第二話「公子二人」
慣れた手つきで羽をむしり、皮を削ぎ、肉に切れ込みを入れていく。
分解された鳥の肉と、あと野菜が鍋に放り込まれていくのを、環は無言で、と言うよりかは呆気にとられて傍観していた。
台所に立つその料理人は、チラリと環の方を見やると、
「……毒をお疑いか、それとも斬りかかる機でも窺っているのですか」
と、答えた。
いやいや、と環は首を振る。
毒とか暗殺うんぬんよりも、人払いのされたこの寺内で、見るもの、ヒマを潰せるものと言えばその男、羽黒圭輔の手料理の手腕のみだった。
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そして出来上がった鍋を見て、環はしばし閉口した。
あからさまに毒が入っているとか、まずそうとかそういう話ではない。
事実、ここ最近はずっと貧食に甘んじてきた環にとってそれは、ご馳走以外の何物でもない。
味噌で仕立てた汁の中に、水菜、山菜、そして
「本日は良いキジが手に入りましたので手土産に」
といって圭輔が持参してきた鳥の肉がまんべんなく煮られている。
野性味あふれる男料理ながらも、それゆえに直接食欲を刺激した。
だが……中々容易には手がつけられない。
「……ここからすくって食べるんですか」
「同じ器ならば、毒を盛られる必要もないでしょう」
平然とそう言い放つ金銀妖眼の料理人は、二人分を均等に椀に盛った。
「っていうか、料理なんてできたんですね」
「……むしろ、生きていくうえで必要な術を持たぬ方がおかしいと思いますがね。常に身の回りの世話をしてくれる人間がいるわけではないでしょうに」
「…………あの、圭馬殿は」
「アレは今、留守中です。国元で水分けの訴え事が起こりましたので」
「り、立派な弟御をお持ちで」
「至らぬ点ばかりですよ。まぁそれ故に僕が羽黒家を継ぐことができたのですがね」
「………………」
会話が弾まないので、仕方なく箸を進めることにする。
「あ、これ美味いわ」
「下味に味醂なる新酒を使いました。近頃都にて話題になっておりましたので、取り寄せました。
――美味い。確かに美味い。
柔らかく煮込まれた鳥肉を噛みながら、しかし鼓動が鳴り止まない。
鍋を直接つつき合うという、武家にあるまじき不作法。
白い湯気をのぼらせて煮えたぎる汁。
無人ではあるが御仏の膝元でよりにもよって生臭を食わせる愚行。
……逆賊相手にわざわざ都の酒を取り寄せるということ。
――間違いない。この人……堪忍袋の緒が、ブチ切れてるッ!
この挑発的な饗応に、わずかにでも不快感を示せば、それが一触即発となりかねない。
桜尾家中もっとも恐ろしい男の、この不機嫌さから、逃げるように国元の裁きに向かった圭馬の様子がハッキリと見てとれるようだった。
この客人の入れ替わりこそが舞鶴が言うべきか思い悩み、かつ
「ま、いっか」
……の、一言で済ませた変事であり、
――あのババァ、生きてここから出られたらブン殴ってやる……っ!
と、環にそう決心させた。
かいた汗は、もはや暑気払いから生じたものなのか、冷汗なのかさえ分からない。
――早々に言うべきことだけ言って退散しよう。
と思い、
「で、あのぅ……今回の出兵の件ですが」
と、本題を切り出した。
羽黒圭輔は色違いの両目をカッと見開いた。
すぐさま箸を置いた。
手元の刀に指を這わせ、鍔の辺りに滑らせて、
「……どうぞ……」
ドン底まで低い声で、話を促す。
「……言えるかァァァァ!」
さしもの環も、逆上するほかなかった。
敬意も敬語も忘れ、そしてそれが死ぬ可能性もあることさえ忘れ、大声で言い返す。
「話聞く態度じゃないってそれ、わかり合おうとする姿勢じゃないってそれ! 桜尾公が会戦に傾いたきっかけは俺の策謀じゃないんだって!」
「……では、これにさえ見覚えはないとシラを切るつまりですか?」
刀に手をかけたまま、左手は懐に突っ込んだ。
鍋を挟んで手渡された紙を受け取り、環はそれを一読した。
連署の写しのようだった。
名津を差配する商人たちの寄り合いの衆。その主立った者たちの名が末尾に書き記されたそれは、環を擁護する内容と、同時に順門府侵攻を示唆する内容であった。
……そしてそこには、環も良く知る人物の名も、当たり前のように挙げられていた。
「六番屋の史!? どうしてあの人の名が?」
「……本当にご存じなかったのですか?」
圭輔はようやく刀の柄から手を外し、意外そうに聞き返した。
むしろ、そのことを意外に思ったのは環の側である。
「信じて、もらえるのか?」
何を白々しい、と一刀両断されるかと思いきや、この天敵は存外物わかりの良いところを見せてくれた。
「目の前の人物が嘘をついているかどうかぐらい、僕にだって分かりますよ」
不本意だ、と眉間にシワを寄せる圭輔に聞こえぬよう、
「どうせなら、もう少し早くその洞察力を発揮してもらいたかったもんだ……」
と呟き、
「何か言いましたか?」
と、当人の地獄耳に拾われて、あわてて「いえいえなんでも!」と、つくろった。
本人はいたってきまじめな性分なのだろうが、実際付き合ってみると茶目っけのある人なんだな、と環はわずかに頬を緩めた。
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ようやく落ち着きを取り戻した座。
改めて夕闇と燭の中で、環はそれを透かして眺めた。
「……でも、どういうことなんですかね、これは」
「商人衆の動機は理解できます。戦が起きることによる利潤の拡大。それと、いっそどちらかに商圏を一統して欲しいという考えもあるのではないでしょうか? 関所等で一番に割を食っているのは、彼らでしょうから」
――と言うことは裏で糸を引いていたのは商人たち?
とも思うが、そうではないだろうと言う推測が未だ環の胸中では強い。
六番屋とはかれこれ数ヶ月来顔を合わせていない。まして他の商人らとも、格別な交流があるわけでもなかった。
そんな彼らに、今自分たちの勢力がどれほどのものか、知られているはずがない。
――にも関わらず、彼らは一致団結して会戦を促している。
しかも、鐘山宗善にとって都合の良い時機を選んで。
そこもまた妙な話だった。
商人のための港湾であった大渡瀬の一件からも分かるように、宗善とその一味は商人という職を、しかも己の意のままにならぬ者を毛嫌いしている。
そうした悪感情を、流行に敏感な商人らが察し得ぬはずがない。協力するはずがない。
――とすれば……
やはりいる。
それが環の意だと六番屋らを欺き、説き伏せ、実際は宗善の利となるよう動かしている者が、己と近しい位置に。
頭の中で大体の状況を整理した環は、改めて圭輔と向き直った。
「圭輔殿、俺の手勢の中に、俺の意に背いて動いている者がいます」
自らの口にすることで、ようやくその事実を本心から認められたような気がした。
ほう? と興をそそられたように反応を示した圭輔の横顔を、灯りが照らして揺らめいた。
「それと、僕に何の関わりが?」
鍋から二杯目をよそって互いに鳥をむしる。
小骨を椀の中に捨て、環は口を拭った。
「その者は明らかに、俺たち、桜尾家に不利な条件で戦いに引きずり込もうと画策してます。桜尾家は表面化では貴方を始め、主張が二つに割れた状態。まして俺は、内通者を内に抱えた状態で、しかも明らかに準備不足の段階で出陣を余儀なくされている」
「実で以て虚を討つ、ということですか」
一応の理解を示した圭輔に頷き、続ける。
「そしてそうなるまでに俺でさえ気がつかなかった。ヤツが表向きはどう振る舞っているかはしれませんが、その実相当に周到で、用心深い。……だが、こちらが感づいたことにはまだ気づいてはいないはず。そこに付け入る目があります」
「目?」
「……あえて敵の策略に乗ったフリをして、敵の動きを誘導するんです。そこで圭輔殿には、ひとまずこの一戦だけは、俺たちに手を貸してもらいたいんです」
やや機嫌を改めかけていた圭輔が、またその顔色を変じた。
柳のような眉を寄せる圭輔の顔は「やはりそういう筋書きか?」という疑念が浮かび上がっていた。
環は一度そこで句を切り、慎重に言葉を選ぼうとした。
しかし、いっそ素直にぶっちゃけた方がこの男の『好み』に合うだろう、という判断から、環は自分の言葉をありのままぶつけることにした。
「……その方があんたにとっては得だと思うんだがね? 桃李府公子殿?」
「なに?」
「じゃあ、俺を宗善に売ってみたらどうなる? 順門が完全に反乱の芽を摘み、一統されたとする。だが、それでも近いうちにあの男は桃李府に攻め込むぞ」
領土拡大するにはもはやそれしかないだろう。何より桃李府は無理難題とは言え、朝廷の命令に幾たびも背き、その不信を買っている。彼らが手出しできないのは、ひとえにその領地の広大さと、軍事力によってだ。
だから、忠誠を誓った順門に攻めさせる。
朝廷と、順門府と、あと東国の風祭府の三方向、あるいは桃李府内に内通者を作り四方内外から攻められる可能性だってある。
結果としてそれによって足をとられるのは、東征を望む羽黒、器所両名ということになる。
それが分からない圭輔ではないはずだ。
「だがもし、俺たちが奴らの企みを逆に利用し、宗善に大勝し、一国なり一城なり切り取ることができたら、間違いなく再び順門は割れる。その混沌、長く続くはずだ。……この間、あんたは手に入れれば良い。風祭府と…………それと、桃李府を」
府公典種亡き後の桃李府。
このまま行けば、暗愚で、自らの弟を妬む義種が継ぐことになろう北の大国。
そこに思いを馳せれば羽黒圭輔が、荒野を舞う鷹の如く誇り高い男がどう考え、どう行動するのか。
火を見るより明らかではないか。
……いつから、そうであったのか。
圭輔は、おおよそ己の父や義弟にさえ見せていないのではないか、という凄まじい笑みを浮かべていた。
何かに餓えながらも気高さは消えることがない。それが野心というものなのかもしれないし、夢と呼ぶのかもしれない。あるいは実父がついに手に入れられなかった、覇者としての風格か。
ゾクゾクと、背筋を駆け上がる小刻みな震えは、やはりこの金銀妖眼の野心家に対する恐怖か?
あるいは……茶と黒の瞳に映る己の表情もまた、同様のものであったのかもしれない。
「しかし、環殿。まだ一つ懸念があるのですが」
圭輔の表情が幻のように隠れた時、問うた。
「それは?」
「貴方の貌が見えない」
思いがけない言葉に虚を突かれ、声を詰まらせる環に、圭輔はもっと噛み砕いた言い方で、あらためて問いを叩きつけた。
「親族に殺意を向け、自国を混乱に陥れ、かつての友人を欺き……それで貴方は何がしたいのです? 天下に、何を為したいのですか?」
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――流石は、羽黒圭輔と言ったところか。
本人は無自覚であったのかもしれなかったが、環の核心、考えていなかったこと、あえて考えないようにしていたことを、本能的に見抜いていた。
……その核となる部分が、まるで空洞であったことに。
圭輔とは別、裏手の山門をくぐり抜け急な階段を下りていく。
しっかりと道が続いているようでいて、足下は覚束なくいつ転ぶやもしれず、進めば進むほどに闇の沼に身を沈めていく愚行にも似ていた。
――そもそも俺はこれまでの戦いは、仲間たちを守るということに終始していた。
だが今回の件は違う。
内においてはかつての旧友を内通者としてあぶり出し、おそらくは……殺す、だろう。
外においては、せっかく国論が統一された順門府を、長期にわたるであろう混乱をもたらそうとしている。その過程で、大勢の人間が死ぬだろう。
表面上は、実に単純な理由なのだ。
父や弟妹の仇をとるべく、怨敵鐘山宗善、銀夜親子とその家臣団を滅する。
だが、それは己の本望なのか? 仇をとったその先、どう生きるのか?
――そう言えば、久しく銀夜の顔を思い出していなかったな。
弟妹が殺されたと聞いた時はあれほど激しく、憎悪していたにも関わらず。
今でも憎い、死した肉親に報いなければと思うことはある。
――だが今になっても俺は、叔父御を憎み切れていない。
あの男にもあの男の理と、それを悟りうるまでの苦悩の日々があったのだろう。
家族として付き合っていた頃、時折胸に病でも抱えているように、苦い表情をしていたのを思い返す。
おそらくはその病と、治す術を同時に得たのは、三十年前、順門崩れか。
ずっと、意に沿わぬことに従い続けていたのだろう。
それを、祖父宗円はともかく、父宗流が汲んでいたとは、とても思えない。
鐘山宗流は太陽の王の如き男だった。
天性の明るさと激しさは、皆を振り回しながらも自らの突き進む先へと導く力強さがあった。
だが、いつまでも陽光が照りつけていては人は安らぐことはできない。夢さえ見ることはできない。
宗円の後を冒した宗流は朝廷打倒を掲げ度重なる侵攻を行ったが、いずれも桜尾典種、器所実氏に阻まれて失敗。王都の土を踏むことさえ許されなかった。
晩年はその攻勢にさえ衰えを見せ、家臣たちの財力を逼迫させた。
その死後大半が去就を決めかねたり、ためらいもなく宗善についたりしたのは、その辺りが最大の原因である。
正義は、あちらにある。
非は、父にある。
――だったら俺は、なんのために……? このまま誰ともしれぬ思惑に振り回され続けるのか?
改めて、羽黒圭輔の問いを思い返す。
貴方は何がしたいのです? 天下に、何を為したいのですか?
「そんなの、俺が知りたいよ……」
樹治六十年、午の月の十五日。
環は、無明の中にいた。




