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中編




 エドは、とてもわがままな子だった。


 あの日からエドは欠かさずあたしのところに来るようになった。ときどき来ない日もあるけど、大抵は雨が降っても会いに来る。最初の一日は、あたしの小屋をじろじろと観察していたのだけど、そのうち飽きてしまったらしい。あたしの小屋には大したものはないから当たり前だけど。それから数日間は、今度はあたしが摘んできた薬草を面白そうに眺めていた。ただ眺めてるだけなら構わないんだけど、ひっきりなしに質問してくるから、エドが帰る頃には、あたしはすっかり参ってしまった。

 そして、最近のエドの質問はこうだ。


「なあ、お前はなんで、左目に布を巻いてるんだ?」


 はじめて聞かれたのは、村で売るための薬を作っている時だった。見上げてくる大きな瞳に、息が止まった。今まではそれとなくごまかして、エドの興味を逸らしてきてたけど、それももう限界らしい。


「なあ、なんで?どうしてだ?」


 エドはワクワクした様子であたしを見つめている。この子は何だ?あたしの目には何か秘密があると思っているのだろうか。いっそ見たものが全部石になる目とかだったら良かったのに。あいにく、あたしの目は平々凡々な藍色だ。


「…えーとね……」


 どうやってごまかそうか。下手なことを言ったら、意外と賢いエドは見抜いてしまうに違いない。考えている間も、エドはあたしを見ていた。


「……あたし、実は病気で」

「言いたくないのか?」


 病気で目の色が変なの、と当たり障りのないことを言おうとしたあたしは、エドの言葉にびっくりした。目を丸くしているあたしを見たまま、エドはもう一回言った。


「布のこと、言いたくないのか?」


 思わず素直に頷くと、エドは「そうか」とだけ言ってうつむいた後、すぐに顔を上げてあたしの目をまっすぐに見つめてきた。綺麗で透き通ったエドの目に、あたしは少しドキリとした。


「言いたくないなら、いい。言わなくていいぞ」


 その時はじめて、あたしは、エドがただのわがままな子じゃないってことを知った。ちゃんとあたしのことを見てくれていたのだ。いつものわがままっぷりを見慣れていたあたしは、じーんと感動してしまった。


「ありがとう、エド。お礼にパンケーキ作ってあげる」


 だからあたしは、いつもはエドに駄々をこねられて作るケーキを、今日は自分から作ってあげることにした。小麦粉だってあたしにとっては貴重な食べ物だから、いつもはケチっているけど今日は特別。


 あたしは、ちょこっとだけエドのことを見直した。



***



 今日はいい天気。せっかくだから木の実でも探そうかな。

 そう思い立って、あたしはてくてくと森を歩いていた。子供のころに比べたら、大分伸びた髪の毛が、気持ちいい風にさらわれていった。ますます気分がよくなって、スキップしながら道を進んでいくと、赤いルカの実がおいしそうに熟していた。結構高いところにあるけど、木登りは得意だから、問題ない。


「よいしょっと」


 慎重に、だけど手早く幹やくぼみに手足をかけて、するすると上まで登っていく。木の上で昼寝でもしたいところだけど、早く帰らないとエドが来てしまう。今日は久々におやつでも作ろう。


「ソフィー!」


 噂をすれば影。太い幹にしがみついて、次々と熟れた赤い実をとっていたあたしに、後ろから聞きなれた声がした。スカートが引っかからないように用心しながら振り向く。すると、やっぱりそこにはエドがいた。


「エド、今日は早いんだね。もうちょっと待っててよ。ルカがおいしそうだったんだ」


 あたしはにこにこと言ったんだけど、エドは、なぜだかひどく慌てていた。どうしたんだろう?それに顔色が悪い気がする。心配になったあたしは、持っていたルカを手早く背中のカゴに放り込んだ。


「エド、あんた調子悪いんじゃないの?そうなら早く帰りなよ」

「そんなことどうでもいい、っていうか早く降りろ!」


 エドの顔色はどんどん悪くなっていく。やっぱり体調悪いんじゃない。無理してこなくてもいいのに。


「あたしは、もうちょっと木の実とってるから。あんたは、家に帰って寝てきなよ」

「お前が下りないと僕は安心できない!」


 そんなこと言って、ルカが食べたいだけじゃないの。あたしはようやく得心のいく答えにたどり着いた。そういえば、エドはあたしが木の実を出す度、おいしそうに食べてたっけ。


「わかったよ。今降りるか、らっ!」


 ずるり。

 ……あれ?


 気づいた時には、あたしは足を踏み外していた。声が裏返ったし、なんだかそのあとは宙に浮いてるみたいだった。と思ったら、本当に落ちていた。特技に木登りを挙げるほどのあたしが、木から落ちるなんて。どう考えても、エドに気を取られてたからだ。心の中で悪態をつきながら、あたしは次に来るだろう衝撃に備えて目をつむった。


どさぁっ。ぼふ、ぼす。

いったあ~……、って、あれ?


「痛くない?」


 と思ったら、下から呻き声がした。ぎょっとして下を向けば、なんとエドの顔があった。


「いっったあああ」


 本当に痛そう。ていうか、あたしが下敷きにしてる。


「うわあああ!ごめんエド!大丈夫?!」


 急いで退いたら、エドがめちゃくちゃ恨めしそうな視線を向けてきた。ぶすぶす突き刺さりそう。視線が痛いって、こういうことなんだね。


「お前なあ……」

「だから、ごめんってば!」


 エドは大きなため息をついて起き上がった。そ、そんなはっきりと呆れなくてもいいのに!だけど落ちたのはあたしで、悪いのはあたし。ふと、初めてエドに会った三年前の夏を思い出した。エドの身長は、あれからぐんぐん、とは程遠いけどそこそこ順調に伸びて、今では私を見上げない程度にはなっていた。


「大きくなったねえ」


 しみじみと言ったら、エドが訝しげに見てきた。だけど何も言わないで、さらに大きなため息をつくもんだから、さすがのあたしもちょっぴり傷ついた。なにか言ってやろうと思って、エドの顔を睨んだあたしは、エドが呆れ以外の表情をしてることに気が付いた。


 もしかしてエド、機嫌悪い?


 口にしたら、盛大な嫌味が帰ってくるに決まってるから、あたしは懸命にもだんまりを決め込んだ。にしても、なんで機嫌悪いんだろう。試しに、さりげなくルカの実の存在を主張してみたけど、事態は改善どころか悪化したらしかった。うわあ、エドったら本当に不機嫌。これは何にもしない方がいいな。立ち上がったあたしは、無言で歩き始めた。しばらくすると、エドが付いてくる気配がしてほっとする。「もっと頼ればいいのに」、とかなんとか呟いてた気がするけど、さっぱり意味が分からなかった。何のことだろう。

 結局、エドが不機嫌だった理由は、分からずじまいだった。



***



 ざあざあと、雨が降りしきる夏の終わり。小屋が大粒の雨にたたかれて、ぎしぎしと嫌な音を立てているのを、あたしは毛布の中で聞いていた。この小屋を見つけた当初は薄っぺらい毛布一枚きりだったけど、それを不憫に思ったらしいエドが「恵んでやる」と言って、ある日大量のふかふか毛布を持ってきてくれた。ベッドもやろうか、と言われたけどさすがにそれは断った。なんだか同情されてるみたいで癪だったし。

 天井をぼんやり眺めても、板がきしむ音は聞こえても雨粒がしみ込んでくる様子はなかった。エドが屋根を丈夫にしてくれたおかげだ。ぶつぶつ文句を言いながらだったけど。

 だけど、今日エドは来ない。昨日の夜から嵐が来ているのだ。

エドは、いまだにあたしのことを興味の対象としてみているらしい。最初に言っていた「お前面白いな」は、現在進行形で続いている。おかげで、あたしはお母さんの残してくれた本だけじゃなくて、生活するので手一杯なお金から、どうにかこうにか新しい本代をひねり出さなければいけない。そんな風に、いつの間にかエドのことを大事な友人だと思っていたあたしだけど、エドはそんなことは思っていないだろう。エドは、普通の人だ。あたしと違って帰る場所がある。


 なんで、あたしばっかりこんな思いしなきゃならないんだろう。


 その疑問はやり場のない怒りと悲しみとともに、時々あたしの胸を駆けのぼって、外にあふれ出しそうになる。エドといるときは、特にそう。何もかもぶちまけて、縋ってしまいたくなる。それをいつもぎりぎりの理性で押しとどめるのだ。

 だからあたしは、エドが来ない、大抵嵐の日に一人で泣く。大きな声は出してはいけない気がして、嗚咽を漏らすことしかできないけど。


 雨なんて大嫌い。お母さんが死んじゃったのだって、元はと言えば雨のせいなんだ。雨が降ってたから、お母さんは風邪を引いたんだ。でも、お母さんをあんな風に働かせてたのはあたし。あたしが、こんな顔だから。

 ゴロゴロと雷の鳴る音を聞きながら、あたしの意識はいつもそこで途絶える。どうしようもなく寂しくて、悲しいけど、あったかい毛布を抱きしめれば、少しだけ安心できた。

 だけど、今日は違った。急に雨粒の音が激しくなって、冷たい風が流れ込んできたから、窓が開いたのかと思った。慌てて起き上がったら、窓はちゃんとしまっていたけど、代わりに表の扉が開いていて、黒い人影が立っていた。びくりと後退したのは一瞬で、次の瞬間には人影のもとに駆け寄っていた。


「エド?!」


 どうしたの、と尋ねようとしたけど、びっくりしすぎて声が出なかった。なんで家のあるエドが、こんな寒くて暗いところにいるのか理解できなかった。


「どう、したの?」


 やっと絞り出した声は、掠れていた。エドは、そんなあたしをじっと見つめていた。エドの背丈は、あたしとほとんど同じになっていた。


「急に、会いたく、なった」


 ぽつりとエドが漏らした。あたしは、ぱちぱちと目を瞬かせる。何をすべきか分からなくて、とりあえずドアを閉めようと頭の片隅で思いついたあたしは、エドをすり抜けて足を踏み出した。

 だけど。

 ぎゅうう、とあたしの体が締め付けられる。雨で冷え切った、だけどほんのりとあったかい体温が、あたしを包んでいる。エドが、あたしを抱きしめているんだ。そのあたたかさは、幼いころ抱きしめてくれたお母さんの温度と少しだけ似ていて、なんだかほっとした。だけど、それも束の間だった。目の前にエドの綺麗な顔が見えた途端、ただただ驚いて、ドキドキして、恥ずかしくて、あたしはエドを押し返そうとした。なのに、エドは一向に離してくれない。それどころか、ますますあたしの体を締め付けてくる。


「はな、して……」

「やだ」


 あたしは、どうしていいか分からなくなった。エドはわがままだ。こうなったら、絶対離してくれない。しょうがないから、エドに真っ赤になった顔だけは見られないように、目の前にある胸に顔を押し付けた。エドの肩が、すこしだけ揺れた。


「なあ、ソフィア。……俺は、頼りない?」


 なんでそんなこと聞くんだろう。エドはとても不安そうだ。


「そんなことないよ。エドはしっかりしてるもの」

「じゃあ……」


 ぼそりと呟かれた言葉に、あたしは耳を疑った。

 エドが、「頼っていいよ」と言った。急にどうしたの?とか、年上なのにそんなことできない、だとか、言いたいことはいっぱいあった。でも、それだけで胸がいっぱいになってしまった。嬉しくてたまらなかった。だけどやっぱり、年下に頼りきりになるのは申し訳なかったから、あたしは一つだけエドに聞いた。


「ねえエド」


 両脇にぶら下げていた手を、そっとエドの背中に回した。思いの外引きしまった体に、ドキリと心臓が跳ねる。ドクドクというあたしの心臓の音と、エドの心臓の音が混ざり合って、一つになったみたいだった。


「あたしは、ここにいてもいい?」


 エドのそばに、とは言えなかった。エドは、あたしを強く抱きしめなおして、それから一言だけ言った。


「ここにいてほしい」


 流れ星が弧を描いて落ちるみたいに、たぶんその夜、あたしは恋に落ちた。



***

 


 昔のあたしは、そりゃあ暗い子だった。でも、あたしが悪いわけじゃないと思う。来る日も来る日も家の中に閉じ込められて、一緒にいるお母さんさえも、まともに相手してくれなかったら、だれでもそうなるだろう。だから、昔のあたしは、一日に片手で数えられるほどしかしゃべらなかった。だけど、ある日からすっぱり止めることにした。何の意味もないって気づいたから。どんなに悲しい顔をしていたって、お母さんが相手にしてくれるわけじゃあないって、ようやく気付いた。その日以来、あたしは、とりあえずは明るい村娘になった。

 だけど、今日のあたしは、まるで子供のころに戻ったみたいに、暗くて沈んだ気持ちでいる。季節は春で、天気も陽気。いつもなら外に出て日向ぼっこでもしてるところなのに、あたしは、毛布を何重にも重ねて丸くなっていた。ぎゅう、とやわらかい布をつかむと、それをくれたエドの顔が思い浮かんで、あたしは、お腹のあたりがきゅうと締め付けられるのを感じた。見る見るうちに、毛布に大きな染みができる。抑えようとしているのに、ぼろぼろと涙があふれて止まらなかった。



『なあ聞いたか。領主さまのご子息の婚約話が持ち上がってるらしいぞ』

『なに?あのエドワード坊ちゃんが婚約?そりゃ本当かい。うーん。ちょっと前まで、やんちゃなお子様だったってのにねえ』

『相手は、評判の美少女らしいぜ。確か、エドワード様より二歳年下だったかな……』

『うらやましいもんだよ』


 薬を売って、当面の生活費ができたと安心したところに飛び込んできたのは、聞き逃しがたい話だった。

 最初は、ただの名前が同じ別人だと思った。だけど、「リックベルン」という名を耳にした瞬間、あたしは冷水を浴びせられたように、ぎょっとした。エドワード=リックベルンは、エドの本名だったんだから。もうすっかり耳になじんでしまった、誰よりも大好きな男の子の。

 気が付けば、あたしは森の中をがむしゃらに走っていた。服が枝に引っかかって破れる音がしたけど、そんなことどうでもよかった。


 エドが、領主の息子?婚約者が、決まった?


 なに、それ。初めて聞いた。初めて知った。

 胸が張り裂けそうに痛い。あたしはその理由を、ずいぶんと前に知ってしまっていた。


 もとから、エドに伝えるつもりはない想いだった。この関係を壊すのが嫌だったからだ。でも、気持ちは年々大きくなるばかりで。エドのすべてが、好きで、好きで、たまらなかった。成長しても変わらない綺麗な顔も、少し低めの心地よく響く声も。彼の全部が大好きだった。

あたしはこんな顔で、親もなくて、だから、間違っても言うつもりはなかった。ただ、エドと変わらず一緒にいられれば、それでよかった。

 なのに。それさえも、かなわないっていうんだろうか。


 「っ………!!」


 家に帰って、そのまま毛布をひっかぶった。このまま、一生目を覚ましたくなかった。これは罰なのだろうか。あたしが、いろんなことから逃げ出したから、神様は怒ってしまったのだろうか。そうだとしたら、あんまりだった。他の何を奪われたって、あたしは、構いはしなかったのに。お母さんの時と同じ。神様は、いつだってあたしの一番を取っていく。だけど、どんなに泣きじゃくったところで、さっき偶然聞いてしまった残酷な事実が、変わるわけもなかった。


 あたしが、もっともっと綺麗だったらよかったのに。そうしたら、エドはあたしを好きになってくれたかもしれない。


 そんな「もしも」を考えたって、意味はないってわかっていた。エドの婚約者は、美人で、あたしみたいに年上じゃない。きっと、エドに似合いのかわいい子なんだ。


 だけど、あったかもしれない未来を思うことは止められなくて。あたしは、生まれて初めて、こんな顔に産んだお母さんを憎く思った。あたしが心の底からエドが好きなことは、誰にも変えようがなかったのだ。


「ソフィー」


 扉の外で、エドの声が聞こえた。


「いるんだろう?開けてくれよ」


 今だけは、薄い小屋の壁が恨めしい。いつもは聞きたくてたまらないエドの声だけど、今は何より聞きたくなかった。エドは、外で困ってるようだった。いつもだったら、気にせず入ってくるだろうけど、今日のエドは、あたしに開けてほしいみたい。固まった思考を動かせば、自ずと答えは見えてきた。エドは、ここ一か月、ずっとそわそわしていた。あたしは、それをおかしいと笑いながら、今日を誰よりも楽しみにしていたのだ。


「ソフィア?」


 途方に暮れたエドの声が聞こえる。今日はあたしの一八歳の誕生日。ごちそうを作って、エドにたくさんお祝いしてもらうつもりだった。一年で一番楽しみな日だった。だけど、こんな泣きはらした顔、エドに見せられるはずもない。本当のことを知ったら、もうきっとここに来てはくれなくなる。それだけは、絶対に嫌だった。

 あたしを呼ぶ、エドの声が繰り返し響く。返事をしたかったけど、そんなことをしたら泣いているのがばれてしまう。

 その日結局、あたしがエドに返事をすることはなかった。






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