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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第三章:桃李 ~乱世の将星たち~
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第四話:試し合戦(3)

 ……それはさながら、鉄塊にぶつけたかのような手応えだった。


 自らの主の指示通り、無頼の輩を扇動し、場を撹乱した。その隙を見計らい、丸腰同然の圭輔に一撃を見舞った。


 だが、肝心要のその最後で、大州は失敗した。

 外したのではない。かわされたのではない。現に彼の木太刀は、圭輔に直撃していた。


 彼は刀を抜かなかった。

 抜くまでもない、と言っていた。



 抜くほどのことでもない、と木刀を受け止めた右手が語っていた。



 突き出した掌は攻撃力を完全に相殺した。骨折どころか、一滴の出血もしなかった。

 そのまま握り締められた刀身は、引き抜こうとしても、微動もしない。

 大岩に深々と突き刺さってしまったかのようだった。


 圭輔は、大州本人をまともに見てもいなかった。

 顔は動かさず、ただ茶色い方の目だけが、ぞっとするような光沢を宿して大州らを睥睨していた。


 凍土を思わせる異色の瞳が、白皙が、普段は優美にして物腰柔らかな、それでもなお覆い切れぬ、彼の素顔なのだろう。

 凡人なら一見するだけで恐懼してしまうだろう。

 さながら、異形の神とでも対している心持ちだった。


 木刀に対して、強い力が跳ね返ってくるのが手に伝わってくる。


 ――あぁ、やべぇ。こりゃ


 腕ごと、もがれる。


 本能的にそう察知した大州は、ためらうことなく自らの武器を放棄した。

 地に飛び降りた彼の目の前で、ゆらりと圭輔が腰を上げた。操られた人形の如く、緩慢で、どこか不自然な動作で。

 奪取された得物は、大州に見せつけるように


 めきり


 音を立てて、彼の手の中で微塵に握りつぶされた。

 さして力を入れたふうには見えない。今まで手にあったものが、突如朽ちたわけがない。

 にも関わらず赤樫で出来たそれが、まるで焼き菓子か何かのように、面白い具合に二つにひしゃげて、折られて、造作もなく地に打ち捨てられる。


 その破壊劇を見せられては、さしもの大州でも、汗でその背を冷たくさせるというものだ。


『圭馬は武事では兄をも凌ぐ』


 そんな風評をしたり顔で流布し出した連中を、片っ端からぶっ飛ばしてやりたかった。


 ――武では? 冗談じゃねぇ。

 羽黒圭輔は、全てにおいて羽黒圭馬を凌駕しているのだ。


 ――羽黒家がこいつに呑まれて私兵と化したのも納得がいく。


 藪を突ついて蛇の頭でも出してみるか、と企んで浴びせた一太刀だったが、覗き見たのは巨龍の片鱗。


 ――面白ぇ。

 こみ上げる愉悦に、たまらず覆面の下の頬が吊り上がる。

 環に従い国を出て良かったと、心底思う。

 順なる門より外の世界は、かくも広く、讃うべき敵手には事欠かぬ。


 背後に、戦場を移動した圭馬が迫っているのとに気づく。

 そろそろ潮だ。そう断じると大州とその直属の組員たちの動きは疾かった。


 大州の手の動きを合図に、同様の装束を着込んだ者らはばっと四散した。蜘蛛の子を散らすように、と言う例えが似合う逃げっぷりに、圭馬を始め、釜口なる老将も、圭輔も追う術を持たなかった。


~~~


 ――しくじったっ!


 試し合戦を中止し、騒民かき分けながら圭馬は悔恨した。


 そも、兄は家の内外に敵を持つ身なのだ。そのような身でわずかな供回りも連れず、出自も知れぬ者たちの中に飛び込めばどうなることか。

 そんなことは自明の理ではないか。


 兄であれば単身で刺客の十人、二十人は容易に片付けるだろう。

 だが、万一があるやもしれぬ。

 そしてその万一は、あってはならぬものなのだ。


 決して長くはない道程の合間、圭馬は深く考える。

 ……そも、これは誰の企てか、と。

 一番怪しいのは兄を快く思わぬ、兄の実家、桜尾本家の嫡男らの差し金。


 ――おかしなものだ。

 と圭馬は思う。

 本来、羽黒圭輔を名乗る桜尾晋輔を狙う理由があるのは、羽黒家当主の座を逐われた、血の繋がらない己であるはずなのだ。


 ――それが、実の兄君は妬心に駆られて害意を抱き、血の繋がらぬはずの俺が、簒奪者であるあの方を守ろうとする。


 これを皮肉と言わずして、なんと言おうか。


 考えが逸れた。


 次いで怪しいのは、今、羽黒圭輔が死んで得をする人物。それは

 赤帽朱羽織の公子の幻影を、圭馬は振り払う。

 それこそあってはならない。


 例え順門府侵攻の障害となると言っても、それで風祭府方面の司令官を暗殺すれば、その隙を突いて風祭軍が侵攻してくるのは必定。となれば他国に介入するどころではなくなるだろう。


 ――意図はどうあれ、公子暗殺を兄者に諫止した手前もある。

 その彼に兄が殺されるようなことになれば、目も当てられない。


 刺客の姿が明瞭になってきた。

 首謀者と思しき男が、圭輔と対峙している。

 その男は圭馬の接近に気がつくや、自らの朋輩に合図を送る。それだけで、今まで釜口配下と争っていた者らも含めて、ばっと逃散した。

 その逃げ際、敵が覆面越し見せた不敵な微笑は、見覚えのあるものであった。


「兄者、釜口様、ご無事か!?」


 圭馬は追おうとする兵たちを押し留めた。両名の安全を確保することこそ第一であったし、追って、捕らえて、正体を知って……それで、どうなる?


 その後に続く想像が、圭馬に追うことをためらわせた。

「圭馬」

 兄に名を呼ばれて、振り返る。

 だが背後にあった兄の顔は、喜びも、感謝も示してはいなかった。

 蔑むとはいかずとも、咎めるような鋭さが、左右非対称の両眼に宿っている。


「……兄者?」

 いぶかしむ圭馬が、不機嫌そうな兄の真意を知ったのは、それから間も無く。


 喊声をあげて、鐘山環らの部隊が、ガラ空きになった自らの本陣に突っ込んで行くのが見えた時だった。


「……っ!?」

 圭馬は、引きつる己の顔から、軋む音を聞いた気がした。


 ――狙いは、これかッ!

 幡豆由基にわざと前線で圭馬と斬り結ばせつつ、戦場の外にある圭輔をわざと狙い、釣られた圭馬とその兵が戦場を離脱した隙を突いて、残兵をまとめ上げて、攻め上がる。


 覚王なる名馬にまたがり突出する環の後を、彼の手持ちの数名が慕う。


 今まで逃げ惑っていた敗残兵は、突如周囲で沸き立った騒動と、突如駆け出した主将の姿に、呆然としていた。

 だが、主に遅れてなるものかと、あるいは主を守らねばと奮起し、雄叫びを発しながら後に続く。

 明らかに兵は消耗していた。それでも、立ち上る気炎は最初のぶつかり合いよりも倍ほど激しい。


 ――いや、戦場の『外』などと、俺は……一体何をそう考え違いをしていたのだ!?

 圭馬と他の者が

「縄が張ってあるここからここまでが戦場なのだろう」

 と勝手に錯覚しただけに過ぎない。

「戦場は大三原」

 そう発言し、それより細かい取り決めをしていなかったのは、自らの失態だ。


 ――どうする?

 ここから、環を狙撃するか。

 ……いや、あの名馬の足に追いつく矢など存在しまい。

 だがこのまま一兵でも、無人の羽黒本陣に入れてしまえばそこで負けだ。

 自分のみならず、義兄までもが物笑いの種となる。

 このような大事な時期に、それはまずい。


 とは言えこれと言った手立てが寸刻で思いつくはずもなく、本能的に駆け出そうとする圭馬の肩を、圭輔が引き留めた。

「あ、兄者?」

 圭馬、と平坦な声で弟を呼び、その女のように白い指が、ツイと持ち上がり、


「あれを、狙いなさい」


 と、圭馬が狙うべき場所を差し示した。


「……っ! しかし兄者! ……それは、あまりにっ……!」

「主命ですよ」


 ためらわれず発せられたその言葉が、圭馬から否も応も奪い去った。

 抗弁を涙ながらに飲み込んだ圭馬は、後ろに伸びる日よけの松を見た。

 意を決し、そこへ駆け出す。太い幹に足裏をつけ、脚力だけで半ばまでのぼる。


 圭馬は、その高さから、足を離して、跳んだ。


 今まで騒ぎに騒いだ観客が、一時唖然とし、瞠目するほどの跳躍力だった。

 その、最も高い位置であろうそこから、手にしている槍を投擲した。


 さながら古代の弩から発せられた矢の如く、一の字を引くかの如く、槍は風を切って、 観客らの頭上を抜ける。飛んでいく。


 それは、馬上の環に向けられることはなかった。

 それは、既に敗退し、道半ば、その場にへたり込んだ、幡豆由基を狙いとしたものだったのだから。

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