第四話「黎明への糸口」(2)
「公子殿、暇そうでうらやましい限りです」
「……何故、どいつもこいつも俺が暇そうに見えるのか……」
荒れ寺の山門で再会した羽黒圭輔は、開口一番、自分の臣下とまったく同じ印象を口にした。
両者とも慇懃無礼という点では似通っているが、この圭輔には村忠にはある愛嬌もかわいげもない。
「違うのですか?」
「違いますよっ! ってか、むしろ多忙を極めてますよっ! 与力衆への挨拶回りとかっ、新たに雇い入れる将兵の面談とかっ!」
それは、見栄ではなく事実であった。
自らの増援として割り当てられた近隣の土豪に、自ら足を運ばせるのはもちろんのこと。
浪人衆、環らとは別の順門からの亡命集団、祖父の盟友であった赤池氏の旧臣など、環の名声、大州のツテ、家そのものの縁故を頼って。
戦の予感を感じ取ってか、募るよりも前に、環の下には多くの者が陣借り、仕官を望んでやってきた。
亡命公子に将来性を見出し接近してくる者など、よほど無計画な愚か者か、環の人格を正当に評価してのことか、あるいは環本人にも知り得ぬ打算の持ち主か。
それら玉石混交の無頼者を、環は自身の眼で見極めなければならない。
集団行動によほど問題がない以上は量がほしいからそのまま受け入れるつもりだ。
だがこの戦が終わった後、なお与するに足る質を持っているか。それを測るためにも、環は観察しなければならない。
そんな多忙な中、呼び出したのは他ならぬ圭輔だ。
そこにケチをつけられたのだから、面白くないわけがない。
「で、今日は暇人を呼んでいかなご用で?」
内心はさておき、いやさておき切れずに皮肉を込めて、環は圭輔に問うた。
「今日蓮花を出て岩群へ戻ります。別れの挨拶をしたかっただけです」
環はこの時点では特別驚かない。
圭輔の旅装姿を見ればそれは一目で分かることだった。
問題は、自身の居城へ帰る理由である。
「東の国境がまた騒がしくなりましてね。遠からず風祭家が動き出します」
「それは、つまり」
「こちらの出陣を見越して順門府が裏で手を回したのでしょう。貴方の読み通りに」
貴方の、をことさら強調して圭輔は言った。
苦笑する環に、階段を下りた圭輔が振り返った。色違いの瞳と、玉の如き肌の輝きが、環を射抜く。
「その顔」
「は?」
「先日の答えは、見つかったようですね」
環は、頬をつるりと撫ぜた。
「見つけたかどうかは分かりませんが、覚悟はできました」
「覚悟、とは」
「……あんたと天下を賭けて張り合うだけの、覚悟」
ジワジワと、例の笑みが圭輔に宿る。
環も同様の笑みを浮かべるが、それは自然に出たものではなく、半ば意地のようなものだった。
「まぁ、及第点ですね」
と言って、圭輔は歩を進めた。
「ところで、近ごろ羽黒にも陣借りを求めて来た者がいましてね」
「? は、はぁ」
「とは言え、僕はすぐ出立する身。とても召し抱える余裕はない。この裏辻で待たせていますので、そちらで預かってはいただけませんか? 兵は、必要でしょう?」
「……その御仁の名は」
「皆鳥なすび斎」
――なすびって。
聞いたことのない名だ。
聞けば絶対忘れそうにない名だ。
本心の読めぬ男から、素性定かならぬ男を素直に預けられる謂れはない。
探るような目つきで睨む環に、
「実力と素性は保証しますよ」
圭輔はしれっと言った。
「待った」
と環は声をかけたが、羽黒圭輔は足を止めなかった。
だが、
「そう言えば、逆にあんたからは聞いてなかった。あんたの望みこそなんなんだ?」
……という問いが、階段を下り切った圭輔の足を止めた。
「どういう国を作る? 天下に何を求めている。人に聞くぐらいだ。自分なりの形をちゃんと持ってるんだろ?」
ややあって、異色の茶目のみが細められ、階上の環を見返した。
しばらく、緊張感のある時が流れた。
だがふしぎと、満たされているという実感があった。
「力の世」
静かな宣言は、その五字より始まった。
「才の有無、家紋の貴賎に関わらず、それぞれの者たちが己の力量を高めるべく精励し、求めるもの、守るもののために力を最善の方法で使い尽くす。それが僕の理想です。今は具体性と実力の伴わない虚ろな夢なれど、いずれは実現してみせる」
当てられた者の十人に九人は身をすくませるであろう強烈な意志を、異彩の男は放っている。
だが同時に、思わず身を抛つほどの言い知れぬ魔力を帯びてもいた。
人を破滅に導きながらも、抗しがたい求心力。
人はそれを英雄の気質とでも呼ぶのかもしれない。
かつて笹ヶ岳を焼いた上社信守や、往年の桜尾典種、祖父宗円、父宗流……彼らも、それを携え、天下に挑んだのだろうか?
環がそれを若干引いた笑みと共に受け流すことができるのは、その笑みの中に、彼の語る世の理に、強い反発心を感じていたからだ。
人はそこまで強くはない。
人は己の生にさえ勤勉にはなれない。
時に折れ、特に腰を下ろして蜜を求めるのもまた、人の性である。
環があえてそう否定しなかったのは、そう説破するだけの経験も実績もなかったからだ。
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はたして、圭輔に紹介された浪人とやらは、裏の山辻にて待機していた。
なすび斎と言ったか。
緑の鉢金より下、濃紫の武具で身を固めた姿は、なるほど遠目に見れば痩せ茄子にも見える。
だが環が近づき、その姿がはっきりと見えてくると、嫌が上でもその正体が知れた。
「……えーと……皆鳥なすび斎殿?」
「はい!」
「……あの、ぶっちゃけ羽黒圭馬殿じゃ」
「なすび斎です!」
「羽黒圭」
「なすび斎です!!」
「羽黒」
「なすび斎ですっ!」
「…………って言うか、その名前恥ずかしくないんですか?」
「圭輔様のつけたお名前ですから、ケチはつけられませぬ!」
「あ、やっぱイヤなんだ!」
丁々発止、気心の知れた若者同士のやりとり。
それを楽しんだ環となすび斎、もとい羽黒圭馬は、改めて向き直った。
「改めて、兄圭輔より命を受け、環公子を補佐させていただきます。この圭馬の武、微弱ながら存分にお使いください」
散々罵倒し、いじり倒し、変な偽名までつけた。だが圭輔にとっては頼れる腹心であり、羽黒家全体にとっては重鎮であり、その軍にとっては主力であろう。
「実力と素性は保証しますよ」
という、圭輔の去り際の言葉からも、普段は表に出ない、出せない圭馬への信頼を感じさせられた。
そんな隠れもなき士を、名を偽らせてまで他人の手に委ねるということはどういうことか。
今までの経緯から、そこには何らかの、意味がある。
「兄者の思惑は、凡人たる俺には分かりません。ですが、すでに『己の信じるままに動け』とのお言葉も頂戴しています。故に、俺は俺の信じた貴殿を信じます」
圭馬の言葉に、環も頷いた。
「なので、公子殿もどうか、他の何者を信じられずとも、俺だけはお信じくだされ。この愚直さだけは、貴殿も良くご承知のはず」
試し合戦では、それを利用したのだから。
確かにそんなことを言っても嫌味と感じさせないあたりが圭馬の美徳であり、信頼に足る所以だ。
そして彼の背後に、義兄の思慮を感じ取る。
一つは、この羽黒の支柱を借りずに風祭家と相対する備えができているということ。
それで処理できるほどに、規模の大きな挙兵ではないだろう、ということ。
そしてもう一つ。
環の陣営における、決定的な欠落の指摘。
信頼に足る腹心の不在。
そうして圭輔に見抜かれ、助言されるほどに、己はその敵手としては力不足なのだ。
――いや、単に自慢の義弟を見せびらかしたかったのかね?
「公子殿? 何かおかしいことでも?」
「あぁ。いや。やっぱりなすび斎殿とお呼びすれば良いですかね?」
「……せめて二人きりの時は避けていただきたい……」
環は低く笑って歩く。
意識は、真逆へ向かった羽黒圭輔へと向けられていた。
環は確かな足取りで西へと赴く。
圭輔は軍馬を駆って東へ馳せるだろう。
二人の進む場所は真逆だが、いずれ巡り巡って一つ同じ場所にたどり着くのは知っている。
それぞれの因縁を超えた後、その一点にてぶつかり合うであろうこともまた、環は知っていた。




