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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第五章:問答 ~干原の謀攻と番場城の攻防~
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第一話「色市始の答」

 半手、という村がある。

 二国の国境間にて中立の立場を表明している村落の形式だ。

 それぞれの国へ分割して納めることで、彼らはそうした立場を許されている。


 土地の武士や豪族にしても、背信行為と見なして攻めたところで、敵国の介入と合戦を招き、彼らからの収入が得られないだろう。と言うわけで、黙認されるか、あるいは両国協議のうえで公認するかのどちらかが常である。


 桃李府軍、侵攻。

 その報を事前に察知していたのは確かに順門府だったが、実際最初にその大軍を目にしたのは、そうした村々だった。


 だが……

 西南の平野、干原(かんばら)

 そこにある村落は、彼ら半手の者らよりもその噂に接するよりも早かった。

 彼らよりも早く、接近してくるその軍勢の一部を発見した。


 馬印が東からの順風を受けてなびく。

 浅黄の下地に、黒糸で円を描中心に、高々としぶきをあげる波と龍とが縫い込まれている。


 その旗の下にある兵は、総勢五百。

 大将は、赤帽子に朱羽織、黒髪に空色の目を持つ青年だった。


 別働隊を率いるその大将が、かつての領主の子息であることは、じきに明らかになった。


~~~


 件の牧島(まきしま)村では、騒然となっていた。

 それもそのはず、五百人規模とは言え、大軍である。

 殺戮を生業とする他国人の集団が、その意図も分からぬままに接近しようとしているのである。


 仮に害意がなかったとして、戦に巻き込まれれば被害は出る。両軍の兵が掠奪に奔ることだってある。


 南海沿いにあるこの村は潮風や塩の影響を受けやすく、規模と村人の多さに比して作物の育たない、貧しい村でもあった。


 ――こんな村に、何故わざわざ向かってくるんじゃ!?


 もっとも、彼らがまず危惧したのは、財産よりも彼ら自身の生命だ。


 ある者は山へと逃散し、ある者は秘蔵の刀槍を引っ張り出した。


 村内でも比較的裕福な者は、禁制を求めた。

 これは、権力のある階級の武士が持ち主に対して配下が掠奪等の蛮行を禁じる旨を示す保証書のようなものである。基本的には、立て札や書状のような形式をとる。

 とは言え、無料でそれを配るのではなく、相応の礼金が必要となるのが常であった。

 また、その敵の暴力まで禁じるものではない。


 しかし鐘山、桜尾両軍の禁制を買い入れる余裕などは流石になく、領民たちは選ばなければならなかった。


 すなわち、確実にその契約を履行してくれる側の禁制を。

 すなわち、桃李府、鐘山環の連合軍か。それとも順門府軍か。

 この戦いの勝者が、いずれなのかを読んで。


~~~


 ……その、はずであった。


「はい、次は西の辻だ。それが終わったら寺の裏手」


 赤帽子朱羽織の大将は、そう言ってテキパキと指示を出していく。

 彼の指先が動く度に、その意を受けた配下の武者たちが禁制の木札を背負って村々を回り、打ち立てていく。


 抵抗しようにも兵力では遠く及ばぬ。

 直接的な危害は加えられていないから、呆気にとられて見守るしかない。


 ――もしや、禁制の押し売りでもしようというのではないじゃろうな?


 老いた村番頭、庄七は金窪眼に疑惑の光を宿らせた。

 平伏する皆に代わり、従軍した経験も豊富なこの老人が、進み出た。

「あのう、環さま。これはいったい……?」


 振り返った青年は、明るい瞳をしている。

 色が特殊、というのが理由ではあるまい。

 ともすれば童にさえ見えるほどに、美しく、純度の高い瞳を持っていた。


 ――父御より、亡き宗円公に似ておる……


 と、遠目ながら両君を見た庄七は、そういった感想を抱いた。


「あの寺は」

 と、青年大将は指を小高い山に向けた。

 まるでそれに吸い寄せられたかのように、老人の視線も移動した。


「俺の軍師、舞鶴ゆかりの地だそうだが?」

「はい。御前様よりは多額の寄進をいただいたことがございます」

「あの女の好意をわざわざ俺が踏みにじることもないだろうと思ってな。……寺とその一帯は、略奪しないことを約束する。禁制はタダにしとく。俺の分浮いた金で、叔父や銀夜の禁制を買い求めるのも良いだろう」

「……環さまのご慈悲、感謝の言葉もありませぬ」

 そう言って、庄七はおだててみせるも、環は奇妙な形の帽子を目深にかぶり直し、居心地悪そうに苦笑を漏らすだけだった。


「遠慮はいらない。何か言いたいことがあるなら、問うてみるがいい」

「さらば」と、その言葉に甘え、さらに進み出る。


「言葉のみで村内に屯営を設けられては、皆が不安がりまする。お留まりになるのであれば、願わくば、村の外にて野営していただきたく」


 瞬間、環の近臣たちがざわめいた。


「なっ、無礼な……っ」

「我らがせっかく禁制を貸し出してやったというに、それを信用せぬのか!?」


 だが、そうした不平不満を止めたのが、環の脇に控えたなすび色の出で立ちの若武者の咳払いだった。

 手にした槍の石突きで、ドンで強く地を叩くと、シンと場が静まりかえる。


「胆の太いとっつぁんだな。嫌いじゃない」

「恐れ入りまする」


 環にはせっかく褒めてもらったが、緊迫感に満ちた一触即発の空気の中、庄七とて胃の腑が縮む思いだった。

 だがこの若者には、そう言っても良いのだという奇妙な信頼感があったのは確かだ。

 父や祖父のような、千里を隔てて圧倒する威はなくとも、千里先の相手をふらふらと引き寄せる、蜜のような心地良さがある。


「良いだろう。と言うより、元よりそのつもりだ。俺たちは、あの場所に布陣する」


 と、鐘山環が指さした先、村からさらに西南に、位置する小高い岳が控えていた。

 一年中、クチナシの樹が緑を絶やさぬゆえ、その名を

 緑岳(みどりたけ)

 と言った。


~~~


「環め……っ! 義種どころか村役ごときに踊らされやがって……!」


 草木を分け入り、重荷を背負って、小山を丘陵をのぼる。

 その労苦に喘ぎ喘ぎ、色市始ははばかることなく悪態をついた。


 ――だがまぁ良い。そうして好き放題指示できるのも今のうちだ。


 と、山上を目指す主君を目で追い、そして嗤う。

 振り返り、汗一つかかずに登山する少女を見て、強く頷いた。


 ――そうとも。ここまでは面白いぐらい、おれたちの計画通りに進んでいる……


 その始に、


「おい」


 と、乱暴に少女……幡豆由基が呼ばわった。


「後がつかえてる」

「あ、あぁスマン!」


 それにしても、環もわざわざこのような不便な場所を選ばなくても良いものを。

 やはり将兵の心も汲めない、戦を知らぬ奴。

 露骨なため息の中に隠したその言葉を見抜くが如く、由基はジロリ、険しい眼差しを向けた。


「……味方が入りにくい場所は、敵も攻め入りにくい」

「は」

「寡兵で戦わなきゃならない俺たちにとって、絶好の場所というか。これしか術がないだろ。この場所が間違いだったら、羽黒圭馬が止めてンだろ」

「……あいつか」


 確かに、羽黒圭馬の存在は考えれば厄介なものである。

 いったいどういう経緯で身分を偽って参陣したのかは知らないが、戦巧者であるという評判と、それに裏付けされた実力は、己らもよく知るところだ。


 ――だが、村忠の策ごときに引っかかる単純なヤツ。それに環には謀られた恨みこそあれ、そこまで尽くす恩義もないはずだ。簡単に籠絡できるだろう?


 と、目で眼下の協力者に目で訴える。

 幡豆由基は、忌々しげに始から目を逸らした。


「……どうした? 頭目?」

「なぜ環は、禁制を無償で与えた?」

「あぁ、そんなの簡単さ」


 と、確かな自信と共に、弁舌家は自論を展開した。


「ヤツは、ああやって村人を抱き込もうと画策した。ところがあいつの目論見は外れたばかりか逆に不信を買い入村さえ拒まれた。そんなところだろ?」

「じゃあ、どうしてあいつは全滅を承知で、義種のクソ戦略にのっとって行動する?」

「何も考えてないんだよ」


 何を今さら、そんなことを聞くのか。

 そもそもこれは、このまま環を担いでいても自分たちの将来が知れていると、環を見限っての画策ではなかったのか?


 環が暗君でないはずが、ないではないか。


 由基はため息をついた。

「先に行くぞ」

 己の荷と、弓矢を担いで色市の脇をすり抜けていった。

 彼女は足を止める始を尻目に、高さに関わらず困難な坂道を、彼女は文句も言わずに環を睨み、ついていく。



「……そんなんだから、お前は……」

 嘆きとも呆れともつかない巫女の呟きは、色市始の耳には聞こえることはなかった。

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