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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第五章:問答 ~干原の謀攻と番場城の攻防~
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第五話「羽黒と風祭の決戦」(1)

 ――バカな!?


 潰れた色市の傍らにいるその者は、『天下五弓』と称されし男の到来に狼狽した。


 平素は陽気で、笑みを絶やさぬ人当たりの良い男。その有り様は馬上の人となっても変わらない。


 だがそこには、将の風格が備わっている。後続の八千余名を率いるだけの威風に満ちていた。

 親しみやすさはあるが、容易に近づける雰囲気でない。


 凛と張った清浄な空気は、聖人を想起させる『格』というものがあった。

 ……おおよそ武士の所業など、その真反対のものだろうに。


「おう、環殿。ご無事で何より」

「寝床は用意しておきましたよ、実氏殿」

「ハッハ! それはありがたい!」


 と、和やかに笑い合うその陰で、『内通者』は必死に「何故!?」と問うていた。


 ――何故器所実氏が動く!? 何故東へ向かったはずのこの男がこの西の戦線に来る!? 風祭家は、羽黒圭輔はどうした!?


 だが、その逡巡は別として、認めなければならなかった。

 東の戦線は、実氏の援軍を必要とする前に、既に落着したのだと。


~~~


 時はさかのぼる。


 自家に弓引いた番場家を討伐すべく再度軍を動かした風祭家は、増援の第一陣である羽黒圭輔と一戦を交えた。

 小規模な衝突の後、番場城へと退いた圭輔らを、風祭勢は追った。城を囲んだ。


 以前の戦ではいつも野戦にて敗退を繰り返していた風祭家が、康徒の戦死以降、初めて圭輔を籠城まで追い込んだのである。


 その快挙に浮き立つ陣中において、表情を翳らせた者は二人、いた。


「またか……」

 一人は風祭親永。

 現風祭府公の弟にして、康徒の再来との呼び声も高い筆頭家老。

 この包囲軍の、名目上の、総大将。


 来訪者を告げる使番に、痛ましげに顔を覆った。


 名目上の総大将、と人は揶揄する。

 だが、親永は無能ではない。むしろ他国の将帥と十分に渡り合うには十分な力量を持っていたと言って良い。


 彼の堅実な手腕がなければ、風祭府などとうに内外から切り崩され、本拠清楯には桜の家紋が翻っていたことだろう。


 それでもなお、彼を「名目上」たらしめる要因が、その来訪者であった。


「お通しせよ」

 と許可する親永の前に、身の丈六尺半の偉丈夫はのっそりと歩いて現れた。


 凛々しい眉も、固く引き締まった頬も、一切の喜色を発してはいなかった。

 そもそも親永は、十年にも及ぶ付き合いの中、この男が他者に親しむところを見たことがない。いわんや笑ったところなど。


 それが、従兄弟、風祭武徒であった。

 尊敬すべき先人、康徒の嫡男にあたる。その血筋と言い、自身の武威と言い、強い存在感を発揮する名将である。


 ……で、あるが故に、目の上のタンコブでもあった。


 時に偉大な父さえ凌ぐとされるその武略、亡父より譲り受けた精鋭家臣団は、風祭府にはなくてはならぬもの。


「親永殿、そろそろ総攻めにかかるべきかと」


 その自負もあるだろう。

 普段は無口なこの男は、戦の方針に対しては饒舌であった。

 確かにそれに見合った実力はある。


 ――だが、叔父上とは異なり、この男には戦だけしか見えていない。

 それがあくまで政の手段の一つであるという認識に欠けている。


「まぁ、待たれよ」

 猛牛を宥めるような手つきで従兄弟に制止をかけると、机上の文書を指で示した。


「確かに我らが一丸となって攻めかかれば、城は落とせよう。だが、目先の一城に固執して大局を見誤られるな。今この有利な情勢下で、近隣の国人衆を揺さぶり、こちらに引き込まなければならぬ」

「奴らとの起請文など、いくら重ねたところで、こちらが不利と見なせば再び背こう。禍根は根より絶たねばならぬと存ずる。悠長に勝勢を誇っている余裕があるのであれば、実氏の増援が到着する前にとっとと城を落として、地固めすべきであろう」

「……さて、それよ」


 いちいち癇に障る言い方をする、という心中の忌々しさを押し隠す。

 大将としての構えを崩さないよう心がける。


「本来であるならば実氏はとう動いてしかるべきだが、未だ動かぬ。武徒殿はどう見られる?」

「桜尾公か、実氏本人が病との風聞あり」

「まこと、その風聞を信じておられるわけはあるまい」


 従兄弟は答えず、ただつまらなさげに鼻を鳴らしただけだった。

 ムッとしつつも、親永はさらに言葉を続けた。


「おそらくは見捨てる算段でもしておるのだろう。義種の順門府侵攻は、無謀の極み。その失策を警戒せねばならぬ故、うかつに動けぬのだ」

「だが番場城には既に羽黒圭輔が入っている。あの男を無為に見殺しにする実氏でもないし、素直に犬死にする圭輔でもない。いずれかが何らかの策を講じていることだろう」

「そのようなことは分かっておる。ゆえに、軽挙は慎まねばならぬ。ゆえに周辺の動きや反応を伺い、奴らの狙いを探り出さねばならぬのだよ」

「総大将はあなただ。これ以上は申すまいが……で、その首尾は如何?」


 ――この男に、政務外交を説いてもしかたあるまい。

 にも関わらず、本能的とも言うべき鋭い嗅覚でか。こちらの痛いところを突いてくる。


「かんばしくはない。各所に鼻薬を効かせてはいるのだが……」

 そう言って嘆息する親永に。

「……なるほど、人とは難儀なものだな」

「難儀とは?」

「嗅いだ薬の中身は同じでも、銘が違えばたちまちに効力を失うとは」


 ――つまり声望で劣る私が、叔父上のマネをしても無駄と言いたいのか。

 舌打ちをこらえて睨む親永に対し、無表情のまま武徒は肩をそびやかした。


「他意などない。それはそうと、鉄砲での威嚇は続行させていただく。よろしいな?」

「……威嚇のみに留められよ」

「承知」


 挨拶もなく、くるりと武徒は踵を返し、己の部署へと戻っていく。

 そのたくましい背が消えるまで目が離せない己が、憎くてならない。

 怒りに任せた拳は文書の上に振り下ろされて、周囲の者を瞠目させた。


~~~


 断続的に続く東側からの射撃音に、

「おう、おう、おう」

 と、声を張りながらその城主は武者走りを駆けていた。

 他者が聞けば気の抜けるような調子であったのかもしれないが、この番場城主、番場伴満(ともみつ)にとっては真剣そのものの疾走であった。


 ――何故、自分がいちいち走り回らなければならないのか?

 それに対する苛立ちもあった。


 何しろ、奥の間には、まるで自分こそがこの城の主だと言わんばかりに、あの金銀妖眼の若造が居座っているのだから、面白いはずもない。


 一度その間の手前で呼吸と感情を整える。

 つとめて冷静に、しかし急事を報せるだけの緊張感を伴って。


「御免」


 と、開けた先には、新畳いっぱいに敷き詰められた無数の文と、その中央に鎮座する、枯れ草色の頭髪が見えた。

 この戦時、いつ髭を剃っているのやら。平素変わらぬ好青年の風体で、異色の男は己が居城で政務を仕切るが如く、書類を読んでは整理していく。


 蟻一匹出る隙さえないこの包囲下で、いったいこの男はどれだけの文書と情報を仕入れているのか? それをこの男、羽黒圭輔に尋ねるのさえ恐ろしかった。


「一大事ですぞ。また、風祭武徒めが仕掛けてまいりました」

「親永は?」

「未だ本陣に居る模様」

「ならば威嚇でしょう。心配など無用。……そうか。やはり親永は連動しないか」

「しかしっ」

「それと、城主たる御仁がうろちょろと動かないでいただきたい。文が飛び散りますし、何より見苦しい」


 一瞥もくれずに文書に視線を注いだまま、桃李府公子は言った。

 一見して無防備ともとれるその背を、その肉を、


 ――斬るか


 と。


 ――斬って、風祭府に寝返る手土産にでもするか。


 ……そう、思わない伴満ではない。

 そも、この要所を守る城主が風祭家や桜尾家に背いたことは、今回に限ったことではなかった。


 ある時は風祭として、ある時は桜尾として。

 裏切り、自らに利なしと見なせばまた表返った。

 番場城は山原に面した王争期以来の堅城である。

 その地の利を売り込み、大国の間でそうして延命し続けてきた。


 風見鶏と、人は揶揄する。

 だが、それが桜尾の武名と風祭の威名、親永と武徒、圭輔と実氏に対抗しうる術であった。

 非難する者は、いっそ立場を取り替えても同じことが言えるのか、試してみたいほどである。


 だが、老獪な伴満は、幾度となく智勇をぶつけ合ったが故に知っている。

 この男がこちらを信頼していないことも。それを承知で自らの警戒心の緩みを見せかけていることも。

 ――やれ、やれ。この男を城に招けば何かと都合が良いかと思ったが、かえって行動が制限されてしもうた。


 このうえは、桜尾家に属して戦うしかあるまい。

 ――少なくとも、この戦は、な。


 ことさら慌てて見せて、

「それどころではありませんぞ! 敵は意気軒昂。仮にこれが威嚇だとしても、万が一武徒が本腰を入れる気になれば、落城のおそれさえあります! 是非とも圭輔殿には陣頭に立っていただき、武徒に当たっていただきたい!」

「……現状は貴殿のみで対処できるはずですが?」

「……やはり康徒殿の遺児遺臣を見ると、圭輔殿とて恐怖が蘇り、足でも竦みますかな? 実氏殿なくしては、康徒殿の亡霊と戦うこともできませぬか?」

 等と煽る。




 一瞬後。

 番場伴満は己の軽口に対する後悔を、総身で味わうこととなった。




 羽黒圭輔は、そこでようやく、伴満へと振り返った。

 その棗の色をした瞳に、怒りが宿っていればそこに付け入る隙があった。

 笑いで韜晦すれば、頼むに足らずと侮ることもできた。


 だが、羽黒圭輔の横顔からは、ありとあらゆる感情が排斥されていた。

 まるで店先、己が用いぬ品物でも見るが如く、振り返りはしたものの、この城に対する主への敬意も、憎悪もない。


 ただ、無情さが在った。


 理屈ではない。

 どれほど挑発しても、虚勢を張ろうと向後一切、この男に並び立つことなどできない。重用もされない。

 一城の主として、今まで両陣営において、繊細に、かつ丁重に扱われる側に立っていたはずだった。そんな東方の雄にとってこの冷視は、未知の感覚だった。

 それが、全身から冷汗を吹き出させた。


「そうですね……」

 貴公子は膝を立て、ゆっくりと立ち上がる。その衣擦れの音にさえ、敏感になった伴満の肌膚はビク、と反応してしまう。


 かしこまって、失言に頭を下げる。

 そんな老将に、圭輔は一転して美笑を称えて言い添えた。


「確かに頃合いでしょうか?」

「では……っ?」

「えぇ。緒戦で捕らえた捕虜を、曲輪に引き立ててください」


~~~


 縄と木片で縛り付けられた数名の男達は、皆いずれも前線にて見たことのある顔ぶればかりだった。

 だが中には意気が折れて、縋るような目をする者もいた。対照的に、未だ反抗の気骨を見せる者もいた。

 十人十色の反応に対し、圭輔はぞっとするほど感情のない目で、一緒くたに見返しただけだった。


 そして番場伴満は、わざわざこのような場に彼らを引っ立てた理由が、未だに掴めずにいる。

 また、その周囲の羽黒、番場両陣営の家臣たちもまた、


 ――今まさに鉄砲を撃ちかけられているのに……

 ――なぜこの緊急時に、捕虜の引見など、


 と、戸惑いの言葉を耳語し合っていた。


 だが、

「……呪われろっ! 羽黒めっ! 裏切り者の番場め!」

 という一人の捕虜の喝が、その当惑から彼らを解放し、視線を集めた。

「天朝の意向を無視する桜尾めっ! 天に唾吐く逆賊めっ! たとえこの風祭親永が臣、篤泰! 死しても鬼となって貴様らを呪い殺してくれんッ!」


 そう豪語する左端の虜囚に、圭輔は歩を進めた。

 今なお、敵愾心を剥き出しにする彼に、その弁の是非にも触れず、圭輔はただ一言、


「貴方は、風祭親永の家中の者ですか?」


 そう、問うた。

 予想外の質問に、篤泰と名乗った男は一瞬唖然とし、息の仕方を忘れたようだった。

 伴満も、妙な質問だと思う。

 緒戦とて、交戦らしい交戦はなく、むしろ風祭武徒勢とは一戦たりとも交えた記憶はない。

 すなわちここにいる捕虜たちは皆、風祭親永家中の者たちばかりであるはず。

 それを、わざわざ確認するまでもないはずだった。


 だが、その程度の意外さで、消える篤泰の気炎でもない。すぐに怒りを再燃させて、


「だったらなん」


 斬った。

 羽黒圭輔は、言い終えるよりも先に、抜いた刀で彼の生命を断った。

 胴から離れた首は、隣の捕虜の足下に転がり、死者の代わりに軽く悲鳴があがった。


 戦慄したのは彼らだけではなく、味方もだった。

 歴戦の伴満とて、刀を抜く瞬間が見えなかった。反りの浅い刃が、鞭のようにしなったようにしか見えなかった。

 片手で抜き放たれたそれが、イノシシの如きその太首を両断するまで、我に返ることさえ許さなかった。


 肌に粟が立つ。


 倒れ伏しながらも痙攣と止まらぬ骸を乗り越え、圭輔は右へと足を進めた。

「……っ、羽黒様!」

 目の前で足を止められた四十ばかりの武者が、震えた声で、自らの生殺与奪を握る者の名を呼ぶ。


「せ、拙者は今更命を惜しむこともありませんが、一人の母を持っています。歳は七十余り……明日の身の知れない拙者以外に養う兄弟もいなければ、今ここで討たれてしまえば、老母は明日より飢え死にしてしまいまする! もし、拙者を解放していただけるのならば、今後は心を入れ替え羽黒様にお仕えする所存でございます!」


 申し状はともかく、明らかな命乞いであった。

 ある者の同情を、またある者の軽蔑を買ったこの男に対し、羽黒圭輔はそのどちらも与えなかった。

 微笑し、見下ろし、


「貴方は、風祭武徒殿のご家中ですか?」


 と、尋ねる。

 意図を掴みかねているふうではあったが、

「正直に答えなさい」

 と圭輔に促される。

 彼の言うとおりにした方が良いと判断したのだろう。

 媚びるような薄笑いを顔いっぱいに張り付かせて、


「いえ……拙者は風祭親永めの」


 その媚態ごと、彼の首と胴とは分断された。

 野菜でも切るようにして、情なく、圭輔は彼を処断した。

 そしてそれゆえに苦痛もなかったろうが、ここにいたって残された三名ばかりの捕虜たちは、これから来たりうる運命と、生き残るための明確な解答を悟った。


 圭輔は、さらに右へと身を移動させた。

 全身を震えさせる男に、真の東方の雄は、美しい笑みで尋ねた。




「貴方は、風祭武徒殿のご家中ですか?」




 その笑みは、番場の城主に向けたものと同じ。

 ただただ美しいが、相手に何の感慨も与えない。そんなもの与えようもないと言わんばかりの冷厳な笑顔。


 ゆえにこそ無心の聖人のそれに、近いものであった。

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