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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第三章:桃李 ~乱世の将星たち~
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第二話:羽黒の義兄(2)

 結局羽黒圭輔本人が帰陣したのは、三日後のことだった。


「兄は普段、戦いの余熱を冷ましたり、思案をする時など射場で弓を射るのです。今はそちらにいるとのことなので、ご案内しましょう」


 という圭馬に、環は従った。

 同行者は良吉と、大州である。


 ――この二人、なんだかんだよく組むよな。


 もっとも良吉は非常時における戦闘の達人で、大州は策にハメたと言えど、猛将佐咲助平を討ち取った武人だ。

 そして何より、二人ともとっさの機転が利く。

 由基や地田にはない柔軟さが、彼らの中にはあった。


 彼ら三人と、羽黒圭馬、護衛と称する羽黒の監視役五名は城の東に位置する射場にまで向かった。


そこに入った圭馬は、


「兄者、公子殿をお連れしました!」


 と明朗に用向きを伝えた。


 ひゅっ


 と、風切り音が場に鳴り響いたのは、それとほど等しい時だった。

 引き絞られ、放たれた矢は弧を描くことなく、鉛弾のように直線に矢道を抜け、的の中心に見事に突き立った。

 的を二つにしかねないほどの、強弓だった。

 由基の弓は正確無比ではあるものの、あれほどの膂力はない。


「……」


 残心を示してゆっくり姿勢を直した射手は、環らへと首だけ向けた。


 途端、環の全身を雷撃のようなものが貫いた。


 ――なんだ、この男……?


 枯れ草色の髪、長いまつげに二重まぶた。鼻は高く、引き締められた唇は赤い。

 美男ではあるが、片肌を剥き出しにした肉体は、間違いなく戦国武将のそれだった。鋼を折り畳んだように屈強で、岩盤のように大きい。


 何よりその両目は、左右で色が微妙に食い違っている。

 左目は黒、右は胡桃色。

 放つ光はまるでむき出しの太陽のようであり、何も音を立てず、ただ激しく燃えているようでもある。


 その目だけが、笑っている。


 身の丈は八尺あろうかという大男が、圧倒的存在感を以て、足音も立てずにゆっくり近づいてきて、環は後ずさりたくのを必死にこらえた。


 ――斬られる。


 彼が持っているのは弓であっても、刀槍の類ではない。

 にも関わらず、環は本能的にそう感じてしまった。


 だが、意外にも彼は、その客人の手前で膝を屈し、長弓を置いた。


「鐘山環殿。見苦しい姿をお見せした非礼、どうかお許しいただきたい」

「い、いや……」


 口調は丁寧。慇懃ではあっても、無礼でもない。

 本心で、片肌脱ぎの姿をさらしたことに対する謝意、それが込められている。


 だが、環には、今まで相応の苦難を経てきた順門公子には直感で分かった。


 強すぎる。

 この男は、ひたすらに強すぎるのだ。

 そう思った所以が自分でも上手く説明できないが、鍛え抜かれた全身をみなぎる男の覇気が、環を戦慄させたのは確かだった。


「圭馬」

「は、はい。兄者」

「このような様を、お客人を連れ出してまで見せるとは……礼がなっていないにもほどがあります」

「い、いやぁ申し訳ない! 一時でも早く兄者と引き合わせねばと焦りすぎました!」

 ことさら明るく圭馬は詫びるが、後頭部に当てるその手が、じんわりと汗ばんでいる。

 それは、夏の日差しのせいではなく、環自身と同じ気分を味わうが故だろう。


 ――これでは、さぞ大変だろうな。


 仕える方も、仕えられる方も。


~~~


「なにぶん戦の直後ですので満足な食材も調達できず……何とぞ辛抱いただけないだろうか?」


 膳には湯漬けと、香の物が一、二切れ。

 六番屋とは対照的な質素な食事に、一同は閉口した。

 ――もっとも環にとっては似たような食事には違いなかったが。


 圭馬がいちいち謝意を示してくれたうちは良かったが、それが五日、十食続くと、流石に不満が漏れ始めた。


「これが客を遇する道か? 外出も禁じられる、監視はつけられ、こうも冷遇される。これでは虜囚ではないか」


 と、普段温厚な豊房でさえ苦言を呈したのだから、いわんや他の連中は、と言ったところだ。


「番兵どもが炊きたての握り飯に味噌汁食ってたの、オレは見たぜ」

「奴ら飢え死にさせる気か!?」

「あるいは、殺されるかもしれぬ」

「だ、脱出をはかるべきじゃないのか!?」


 慌てふためき、あるいは怒り、そんな様子の同胞たちとは打って変わって、環は冷静になりゆきを見守っていた。


「……くっくくく……くくくくく」


 ふいに聞こえてきた忍び笑い、それを発した当人に、一同の注目が寄せられた。


 広間の片隅で肩を震わせる大州は、ニタニタ笑いながら由基らを見ていた。


「……何かおかしいか?」

 由基の語調と視線自体が、矢のような鋭さを持っていた。


 だがこの悪相は、揺らぎさえしない。

 ゴロリと畳に寝そべったまま、不敵に放言する。


「あぁ。武人たるもの兵糧尽きても砂を食え、石を齧れと大言を吐くお武家がたが、タダ飯食える身分で選り好みしてやがる。これが滑稽でなくてなんだって言うんだ?」


「なにィ!?」


 いきり立つ色市を細めたその目で品定め、大州はなお笑いを深めていく。


「同時に安心もしたね。どれだけお高くとまろうと、生き物はみんな畜生ってな。腹が空けば吠え立てるし、死を前にしちゃ泣き喚く」


[もう一度言ってみろよ……」

 ゆらり、と由基が弓を携え立ち上がる。

 殺気立つ彼女を手で抑えながら、自身も感情を押し殺した声で豊房が言った。


「そうか確かに思慮が足りなかった。だが、この扱いが不当であることに変わりはあるまいっ!?」

「そうだよ! あいつら俺らをナメてるんだっ!」


「そりゃ。ナメるだろ」


 思わず口からついて出た言葉に、流天組と大州双方の耳目が向けられた。


 まずったか、と思ったのは、発言者である鐘山環だった。

 それでも舌は止まらない。


「そりゃ、ナメるとも。こんな見苦しく騒いでたら、物笑いにもしたくなる。と言うか、ナメない理由がないだろ」


 世評はどうあれ、その実態は国の実権を奪われ追放された公子と寄せ集めの家臣団だ。

それを見抜けぬ羽黒圭輔でもあるまい。


「で、誰かが暴発して俺たちを処分する大義名分を作ってくれる。それをあの男は待ってるんじゃないのか?」


 帽子を拾い、強く、目深にかぶる。

 環は舞鶴を見る。

 何も発言しない代わりに、慈母のような微笑を見せていた。


「だから、お行儀良くとは言わない。普段どおりでいろ。いつか奴らがこんな仕打ちをしたことを後悔する、その時まで」

 明言こそしなかったものの、それは鐘山環が皆の前で表明した野心だった。


~~~


 その晩のことだった。


「とは言ったものの……」


 ぐぅ、

 ぐぅ、ぐぅ


 鳴り止まぬ腹の虫に、環本人が辟易していた。

 何しろかれこれ十日以上、船酔いやら今回の拉致監禁やらで、まともな食事にありつけていない。

 布団に潜り込んでも、高いびきを立てる他の連中と違い、眠れそうにない。

 これでは本当に、身体を壊してしまいそうだった。


 ぐぅ


 ひとりでに鳴り響く腹の声に、


「……ふふ……口では偉そうなこと言っても、身体は正直じゃないか」


 などと一人口走ったりしてみると、

「うるせぇバカ!」

 男女を隔てるついたての下、即座に伸びた由基の足が、環の枕を蹴り飛ばした。

「ふざけたこと言ってねーで、布団の端でもかじってとっとと寝ろ!」


 そうは言うものの、今の一撃で完全に覚醒してしまった。

「……厠でも行ってくるか」

 のろのろと起き上がり、寝間着ひとつ、帽子も刀も双鎌も持たずに、公子は縁側に出た。


 ――しかし……


 と、環はある事実に気がついた。

 見張りが減っている。

 気のせいや闇による見間違いではない。

 篝火は焚かれているものの、それにより浮き彫りになった人影の数は、間違いなく昼より少ない。

 あげく、座り込んだ寝入りそうになっている輩さえいる始末だ。


 ――今なら、抜けられるのではないか?


 本気でそう思ったわけではなかったが、ふと、そんな期待が頭をよぎる。


 ――だけど、本気でそう考える奴らがいるかもしれないな。


 気をつけなければ。

 首を振って厠に向かおうとした矢先、背後から聞こえてきた物音で、足を止めた。

 ゴソゴソと、絶え間なく聞こえてくるその小さな音の連続が、環に


 ――まさかホントに誰か出ようとしてないだろうなっ?


 という危機感を募らせた。

「……っ!」

 環は踵を返し、その音がする台所、そしてそこから続く裏口の方へ向けた。


 物音が、違う色のものへと変わる。

 カラカラと、金属の底を引っかき回すような感じのものへと変わり、それに伴いかすかに、魅惑的な匂いが鼻をくすぐる。


「……」

 そっと中の様子を窺おうとした矢先、


「お」


 台所から顔を出した彼と、鉢合わせた。

 中年の男だ。

 それも、まったく見覚えがない。


「お、おぉ!」


 と、にこやかに、ややぎこちなく手を挙げた男は「まぁ入りなされ」と環を手招いた。


「は? あ、俺は」

「言わぬでもわかる! 腹が減ったのだろう? さもあらん、かく言うオレもな、どうにも我慢できんでな」


 台所に置かれた小さめ燭に照らされた男は、やや痩せ気味の、素朴な顔立ちだった。

 身なりはそれなりのもののようだったが、色合いも簡素なもので、凝視すると所々擦り切れているのがわかる。


 顎には針金のようなヒゲをたくわえ、べったりと張り付くような人の好さそうな笑みは初対面だというのについ気を許してしまいそうになった。


 抗うこともできず、招かれるままに台所へと入った環の鼻先へ、ほい、と飯茶碗が突きつけられる。


「残り物しかなかった」


 彼の言どおり、器の中身は冷えた味噌汁に、冷や飯と大根の漬物をぶち込んだものだった。


 だが、今の環にはそんなものさえ美食に見える。

 つい反射的に伸びた己の手に気がついて、ハッと引き戻した彼に、男は目を細めた。


「心配なされるな。毒は入っておらん」

「いえそうではなく」


 環はほんの少し言い淀む。

 待望した飯を前に、自分が感じている後ろめたさ。それをどう言葉に昇華しようか黙考する。


 暫時の逡巡の後に、彼は恐る恐る口を開いた。


「どうせ腹を満たすなら」

「うん?」

「ツレと笑いながらあったかい飯食いたいんで」


 男は、きょとんと目を丸くした。

 だが、


「ふ……ふふふ…………はっはっはっは!」


 次の瞬間には、笑い始めていた。

 手にした椀を大きく揺らし、肩を揺すり、箸を掴むと大口でそれをかき込んだ。


 見惚れるばかりの食いっぷりに唖然とする環の肩を、男は無遠慮に何度も叩く。


「然りだ環殿! よしよし、オレが皆に馳走するように圭輔殿に取り計らって進ぜよう」


 どうやら、こちらの正体を知っていたらしい。


 ――もっとも、この空色の両目は隠しようもないか。だがしかし……


 羽黒圭輔を親しげに呼ぶこの男は、一体……?


「なんだ今の馬鹿笑いは!?」

 と、朱槍を担いだ羽黒圭馬が飛び込んできたのは、その思考の最中だった。


「おう、オレだ。圭馬殿」

 と、男は義兄のみならず、その弟にも気安く呼ばわる。


「貴様何者!?」

 圭馬の後から続いた家臣が、誰何の声を鋭く放つ。


 だが、圭馬本人は違った。

 大きく目を剥き、顔を青ざめさせ、指と口は小刻みに震えている。


「き、き、き、さ、さささ、さま」

「……貴様?」

 言葉にならぬ彼の呟きを拾い上げ、思わず反復した環に弾かれたように、圭馬ははっきりと、男の名を呼んだ。


「器所実氏様ァ!?」


 聞いたことのある名だった。

 きそさねうじ、

 きそさねうじ、

 きそ……


 桃李府筆頭家老、天下五弓が一人、器所実氏。


「…………なにぃィィィ!?」

 予想を遥かに超える大物の出現に、環の叫びが城内にこだまする。

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