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樹治名将言行録 ~鐘山環伝~  作者: 瀬戸内弁慶
第二章:鬼謀 ~順門府よりの亡命~
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第二話:霊にて脅す(2)

「一体これはどういうことなのだ!?」


 寺を以前包囲下に置いている銀夜の陣営は、再び騒乱の渦中にあった。


「逆賊どもの数倍、いや数十倍、いや百倍の戦力を持つ我らが、何故このような所で手をこまねいておるのか!?」


 もっとも、騒ぎ立てているのは、たった一人であった。

 外周の包囲軍、その北側の指揮を受け持っている新組勇蔵である。


 歳は三十中頃、家中きっての武闘派として知られている。

 もっともその武勇というものは外ではなく、内に向いていることが多い、という評判がある。


「戦場で討った敵の数より、粛正した味方の数の方が多い」


 とは、彼の評価でもっとも当てはまる言葉であろう。

 そんな彼を、他の諸将は白い目で見ていた。


「……見て分からんのか。迂闊に突入すれば、方略寺が危うい」

「寺一つがなんだと言うのだ!? 些末に囚われることなく、例え一面焼け野原にしても、奴らことごとく根絶やしにすべきではないか!?」


 激する新組に対し、冷ややかな目を向けたのは、隣席の亀山である。

 新組と違い、文治派の人物であるが、その吝嗇さゆえに領土問題で何度も新組相手に訴訟を起こしていた。


「そんなことをしてみろ。先祖の霊を蔑ろにした者として、銀夜殿の威光は一瞬で地に堕ちることになるぞ。儂らとしても、先代の御霊を騒がせる真似はしたくはない……っ」

「何故だ!? 卑劣な手に出ているのは奴らではないか!? そのような悪名など連中が負うべきものではないか!?」

「周囲からしてみればどちらに非があるかなど分からん。まして銀夜殿は後々鐘山宗家を継ぐやもしれぬお方。このようなところで瑕瑾を残すわけにはいかんのだ」

「ならば殿にお許しをもらえば良い! うむ、それが良い! 姫様、早速早馬を飛ばし……」


「ならぬ」


 と、制止の声を発したのは、今まで沈黙を貫いていた大将、鐘山銀夜その人であった。

 腕組みし、瞑目し、首を微動だにさせず、それでも唇だけが動いていた。


「父上のお心を、秩序を乱すこと、ならぬ」


「……しかしっ……」

 なお食い下がる武将に対し、彼女は淡々と言葉を継いだ。

「この程度の、旧世代の残滓ごときに、何故府公御自らがご出馬せねばならぬのか。我々だけで事を収めてみせる。それに寺の食料などたかが知れている……腹を空かせた賊どもが内部で分裂すれば、簡単に離散するだろう」


 重量感に満ちたその一言が、列席した諸将に抗弁を許さない。


「秩序、秩序こそ肝要なのだ……」


 藤色の外套に身を包み、父の言葉を、少女は念仏のように繰り返していた。


~~~


 一方で、寺の中は平穏そのものだった。

 外の喧騒さは知らず、大人数がひしめく大広間で、


「公子様、お師匠様、それにお連れの方も、ご無事で何より」

「まぁ和尚様。師匠と言われても、私は貴方に教えたことなんて一度もありませんよ」

「いえいえ、拙僧の師梅弦(ばいげん)僧正が、貴女の直弟子でございまして。つまりは拙僧は又弟子ということになりまする」

「あらまぁ。あの鼻垂れ小僧がねぇ」

 などと、世間話に花を咲かせていた。


「……しかし、驚きました」

 老人二人の、外見上はそうでなくとも形式上は、その会話に口を挟んだのは、寺内の警護を任せられた豊房だった。


「拙僧と舞鶴御前のことですかな」

「いえ、まぁそれもありますが、御坊が我らに協力的であることが」


 豊房がチラと見た部屋の隅、そこでは野菜か何かのように、無造作に人間が転がされていた。


 他ならぬ代官、御手洗の残した兵たちである。


「あぁぁ……」

「ううっ……」


 彼らは死んではいなかったし、命に別条もなかったが、現状それに相当する状態で放置されている。


「まさか、坊主からの差し入れの茶に一服盛られるとは、彼らも思っていなかったでしょうな」

「とんだ生臭坊主もいたもんだ」


 舞鶴の傍ら、皮肉っぽく環が呟くと、和尚はわざとらしく合掌して見せた。


「いえいえ。これは武器の持てない我々の、護身の智恵というものでしてな。府公やその配下の中には、僧形にて法号を名乗り、国や人の命を奪る者もおりますが、そう言った方々に比すれば、我らのいたずらなど可愛いものでございましょう」


 笑むことで寄るシワのなかに、今まで蓄積した年波を感じさせた。


「そうだなぁ」


 環は傍らに控えるその好例を、軽く睨みながら相槌を打った。

 だが主人の無言の非難にも、舞鶴はどこ吹く風である。


「……で、外の状況はどうなっている?」


 半ば肩透かしを食らった気分で環は黒衣の軍師に尋ねた。

「亥改殿と幡豆殿が外で警備に当たっています。お二人の険しい形相に敵兵も緊張! まさに一触即発の雰囲気ですねぇ。となれば、こちらの思うツボなわけですけど」

「……言っておくがあの二人を捨て駒に使うようなら、俺は即刻この茶番から下りて死んでやるからな」

「とんでもない! お二人とも、殿の王道には必要な駒。使いどころはわきまえておりますとも」

 舞鶴の言葉の中にあった『王道』。どうにも環には馴染めない言葉だった。

「ただまぁ、駆け引きの場に銀夜殿を引き込むには、あと障子をもう一蹴り、と言ったところですねぇ」

 口元にうきうきと、堪えきれない愉しみを滲ませつつ、黒衣の女は策謀を巡らせる。

 その裏で、色市始が既に和議状を書くべく、筆を執っている。


「まぁその辺りの機微は、亥改殿にお任せしましょう。いやぁ、本当に足軽にしておくには、もったいないお方です」


~~~


 ……そして再び、銀夜陣営は内外の騒動に悩まされることになった。


「何事だ!?」


 道に張った陣幕を荒々しくまくり上げ、銀夜は自ら外で起こった怒声の発信源へと向かった。


「勝手な行動は慎めと言ったばかりではないか!」

「と、殿! しかしこやつらがけしからぬ言動を……」


 まるでいじめられた童のように、銀夜配下の兵が指で示した先には、ニヤニヤと笑う悪相の賊たちが立っていた。

 そして兵達が訴えるように、聞くに堪えない罵詈雑言を、ためらいもなく浴びせてくる。


「しかし、なんでこいつら攻めてこないんだろうな?」

「バカかオメーは。不忠者は不孝者。先祖の墓がどうなってもこいつら痛くも痒くもねぇのさ」

「そうだよなぁ。何しろ、お殿様や兄貴を殺してもなんとも思わねぇ連中だしなぁ」

「あれぇ? そっちの御仁は、新組家の当主様じゃないですかい? ……はてさて、どうしてご先祖様を助けないんで?」

「そりゃあオレらが怖くて身動きとれねぇのさ」

「つか、そもそもお家代々の墓も苔まるけだったしのぅ。今生きてる自分の身より可愛いわけがねぇさ」

「へへっ……なるほど。どれどれ、じゃあおいらがションベンでも引っかけて墓をきれいにしてやるか」


「…………おのれっ……おのれぇっ!」

 兵たちだけではない。愚弄された一部の大将まで、刀に手をかける始末だ。


 だがその頭目らしき男のダンビラと、隣の若者が狙い定めた矢先が、容易に突破させない構えを見せている。


「殿! 奴らを斬るお許しを!」

「ならん! 説明しただろう。長期戦に持ち込めば……」

「銀夜殿! そもそも貴殿と貴殿の組下がこやつらに御領内への侵入を許さなければかかる屈辱を受けることもなかったのだ!」

「そうだ! 今からでも遅くはない! 大殿にお窺いを立てるべきだ!」

「いや報告など騒動が収まってからでも良い! 今はとにかくこの俗物どもを……」

「貴様ら黙れ! 殿のおっしゃるように、秩序をもって」


「あらあらあら」

 ……再び場に静けさが戻ったのは、あの女の声によるものだった。


「私は不思議でならないのですが、あなた方の謳う秩序やら義心とは一体なんなのでしょうか。この光景からはちょっと、想像がつかないですねぇ」

 場違いに、底抜けに明るい童女の如き甘やかな声。

 再び現れた黒衣の美女に、敵意と殺意と害意が一斉に注がれていた。


「おお怖」と、わざとらしく肩をすぼめる女、勝川舞鶴に、銀夜もまた鋭い紅の眼光で射るように見た。

「舞鶴殿。貴殿の配下の、品性のない挑発を止めさせろ」

「止めさせろ、とは簡単におっしゃいますが、何しろ寄せ集めの我々にそうしたお上品さを期待されても困ります。おまけにこう長引いては食料もなくなっていく始末で、心も荒んでいくのも無理らしからぬこと。不安を他人にぶつけることで気を紛らわせようとするのも、人情と言えましょう」


 ですが、と。

 彼女は己の袂に手を差込むと、重ね折られた一通の書状を取り出した。


 和議状


 目にしたその三文字が、銀夜の頭の内を泳いで暴れ回り、胸に達して食らいつく心地であった。


「貴方にただ一言、この場で諾と言って頂ければ、それで終わり」

「舞鶴……っ!」

「ただ一言で、ご城下に静謐が取り戻される。さぁ秩序を唱える者として、ご決断を」


 突きつけられる、白い紙。

 反射的にそれに伸ばしかけた手が、ビクリで揺れ、やがて小刻みな震えに変わる。

 秩序と規律の奥底に遅れていた、銀夜の激しい怒りが、ほんのわずか、一瞬だけ、激しく醜い表情として、表に顔を出した。

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