親心、子心 三
両手一杯に柿の実を抱え、二人はよたよたしながら山を下った。
柿のせいで目の前がうまく見えない。
「おい七星、かごじゃなくて荷台にした方がよかったんじゃないのか?」
怨みがましく言うと、七星はうん―――と苦笑いする。
「みたいだね。次はそうする」
「見込みが浅いとこは、まだまだガキだな」
「あのねえ。君も僕と同い年でしょ」
何とか山を降りると、山裾を抜け、二人は人通りの見られるようになった広めの道に出た。
珠黄が空を見上げると、太陽が天頂まで登っていた。
柿の量が多く、ここまで来るのに思った以上に時間がかかってしまったようだ。
珠黄が傍らを見遣ると、七星も頷いた。
「村まで行くとなると、日暮れまでに帰って来られないね」
下手すると、日を跨ぐ恐れもある。
「ああ。俺はともかく、お前はおばさんが探しに来るな」
「何言ってるの。白玄さんだって珠黄のこと心配するよ。こないだだって道生さんと僕、それに藍兄ぃだって駆り出されたんだから。あの大雪の中をさ」
かくれんぼの最中に迷子となった、あの件である。
「あの人は家にいただろ。探しに来ちゃあいない」
無意味にそう反抗すると、あっさりと七星の返り討ちにあった。
「だからー。それは師匠としてのけじめであって、珠黄をどうでもいいって思ってる訳じゃないんだって。そう藍兄ぃに言われたんでしょ?いい加減、素直になりなよ」
自分でも分かってるでしょ?―――と七星は珠黄の顔を下から覗き込んだ。
形勢不利を察した珠黄は、何食わぬ顔でさっさと歩き出した。
「ちょっと珠黄!」
背後の七星を無視し、少し行ったところの四辻で足を止めると、かごを地面に下ろす。そしてかごの中から柿を取り出し始めた。
「何してるの?」
不思議そうな七星に、珠黄はかごへしゃがみ込んだまま答えた。
「ここで売らねえか?まだ冬前だから人通りも多いだろ?結構売れると思うぜ」
首を傾げしばし考え込んだ七星だったが、すぐに笑みを見せた。
「じゃあ、用意しようか。速く帰って、白玄さんに晩御飯の用意しないといけないからね」
珠黄は思わず手をとめ、頬を引き攣らせる。
「しつけえな、お前も」
七星は気にせず、にこにこしながら周辺に散っている落ち葉を集め始めた。
お節介なところはこの友人の長所であるが、たまにしつこい。だがこんなときの七星は、何を言っても聞く耳を持たないのである。
仕方なくため息を吐いて諦ると、七星に問うた。
「落ち葉なんか集めて、何するんだ。売るのは柿だぞ」
皮肉にも動じず、七星は答えた。
「柿の下に敷くんだよ。見栄えがよくなるからね」
言われて葉を見ると、紅や黄など様々な色を見せている。色付き具合もそれぞれで、ほんの少しずつだが紅葉の度合いが異なっていた。
確かに綺麗だ。
なるほど―――と珠黄は感心する。
さすがは商人の息子だ。見るところが違う。
「ただ売るだけじゃあねえんだな」
七星は微笑み、手際よく落ち葉の上に柿を並べた。
「僕は売り込みするから、珠黄はここに座って柿を渡し、お金受け取ってくれる?」
「おう、任せろ」
最初の客は、行く予定だった村に住んでいる顔見知りの老人だった。
柿を売る珠黄を見て、目を丸くする。
「珠黄か。なんじゃ、彼我師をやめて行商人に転職でもしたのか?」
「するかよ、じじい。耄碌してんな」
珠黄の暴言にも、老人は鷹揚に笑った。
「では友の手助けか。感心じゃな。その義に免じて、三つ、買うてやろう。丁度、孫が遊びに来ておってな」
柿を袖に入れた老人が立ち去るのを見届けると、七星は珠黄へ諭すように言った。
「あのね珠黄、ああいう口調はやめて。あの御老人は大らかな方だったからいいけど、怒りっぽいお客さんだっているんだから」
受け取った金をザルに入れていた珠黄は、分かった分かったと両手をあげて肩をすくめた。
つい地が出たのだ。口が悪いのは白玄譲りである。だが商売人としては、そんな態度が文字通りの命取りとなるのだろう。
それからしばらくは人通りが絶えたが、一刻もすると再び往来が増えた。
七星の呼び込みの声も、次第に大きくなっていき、客もそんな七星につられるように足を止め始めた。両親共に商売人なだけあって、息子の七星の技も中々のものである。
日が傾く頃には、全ての柿が客の手に渡っていた。
「大儲けだな」
空となった落ち葉の前で片膝を立てて座っていた珠黄は、驚いてそう言った。
まさかこんなに上手くいくとは思っていなかったのだ。
当の七星も、上気して朱色に染まった頬で頷く。
「うん。驚いたよ。そして嬉しい」
ザルでは小金が山をつくっていた。
ざっと珠黄が勘定してみると、およそひと月分の生活費になる額となっていた。
子どもには不釣り合いな金額だ。
「こんな金、どうすんだ?使い道ねえだろ」
二人の住む場所では金が流通していない。基本は物々交換だ。それに七星は浪費家とも言えない。
七星はそれについては考えていたらしく、巻くっていた水干の袖口を下ろしながら答えた。
「半分は母さんに渡すよ。今年は反物があんまり売れなかったみたいだから。そして残りの半分は貯金」
「貯金?」
いぶかしむ珠黄に、七星はにっこり笑った。
「約束したでしょ、珠黄。君が彼我師として藍兄ぃみたいに一人立ちしたら、一緒に旅に出るって。その資金だよ」
珠黄は頬杖をつき、呆れたように七星を見上げた。
「はあ?本気なのかお前」
「え、何が?」
「旅だよ。本気で俺と旅するつもりだったのか?」
そんな話をしたことはあったが、しかしもちろん珠黄としては冗談だった。
仮に珠黄が彼我師として旅立てば、その道行きはとても安寧とは遠いものとなる。日頃の訓練から、それは肌で感じていた。あの鬼のような師匠でさえも、幾度か命を落としかけているらしい。
そんな危険な旅路に、この幼馴染を同行させるつもりは全くなかった。
「つもりだったって、何で過去形なの。当たり前でしょ。一緒に旅するって約束したんだから」
「あのな、彼我師の行き先は、祭事を担当している村々だ。目的地が常に定まってるんだぞ。そんな旅じゃ、商売にならねえだろ」
何とか思いとどまらせようと試みるが、相手は少しも動揺しなかった。
「知ってるよ、そんなこと」
「知ってるって―――」
「でも問題ない。危険から僕を守るのは君の役目。商売になるかどうかは、行商人としても僕の腕。それで旅費が稼げる。でしょ?」
手洗ってくるね―――と言い残し、七星は軽い足取りで少し歩いたところにある川へ向かっていった。
穏やかな秋風が、珠黄の水干をそよがせた。
「―――んっとに、あの馬鹿は」
ささやかな呟きは、風にさらわれた。
風でひらひらと舞い降りてきた銀杏の葉が、珠黄の髪にくっついた。指で取ったその葉を手のひらに乗せ、珠黄はふっと吹き飛ばす。葉は、再び風に舞い、ゆっくりと土へと落ちていった。
「よお、坊や。こんなとこで何やってんだ?」
葉の落ちた先に、数人分の足が見えた。
珠黄が顔を上げると、そこには五人の男が立っていた。
水干はだらしなく着崩し、締りのない笑みを浮かべてこちらを見ている。
穏やかだった気分がぶち壊しである。
「んだよ、見るからにチンピラじゃねえか」
舌打ちしてそう呟くが、男たちには聞こえなかったようだ。
だらだらとこちらへ寄ってきつつ、まとめ役らしい男が珠黄の横にあるかごを指差した。
「なんで子どもがそんな大金を持ってんだ?なあ?」
しかし珠黄は反応せず、頬杖をついて横を向いた。
相手にするのも面倒な連中だ。
「おい、すかしてんじゃねえぞ。子どもじゃそんな金、必要ないだろ?お兄さんたちに渡せ。な?有意義に使ってやるからよ」
案の定、であった。
頬杖をついたまま、珠黄はどうするかと思案していた。
こいつらに金を渡す気はこれっぽっちもない。
こんなカスどもにくれてやる位なら、ドブに捨てた方がましである。
金を持って逃げるという手もあるが、生憎、今は七星が一緒だ。
「珠黄!」
その時、川から七星が戻ってきた。
顔が強張っているのが見える。
「なんだあ?」
男の一人が振り返り、七星を見た。
「あのガキもこいつの仲間か?」
珠黄はため息をついた。
逃避は不可能である。
だとすれば。
とるべき方法は一つだ。
「おい!!」
驚いた男らは、七星から珠黄へ視線を移した。
ゆっくり立ち上がった珠黄は、半眼で男らを見遣る。
「あのな、一回だけ言うぞ。―――失せろ」
相手はさっと色めき立った。
「ガキが。優しくしてやったら調子に乗りやがって」
騒ぎを聞きつけ、群衆が集まりはじめていた。
「ちょ、珠黄!」
「少しそこで待ってろ。すぐ片付けるから」
慌てる七星にそう告げた瞬間、珠黄は殴ろうとしてきた男の拳を避け、素早い動きで正拳を見舞った。
それを皮切りに、男たちが一斉に飛びかかってきた。
数分後、珠黄の周囲には男たちが地に伏していた。
乱れた水干を直しながら珠黄は呆れたように言った。
「ガキの挑発に乗って逆上しても勝ち目ある訳ねえだろ。脳みそ入ってねえのかよ」
おばさん―――と近くで見ていた群衆の一人に声をかける。
「悪いけどこいつら、検非違使に引き渡してくれる?どうせろくな連中じゃねえんだろ。しばらく牢屋で頭冷やさせた方がいいぜ」
「ありがとよ。あたしらも手ぇ、焼いてたんだ。ここらで商売をしている人間にいっつも金をせびる奴らだったからね。すかっとしたよ」
口元だけで不敵に笑んだ珠黄は、肩越しに普段の声音で言った。
「七星、帰るぞ」
「え、うん」
山を登りながら、しばらく無言で歩いていると、ふと七星がぽつりと呟いた。
「珠黄」
「何だよ」
「旅、楽しみだね」
は?と不可解そうに足を止めた珠黄をよそに、七星は元気良く走り出すと、くるりと笑顔で振り返った。
「家まで競争」
と、七星はいきなり駈け出した。
「―――え?ちょ、おい!待てよ!!」
言動がよく理解できない友人を追いかけながら、珠黄は心の中でこっそり思った。
―――柿狩りといい、行商といい、この競争といい。
今日は一日中、この幼馴染みに振り回されっ放しの日だった。