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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第三章:桃李 ~乱世の将星たち~
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プロローグ:麻布、帰る

「……ふわぁ……!」


 船から半身を乗り出した鈴鹿は、彼女にしては珍しく、子供らしい未知への好奇心で目を輝かせていた。


 彼女の目の前には、西国一の港湾都市が広がっている。


 名津。


 一日稼げば家が買える。

 五日稼げば城が買える。

 十日稼げば国が買える。


 ……とは、いかにこの町の金回りが良いかを讃えた唄であり、


 上布とて、一日着て歩けばボロになる


 ……とは、その人通りの多さと激しさを示した言葉である。

 いずれも誇張ではあるが、まったくの虚構ではない。


 それは、海を隔てて広がる壮大華麗な光景によって、異邦人である環一行らにも証明された。


 皆、大なり小なり郷愁はあったが、大都市の華麗さが一瞬、それを忘れさせたほどである。


 だが郷愁とも、憧憬とも無関係、無感動、無関心。

 そんな者がいなかったわけでもない。


 一人、黙々と弓弦をいじる幡豆由基。

 彼女とは違う船に乗って、泰然と昼寝する夷改大州。

 そして……


「……はへえええぇ……あへぇぇぇ……」


 私室に閉じこもって、船酔いで潰れた、鐘山環その人である。


~~~


 中水府の府都(政令都市)李洋宮(りようぐう)

 元は風祭府と同様、皇帝の親族が治めていた土地であったが、その府公が尊大な無能、血族だけで威張り散らした人物であったことが、民に、そして後日の彼自身に悲劇をもたらした。


 樹治四十五年、任海是正、乱を起こす。


 それによってかの貴人は蜂起した民兵に頭蓋を叩き割られ、以来、乱は未だ平定されない。


 環らの着港に前後して、ある客人が、彼らの倍する航路を経てこの反乱勢力の本拠にたどり着いていた。

 その客人の要望に応えるべきかどうか、連日話し合いが行われてきた。


「我らの戦いは朝廷などと称して天下を乱す藤丘を打倒するための戦いである。順門府の内紛になど構ってられぬ」


 そう発言したのがその会議の主であり、反朝廷勢力の盟主、任海是正なのだから、自然、


「鐘山環を客将として迎え入れる」


 という案件は、否決へと傾いていた。


「大体、順門は反朝廷とは申しても、時に停戦、時に開戦と、これまでも節操がなかったではないか。不純である。ましてその公子と名乗る浪人には兵もなく、順門府への道も遠い。迎え入れたところで利があるわけではあるまい」


 だが、盟主に対し、異を唱える唱えた人物がいた。


 水樹陶次


 是正の盟友であり、元は彼と同じく朝廷から左遷された一役人に過ぎなかった。

 以後は彼の副将に甘んじている。

 今日までにこの府が未だ反朝の旗を掲げていられるのも、彼の政戦における才腕と人徳によるところが大きかった。


「故にこそ、迎え入れるべきだ。さして利のない相手であるからこそ、保護すれば『任海是正は情義に厚い人物』との風聞が立ち、今は朝廷に面従腹背している者たちもこぞって立ち、庇護を求めることだろう」

「……」

「第二に、鐘山環自身の風聞。脱走の経緯を調べさせたが、その振る舞いから彼は順門府内で非常に高い人気を得たという。そうした彼が我々に助けを求めにきた、という話も加われば、一層に我らの信望も高まるというもの」


 南方の荒れた雰囲気に当てられたか、任官当時は涼やかな風貌を持っていた彼であったが、今は粗野粗衣に甘んじている。

 葡萄酒を思わせる赤茶けた長髪は乱暴に束ね、洗いざらしの着物に、獣の毛皮を腰布代わりに使っている。

 あたかも山賊を思わせる風体だが、それに似つかわしくない、理路整然とした口調が、この陶次の最大の特徴とも言って良い。


 そしてそんな彼の外見を軽んじるわけではないが、是正はなおも首を横に振った。


「いや。俺はそのように民を欺くような策は取らん。他人の威徳を借りるようなマネもしない。そもそもその公子は、風聞によれば祖先の墓地に立てこもったとも聞く。とすれば唾棄すべき卑怯者である。そのように不義を働く輩は、我らの正義の戦いには必要ではない。違うか?」

「しかし是正……」

「それと」

 ぴしゃり、襖を閉じるような排他的な言い方で、盟主は上座より申し伝える。


「言葉は改めてもらおう。俺もまた中水府公なのだぞ。水樹」

「……申し訳ありません。出過ぎたことを申しました。府公様」


 陶次はそれ以上食い下がろうとはしなかった。


~~~


 陶次は自らの屋敷に戻ると、そこに逗留している客人に、ひとまず頭を下げた。


「上首尾とはいかなかったようですね、水樹さま」

「遠路はるばる頼って頂いたのに、お力になれず申し訳ない。響庭殿」


 響庭(ひびきば)村忠(むらただ)

 順門公子、鐘山環の馴染みという流天組なる不良組織の一人ということだ。

 大渡瀬での事件に紛れて、かの勝川舞鶴の命を受けて別行動を、すなわち鐘山環の受け入れ先の選定を行っていたという。


 歳は未だ二十そこそこということだが、実際よりも若く見える童顔に小柄で華奢な身の丈、細い瞳とちらりと見える八重歯が、小動物的だった。


「いえ、ご無理を言ったのはこちらですので。軍師も貴国が受け入れる可能性は低いと申しておりました。しかし……」

「何か?」

「いえ、是正公は清廉潔白な方だと思いまして」

「……ありがたきお言葉。それを聞けば我が主君もさぞお喜びに」

「褒めていないと分かっておりましょう? 副盟主さま」


 水樹陶次は涼やかな微笑を残したまま、床の木目に視線を落とした。


「碁石の色は白か黒か。どちらか多く盤に残ったが勝ちだと言うのに、汚れていたり傷物であるなら白石ではないと? それでは勝ちようもありますまい。あの手の御仁は、いかな才能を持っていようと、どのような時代に生まれてどのような役割を与えられてもひたすら生きにくい。そしてその下に属す者たちはもっと不幸でしょうな」


 とても使節とは思えない不遜な物言い。

 しかしそれに対して陶次は、反論の材料を持ってはいない。それゆえの無言であった。

 それゆえの、話題転換を図った。


「……では、響庭殿におかれては、その手駒をいかに使うべきか、用途がお分かりかな」

「公のお考えまでは存じません。と言うよりも、分かっていますが言うまでもありませんな。ですが、水樹さまのお考えは察することが出来ましょう」

「私の考えを私が尋ねるというのも滑稽なことだが……伺おう、響庭殿」

「はい」

 姿勢を正した響庭村忠は、まるで眠り猫のように切れ長の目を細め、口を開けた。


「水樹様はおそらく、朝廷との全面戦争は望んでおりますまい。各勢力を糾合し朝廷周囲に揺さぶりをかけつつ、講和を求め、自治を認めさせる」

「……そう考える根拠は?」


 小間使いが彼らの座に茶を運ぶ。

 これから振るう長広舌を、村忠は茶で湿らせ、ゆったり呼吸を整えた。


「反乱以来の貴国を動きを見ればわかります。反朝廷を謳いつつ、軍事においては府内の反乱鎮圧と国防に重きを置き、内部においては殖産や新田開発に力を入れておられる。これは反乱直後、騎虎の勢いで迂闊に攻め込み、禁軍に大敗した傷を癒すため、という見方がありますが、実際は一反乱分子に過ぎぬ小国を、朝廷の権威を必要としない自立した国家とするため」

「……なるほど。貴国もかつて、似たような経験をお持ちだったな」

「えぇ。似てはいます」

 似ては、という部分を強調して、彼は言った。


「だが、我らの祖、宗円公が自治を最終目的としたのに対し、貴国の究極とするところは朝廷の打倒。そうして和平を成立させておきながら、両国の差は広がる。まだ伸びしろがある中水府に比べ、朝廷の資源も人材も、もはや払底している。その差が明らかになった時はもう手遅れ。どちらが勝者かは明らかです」

「どうだろうな。禁軍にはまだ信守卿という希代の名将がいる」

「上社信守に勝てる者はおりますまい。しかし彼は帝や他の重臣らに疎まれ、無役に等しい。彼自身、朝廷そのものに愛想が尽きている。書生時代、貴方は彼の下で厄介になっていたと聞きます。そのことを、もっとも理解しているはずでしょう」


 ――図らずも、懐かしいお名前が出てきたものだ……


 陶次は煎茶を口に運びながら、軽く瞼を下ろした。

 昔日の、ヘソ曲がりのひねくれ者ながら、まるで父兄のように自らに接してくれた恩人を、思い出していた。


「……しかし驚いた。そこまで調べ上げていたのか」

「いえまぁ、これはあの黒い軍師からもらった情報でして。見解と冗談はそれがしの会心の出来だと思うのですが、如何?」


 まるで自らの答案の採点を求める弟子の如く、若者の目は覇気と自身に満ちていた。


 ――かつての私も、信守卿にこのように教えを乞うていたのかな。


 だが今は、感傷に浸る余裕も、その資格もない。


 望郷の念を目元の優しさに変えて、水樹陶次は多弁なる若者をじっと見つめた。

「この天下に、私の構想を察し、理解してもらえる御仁がいる。それだけでも、嬉しいことだ。……ありがとう」

「は? ……は、はい」

 困惑したような、照れたような反応を村忠は見せた。ようやく見せてくれた青年らしい感触に好意を覚え、陶次はつい、こんなことを口走らせた。


「舞鶴殿の意を受けたと言えど、これほど見事に受け答えし、見識豊かな者もいない。どうかな? このまま中水府に留まってはもらえないだろうか? 私が口添えすれば、それなりの待遇も約束されるだろうが」


「……お誘いはありがたいのですが」

 それほど時間をかけず、村忠は首を振った。


「そうだな。主命を放棄したとなれば、君も後味が悪いか」

「……それもあるのですがね」


 青年使節がふっと目をそらした瞬間、彼が断った本当の理由が陶次にも分かった。


 ――大船とは言え、傾きかけた船には乗れぬ、ということか。


 そしてその大船を立て直すためには、今回環を受け入れる必要があったのだ。

 偽りとも言え、他人のものとも言え、名望を得る最大の好機を、逃しては。


「由ないことを申し上げた。許して欲しい」

 陶次は深々と低頭し、顔を上げてから手を叩いた。


 彼の暗黙の意を受けた家臣達が、次から次へと客間に現れては、荷箱を五つほど、村忠の前に積んでいく。

「……これは……」

「君も手ぶらでは帰りづらいだろう。火縄銃五十丁。それと我が領の金穀一部。道中も、我らに協力する海賊衆に保証させよう。せめてもの土産だ。環公子には『後日、どうか我らをお見捨てなきように』と」

「よろしいのですか?」


 地を持たぬ小集団に、破格の手土産と言って良い。

 村忠の目には、感謝よりも驚きと疑念の方が強かった。


「構わないよ。我々にはこれそのものよりも、これを運用できる人物こそ、欲しかった」

 陶次はそう言って、己の未練に苦笑した。


~~~


 再び、遙かな海路についた。

 村忠は帆船の船縁にヒジをかけながら、


 ――環どのも、今頃は船の上かな。


 などと、物思いにふけっていた。


「しかし気前の良い人だな、水樹陶次という方は」

 彼の付き人として従っていた流天組二名のうちの一人が、村忠に軽やかな声をかけた。


「かわいそうな人だ」


 しかし村忠はその意見に対し、そう答えた。

 顔を見合わせる二名に対し、苦み走った顔を横に振る。


「せっかく百年の大計を描こうとも、それを取り上げぬクソバカが盟主ではな。才能と忠誠心と友情の無駄遣いだ」

「お、おい!」


 副使たちは狼狽を見せ、周囲を右顧左眄した。

 何しろ自分たちと積荷が乗っているのは荒くれ者の海賊たちの所有船で、しかも彼らは中水府に協力する身なのだ。

 そのような暴言が彼らの耳に入れば、いつフカの餌にされるか分かったものではない。

 彼らは、そう言いたいのだろう。


「その点、こちらは恵まれている。少なくとも鐘山環という人は、人を見る目と用いる術は心得た人だ。ようやく、僕の才能を発揮できるってものさ」

「……大した自信だな」


 ズケズケとした物言いは、不良時代から他者にあまり好かれることはない。

 同伴者の視線にトゲがあることを自覚しながら、彼自身はそれを今さら改める気にはなれなかった。


「自信? 勘違いされては困る。僕は色市のようなうぬぼれ屋でもないし、環殿のように自他ともに過小評価しているわけでもない。才能においても、幡豆や舞鶴どののような突出した才能があるわけでもない。せいぜい副将、二番手三番手どまりさ。それが偉そうに見えるのは、陰険な性格で口が悪いというだけだ」


 開いた口が塞がらぬ。

 言葉ではなく、態度で示す二人を背に、西海の荒ぶる波濤を見下ろした。


「だが、麻布が絹地に劣ると言っても、その着物を毎日着続けるわけにもいくまい。それより劣っても必要とされる機会は何度でも巡ってくる。一流の二流。必要不可欠の器用貧乏。僕の位置づけはそんなところだ」


 さて、と。

 腕を縁から外した村忠は、組んだ手を後に回し、天を見上げた。


「そろそろ、この悪質な布が必要とされる時が来そうだな」

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