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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第五章:問答 ~干原の謀攻と番場城の攻防~
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第五話「羽黒と風祭の決戦」(3)

 ……結果として風祭親永は名将である武徒の忠告を退けた。

 しかしこの包囲軍の総大将とて、なにも武徒に対する私情や、疑心から却下したわけではなかった。


 変化を起こさず、起こさせず、あくまで優位を保ち続ける。そうして流れが完全に此方に傾くのを待つ。

 そういう方針をとっていたからに他ならない。

 ゆえに危険は冒さず、かつ万全の警戒態勢で臨まば、敵がつけこむ隙は生じない。

 そのため当初の捕虜言葉どおりに三日後の夜襲に備えたのである。

 たとえ武徒が敵に内通し、『あえて』夜襲説を否定したとしても、そうでなくとも、己さえがしっかりしていれば問題なく対処できる。

 そう、信じた。


 だが、人は毎日毎時、気を張り詰めていることはできない。

 そのように心がけていたとしても、いずれは心に綻びは生じる。


 ――だが、あえてその綻びが生じる時期を、敵が望むように誘導できたとしたら?


「敵襲、敵襲!」


 早鐘が連続して鳴り響いた時にはすでに、五段構えの包囲網は三段まで突き破られて、親永の旗本まで迫ろうとしていた。


 それほどに、羽黒圭輔の軍勢は疾かった。

 それほどに、緒戦で損傷を避け、籠城時も矢面に立たず英気を養った羽黒家は強かった。

 退く味方も、追いすがる敵も、皆風祭軍の屍を踏みしめてこちらに向かってくる。


 ――脆すぎるっ! 我が軍勢は、連戦と包囲と徹夜とで、こうも憔悴していたかッ


 もし敵が来たらば、敵の鋭鋒を避け、その懐に誘い込んで各軍と連携して覆い包み、殲滅する。


 ある意味現状は、その体現と言って良かった。


 ただ違うのは、敵が本当の意味でこちらを各個撃破しているということと、味方の動きが思った以上に遅く、拙いということ。

 羽黒勢の神速は、包囲が完遂する前に親永の本陣を突くだろう。


 その焦慮とは別のところで、親永には懸念があった。


 ――なぜ、朝に仕掛けてくる!?


 敵がこちらの油断を突くべく、あえて夜という時節を外したのは分かる。

 だが奇襲とは、自らの正体を悟らせず敵の不意を打ち、疑心を煽り、混乱に陥れる攻めである。

 だがこの『奇襲部隊』は、自身の軍勢の実態を旭日の下に晒している。

 今は各軍動揺しているが、このまま持ちこたえていれば、いずれ味方は秩序を取り戻し、改めて覆い囲むことも可能である。


 ――だが、そのような無謀に、あの謀多き羽黒圭輔が出るはずがないっ!


 そこには、何らかの勝算が、自分が未だ察し得ない確信があるはずった。

 おおよそ博打を好まない、絶対にしない風祭親永にとっては、そうとしか思えない、理解のしようのない蛮行であった。


 刹那、親永の脳裏をよぎったのは、未だ静観している従兄弟の虚像であった。


 ――もし、真に武徒が圭輔と密約を交わしていたのならば……


 そして内外から挟撃されたのならば?

 考えられる最悪の事態であり、あるいはそれをこそ敵は待っているのではないか?

 だから、武徒は動かないのではないのか?

 だから……敵はこちらが待ち構えている時期を計り知れたのではないのか?


「敵軍、こちらに真っ直ぐ向かってきます!」

「……退け」

「は?」

「退け! 撤退するよう伝えろっ!」

「し、しかし」

「良いから、陣貝を吹くんだ!」


 あくまで風祭府筆頭家老は慎重な智将であった。

 乾坤一擲の大勝負に挑むぐらいなら、凡手に留まる。

 虎児の牙を警戒し、虎穴に入らず。

 そういう男だった。


 だがこの時ばかりは、慎重ではあっても冷静ではなかったかもしれない。


 馬首を祖国の方角へと翻しながら、風祭親永は歯を食いしばった。


~~~


 一方で風祭武徒は、苦境にあった。

 彼は望んで動かなかったわけではなく、城方の兵に牽制され、援護をすることができなかっただけであった。


 あるいは、強引に突破すればそれも適ったかもしれない。

 だが、あからさまに味方の忠言を疑ってかかる布陣をとった男を、被害を増やしてまで助けようという気がなかったのも確かであった。


 まして、持ちこたえる姿勢も見せず、こちらに何の指図もなく、自分たちのみがさっさと離脱する。

 そんな者を、助けようがなかった。


 結果として孤軍として取り残された武徒勢は、城を守る兵と反転した羽黒勢とに、側背を痛打された。


 武徒は近習の森崎なにがし以下、五十超の戦死者を出したが、武徒自らが両刀を引っさげて突破口を開くことで、離脱することができた。


 そうして追撃を振り切って東へ数里。

 逃げ延びた武徒勢は、奇しくもそこで風祭親永の本隊と合流を果たした。


 ただし、両将がそこで再会したのは、当然の帰結と言って良かった。

 良将の描いた退路は、名将の選定した退路と合致した。

 東盤海沿いは未だ彼らに味方する海賊、国人衆も多く、再戦を期するにも、そのまま退却するにも、彼らの助力は不可欠であったからだ。

 彼らがお互いを意識したわけではなかったが。


 両軍の兵たちは頼りとすべき味方を得たことで、ようやく人心地ついた思いだった。


 ……だが、彼らの意に反し、すんなりと和解し、協力して離脱、とはいかない。


 親永らは、「風祭武徒が裏切っている可能性がある」と警戒し、武徒と以下の部将たちは「自分たちを見殺しにした臆病者ども」と彼らを白眼視した。


 疑心は暗鬼となって駆け巡り、瞬く間に両陣営の空気は悪化した。

 あたかも遭遇戦の如き構えを見せる二つの風祭軍の間で嘆息したのは、風祭武徒の帷幄の臣、旭瞬午であった。


 美貌の少年はまず主君武徒を言葉少なに説得すると、次いで中立地点に立って親永陣営に会談を持ちかけた。


 親永本人ではないものの、その代理たる家臣を招くことに成功し、そこで両陣営の言い分をまとめ、誤解を説いた。

 そして両首脳を引きずり出し、直接の対面をさせたのである。


「回りくどいことを」

 話し合いに出る直前、武徒はそう言いたげな目をしたが、本当にそうぼやきたかったのは武徒でも親永でもなく、瞬午であったのは言うまでもない。


 ――面倒を、かけさせられる。


 だが、彼はあくまで風祭武徒の臣である。

 比較的己が冷静であるという自信はあったが、それでもどこか主君に心を寄せた考え方をしてしまう。

 今回の敗戦の責は、大半が親永に帰するものだと考えている。


「知恵者って時に面倒なものだよな」


 その場よりの去り際、少年はため息をついていった。


「あれやこれやと理屈を考えて、本質が見えてない。あの不器用な武徒殿が、お父上の仇とつるむわけがない。……例えそうでなかったとしても、裏切る機会は、そうすべき時機は、今までにいくらでもあったんだよ」


 この話し合いで、兵力、士気練度、そして将器、いずれも勝る風祭武徒が殿軍を受け持つこととなった。


~~~


 物見の報告によれば、追撃部隊の先鋒は番場、追いつく時期は一刻後だと言う。


「それまでに、陣立ては能う」

 我らであれば、という言葉を裏に隠し、武徒は殿を務める麾下の諸将にそう告げた。


「瞬午には手勢に加え我が旗本と鉄砲三百を預ける。本隊は渡河。汝はこの場に留まり、亡霊となれ」

 一聞すればそれは、捨て駒にするという意味に思える。


 瞬午は主の言葉を聞くや、チラと川面の方へと目を投げやった。

 向こう岸までの川幅は、三十間といったところ。

 途中に中洲のようなものは一つも見当たらず、五人ほどの大人が並列することのできる橋が一本、架けられているだけだ。他に渡河できるような地点もなさそうに見える。


 鬱蒼とした森林地帯であるそこは、夕刻でも十分に暗く、深さをはかるには実際に入って見なければ分からなさそうだった。

 何よりそのせせらぎのせわしなさが、川幅の割にそこが激しい急流であることを示していた。


「わかったよ」

 嘆息まじりにそう言う少年被官に、生け贄としての悲壮感はない。

 いつも通りの「また面倒を押し付けられた」と言いたげな顔つきだった。

 正しく、武徒の意図するところを呼んだ男の顔だった。


 軽く頷いた武徒は、

「上手く行くな」

 と、独り言のように呟いた。

 意見を求めたわけではなかったが、いつも通りに瞬午は視線も向けずに

「上手く行くよ。でないとボクが死ぬ。だけどね武徒殿」


 と、武徒が意外であったのは、黒目がちの黒曜石の瞳が、武徒を見返したことだった。


「そもそも貴方がこの戦の総指揮を執っていれば、こんな無様な負けはなかった」

「……何が言いたい?」

「もし貴方が公弟親永様から実権を奪い、名実ともに三軍の総大将となっていれば、今日における風祭府の苦境も、貴方自身の苦悶もなかったんだ。それを」


 瞬午は、いつになく熱している己に気づき、我に返ったのだろう。

 羞恥と興奮とで、その白い素肌が朱に染まる。


 と同時にそこで、武徒の向ける鋭い視線に気がついたようで、わずかに身をすくませた。


「瞬午」

 武徒は、抑揚なく家臣の名を呼んだ。

「我は汝の才を買っている。だが」


 武徒の腕が素早く伸びて、瞬午の細首を掴んだ。

 両脚を浮き上がらせてもがき悶える少年を締め上げ、冷たい声音を夕暮れの川縁に響かせた。


「だが、貴様の言い分や思想まで認めたつもりはない」

「……っ! ……!」

「下らぬことに頭と舌を使う前に、今なすべきことをしろ。他の者もだ」


 今までに固唾を呑んでなりゆきを見守っていた将たちは、畏敬に値する主将の厳命に頭を垂れた。


 武徒は軽く睨む瞬午を解放した。

 背を向けて己の作業に取り掛かり、家臣らの顔を見ることはなかった。


 彼にとっては、誰が敵で、誰が味方なのかなど、どうでも良いことであった。

 権力や大軍を指揮する権威に魅力を感じたことはなかった。

 その辺りを、瞬午も、親永も思い違いしている。


 ――我は我の戦をするのみよ。


 自由にできる限りの材料で最大限、仕事を仕上げる。

 それが彼の矜恃であり、生きがいであった。

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