第一話:羽黒の弟(2)
「いやぁ! どうも、どうも!」
軽い、とまず使者を由基は見て感じた。
羽黒圭馬。
だが軽薄な感じではなく、程よい軽快さ、快男児と言えた。
黒々とした蓬髪と、程よく日に焼けた肌、棗の実をくりぬいてそのまま眼下にはめ込んだような、大きな瞳、それぞれが彼自身と快活な内面を引き立てるために存在しているかのようだった。
「大徳の御仁、鐘山環公子とかの名軍師勝川舞鶴様、そしてそのご一党ですな。拙者、羽黒圭馬と申します。兄圭輔の指示により、お迎えにあがりました!」
二十代前半から半ばほどに見える若武者。
しかし羽黒の門跡と圭馬自身の武勲は、辺境の一巫女とて知るところだ。
羽黒家は王争期より続く桃李府桜尾家の中でも有数の武門の家柄である。
そしてその脈々と流れる武の血統を継いだ圭馬は、攻勢に出ては常に最前線に、撤退戦においては常に殿軍に在る、と称される勇将である。
だが、羽黒家の家長は、彼ではない。
羽黒圭輔。
桜尾家よりの養子である。
年長者には違いないのだが、本家の謀略によるものか、それとも羽黒家が斟酌した結果か、現在この男が本来継承権を持っていたはずの圭馬を差し置き、家督を継いで、正式な当主に収まっていた。
そうした陰鬱なの背景を持ちながら、この男は、軽い、のである。
――そして、速い。
未だ着いて間もないというところに、精兵三十騎の手勢を率い、店を囲むようにして現れた。そしてそれは、それより以前にこちらの動向を余さず掴んでいたという証左であった。
「なんです? 圭馬様。連絡もなしに見えられるとは。環様も驚いておられるではありませんか」
「いや申し訳ない! かの環公子と一刻も早く会いたいと兄が申してまして」
武家相手にも怯まず応対する史の脇で、当の環は事態の急転に、ぽかん、と口を半開きにしていた。
もう少し体裁を整えろよ、と由基は舌打ちしたかった。
「それに、兵法書の写しの代金もまだですよ!」
「いやそれも申し訳ない。今日はそちらのお支払いと……あと、お客人を一時お預かり頂いた代金です」
まるで史の息子か何かのように萎縮したかと思えば、ジャラジャラと、小気味よい音を鳴らす麻袋を、彼女に握らせた。
その手の上下する振れ幅で、中の代金の多さを知ると同時に、由基は納得していた。
――『もとがとれる』とは、こういうことか。
だがそれは、意地の悪い見方をすれば、『自分たちは売られた』と言うこともできた。
巫女は、軍師を見る。
「……ずいぶん、お早い到着ですねぇ」
と漏らされた一言が、彼らの速度が舞鶴の予想さえも超えていたことを明かしていた。
そしてさらに意外だったのか、この世の全てが己が掌上と思っているのではないかというこの女が、ほんの少しだけ、面白くなさそうな横顔を作ったことだった。
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名津からさらに三日、陸路を経て向かった先は、桜尾家の本拠、蓮花はすばな城である。
王争期時代に築かれた城だったが、規模自体はそれほど大きくはない。
北を流れる川がそのまま水堀とした、丘陵地帯にある城砦は、内部にいくつもの空堀、曲輪、櫓を抱え込み、俯瞰すればあたかも水上に咲く蓮の花のようであろう。
「……というわけで、あぁいうものはみーんなこの腹黒いのの策略でして! 実情以上に噂が大きくなって、こちらとしても辟易しているんですよ」
「いやいや何をおっしゃいます。命ぜられたとしても、なかなか出来ることではないでしょうよ。それに策を採るか採らぬかこそ大将の才能が発揮される部分でしょうに」
北にあるという羽黒屋敷、すなわち羽黒家の別邸に案内される中、圭馬と環は息が合ったように談笑している。
息が合った、ように。
だが実際は環と由基ら即席家臣団は引きはがされ、五名に対し一騎ずつといった感じで護送されている。
……由基は借りた馬の上で軽く瞑目し、一気に開いた。
彼女の視界に、誰も見ることのできない蛍火の世界が映っている。
圭馬の背に向けて、曲線の光が注ぎ込まれているが、その手前でプッツリと、途切れていた。
由基は首を振った。
これはおそらく、弓を取り出し、放った矢が届くその前に、自分の運命が尽きることを示しているのだろう。
その場合彼女の命を奪うのは、背後に控えた騎兵の槍だ。
「ところで圭馬殿」
己の殺気を悟られまいと、由基は話題を転じた。
「羽黒家のご当主は貴方じゃなくて圭輔殿だと聞きました。知勇兼備の良将をして脇役にせしめるとは、相当な人物なんですね」
ことさら煽るような物言いに、圭馬本人ではなく、その話し相手である環が覚王の上で振り返った。苦々しい顔をする青年を、由基は鼻で嗤った。
「そうですな。弟の分をわきまえず私見を申し上げると、怖い人、です」
「怖い……」
「それに幡豆殿には拙者を知勇兼備の良将とお褒めいただいたが、それも兄者の打ち立てる戦略政略あっての武勲。拙者など足下にも及びません。兄者あればこそ、今日の羽黒家の繁栄があるのです。屋敷に着く前に一つご助言しよう。……兄者を怒らせぬこと、失望させぬこと。それが大事です」
彼の言葉には、義兄に対する畏敬が確かに内包されていた。
ではこの男を、そう言わしめる羽黒圭輔とはどういう男なのか?
十年前、風祭家との戦いで大敗した桜尾晋輔が、その戦の後、羽黒家へ養子縁組され、姓名を羽黒圭輔と改めた。これは外聞によれば、桜尾家の跡目相続から脱落したのでは、という考え方もあるようだ。
だがその後、内部においては羽黒家が分裂したとは聞かず、外部においては対風祭府の戦線を維持し続けたばかりか、器所実氏と合力して逆にその領土を切り取っている。
以後、圭輔は東部司令官であり、全軍の副将を兼務する形だ。
その権力は、領地経営や戦にて失敗を続ける実兄らを凌駕するとさえ言われている。
大した出世劇だ、と由基は言葉にせず苦笑した。
――舐めさせられた辛苦が、お坊ちゃんを覚醒させたのか、眠っていた才能を開花させたか。ただの偶然か。圭馬が一歩退いて尽力した成果か。
それも、いずれ分かることだ。
何しろ、自分たちを呼びだしたのは、その男なのだから。
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蓮花城内、羽黒屋敷。
羽黒家本城、岩群いわむろ城は敵の攻撃にさらされる危険があり、環らの安全のためにこちらに移送されたのだという。
「……兄者が前線より戻ってくるのに、日数を要します。御用があれば、何なりと近侍にお申し付けください。では、どうぞおくつろぎを」
懇ろにそう言って恭しく一礼すると、圭馬はようやく姿を消した。
ようやく一息をついて腰を下ろした環は、帽子を脱いでぱたぱたと扇代わりにした。
「さてさて、落ち着けたところで現状を確認しましょう」
しゃらん、と。
舞鶴が金の杖飾りを鳴らしたので、一団の耳目は彼女へと集中した。
「予定通り、我々の受け入れ先は桜尾家、桃李府となりました」
「では……最初から中水府は候補にさえなかったと?」
地田豊房の質問に、舞鶴は顎を上下させた。
「中水府の一将となって現王朝打倒を目指すのならば、それも良いでしょう。ですが、殿には民衆の記憶が新しいうちに再び順門府に戻り、天下に覇を唱えて頂かなくてはなりません。そのためには、順門府の敵対国であり、隣国であり、大きな兵力を有するこの国の助力か不可欠です」
「じゃ、なんで響庭らを中水府へ使者として送った?」
「おや、お気づきでしたか」
環の質問を、舞鶴の笑みで受け止めた。
環は忌々しい気分になりながら、
「それぐらいは分かる。と言うか、あれだけ口の悪い男が近くにいなけりゃ、イヤでも気づく」
と言った。
「……任海殿は絶対に受け入れません。ですが、その配下の水樹殿は反逆者に似合わず律儀な御仁と聞いています。なんらかの支援を頂けることは、確実。いずれ武器なり食料なりを引っさげて、響庭殿は戻ってきましょう」
「つまり、投資を引き出させたわけだ」
今さらながら、環は自分たちが口先三寸で金品をかすめ取る悪党のような錯覚に陥った。
「だけどさ……もし、響庭のヤツが戻って来なかったら……?」
色市が口にした懸念が、ほんの少しだけ場の空気を重くさせた。
「だってそうだろ? まだ安全とは言えない俺たちの下に戻ってくるよりはそのまま中水府の将になった方が……」
「あいつは、戻ってくる」
環の確信が、色市の目を見開かせた。
「いい加減なこと言うな!」
「いい加減か? 俺たちを受け入れなかった中水府公に、あの毒舌家を受け入れる器量があるとは思えないんだが」
「……っ」
「私も、殿の意見に賛同しますねぇ。そもそも戻ってこなくとも、我々が損をするわけでもないでしょうに」
「でも……っ」
「それよりも、響庭って野郎が戻ってくるかどうかより、もっと気にしなきゃいけねぇこと、あるんじゃねぇか?」
ダンビラを片腕に抱いた大州の発言が、食い下がろうとする色市始の気を削いだ。
「つまり、オレらをこの国が受け入れ、かつ思惑通りに兵を貸してくれるか……」
由基は舞鶴の横顔をじっと睨み、懸念をぶつけたが、それに対して楽観を見せたのは、先ほどまで懸念を示していた色市だった。
「まぁその点の心配はいらないんじゃないか。俺たちをこうしてお招きくださったのだし、招き入れたからには意味があるはずだ。つまり、俺たちを大義名分に、順門府に攻め込む腹ではないか」
「……だと良いのだがなぁ」
地田豊房は、むっつり腕組みしてぼやいた。
「ではここで、この桃李府の情勢について軽く説明させて頂きます」
舞鶴が杖を、真新しい畳の上に置く。
「現状桃李府には我々に出現に対し二つの派閥が現れました。殿を戴き順門攻めるべしという一派と、むしろ排して順門と和睦すべしという一派」
かたや安全と成就、かたや殺害を意味する両極端な分岐。
それを改めて自覚し、環は背に汗をかいた。
「幸いなことに現状、優勢なのは前者。これは、先における佐咲、渥美両名を討った武勇談と、危急においても弟妹の弔いを忘れなかったという美談により、桃李府内でも『悲劇の英雄鐘山環』の名声が高まったからに他なりません」
当の悲劇の英雄は、皮肉げに顔を歪め、帽子を強くかぶり直した。
「ただ問題は、反対派も未だ抵抗を続けているということ。ましてや桜尾家現当主典種のりたね公は病弱で、未だ決議を得られない様子。どう転ぶか分かりません。まして反対派の首魁が、器所、羽黒の二名となると……」
――ん?
環は、聞き捨てならぬことがさらりと流された気がした。
――今、なんか変なこと言わなかったか……?
環の疑念が、そのまま「待った」と声に出た。
「はい」
「お前さ……今、なんか変なこと口走らなかった?」
「?」
豊かに盛り上がる胸の前で腕組みし、舞鶴はあどけない面立ちで首を傾げた。
お前らこそ分かっていないのか、という視線が周囲から突き刺さり、環の焦燥はますます募る。
「……舞鶴、お前……今、羽黒殿が反対派って言わなかったか?」
「はいッ!」
いっそすがすがしいほどの笑顔で、その恐ろしい予感は現実のものとなった。
環は引きつった笑みを浮かべ、弾かれるようにして窓から外を窺った。
屋敷の出入り口は兵によって固められ、そこに至るまでの要所を守る武士たちも戦時の如く甲冑を着込み、その厳重な固めようは、警護というよりは……
「つ、つまり……圭馬殿が俺たちをこの屋敷に連れてきた意味って……」
環の声は、すでに震えていた。
「お察しのとおりです! 私たち、拉致監禁されちゃいました♪」




