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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第三章:桃李 ~乱世の将星たち~
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第三話:環と村忠(2)

「試し合戦?」


 以前よりは遙かに豪華になった朝食を前に、相伴に預かる圭馬から聞かされた環は、にわかに表情を曇らせた。

 にわかに活気づく胞輩たちに横目を向けつつ、「説明していただけるのか」と言外に促す。


 頬を指で掻きながら、圭馬は頷いた。

「実は近々羽黒家中で将兵の訓練の一環として模擬戦をすることになりまして。つきましては、無聊の慰めとして是非とも環殿らにも参加していただきたいと、その、兄が申してましてね。お客人にこのような手荒なことをさせるのは気が引けるのですが……どうでしょうか?」


 どうでしょうか? と問う圭馬の表情には、明らかに「受けてください」という懇願が含まれている。

 自分では兄の意向を拒みきれなかったのか。


 ――あるいは、自分たちの利用価値をそこで示せと言ってくれているのか……


 受けるべきか、受けざるべきか。

 思案する環の両脇から、


「ぜひ!」

「お受けしましょう」


 色市と豊房が身を乗り出した。


「お、おい!」

 慌てる環の後ろ、圭馬の死角から由基が蹴って反論を遮った。

 痛がる環に気がついていないのか、あるいは強引に話をまとめようとしたのか、圭馬はほっと顔をほころばせて、嬉しそうな声を発した。


「いやぁありがたい!」

「で、勝負の条件は……」


 由基の質問に対する圭馬の返答は、あらかじめ決まっていたかのように明朗なものだった。


 場所は城の東に広がる大三原(おおみはら)

 鐘山陣営、羽黒陣営、それぞれ選出した将兵で争い、背につけた旗印が奪われるか、あるいは気絶させられたら討死扱いとし、以後戦闘には参加できないものとする。

 最終的に全滅、あるいは総大将が『討死』、互いの陣の最奥にある旗が奪われたら負けとなる。

 武器は真剣の代わりに木刀を用い、槍、矢は布を丸めて留めた偽物を使用。当然鉄砲の使用は禁止である。

 大将のみ騎乗が許可され、他は徒歩。ただしその他陣立ては互いの範疇で自由に行える、ということだった。


「もっとも、戦に臨んでは何かと不足なものもありましょう。兵、具足、馬等お申し出いただければ、なんなりと手配させていただきます」

 ありがたい申し出に、環は一応頭を下げてから、自らの懸念を尋ねた。


「それで、そちらの大将は圭輔殿ですか」

「あー……それが、ですな」


 山菜をまずそうにかじり、圭馬は箸を置いた。


「兄は出ません」

「へ?」

「先日、敵に大勝したと言え岩群城の守備をいつまでも離れる訳にもいきません。試合日にはこちらに来られるということですが、それ以外は参加できぬ、とのこと」

「……では、そちらの大将は」

「はい。身に余ることながら拙者が。……なにとぞ、お手柔らかに」


 圭馬は、いかにも気弱げな苦笑を見せて言った。


~~~


 圭馬が退出した後、「よしっ」と言う意気込みが環の脇で聞こえてきた。


「ようやくらしくなってきたなっ! 羽黒の勇将に勝ち、我々の武名を天下に轟かせるぞ!」

「あぁ、連中相手に鬱憤も溜まってたしな」


 良吉と由基は黙々と武器を取り出し、豊房はようやく出入りが自由になった兵舎に駆け出し、色市は軍令を書くべく紙を取り出したりしていた。


「……お前ら、やたらと乗り気だな」

 環が呆れた声を出すと、「当たり前だろ?」と色市が返した。


「おれたちには舞鶴殿が、天下五弓がいる。それに相手は圭輔殿本人でなく圭馬殿だ。勝ちは見えているし、勝てば武名だけじゃない。待遇も良くなるはずだ」


 ――お気楽な奴め。

 環は苦笑と共に、畳の上に寝そべった。その目の前で、


「うーん」

 勝川舞鶴は、悩んでいた。

 腕組みしつつ、小首を傾げ、それでもまったく真剣には見えないのは本人の人格ゆえか。


「……どうした? あんた、戦に参加するんだろ?」

「いえ、それがですねぇ」


 困り顔の軍師が告白したことは、その場にいた人間、特に色市にとって一大事であった。


~~~


「はぁ!? 参戦できない!?」


 顔を青ざめさせた色市の、大音声が部屋を震えさせた。


「はい。羽黒のご家中と協議のうえ、試し合戦の準備と運営にかかってもらいたい、と実氏殿より直々のご依頼がありまして。当日はもとより、連日忙しくなりそうです」


 ――やっぱり俺らの参戦受諾は織り込み済みか。

 そして、舞鶴を自分から引き離す謀も抜かりなく行っていた。


 ――そりゃ不利を承知で自分から提案するわけがない。

 環は寝そべったまま、意外に沈着な自身に驚いていた。


「ここのとこ、あんたにとって不都合なことばかり起こるじゃねーっすか。いよいよその智の泉が涸渇したんじゃないスか?」

 由基が棘で突くような調子で食ってかかると、舞鶴は嫣然と笑みを浮かべながら、

「えぇまったく、困ったものですねぇ」

 他人事のように、受け流す。


 暖簾に腕押し。


 そもそも彼女の謀才が衰えたとして困るのは由基はじめ全員なのだ。

 迂遠にそれを指摘されて思い出したか、由基は忌々しげに舌を打った。


「地田さんと合流するぞ、始、良吉。調練だ」

「ま、待てよっ! おれらだけで圭馬殿に勝てるのか!?」

「泣き言言うんじゃねーよ。その女がいなくたって、オレらだけでやれる」


 彼女は柱にもたれる大州には声をかけず、一瞥もくれず、自分の子分を引き連れて部屋を出て行った。


「いっそ清々しいほどの始の小物っぷりよ」

 それでも、あの饒舌家に嫌悪感を抱けないのは、一種の才能であろうか。


 環はゴロリと寝返りを打って、大州を見た。

 ダンビラ抱いて片膝をつく様は、見飽きたものだが堂に入っている。部下一万人を超える大盗賊の大親分の如き風格を有していた。


「で、お前は行かないの?」

「あんたが行けと言うなら、やぶさかじゃないがね」

「言っても聞かないだろ。お前は」


 ニヤニヤと不敵に笑いかけ、少しも動こうという気配を見せない。


 ため息一つこぼし「で」と、視線を軍師に投げやった。


「せめて今日一日で何かしら策を巡らせることはできないのか? 舞鶴」

「一日で考えた小手先の策など気休めにもなりますまい。それよりもこの余暇を使って、城下の見聞に行きたいのですが、お許しいただけますか?」

「何故?」

「この桜尾家は押しも押されもしない大大名。この城にしても、町の縄張りや法度にしても、見るべき点は多々あります。後日我らの国を築く際、少しでも参考になれば、と」

「なるほど。…………で、本音は?」

「やっと自由だ遊ぶぞワッショイワッショイ!」

「人生楽しんでるなぁババァッッッ!?」


 この女、本当に脳がスッカラカンとなってしまったのではないか。

 それを確かめるためにも、一度ひっぱたいておこう、と環が決意して起き上がり、平手が伸び切るよりも前に、その手は舞鶴に握られた。


「それに、舞鶴のお役目は、殿を凶刃よりお救いした時点で半ば果たしたと思っております。これからは殿お一人で戦うことになろうとも、さして問題はないでしょう。……大丈夫。殿には、それを成せる才徳がお有りです」


 それは、最上の絹でくるまれるような、えもいわれぬ柔らかさだった。

 亡き母親の手が、ちょうどこんな感じであったような気がするが、遠い記憶の果てにあるその感触を完全に思い出すことはできなかった。


 とまれ、実に女性らしい気品に満ちたこの女は、先ほどのあのはしゃいでいた女と同一人物なのだろうか?


 ――士は三日会わざればなんとやら、と言うが、女は一瞬後にコロコロと変わる。なかなかどうして。


「ではでは! 私は鈴鹿殿と見聞に行ってまいります!」


 鈴鹿の手を引き、軽い足取りで出て行く舞鶴を、その主は苦笑とともに見送った。


「あ、そうそう」

 と、母娘のようなその二名は、入り口の手前で足を止めた。


「羽黒圭馬は若いながら歴戦の良将。全体的には兄に及ばずとも、その両眼はあまねく戦場を見渡すだけの力を持っています。彼に勝ちたければ、彼の見る世界以上の広さを見ることです。…………本当に勝ちたければ、ね」


~~~


「さて、俺もそろそろ行くとすっかね」


 大儀そうに腰を上げた大州に、環は視線を投げた。


「お前も訓練か? それとも、遊びに行く気か?」

「いや、俺の指示なく魁組が動くわけがねぇ。大概怠けているだろうから、奴らと賭けでもしてるさ」

「何の賭けだ?」

「そうだな、この試し合戦の勝ち負けなんてのはどうよ?」

「どっちに賭ける?」

「勝つ方、と言いたいところだがね。まぁ負けだろうよ」


 ニヤニヤ不敵に笑いながら、大州もまた広間から退出した。


 ――あいつめ、一体どこまで読んでやがる?


 だが舞鶴の欠けた今、環の考え、悩みに理解を示すのは、あの悪党をおいて他にない。


 それでも、容易く胸襟を開くことは出来ない。

 苦悩を打ち明けたところでそれを弄ぶが如き悪辣さが、あの男にはあった。

 そのことを疎ましくも憎くも思ったことはないが、応じてくれる真摯さがない以上、気軽に話すことはできない。


 ――はてさて、どうすべきか?

 ふてくされるように、再び横になる。


「おやおや。どうやら、僕の力が必要なようで。環殿」


 苦悶する環に、待ち侘びた、待ち望んだその男の声が、天啓の如く頭に落ちてきた。


 旧友は、小動物の如き細い瞳をさらに細めた。

 環は彼の微笑に応えて、にっと笑い返す。


「本当に、ここぞという時にお前は頼りになるよ。村忠」


 一流の二流と自称する副将、響庭村忠の登場に、環は千騎の味方を得た思いだった。

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