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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第三章:桃李 ~乱世の将星たち~
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第三話:環と村忠(1)

 はっはっは、と。

 呵々大笑して器所実氏は対面所の上座に腰を下ろした。


「やーすまんすまん。驚かせてしまったかな」


 羽黒圭輔は左右色違いの両目で軽く睨み返し、彼の対面へと座った。

「突然の来訪でしたね、実氏殿」

「あぁ。風祭戦の事後処理も終わって戻ってみれば夜でな。大殿への復命は明朝にするとして、とかく件の客人を見たくてな。つい夜襲を仕掛けてしまった」

「それはそれとして、事前におっしゃっていただけたならば、それなりのおもてなしも出来ましたものを」

「ほほぅ? こちらのお客人には、そういったもてなしは出来ているのかな? 圭輔殿」

「……意地悪いことをおっしゃいますな」


 圭輔はため息を深々とついたが、口の端には笑みが宿っている。

 まるで親友に対するかのごとく、遠慮なくも好意的な視線。それが実氏へ向けられていた。


「しかし、環殿は何故あのような場に?」

「オレが共につまみ食いをと誘ったのだ。な? 環殿」

「……え、えぇまぁ」

「そうでしたか。言っていただけたら馳走させていただいたものを」


 細めたその目が、環の方へと向けられる。それは、実氏に向けられたものとは、形は同じであっても色合いはまったく違っている。確かな殺気が、孕んでいる。


 ――やはり、あの警備の隙は罠か。抜け出たらそれを口実に暗殺するつもりだったか。

 背筋に冷たいものを感じつつ、環は笑顔を繕い崩さない。


「ほーぅ? オレらには偉そうなことを言っておきながら、自分はつまみ食いですかァ、……タイショー殿?」


 そして背後から矢のように突き刺さる、幡豆由基の視線。

 気の毒そうに彼を見やる、圭馬の視線。

 四者四様の視線が、彼の肌膚に突き刺さっていた。


 ――それにしても……


 内治の鐘山宗円

 奇策の上社信守

 謀略の勝川舞鶴

 外交の風祭康徒

 戦術の器所実氏


 天下五弓の中では主に軍事面を代表する人物にしては、この器所実氏には武張ったところがなく、また圭輔ほどに鋭利な雰囲気も持っていない。

 元来こういう成り上がり者は、極端に傲慢に変貌するか、あるいは卑屈になるかのどちらかだが、彼は豪快であっても傲慢ではなく、偉ぶらないが卑屈でもない。

 初対面だが、好意を以て接することのできる人物だった。


「……気を許すなよ。あの男も反対派の一人なんだぞ」

 そうした気の緩みが伝わったのか、ぼそぼそと、背後の由基が三人に聞こえぬように耳語する。

 そんなことは言われるまでもなかったが、それでもこの当代きっての傑物が、直接手を下すようには思えなかった。


「環殿」


 圭輔が、切れ長の目を環にまっすぐ向けた。


「食事の件はこちらの手違いが色々あったようで申し訳ありませんでした」

「……いえ、こちらこそお見苦しい姿を」

「ところで、近々ある催しを行おうと考えております。そろそろ身体もなまってきたことでしょう。よろしければ、ご参加しては如何か」


 ……それが、ただの催し物ではないことは、その場にいた誰にとっても明らかなことだった。


~~~


 環とその護衛の弓手が退出した後、その場に残されたのは羽黒兄弟と器所実氏のみとなった。

 依然、圭輔は笑みこそ崩さないものの、滲み出る雰囲気は恐ろしく剣呑なものだった。

「そう腐るな圭輔殿。オレが台所に忍び込んだのが悪かったのだ」

「えぇ。そして圭馬が驚き叫び、実氏殿の来訪は近隣に伝わったことでしょう。羽黒屋敷に器所実氏が訪れた際、鐘山環が横死したとなれば、不届きな邪推をする者も現れましょう」


 ――それは邪推ではなく、兄者が本当に企んだことではないか。


 と、圭馬はひそかに苦笑した。

 苦笑するほか、なかった。


 そしてこの筆頭家老は、兄がそういう強硬手段に訴える前に、釘を刺しにやって来たのだろう。

 剣先にも似た圭輔の才気に触れ、笑顔でいなすことが出来るのは家中、いや天下でもこの人傑以外ないだろう。圭馬はそう本気で考えていた。


「……環を討つことに、実氏殿は反対ですか」


 やや撫で肩気味の上半身をそびやかし、家老は苦笑する。

 まるで自分こそこの男の忠臣であるかのような真摯さで、桃李府公の五男はなお進言する。


「僕は彼を排除すべきと考えます。そもそも彼を立てようとする兄らは、真に客人に憐憫を抱いてのことではなく、我々に武勲で遅れをとっていることへの焦りから順門府への出兵を考えています。……冗談じゃない。いたずらに戦線を伸ばされてはかないませんよ。鐘山家に引き渡すか、でなければ排除すべきです」


 兄の言うことももっともだ、とは圭馬も思う。

 現当主の叔父である康徒を討ったことで、風祭家にとっては桜尾家は不倶戴天の敵となっている。和睦を求めたところで、とても応じるとは思えない。

 一方で鐘山家は近頃朝廷に接近し、朝敵扱いも解かれたと聞く。元々西方での戦いは朝廷の要請により行われていたものだ。その依頼主が許したとあれば、こちらからも停戦を求めることもできそうだった。


 ――もっとも、朝廷の勝手な都合や判断に振り回されるこちらの立場はどうなることやら……


 何にせよ、いつまでも、ズルズルと二方面作戦を展開しているよりは、西と和睦し、余裕が出来たところで本格的に風祭府征伐に赴けば良い。


 ……そう、思わぬこともない。


「で、圭馬殿はどう思われる?」

「えっ」

 突然話題を振られ、圭馬の心身は硬直した。


「い、いやーぁ……拙者、未だ若輩にして兄に異見することなど」

「つまり、お前も反対なのですね。圭馬」


 低い声が隣から聞こえ、羽黒の勇将はヒッと小さく悲鳴をあげた。

 だが、恐る恐る窺う義兄の横顔には、愛嬌ある微苦笑が浮かんでいた。


「別に怒ってなどいませんよ。お前は兄を狭量な人間にしたいのですか?」

「と、とんでもない! ……では、改めて意見を述べさせていただきます」


 居住まいを正して咳払いし、地に足の着いた調子で、詠うようにゆっくりと、圭馬は己の思いを圭輔にぶつけた。


「兄者。なにとぞ鐘山環公子を殺さぬよう、お願い申し上げます」


 圭輔はふっと笑みを漏らして、

「情でも湧きましたか?」

 身も蓋もないことをきっぱりと尋ねる。

 義弟は一瞬、言葉を詰まらせた。

 違うと否定することもできるが、


 ――この兄に、嘘は通用しない。


 そのことを、彼は知っていた。

「はい。沸きました。何しろ、環公子は騒がしくも愉しい方ですから」

「うんうん。面白い青年だったな、彼は」

 実氏の相槌に応じて頷きつつ、圭馬は義兄から視線を外さなかった。


「ですが、それだけではありません。兄者を慮っての諫止です」

「僕の、ね」

「はい。この圭馬、愚弟なれど兄者のお心はよく分かるつもりです。兄者は、ご自分だけが泥をかぶる覚悟で我々の禍根となりうる環殿を除こうとされている。兄者はまだお若いではありませんか。そのような強引な手段に訴えて、ご自分の道を閉ざされますな」

「…………」


 無言で顔を背けた圭輔に代わり、実氏が呵々大笑する。

「で、圭輔殿はあの公子殿という人物をどう考えている?」

「……それは先ほども申しました」

「除く除かぬは別として、オレは圭輔殿の評価が知りたい」


 圭輔は黒と茶の瞳を閉じて、じっと腕組みした。

 三人の息づかいが聞こえるほどに静まりかえった室内。わずかな光源だけで照らされた中、圭輔はおもむろに口を開いた。


「ここ数日の経過を観察してみますと、その家臣らは皆とるに足らぬ人物ばかりです。幡豆由基、地田豊房、色市始。彼らは論ずるに値しません」

「ほう? いずれも一芸に秀でた人物だと、六番屋殿からは聞いているが」

「確かにそうです。ですが、彼らの我はそれ以上に強い。自分たちが環よりも優秀だと信じて疑わない。それこそが彼らを貶めています。今は良いとしても、彼らが臣下の分と、自らが環に才器において劣ることを理解しなければ、主従ともに先はないでしょう。亥改大州はそのこと自体は理解していますが、なんともふてぶてしい。もし環が彼の意にそぐわない言動をとれば、即座に裏切る。そうした可能性を秘めているのではないでしょうか。二人の子どもたちは流されているだけ。まだこれからと言ったところでしょう」

「では、肝心の環公子についてはどうだね?」

 そこで、圭輔の長演説が一端止まった。


 トン

 トン

 トン


 指で畳の縁を三度叩き、思案をまとめるようなそぶりを見せながらも、


「…………正直なところ、掴みかねています」


 と、正直な言葉が出てきた。


「最初は慌てふためく俗人かと思いましたが、突然聖人君子の如くふるまう。家臣らに嘲弄されるかと思いきや、一瞬にして我の強い彼らを統率することもできる。実態の読めない若者です。へたをすると、勝川舞鶴以上に、読みにくいかもしれません」

 圭馬も、実氏も、何度も頷いて同意を示した。


 勝川舞鶴の人格を悪し様に否定する者は、確かにいる。

 だが、才覚まで否定する人間はいない。


 対して鐘山環の将器は未知数だ。

 彼が有能か、無能か。

 現段階ではその振れ幅が大きすぎた。


「そこで『例の催し』というわけかな」

「えぇ」

 実氏の言葉に首肯して、圭輔はおもむろに右手を掲げた。

 その手が圭馬に伸びたかと思えば、おもむろに肩が叩かれた。


 ビクリと震える義弟に、ニコリと圭輔は微笑みかける。


「近々お前に働いてもらうことになりますよ。圭馬」

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