第四話「環と始の決着」(2)
目が異常に釣り上がり、口を大きく開け、まるで発狂しているようで、大筒の砲声に驚く城主が如し。
その時の色市始の顔を、そっと環は評した。
――まぁ、そうなるだろうな。
という予測はあった。
陰謀に明け暮れ表向きの仕事をおろそかにしていた男が、陽の下で働いてきた者たちに顔を覚えられているはずがあるまい。
それがにわかに現れ長広舌を振るったところで、信じる信じぬ以前にまず、呆気にとられる者が大半だろう。
だからこそ、自分も友人の怠惰を咎めず、好きなだけ自室に引きこもらせたわけだが。
――第一あの木札は俺の真似事か?
だとするならば、始は何も分かっていない。
確かに大渡瀬では人の注目を引き寄せるために、環と鈴鹿と舞鶴は大きな紙を用意した。
……『絵』の描かれた、大きな紙をだ。
学問を全ての民が修めているはずがない。
全ての人間が字を、まして細々とした文章の羅列を読めるはずがない。
確かに彼の弁と文字とは、完成された美しさを持っていたのかもしれない。
――それでも、美しさが分かる人などまれなこと。美や感性というものは人それぞれ、全員に理解されるということはない。
だから万人に分かりやすいように、ウケが良いように、自分は絵という手段を用いたのに。
もはや語は尽き、孤立する色市はもはや一本の棒のようになっていた。
共感はない。批判も、嘲笑さえ向けられない。
――ここまで道化に成らなければ、実態が分からなかったのか? ……哀れなもんだな。
気味悪げに遠巻きに見ている人々の、そのまた外周。そこで環は、静かに一人、旧友を憐れんでいた。
未だ掘り起こされていないクチナシの幹にもたれかかる環を、彼より年若とおぼしき少年兵が見つけた。
次の瞬間、彼は、笑みを弾けさせ、自らの雇い主に指を突きつけた。
「環様じゃっ!」
対する環はその無礼にやや苦み走った笑みを浮かべ、
「ん」
と、右手を挙げただけだった。
だが振り向いた人々の反応は、その百倍は激しかった。
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色市始は、唖然として、流れの逆転を見守っていた。
停滞した空気が、自分とは真逆の方へと向いていくのを、止める術を持たなかった。
「環様! 飯はまだですかい?」
「さっき食ったばっかだろ?」
「んじゃまた、飲み比べでも」
「だぁぁっ、こんな真っ昼間から飲むな! 仕事しろ仕事!」
――まただ。
「んじゃ、賭け事でも」
「また裸にされるのはごめんだ」
――また、こいつだ。
「あのぅ、こないだはありがとごぜーました……おかげで腹の調子もスッカリ良くなって」
「そりゃ良かった。いやウチの家臣が薬師の世話になっててな。そんでちょっと習ったんだよ」
「いやぁ、良かったです! 何しろ環様は何やらせても不器用ですから」
「そうそう、逆に殺されねぇもんかと」
「ちったぁ信じろや!」
「はははははっ!」
――また、環だ。
大渡瀬でもそうだった。
自分が千の言葉を紡いでも、万の辞を連ねても、そこにヒョイと現れた鐘山環の一挙一動が、それをたちまち超越し、ひっくり返してしまう。
――そうだ。あの時から既に俺は……
歯噛みし、手すりに拳を叩きつけ、
「環ィィィィィッ!」
ただ、自分の主を気取る男に向け、吠える。
色市始の声音により、再び静寂が下りてきた。
雑談は止まり、しわぶき一つ聞こえなくなる。
今まで作業も続けていた者も、何事かと、彼ら二人の対峙を振り返った。
環は眉一つ動かさず、無邪気な表情のままで、歩いてくる。
その足音だけが、やたらと大きく、重く聞こえた。
まるで、何かとてつもない荷でも、担いでいるように。
自分にだけ、そう聞こえるのだろうか?
やがて、流天組が駆けつけてきた。
幡豆由基、地田豊房とほか数人は、色市始を庇うような立ち位置に、
良吉だけは、環を守護するように回り込む。そして始には、響庭村忠の幻影を、環が背に負っているように見えた。
かつてはぐれ者として市井を遊び歩いた同士が、今は殺気をぶつけ合っている。
亥改大州は外野からニヤニヤと、凶相をいやらしい笑みで歪ませ、自らの組員を取り巻きに、観戦の構え。
二人の争いに裁定を下すかのごとく、中立の位置で羽黒圭馬、相沢親子が緊迫した様子を見守っていた。
明らかに陣営内が、三者三様に分かたれていた。それこそが、自分たちが求め、かつ環の恐れていた構図ではなかったのか?
にも関わらず環は、常と変わらぬ、友人に対する気軽さで、
「なんだよ?」
そう、尋ねた。
「……っ! どこかでほくそ笑みながら聞いてたんだろ!? だったら、今言ったことに答えやがれっ!」
「今言ったこと、とは? 長いうえに回りくどいから、途中で飽きた」
周囲から、どっと笑い声が拡散する。
――そうやってまた俺をバカに!
カッと腹底を熱させつつ、認めるしかない。
この爆笑こそが、そして環の批判こそが、自分の弁に対する、辛辣ながらも的を射た批判であったのだ、と。
「じゃあ簡単に言ってやるよ! 今から問う三つがウソだと認めろ!」
「聞こう」
「一つ、桜尾家は俺たちを見殺しにする気だ! なのにお前は援軍が来ると言い続けて、俺たちに無駄働きをさせている! 一つ、だが桜尾の目論見はとうに外れて、本隊は銀夜殿によりとうに大敗している! そこな相沢殿は、その敗残兵に過ぎない! にも関わらず、お前は彼らを増援だと皆に紹介し、欺いている! そして最後! この戦に勝ち目などないッ! だがお前は、この戦が勝ち戦であるかのように楽観して振る舞い、あえて我らを死地に留めおこうとしている!」
外野から笑いが消えた。
途端、ざわめきに変わり、不安げな声や視線が、環に集まった。
皮肉にも、当の本人がこの場に参加したことにより、事態は真剣味を増して、人々へと浸透したのだった。
もはや、計画も、順門府への帰参も、己の生命さえどうでも良かった。
この環に、衆人環視の中、自分がかいた以上の大恥をかかせてやりたかった。
――いや……違う! 違うのだ、色市始よ!
本音では、ずっとこの男の器量を認めていたのではなかったのか。
自分たちの後ろをずっとくっついて、ヘラヘラ笑っていた少年。
その男が、ヘラヘラとしたままに、変わらないままにいつの間にか、自分を追い抜いていた。
それが、悔しくてならなかった。
それから、ずっと目をそらしていたのではなかったのか。
一人の男として、一才でもって、この男を超え返してやりたかった。
それさえかなわないのであれば、一矢を報いてやりたかった。
――その機会を、この答を得るための場を……環は与えてくれたのではないのか?
色市始の視界には、もはやただ一人、鐘山環しか映っていない。
環もまた、始の健闘を褒め称えるが如く、優しく目を細めてじっと見上げていた。
――思えば、俺は、こうして面と向かって見ていたのは、この環ぐらいなものだった。
「一つだけだ」
――もはや、悔いも……
思考の最中割り込んだ環の、返答。
へ? と間の抜けた調子で聞き返す始に、
「その中でウソは一つだけだ。始」
環はより明確な答えを供した。
「確かに、桃李府公子の義種殿は俺たちを犠牲にしようとした。相沢殿はその配下として従軍していた。そして俺はそれを知りつつ彼らを庇うようなウソをついた」
ヘタをすれば、己を囲む人々に袋だたきに遭うような立ち位置にも関わらず、環は平然と騙していたという事実を認めた。
それも、顔色一つ変えることなく。
「そうしないと、満身創痍の客人に危害が及ぶと考えたからだ。相沢殿は、そうした己の身の上を覚悟して、我々を頼ってこられた。俺は桃李府への恩返しで彼らを守る義務があるし、彼らの率いた三千が、現状、作事等で大いに役に立っているのは事実でな。……ずっと引きこもってたお前には、見えていなかったろうがな」
「ぐっ!」
まだだ。
せめて一矢、せめて一勝。
それを求めて、始は「だったらっ」と、話題を転じ、次なる瑕瑾を突く。
「主力は壊滅、戦略もとうに破綻! それでも勝てるはずがない!」
「……」
「勝てるというのなら、確たる論拠を見せるが良いッ」
対する環は、そこで初めて押し黙った。
不安がる皆をよそに、腕組みし、じっと瞑目する。
だが、怖じた様子も、戸惑う風も見せない。
思案しているようにも見えなかった。
むしろ、何か……確実に来る「何か」をじっと待っているような。小石が転がる程度のわずかな異音も聞き逃さない。そんな決意の滲む、強さを秘めた沈黙だった。
思わず己も倣ってそうしてしまうかのような、奇妙な魅力に包まれている。
「桜尾義種は見捨てたが、桜尾家は、桃李府は俺たちを見捨ててはいない。それが、根拠だ」
二つの瞼が、うっすらと開く。再び蒼天色をした両目の輝きが露わになる。
刹那、その場に居並んだ兵たちが、変化を露わにした。
まず、羽黒圭馬が、戦場の全てを見渡すと称された戦巧者が、東に目を向けた。
次いで、幡豆由基が、亥改大州と良吉が、相沢らが。
それぞれに目をいっぱいに見開き、途端、笑顔になった圭馬と同じ東を視線を注ぐ。
「しょ、正体不明の大軍が東よりこの緑岳に来襲!」
鉦と共に見張り番の大音声が、一帯に響き渡る。
だが、環や圭馬、亥改大州は動じなかった。
むしろ口の両端を吊り上げて、嬉しがっているようにも見えた。
「開けてやれ」
と環は命じる。防戦の命が下されると思われた将兵に、ありありと動揺が見て取れた。
背後に回り退路を断った、敵の別働隊ではないのか? と彼らの視線は告げていた。
「始。ちょうど良く高いところにいるから、よく見えるだろう? たまには口だけじゃなく目も動かせ。……先頭を行く家紋は、一体誰のものだ?」
そう示唆されて、始はおそるおそる、他者と同じく東へと目を向けた。
なびくは紺地に白い角餅二つの紋。
一見して地味なその意匠が、多くの者の心に、少なからざる衝撃を与えた。
とりわけ色市と、その協力者が混乱した。
「……ば、ばかなっ!」
思わず手すりより腕を滑らせ、立て掛けていた木札に当たった。
均衡を失ったそれが、自失状態の始目がけて倒れかかり、押しつぶす。
そんな彼に代わり報告したのは、その先頭の将を良く知る、羽黒圭馬だった。
「あれは、紛れもなく器所実氏様の御紋。……予備兵力の八千、無事到着したようですな」
その一旒の軍旗は、潰された色市始に決定的な敗北感を刻みつけた。
己らが、超越者たちの掌上で踊っていた猿に過ぎないことを悟らせたのだった。




