第四話:試し合戦(1)
当日。
大三原にて対するは、総計百名のもののふ達。
鐘山陣営。
前軍、幡豆由基率いる混成部隊、三十名。
次いで地田豊房率いる十数名。
色市始、良吉、響庭村忠ほか数名の緋鶴党が旗本として大将鐘山環を守護する。
数町隔てて布陣する羽黒軍、一丸となって魚鱗を形作る。
総勢五十余名。
先頭には総大将、羽黒圭馬。
タンポ槍を水車の如く大きく回す彼の背後の兵の発する戦意は、まるでその倍はいるかのような存在感を持っている。
いや、事実それらの兵は他家の雑兵の倍する戦力を持っているのだろう。
その周囲に、城の内外より観客が詰める。
戦場一帯の差配をするのは、勝川舞鶴、器所実氏。互いに有利不利にならぬよう、公平に取り計らう。
かくて役者は並びけり。
鐘山環は床几の上、腕組みしながらせわしなく視線を動かしている。
~~~
半刻前、軍議の場。
鐘山首脳陣はそこに座していた。
軽重は好みによるが、それぞれ身の丈にあった甲冑にくるまれている。
だが、空気は重く、陣幕を抜けて流れる風は、肌にぴりぴりと痛い。
「……というのが、僕の策だが、如何」
久しぶりに現れたその男がしゃしゃり出てきて、卑劣極まる策を献ずる。一同の白眼視を受けてもまだ、その青年、響庭村忠は泰然と大将の側で腰を落ち着けていた。
「まぁなんだ、その……やりたいことは分かるが」
と豊房が理解だけは示し、
「死ね」
由基が皆の気持ちを一言でまとめて代弁した。
「おや、お気に召さないようで」
「当たり前だろ!」
色市は怒りで固めた握り拳を、目の前の長机に叩き込んだ。
「そんな下策を採るぐらいなら、潔く全滅し、敗北した方がマシだ!」
村忠は蔑むように鼻を鳴らすと、挑発的な冷笑を浮かべた。
「もう少し言葉の使い方を学ぶんだな論者気取り。下策というのは、味方を窮地に陥れ、犠牲相応の成果も得られない策のことを言う。ちょうどおたくらみたいなのだ」
「なにぃ!?」
座を蹴り、いきり立つ色市。それでも村忠は傲然として動じない。
――今までよく一緒にやってこられたな、こいつら。
置物となって鎮座する環は、そんな他人事のような感想を抱いた。
――村忠もやり過ぎだ。いくら泥を被ると言っても、それ以上に煽ってどうする?
そもそも、二人の考えの中では、策の実行まで流天組には知らせない、という案もあったのだ。
だが、秘匿していれば事終わって後の反発がさらに激しくなるだろう。そうなっては意味がない。
「ごほん……あのー」
頃合いを見計らって、咳払いをし、環は皆の注意を村忠からそらした。
由基ら始め、激しい対立意識がそのまま環の方へ向けられ、順門公子は軽く怯んだ。
「も、もう大州が所定の位置についているんだろ? 今さら行って作戦中止なんて伝えられない。そんなことをすれば敵にもバレるし、さ」
「じゃあ、こんな作戦に大人しく従えってのか」
順門きっての美形とも言える少女に睨まれては、並の大人ならばそれだけで青ざめただろう。しかし、環は表面上はともかく、内面ではそれほど恐怖しなかった。
――そう言えば、何かにつけてずっと頭が上がらなかったこいつも、いつの間にか怖くなくなったな……
自分の変化に内心驚きつつ、まぁまぁまぁと巫女を宥める。
「だからさ、お前らが勝てば良いだけの話だろ」
「なに?」
「良吉と村忠と、あと二、三名くらいは残してさ。俺の旗本全部持ってって良いから。覚王は規則上俺しか乗れないからともかくとして、指揮、武具、兵。そんなものお飾りの俺が持っても意味ないだろ。俺は自衛できる程度で良いんだ」
注がれていた敵意が、一瞬揺らめき、和らぐ。それを環は見逃さず、さらに押した。
気安く少女の両肩に手を置き、にこにこと笑いかける。
「大丈夫だって! このために精一杯訓練だってして来ただろ? 勝てるよ。仮に負けたとして羽黒殿を落胆させることにもならないだろう。それに乱戦になれば大州だって割り込む時機を見失って断念する。だろ?」
な、と念押しすると、少女は少しの逡巡の後、大仰にため息をついた。
「……お前、本当にやる気ないんだな」
呆れたようにそう言うと、環の両手を振り払い「行くぞ」と促し、退出した。
環は手を振りながら、にこやかに一行を見送った。
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「……ま、圭馬殿とユキたちの乱戦なんて、大州には関係ないんだけどな」
「ひどい人だ」
残された村忠は苦み走った顔だった。かろうじて、目だけが笑っていた。
「ご自分は勝てないと考えているのに、幡豆には勝てると言い、前線の兵権を与えてしまった。それで良いんですかね?」
「俺が兵とか武器持っててもしょうがないのは事実だろ」
それに、と付け足す環は確かに、軽装だった。
いつもの朱色の上衣を陣羽織に、下に胴丸を一枚着込んだだけ。
頭を保護するのは兜ではなく、どこからともなく流れ着いたというあの帽子。
まるで自身は総大将ではなく、物見遊山ついでに戦場見物にやって来ましたと言わんばかりの楽な格好をしている。
「ユキには出来うる限り、少なくともあいつの納得できる万全の態勢で存分に戦ってもらった方が良い。それが俺たちの実りとなり、奴らには……良い薬になる」
眇められた空色の瞳、睫の奥のその深淵を覗き込むようにして、副官は問い質した。
「天狗の鼻を叩き折るつもりですか」
すなわち、自分たちが天下においてどれほどに非力か、それを思い知らせるために。
「思い上がったまま死地に立てば、命を落とす。だったら死なないこの場で徹底的に叩かれた方が、本人たちにとっても為になるだろ」
「けどヘタをすりゃあ逆恨みされますよ。『環が前線に出てちゃんと指揮していれば、こんなことにはならなかった!』……なーんて」
「失敗をどう見るか、それは本人次第だ。人は誰に見せたい姿を見せられるわけじゃない。人は自分が見たいものをそこに見出す。そして真価が求められるのはその時なんだ。奴らが自分たちの戦いに満足するも良し。教訓とするのも良し。あるいはお前の言うとおり、非を認めずに俺をなじるも良し。もしそうならば」
勝手に、死ね。
環の目は言外にそう告げていた。
だが、村忠の表情の変化に気がついたのか、ハッと息を呑むや、目を伏せ、目深に帽子をかぶり直した。
「……自分でも腹が立つ。友人達に対し平然とこんな言葉が吐けるようになった自分がな」
「環殿」
「分かってる。今さら愚痴っても仕方ない。これは、俺が決めたことだ。何に巻き込まれたとしても、これが俺が決めた道だ。背を刺される覚悟は、できている」
そして自らの頭部から手を放すと、良吉が口を取る覚王に飛び乗った。
「ただあいつらには俺を刺し殺して屍を乗り越えてでも、この乱世を生き抜く力を得て欲しい。今さらきれい事を言ってもどうしようもないが……本当に……そう思うんだ」
~~~
仮の戦場を十重二十重に取り囲む千人弱の人々の中心に、彼はいた。
羽黒圭輔。
わずかな供回りのみを引き連れて、腕組みして両軍の様子をじっと観察している。
その様子が尋常ならざるものであったため、自然見物人は、自身で意識しないうちに距離をとって、そこだけぽっかり間ができていた。
「羽黒殿ではありませんか!」
そんな異質な空間に、ひょっこりと、顔を覗かせた者がいた。
「これは釜口殿」
床几より腰を上げて頭を下げた圭輔は、老人にしては背筋のしゃんとした男へ悠然と笑みを向けた。
今年六十になるこの老爺は、桜尾家においては珍しく、微妙な立場にある羽黒圭輔に好意的な人物として知られる。
本来ならば政争をおそれて近づかぬか、あるいは桜尾家の嫡子たる長兄、桜尾義種よしたねらにすり寄るかというのが常なのだが、こうして憚ることなく気軽に寄ってくる辺りに、この老人の硬骨な気質が垣間見える。
自らの供回りに床几を持ってこさせ、どっかりと腰を落とす。
「まさか釜口殿に来て頂けるとは、いやお恥ずかしい次第です」
「くくく。いやなに、貴殿らが風祭をたたきのめしてしもうたせいで、わしらもやることがなくてのぅ。弟御の成長ぶりを拝見したくもあるしな」
圭輔はニコリともせず首を振った。
「歴戦の貴殿に比すれば、愚弟など赤子同然の未熟者です。見るべきほどのこともありますまい」
「いやいや、なんのなんの。……しかし、見るべきほどのことがないのは確かやものぅ」
そう呟いた唇の先には馬上の鐘山環がいて、その前方には彼の組下たちが多数存在している。
「……戦を知らぬ公子殿と言え奇妙な陣形をとるものよ。あれでは圭馬殿の鋭鋒にあっけなく破られることであろう」
「おそらくは環は指揮権を幡豆由基なる勇者に委ねたのでしょう。そして自身は口出しせず、裏方に徹する腹かと」
「にしても、旗本が手薄過ぎぬか?」
釜口の不審はもっともなことと圭輔も思う。
――大州がいない……
その一事を以てしても、それは圭輔からしても奇異に見えた。
何を企むにしても、この数日間は舞鶴は泊まりがけで支度に従事し、環とは一度も顔を合わせなかったという。彼女の直属の部下である兵たちも、今は幡豆由基の先陣に軒並み組み込まれている。
――とすれば、何を企むにしてもそれは、環自身の謀略ということになる。
「公子殿……いやさその幡豆とやらはどう出るかの?」
顎をなぞりながら思案顔の胞輩に、圭輔はよどみなく答えた。
「いくら戦を知らぬ若者と言え、真正面から当たれば必ず負けると知っておりましょう。おそらくは圭馬が先頭に来るであろうことを見越しての陣。幡豆由基自身の勇武でもって圭馬と当たり、動きを封じている間に、その後方を別働隊として動かし、横腹なり本陣なりを突かせる腹でしょう」
ほうほう、と圭輔の見識に舌を巻く釜口だったが、当の兄は渋面で首を振り「しかし」と苦言を付け加えた。
「本来羽黒家を継ぐはずであった男が、己が大将たる戦で、矢面に立って戦おうとは……軽率にも程がある」
「まぁまぁ。しかしその大将の差も、自ずと明らかでしょうに。見られよ」
釜口の枯れた指先が、環と圭馬、交互に示してみせた。
「流石は圭馬殿、視線を微動だにさせずに集中しておられる。しかし公子は落ち着かぬ様子で、しきりに視線を左右させている。まるでお上りさんじゃ」
そう言ってせせら笑う老将とは反対に、圭輔の胸裏に形容しがたい危機感が過ぎった。
確かに鐘山環は、せわしなく目を動かしている。
頭を戦場からそむけたことさえあった。
――だがあれは、迷った者の目か?
圭輔はその視線の先を入念に、かつ執拗に辿っていった。
途中、環本人と目が合った。
慌てて視線を外した公子の様子で、悟る。
違和感の正体に、相手の思惑に。
あの一見して頼りないと、誰しも侮る公子の策、その全容。
――そういうことか。
瞬時に理解した圭輔はそれとなく視線を戻し、圭馬へ向けた。
変わらず、彼は視線を一直線に定め、今にも突きかからんほどに戦意をたぎらせていた。
腕組みし、嘆息し、深く項垂れる。
「? どうなされた、羽黒殿」
「……いえ。それよりも、いま少し僕と距離をとった方が良いでしょう。……思わぬ災難に遭わぬように」
「…………ハッハッハ! 気になさるな! 貴殿といただけでは誰も咎めようとは考えますまい!」
一人勝手に心得違いをしている釜口はさておいて、圭輔は口元に手を当て義弟を冷視した。
羽黒圭馬。
性実直にして、謀略を好まず。
戦においても並々ならぬ集中力で戦場の変化を看破し、幾たびも勝利に貢献してきた勇将。
――お前の人となりは、この戦国においても賞されるべきものなのでしょう。ですが、今回はその性質に足をすくわれることになりますよ、圭馬。そして……
僕も、死ぬかもしれませんよ。
その呟きは本人以外の誰に聞かれることもなく、試合開始の歓声にかき消された。




