親心、子心 終
満月が天頂に登った頃、白玄がふらりと闇夜から姿を現した。
漆黒の水干が戸口を潜り、疲れたようにぐったりと椅子に座り込む。
額を押さえて目を閉じると、大きく息を吐き出した。
静けさが屋敷中に広がる。
しばらくそうしており、やっと重い瞳を開く。
その時、ふと机の上に皿が載っているのを目にした。
皿の上には、柿が置いてあった。
不格好に皮が剥いてある。
机に肘をついた指で右のこめかみを押さえ、訝しむように目を細める。
出際にこんなものを置いて行った覚えはない。
「珠黄です」
背後から声がしたが、白玄は振り向きも、動揺もしなかった。
声の主はゆっくりと戸口からこちらへと近付く。
「夜食のつもりなのでしょう。帰りが遅い貴方のために」
「監察がこんな時間に何の用だ」
机の脇に立ったのは、白雅であった。
長い黒髪を背中に流している。
「藍の件です」
思わぬ名を聞き、白玄は眉間にしわを寄せた。
観察は、つまりは白禅直属の間諜機関である。
その観察に、あの馬鹿弟子は何か睨まれるようなことを仕出かしたというのか。
疲れている上に、そんな話は聞きたくなかった。最悪の場合、黄舫堂とも対立しなければならない。
息を吐きつつ、若い女に問う。
「高藍がどうした」
「毒蜘蛛に関与しようとしています。ある村で存在を察したらしく、前回の集会で老師たちに探索を依頼したそうです」
一瞬の間の後、白玄は口の端を上げにやりと笑った。
「ほう。軟弱な奴だと思ってたが、意外とやるな」
まさか、あの件に首を突っ込もうとしているとは思わなかった。
笑った白玄を見て、白雅は訝しげに問う。
「いいんですか玄師?毒蜘蛛ですよ?とめるなら今のうちです。藍が毒蜘蛛を知ったのも、毒蜘蛛がわざと藍に察知させた可能性があります」
同期らしく、白雅は白藍を心配しているらしい。
だが白玄は答えを変えなかった。
「好きにさせろ。俺がとめても聞かんさ。そんな育て方はしてねえからな」
その声音には、弟子に対する愛情と信頼で溢れていた。
それに―――と白玄は口元だけで笑う。
白藍について語っていた先程とは一転し、その瞳には、深く、底の見えないような暗い色があった。決して白藍には見せたことのない色である。
「何かある前に、俺が手を下す。―――俺が、な」
白雅は何も言わず、ただそんな白玄を見ていたが、ふっと瞳を伏せると静かに机から離れた。
戸口に手をかけ、白雅は思い出したように振りかえった。
「ああ、藍よりは武術向きのようですね」
何の話かと顔を上げた白玄に、白雅は目元を細めて笑んだ。
「下の村へ行く途中の辻で、絡んできたやくざ達をのしていましたよ。お友達の金を取ろうとしたのが逆鱗に触れたようです。あれは相当に強いですね。力を嫌う藍とは大違いです」
白玄はふっと笑った。
「監察に褒められるとは光栄だな」
確かに白藍は武術を嫌った。力の恐ろしさを思い知らせるために、気絶させたことも何度かある。それでも稽古には消極的であった。一方の珠黄は、むしろ武を好む。まだまだ未熟ではあるが、しかしいずれはかなりの腕となるだろう。
白雅は一礼し、闇の中へと消えていった。
それを見届け、白玄は皿の柿へと視線を戻す。
表面はでこぼこで、普通の柿よりも小さかった。皮と一緒に実まで剥いたのだろう。
―――もっと包丁を使わせるべきだな。
夜中の柿は消化に悪いと思いつつ、白玄は手を伸ばすと口に入れた。
しゃきり、と小気味よい音が立ち、控えめの甘さが広がった。
笑って下を向くと、白玄はしばらく静かに椅子に座る。
月夜の静けさが、耳に痛いほどであった。
彼我師の新編です。
やっと一話、書き終わりました。定期的に覗いてくださっていたみなさん、すみません。
そもそもこの話を最初に投稿したのが柿の出回っていた秋・・・。己の遅筆に呆れるばかりです・・・・・・(笑)
同じ世界観で、「彼我師 ~藍編~」も執筆中です。このお話を気に入って頂けたなら、そちらも宜しくお願いします。感想などもお待ちしております!!