思えば自らの城にて、声を荒げ奴に当たり、騒ぎまくっていた、あの時点で。


 愛馬は主の呆然を理解するかのように、赤い水をかきわけるその足を止めた。

 そしてその眉間に、一発の弾丸が飛来していたことに、主従ともども気づかなかった。


「ぐぅお!」

 のけぞる馬に振り落とされて、伴満は背から着水した。

「父上っ!」

 混乱する味方を踏み分けるように、倅が馬上、父に手を差し伸べる。

 その背後に、死神の像がポツリと一つ、浮かび上がって静かに銃口を向けていた。


「違うっ! 寄るでない! わしは囮じゃ!」


 声は届く前に、いや届いて理解されるよりも先に、放たれた弾丸に越された。

 右耳から左耳に、弾が貫通して血が爆ぜた。


「あ、ああぁ……」


 骸となって手元に墜ちた我が子を、老人はただ無心でかき抱いた。

 林の中、こちらに目当てをつける死神は、見目麗しい少年の姿をしている。

 小母衣を優雅に着こなす様は戦場の様相ではなく、構えた銃は骨太なつくりになっていて、持ち主にとても似つかわしくない代物であった。


 それでも、冷え冷えとした殺気は確かに、川向かいの陰なる名将に勝るとも劣らぬものであった。


「小童めがァ……!」


 失意の淵、川面に吐き捨てた呪言は、果たして少年に向けられたものだったのか。武徒に向けられたものだったのか。あるいは羽黒圭輔にか。


 己でさえも分からないままに、番場伴満は郎党と共に、その六十年あまりの生涯を閉ざすこととなった。


~~~


 番場伴満および一族郎党、ことごとく討ち死に。

 その朗報は撤退中の風祭家を大いに盛り上げることとなった。


「離反した番場城に対する誅罰」


 それを名分として始められたこの戦は、皮肉にも、攻略に失敗し、敗走の最中に達成されたのであった。


「案の如く、川は渡れるようだ。連中がそれを証明してくれた」


 ちぎって投げるような口調で言い捨てた武徒の武名は、否が応にも高まることとなった。

 彼の指揮下で戦いに加わった者らはその采配を神の如く称え、親永配下として撤退の道中にあった将兵も皆、凱旋した将であるかのように彼らを迎え入れた。

 それは、緒戦で勝利を飾った際に勝るとも劣らぬ、盛り上がりぶりであった。


 ……そして、冷ややかな顔を、対となる大将二人がしているのも、同様であった、

 武徒の方は為すべき任務を為したというだけで、とりわけ勝利に喜んでいるわけではなかったからだ。

 親永の方は、


「……討ってしまったのか。番場父子を」


 今にも舌打ちしそうになるほどの忌々しさを、隠そうともしなかった。


~~~


 ――大将が前線に出張るの愚を、圭馬に嘆いてみせたばかりというのに……これでは示しがつきませんね……

 遠く僻地に差し向けた義弟の顔を思い出し、羽黒圭輔は行軍中、苦笑を漏らした。


 軍勢をたっぷり時間をかけて羽を休めた羽黒勢は、先行した番場勢より遅れること二刻後、ゆるやかな速度で進軍を開始していた。

 峻厳さと神速でもって鳴る自家らしからぬ手ぬるさに、その旗本でさえも首を傾げていた。が、とかく無理をしないことは良いことだと考えているのか、皆あえて異論を唱えようとはしなかった。


 しかし、東より来た斥候が一騎、旗竿を揺さぶってはせ参じた時、流石に彼らの楽観は解かれたようだった。


「……ば、番場勢……敵伏兵により、壊滅いたしましたっ!」

「なんですって!? 伴満殿とそのご一党は!?」

 圭輔でさえその凶報には大きく目を剥いた。転げ落ちるように馬から下りると、報せてきた武者に掴みかかった。

「ことごとく、討ち死にした模様……」

「そんな……」

 勝利に沸き立つその中にて、まさかの逆撃。

 その事実は羽黒圭輔に多大な衝撃を与えた。






 …………という、フリをした。






「なんということ……っ」

 と嘆く『フリ』をした。

 ――余力を残す風祭武徒が、大人しく退くわけがないでしょうに……


「この羽黒圭輔、勝利に浮かれて油断していました! まさに痛恨の極み、言い逃れできない大失態です!」

 己を責める『フリ』をした。

 ――僕でしたらあんな化け物とマトモに戦おうとはしませんがね。


「こうしてはいられない! 勢いに乗じた風祭勢が、反転して城攻めを再開するやもしれません! いや、こうしているうちに我らが捕捉されるやも……」

 そう、極端に怯える『フリ』をした。


 常の冷静な主君らしくもない、と訝る家臣団に「で?」と、圭輔は逆に問うた。


「番場殿のご親族は、未だ城に?」


「は……? は! ご子息は伴満殿と共に討ち死になされましたが、さらにその子……すなわち伴満殿のお孫とその母らが数人残っております」

「そうですか。……それは……僥倖でした」

 そして圭輔が笑顔で下した命令が、瞬く間に、士卒らのどよめきを止めさせた。




「全軍番場城へ反転。番場殿の一族を一人残らず岩群に『護送』せよ」




 静寂は、一瞬であった。

「事は急を要します。多少手段は強引でも構いません。……その間の城ならびに一帯の守備は、我ら羽黒家中より代理の者を立てるとしましょう」

という補足が、また別種のざわめきを生んだ。


「ま、まさかそれは……」

 人質として奪え、ということか。

 混乱に乗じて番場城を乗っ取れということか。


 直接的な言葉に訳そうとする家臣を、圭輔は細めた目を向けた。

 底冷えするような氷の眼差しに、発言者はビクリと身を震わせ、口をつぐんだ。


 ――これで、この方面の支配は一気に強まる。……ご老人はとても良い時機に死んでくれた。


 順門公子の策略に便乗するのはシャクではあるが、この戦いで得たものは多い。

 実益だけではない。

 風祭家の現状、その実態を知ることができた。


 武徒の武略の足を親永の慎重さが引っ張り、逆に親永の守成と冷静さを、武徒の武勲がかき乱す。だが、両者の兵力の動員がなければ羽黒にさえ太刀打ちできぬ。

 ――何より救いがたきは、両者の間には決定的な亀裂があるということ。戯れ言一つに惑わされるほどに。

 そして彼らを統御し、互いを引き立てるだけの器量が、今の風祭家府公には欠けている。


 ――放って置いてもいずれ自滅する。


 問題は、西である。

「それと実氏殿にもご報告を。『もはや東に援軍無用、心置きなく西に赴かれるべし』と。……まぁあの御仁のことですから、とうに動き出しておりましょうが」


 己も再び馬上の人のなり、その身を西へと翻らせる。

 先ほどの倍速で軍を進めながら、その頭の内で独語する。


 ――さて……環殿。貴方との盟約は果たしましたよ。今度はそちらが天下に己が器量を問う番です。

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