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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第二章:鬼謀 ~順門府よりの亡命~
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第四話:小舟の旅立ち

 それからの御槍城下の気候は、平穏そのものだった。


 事態が事態だけに急いで、しかし最低限の形式は整えて行われた葬儀は、環らとその即席家臣団だけが参列し、また銀夜側の人物からは長谷部平歳なる人物が、苦悶と屈辱に顔を歪ませながら同伴していた。


 当初は銀夜本人が出席することになっていたのだが、病と称して出ず、代わりに舞鶴が要求したのが、「何故か」手に傷を負った、重臣でもない彼であった。


 ……もっとも、彼を連れてきたのは銀夜や長谷部の主である新組ではなく、幡豆由基であった。情けなく連行されてきたその『人質兼暗殺の証拠』を、新組勇蔵は苦虫を噛み潰したような表情で睨んだという。


 葬儀も終わり、着替えた環は一人、自らの近親者の墓の前に百合の花を添えた。

 墓地の片隅の小さな墓石に碑銘はない。だが、『反逆者一族の末路』とでも刻まれるよりは、遙かにマシだと環は考えた。


 父宗流の首は、すでに朝廷に送られており回収は不可能だった。そのことに思うことがないと言えばウソになるが、それでも、この国で出来ることはひとまずし終えた、と思った。


 じゃあな、と軽く別辞を述べた環の背後には、いつの間にか寺の主が立っていた。


「和尚か。世話になった」

「いえいえ、拙僧は何も。これも御仏のご加護によるものでしょう」


 と手を合わせるも、相も変わらずどこか白々しい。

 微苦笑しながら、環は尋ねた。


「ところであんた、何で俺たちに協力してくれたんだ?」

 銀夜の支配下にあるという、立場もあるだろうに。


「それは、これ」

 和尚は自らが仏であるような極上の笑みを称えながらも、杯を手で模してみせた。


「『かの妙薬』は、一人で飲むとひたすら陰鬱な気分にさせますが、他者と酌み交わせばそれは大層陽気になれるものでしてな。他も同様。禁じても人は生きるに必要とあらばその禁を破るもの。……この国からは、生きるに必要なものさえ、不実不要なものと見なされ排除はつつある」


 と、ますます苦みの比率を増させる環の前で、平然と述べてみせる生臭坊主は、最後にこう付け足した。


「公子殿。不実とも言え、どうか楽しき地を作られよ」


~~~


 御槍城下の港湾。

 城砦にも見えるほどに巨大な輸送船二隻を見上げ、環は「おぉ」と軽く感嘆を発した。


「流石に天下屈指の豪商だ。凡百の府公の水軍でも、こう見事な代物は持ってないだろ」

「しかし、いかに豪商とは言え、逆賊であった領内に支店を構えているとは」


 半ば呆れたように色市が言うと、由基が桟橋で荷をまとめながら言った。


「武家の国境なんぞ、商家の販路には関係ねーからな。それに今のご時世、商人と寺社仏閣にデカイ顔できる侍なんぞいねーだろ」

「それでもここまで大胆な場所に出店ができることこそ、六番屋の権勢を物語っている」

 豊房がマメにその荷を帳簿に照らし合わせている。


 彼に頷きを見せてから、環は改めて港に集まる人々を見た。

 流天組残存八名、緋鶴党残存十五名、魁組残存十一名およびその他大渡瀬からの逃散民十三名。

 ここに至るまでの離脱者は数知れず。

 それでも、未だ死傷者は確認できず。


 ――よくぞ、ここまで……


 環は感慨深く彼らの顔を見守った。

 土地も持たず、兵も、武器も、知勇も将器も持たない己に、これほどの人数がついてきたものだ、と。


 ――例え将来、何かの間違いで俺が天下万民を従えることになったとしても……今この百人足らずを救えた喜びには勝ることはないだろう……


「……皆、よくここまでがんばってくれた。改めて礼を言う」


 それは決して大きな声ではなかった。が、彼の謝辞を受けて、その場にいた全員が環に顔を向けた。


「佐咲らのような暴走する者がいないとは言い切れないが、和睦が成った以上、咎めもないだろ。先方ともそう確約している。銀夜とて、これ以上恥を上塗りするようなマネはしないだろう。今この国を出れば、再び帰れる保証はない。……咎めはしない。順門に残るならばそれでも」


「……大将、あの、大将」

 おずおずと、挙手をして進み出た魁組の一人に、「なんだ」と聞き返した。


「逃げるつもりのヤツは、とっくにみんな逃げちまいましたが」

「えっ…………そうなの?」


 改めて見渡せば確かに、この場に集まっている者の中で、昨日の晩まではいた者の顔がちらほらと見えない。

 キョトンと空色の瞳を丸くする環に、くすくすと皆が笑う。


「おめーが気づくことに、気づかねーバカはいねーよ」

 旅荷をまとめた幡豆由基が、すたすたと環の背後を通って乗船する。

「人望があるんだかないんだか……」

 地田豊房は自分の身ほどにある大荷物を軽々と担いで、その後に続く。

 色市、覚王を牽引する良吉が船に乗り、武士、民、武士の順番で割り振られた船に入り、その差配と殿を務めたのが亥改大州。

 ぼうっと突っ立つ主の肩を気安く叩き、自らはダンビラを担いでゆうゆうと上った。

 そして最後に、


「環、行こ」


 鈴鹿が、環の上衣の袖を引く。

「いや、鈴鹿お前……っ、今以上に危ないことになるぞ多分! それでも良いのか!? このまま六番屋に雇ってもらえるよう口添えしても……」

「だって一緒にいてあげるって約束したもの。それにそんな危ないとこに行く環を放っておけないよ」

 二度と帰れぬかもしれぬ旅路、その始まりにも関わらず、鈴鹿の面立ちと声音とは、相変わらず感情の起伏に乏しい。


「大体今がこれからだって時じゃないすか」

「これじゃ女の着物を剥いでおいて抱かないようなモンですわ」

 と、品のないヤジを飛ばすのは、大州麾下の魁組だ。


「だあぁ! お前ら女子がいるってのにそんな冗談を言うんじゃない!」

 そう怒鳴り散らす環に、ずいと少女は顔を寄せる。

 長い睫は微動だにしないが、それでも、目には野性のカモシカを思わせるみなぎるばかりの力強さがあった。


 ――今は乱世。本当の意味での安全地帯なんぞどこにもないか。


 そう折れた環は、帽子を目深にかぶり直して、もう片方の手でクセっけの強い鈴鹿の黒髪をくしゃくしゃと混ぜ返した。


「……船に乗れ」


 ん、と短く首肯した彼女は、そのまま未練や戸惑いも見せずに足早に船に乗った。


 さて、残された者と言えば、


「……おい、何してる?」


 荷物らしい荷物を持たず、黄金の杖を腕に抱えた勝川舞鶴だった。

 何かが納得いかないように、というよりそうした態度をあからさまに見せつけるように、小首を傾げてうんうん唸っていた。


「いえね、私はどうしましょうと思いまして」

「……は?」

「嗚呼百年暮らした我が故郷、順門! 無論殿への敬愛を放棄したわけではないのですが、それでもなお、故郷忘れがたし! 行くべきか、行かざるべきか!?」

 わざわざ芝居がかった身振り手振りで、大げさに身もだえする尼僧にその主君は苛立ちを隠せない。

 そして、彼女が一体何を、どういう言葉を待っているのかは、彼にはすぐ分かった。

 何しろそれこそ、この黒衣の軍師が、流浪の元公子を王君として仰ぐ所以なのだから。


 環は力尽くで鳥飾りの杖を取り上げ、船の甲板へと放り投げた。

「あぁっ、何をご無体なっ!」

「やかましい! 人を焚きつけ煽って梯子を外したババァが、今さら虫の良い悩み事するんじゃない!」

 少女の如くむくれる舞鶴に、環はまっすぐ手を差し伸べた。



「来い、軍師。俺の道には、お前が必要だ」

「かしこまりました、我が君。舞鶴の才は、殿の描く楽土のために」



~~~



 そして船は港を出た。

 口ではどう言おうとやはりめいめいに未練は残るのか、皆は船縁にしがみつくようにして、離れていく陸地が豆のようになるまで見つめていた。

 環とて、それは例外ではなかった。

 もっとも彼が見ているのは土地そのものではなく、岸辺にて下げた頭を無数に並べる、御槍城下の民の姿だった。


「まったく、ひどい扇動家だよ」


 と、彼の真情を射貫くかのような強烈な皮肉を、幡豆由基は背後から投げかけた。

 環が振り返るよりも先に、どっかりとその隣に尻をつけ、御槍の民が献じた大根の腹をかじる。

 不作法ながらも、その誰に憚ることのないたくましさが、環には美しく思えた。


「仕掛けられた方も、仕掛けた方も、たまったもんじゃねーな」


 環はそれに対して、肩をすくめただけだった。


「おい」


 まだ何か言い募ろうというのか。

 顔をわずかに曇らせた環に、幼なじみの横顔は「そんな顔すんな」と言っていた。


「辛くなったら言え。オレが代わってやる」


 そして実際に紅の唇から出た言葉は、意外なほどに優しいものであった。


 ――こりゃ雨どころか矢が降るな。


 その一言を、環は余計なものとして飲み込んだ。言ってしまえば由基の手により本当に降り注ぎかねない。

「心配すんな、俺は御輿に乗ってるだけだ。走ってるのはもっぱら下の奴らだろう。一歩も歩いてもいない俺が、どうして疲れただの辛いだのと言えるんだ?」

「別に心配しちゃいねーよ。順門府公幡豆由基、その誕生がいつになることやら、今から楽しみなだけだ」

 照れ隠しでもなく、かと言って本音にしては突拍子もないことを言って、由基はお茶を濁した。


「なんだなんだ、こんなところで逢い引きか?」


 彼らの背後から、色市、地田、良吉ら流天組の主要人物がぞろぞろとやってきた。

 亥改大州はもう一隻の船に乗り込んでいたため、その場にはいない。

 珍しく、魁組との離れての行動だった。


 それはそれとして流天組。

 彼らは背の後ろに、なにやら大きなものを隠しているた


「……とてつもなく嫌な予感がするがいちおう聞いておく。なんだそれ?」

「いやなに、ここに至るまでの間に、ちょっとお前さんのお宝を回収してね。目的地まで余暇もできたことだし、返しておこうかな、と」

 と、嫌な余韻たっぷりにそう言ってのけた色市の指示で、それが全員の目に晒された。


「げぇっ! そ、それは……っ!」


 それは、一旒の旗であった。

 環が流天組時代、組の旗印として図案化させ、実際に手ずから刺繍で編み上げたもの。

 浅黄の下地に、黒糸で円を描中心に、高々としぶきをあげる波と龍とが縫い込まれている。

 だが結局それは旗印そのものの必要性のなさと、意匠の不評さから、文字通りお蔵入りとなっていたはずなのだが、どこからか掘り返してきたらしい。


「どうよ大将? 改めてお前さんの旗にでもするかい?」


 わざわざそうして忘れがたき過去を蒸し返し、環を煽ってみるのが、ニヤニヤ笑う色市と地田の狙いなのだろう。

 だが、そうした彼らの期待とは裏腹に、


「……コレ、こうして今見てもやっぱいい出来だなぁ」

 強がりでもなく、現実逃避でもなく、その考案者はきらきらと目を輝かせて好反応を見せた。


「は?」

「……は?」

「はて?」


 予測を裏切られて呆然とする由基、地田、色市を尻目に、環はまじまじと浅黄の旗をまじまじと、真剣そのもので見つめていた。

「うん。そうだな。使ってみるのも一興だな。よーし、じゃあ今後はこれが俺の家紋にする!」

 ノリ気になってしまった本人に対して、むしろ提案者たちの方が、


「ねーよ」

「ないって」

「ない」


 ……と、理解を拒絶した。


「なっ!? お前らが勧めたんだろうが!」

「ねーよ」

「マトモな感性してたらそんなもの家紋にしようとは言い出さんだろうが!」

「そんなことないよなぁ良吉、鈴鹿、コレ、格好良いよなぁ?」

「いい」

「……イイ……」

「ほらなー? お前らの方が間違ってるんだ。……オーイ大州! コレ、アリだよなー!?」

「やめろ! 恥をさらすなっ!」


 未だ陸地は遠く、船は大きく波に揺さぶられる。

 もみくちゃにされながらも環は、それでもこの旅が賑やかになること




 樹治六十年、巳の月二十三日。

 鐘山環、その叔父宗善に逐われる。


 その中で起きた幾多の謀略、幾多の過程は後世の史書には記されず、

 ただ、一文のみで片付けられている。

 その実情を知るのは、当世でも限られた人数のみであった。


~~~


 番場(ばんば)城。

 桃李府と風祭府の中間に位置するこの平山城は、元は風祭家に属していたのだが、この年、桜尾家に鞍替えする。


 風祭府、現府公の弟である親永ちかながはこれを討つべく六千の手勢を率いて進発。

 対して桜尾家でも、増援として八千の主力を率いてある男がその目前に布陣していた。


 ――鐘山環、その叔父宗善に逐われる。


 遠く千里を隔てて彼の下にその報がもたらされたのは、ちょうどその陣中でのことだった。


「ほぅ、『誅された』のではなく、『逐われた』のか」

 男は、その報告の文にざっと目を通し、翻して傍らの青年に手渡した。

「となれば、それは公子殿は見事脱出に成功した、ということになるな。圭輔殿」


 男の佐将を務めるのは、桜尾家当主の五男にして男の娘婿である羽黒(はぐろ)圭輔(けいすけ)である。

 未だ三十にも満たない若き俊英は、眉間に険しさを見せながら文を返した。


「厄介なことになりましたね。おそらくその脱走者が亡命してくる先は……」

「我らが桃李府、ということだ。名津になるかな」

「そうなるかと。……如何取りはからいましょう」

「老臣連中に先に確保されては面倒だ。急行して公子を保護してさしあげろ」

「はい。ではさっそく」

「だが、今向かっても間に合うまい」

「心得ています。国内で留守を預かる義弟を向かわせましょう」


「……さて、では目の前のお客人には早々にお引き取り願うとしよう。圭輔殿」

「はい」

「貴殿は手勢を率いて敵左翼に当たられよ。その後、わさと退いて敵をおびき寄せ、伸びた鎌首は我ら本隊が断つ。中軍は本林(ほんばやし)、右翼は釜口(かまぐち)相沢(あいざわ)に抑えさせ、左翼を切り崩し次第これらを叩く。後方に控えた風祭武徒(たけと)はあらかじめ伏せておいた別働隊二千に後背を突かせる。だが妨害に徹し、決して直接当たろうとしないように、と」

「承知しました」

 圭輔はまるで自らが執事であるかのように、恭しく一礼した。


「けどこれ、貴殿の口から命じた方が良いかもしれんよ。成り上がり者に大きな顔されると、皆は良い顔しないだろう」

「ご冗談でしょう」

 からかう男に、圭輔は匂い立つような美笑を見せる。


 本来主家筋にあたるこの副将は、親類でもないこの総大将に対し、何ら敵対意識、差別意識を持っていなかった。

 それどころか、敬意と好意を持って、男に接していた。


「この場のみならず、既に天下の誰もが貴方の将才を認めていますよ。桃李府筆頭家老、器所(きそ)実氏(さねうじ)殿」


 賞賛を苦笑と共に受け流し、その男、実氏は再び文に目を落とした。


 ――順門公子、鐘山環……はてさて、あの気まぐれ隠者が認めた器量、いかほどのものかな……


~~~


 過去はその一因にしか過ぎない。後世がどう求めようと、既に起きたことは変革しようがない。

 それでも、当世の万民が、その上に立つ支配者が、望む望まぬに関わらず、時代は波乱と混沌の中へと突き進む。


 鐘山環という小舟は、時代の激動の流れに、未だ身を任せているのみである。

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