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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第四章:光陰 ~出陣前夜~
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第三話「無明の問答」(2)

微エロ描写アリ。

微バカ主人公アリ。

「環、遅いなぁ」


 部屋の広さを持て余しながら、少女は自らを拾った者を待っている。

 しばらく環と話をしていないと思い、忍び込んだのだが当の本人が留守中だった。


「お前は卑賤の出ながら武家の、しかも公子に仕えるのだから。作法はともかく、自分なりに礼節をわきまえなければならないぞ」


 などと、地田豊房あたりがくどくど言っているが、そもそもその豊房たち自体が環にそれほど敬意を払っていない気もするから、別に深く考えなくても良いのだろう。


 鈴鹿にはそう思えてならなかった。

いつもは旧友に弄られながら笑っているが、時折一人寂しそうに遠くを見つめていることがある。


 まして友だちと隔たりができて、環自身もなんだか忙しく駆け回るようになってからは、ふと気を抜いた瞬間には表情を曇らせるようになった。


 ――これじゃ環はダメになる。

 本能的に、そう思い立ったが吉日。

 警備の目を抜け、公子の寝所に潜り込んだのだった。

 もっとも、女子がそんなことをすれば『どんなこと』と捉えられるのか、彼女は理解していなかったが。


 環の話は彼女というよりは己に向けられた問いであることが多く、内容はわけが分からない。

 それでも、環の話を聞いてみたいというふしぎさがある。

 話す時の環の顔はいつも以上に真剣であり、辛そうでもあり、でも穏やかで優しげで、安心しているように見える。

 それは、傷口に膏薬を塗布するような面持ちにも見える。


 その複雑な表情につい惹き込まれて、鈴鹿は眠くなりそうな話をつい最後まで聞いてしまうのだった。


 いつの間にか夜の気配に当てられて眠っていたらしい。


 気がつけば布団に顔を埋めていた。

 起き上がって見てみれば、周囲の夜灯も消えて、完全な宵闇が訪れていた。


 環らと出会う前は、冬の野宿も珍しくなかった鈴鹿にしてみればそれは恵まれすぎた環境であった。


 だが、彼女の夜目が、暗黒の中に立つ男を見つけた。

ひょろりとした背丈からすれば、その黒い影は部屋の主のものであった」


「たまき?」


 何も声をかけてくれない。

 身じろぎせず直立する人影に、恐る恐る声をかけた。


 その小さな声に反応して、影が獣のように敏捷に動いた。


 少女の肩を押し、再び布団に後頭部を沈めさせる。

 結わえてもいない黒髪がばらりと散って、細い首に絡んだ。

 環の赤い帽子が、宙を舞い、一拍子遅れて落ちた。


 背にはいつの間にか環の手が差し入れられていて、腕の中に鈴鹿の肢体を閉じ込めるようにして、自身も布団に倒れこんでくる。


「んっ」


 成熟した男の身体に圧迫され、鈴鹿は僅かに声を漏らした。

 甘ちゃんだ坊ちゃんだと陰口を叩かれる割に、戦乱という名の荒野を駆け巡った肉体は十分に引き締まっている。


 胸元からは酒の匂いがする。

 鈴鹿の知らない酒の薫り。

 鈴鹿の知らない環の臭い。

 未知の感覚に鈴鹿の頭はくらくらした。


 少女からは顔は見えない。でも恐怖はない。

 環の肌が、その下を流れる血が熱い。

 高鳴る鼓動は環のものか、自分のものか。それすらわからないほどに絡み合う男女は一体となっていた。


 持て余した彼女の手は、自然、男に合わせてその背へと回った。

 緊張の強ばりを撫でて、ほぐすようにしていると、 腕にこもる力はかえって強まった。


 苦しい。

 だが、何故だかそれが、心地よい。


 何かに縋りたい。何かを頼りたい。

 そうした環の想いを、全身で受け止めているのを感じる。


 心がぽかぽかとしている。

 その周りを、ふわふわとしたものがくるんでいる。

 だがそのもっと奥には熱い刃のような感情が隠れていて今にでも突き破って姿を現してしまいそうだった。


 そしてその一瞬後、

 その時が、来た。


「た」


 彼の名を呼ぶ、まさにその時。


「だぁぁぁぁぁぁあああああああああ!」


 環の奇声が、彼女の心を遮った。

 正体定かでなかったその少年はいつもの鐘山環に戻った。戻ってしまった。


「どいつこいつも猫も杓子も! 勝手に期待して勝手に怒って勝手に尊敬して勝手に従って勝手に敵視して勝手に裏切って! 俺はただ流されてるだけなんだつーの! 高尚な志なんぞあるわけがないってーの! 天下に望みなんぞあるわけないっつーのぉ! あぁー、やめたいやめたいやめたいッ! 全部投げ出して逃げ出してしまいたいいッ!」


 溜まりかねた鬱憤を鈴鹿の耳元で一気に吐き出した後、環は深呼吸して息を整え、


「あー、スッキリした!」


 ……実に爽やかな笑顔と共に鈴鹿の身体から離れた瞬間、鈴鹿の心も冷たく固くなっていった。


「……」

「……なんだよ?」


 ジト、と軽く睨む鈴鹿が、やっと口にした言葉らしい言葉。

 それは、


「いや、環って……色々残念だよね」

「子どもの率直な意見は傷つくなぁ!」


 と、ありのままの呆れだった。

 起き上がった彼の許可は得ないままに、その膝に腰を落とす。

 環は拒みもせず、ボサボサとした少女の黒髪を指で梳く。


「なんか悪いな。子どもの体温てなんか落ち着くから、つい抱いちまった」

「……その言い方はビミョウだけど」

 後ろ手を頬に回し、空色の目に己を映し込む。

 優しいその目は人とは違うけれども、それでも鐘山環は鈴鹿にとっては、ごくフツウの、だからこそ、悪漢にまみれたこの世には珍しい、気の良いお兄ちゃんだった。


「あたい、環に触れられるのは好き、話はよく分からないけど、聞くのも好きよ」

「そっか」

 環は神妙に頷いた。

「だったら、もう少し愚痴言わせてくれ」

 と指の動きを止め、代わり、鈴鹿の頭頂を撫で始める。


「……道は、一本道だ。戻ることは許されない。味方にとっても、そして死んでいった敵にとっても、それは許されざる行為だ」

「逃げることも?」

 もちろん、という風に環は頷き、


「まっ、たまにこうして荷を下ろして労苦を嘆くぐらいは許してくれよな?」

 と、茶目っ気まじりに片目をつぶってみせる。


「ただ、そろそろ決めないとな。進む先じゃなく、どう進むのか。何が目的なのか? ……それが俺には、とんと分からない」


 困ったもんだ、と肩をすくめておどけて見せる環には、やはり笑みはない。

 顔の陰りには、いつもの孤独があった。

 何百人、何千人周囲にいようと、きっとその顔は変わらない。誰にも変えられないと思う。

 それが鈴鹿には、ふしぎでならなかった。


「? わかんなかったら、聞けば良いのに」


 ふと漏らした一言が、環の目の色を変えさせた。

 慰めるような彼の手つきが、ピタリと止まった。


「聞く? 誰に?」

「舞鶴とか、ユキとか」

「……ロクな連中がいないな……」

「それがダメだったら、もっと別のひと。それもダメだったら、もっと他のひと」

「その人もダメだったら?」

「じゃ、みんなで考えれば良いよ」

「……そうか、そういうのも……あるんだよな」


 環の身体に、わずかな揺れを感じる。

 怒ったのか、悲しんだのか。


 ――ううん、笑っている。


 それはやがて目に見えるほどに露わになって、彼は気安く少女の頭を撫で、もう片方の手が腹を抱えていた。


「そうだなぁっ! 答えが出なけりゃいっそ人に訊いちゃうか! なぁ!?」


 鈴鹿には、順門公子が何を煩っていたのか、何を考え、どうして大勝を得ることができたのか。

 終始流れを共にしていても、よく分からなかった。

 それでも、環の手が与えてくれる安らぎに幸福を感じ、何より彼が自分の答えに喜びを見出し、

「ありがとう、鈴鹿」

 と名を呼び、強く抱擁してくれたことが何より誇らしかった。



「急報だ、入るぞ!」



 ……だなんて、無粋者が断る間もなく入ってくるまでは。

 開きっぱなしだった襖から現れた地田豊房が目にしたのは、自らの御輿がいたいけな少女を手籠めにしているかのような、そんな光景だったに違いない。


 環の空色の目と、豊房の見開かれた瞳がかち合った。

 険しい彼の表情から、なにやら気まずいものを感じ取ったらしい。環も環でややぎこちなく手を挙げ、


「……どうも」

 と一言。


「…………破廉恥漢ッッッ!」


 いくつかの問答と間を省いて、流天組の副頭目の鉄拳が飛んだ。

「だぁぶっ!」

 かつての下っ端兼鐘山家の総大将は避ける暇もなく、横っ面にその拳骨をめり込ませた。 衝撃で突き放された鈴鹿は、彼の身体の感触が消えていくのを、ほんの少し惜しく思っていた。


 環がかわいそうだとは、それほど思えなかったけれど。


「こんな時にいたいけな娘をもてあそぶとは……恥を知れッ!」

「だからこんな時ってどんな時だ!? まずそれを言えって!」


 豊房の態度から、環もまた彼の急報が普通ではないことを察したようだ。

 でなければ、普段は品行方正なこの男が、ここまで荒ぶることもないだろう、と。


 豊房は環の両肩を押さえつける。

「いいか……心穏やかに聞けよ!」

「あんたこそ冷静になれって! いったい、何がどうしたよ?」

 環の指摘を受け、豊房は己の持ち前をやや取り戻す。

 それでも浅く肩を上下させながら、低い声を震わせて、伝える。



「……響庭村忠が、襲われた……」



「…………は?」

 環の瞳孔と口が、大きく開かれる。

「毒矢を射られ、下手をすれば明日をも知れぬ命ということだ。……最悪の事態だけは、覚悟しておけ……」


 ――また環の顔から、笑みが消えた。

 鈴鹿には二人のやりとりが良くわからない。

 状況が飲み込めないということもあった。彼女は二人ほどには、あの新参者とは馴染みが薄いということもあった。


 それでも、察することはできる。

 彼が荷を下ろしていた休息の時は終わる。

 そしてまた、背負い、歩き始めるということだった。

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