親心、子心 二
珠黄たちの住む場所は、比較的高い山の中腹にある。
山頂に黄舫堂があるこの山は、山の全体が神域とされる。人が住んでいるのは中腹のみであり、三十人程度。
全員が顔見知りだ。
しかし村ではない。
神を祭る御堂がないからだ。
一種の異界とも言えよう。
村でない以上、村長もいない。揉め事が生じた場合は、年長者たちがほどほどに口を挟み、手を廻し、しっかりとわだかまりを流させる。
旅に出た事のない珠黄はここしか知らないが、しかしここ以上に住みよい場所はない。珠黄はそう思っていた。
「道生のおっさんは一緒に行かないのか?」
七星の先導について行きつつ、珠黄は問うた。
道生は山師である。山師と言っても鉱山を発掘するのではなく、山の状態を調査し、それを維持するよう努めるのが仕事だ。山の異変は、生活の危険に直結する場合が少なくないからである。収入は周辺に住む者たちからの心付けと、山の実りを売ったものだ。自然、果物などが群生する場所に通じるため、柿の木がどこでどれだけ実っているかなど、道生にとっては基本的な知識なのだ。
白玄とは古くからの知り合いであるらしく、珠黄の兄弟子である白藍の事も子どもの頃から知っているらしい。気性が荒くすぐに手が出るため、珠黄は顔を見ると身構えてしまうが、優等生の七星は相性がいいらしい。
「うん。道生さんは今、動物たちの数を把握するのに忙しいみたい。あ、珠黄に今度話があるって息巻いてたよ。柳枝さんの家の垣根、壊したんだって?」
その話か―――、と珠黄は舌打ちした。
「ちょっとあたって破っただけだろ。いちいち口煩せえおっさんだな」
友人らと遊んでいたら、勢い余って突っ込んでしまったのだ。
七星はにっこり笑う。
「ちょっとだけど、でも破ったんでしょ?だったら謝らなきゃ」
その笑顔に、珠黄はうっと気圧された。
こういう倫理的な事に関して、この友人は非常に厳格なのだ。
渋々首を縦に振る珠黄を見て、七星は満足げに頷いた。
それにしても―――、と七星は不思議そうな顔をする。
「珠黄は道生さんや他の大人にはそうやって反抗的なのに、白玄さんにはとっても素直だよね。どうして?」
他人が聞きづらい事をこうやって容易に口にするのは、七星の特技だ。ただし、珠黄に対してだけであるが。
珠黄はぶっきらぼうに答えた。
「あの人は師匠だ。反抗なんて出来るかよ。何でそんな事聞くんだ」
「いや、道生さんが言ってたんだ。藍兄ぃと逆だって」
「え?」
急に思いがけない人物の名が出てきたので、珠黄は驚いた。
「藍兄ぃは白玄さんに逆らってばかりで、道生さんたちには素直だったらしいよ。珠黄とは正反対」
意外な兄弟子の一面を知った。
先日、僅かだが顔を合わせた。その時は瓢々としていてどこか捉え所のない青年のように見えたが、自分にはとても優しかった。
そんな男が、あの師匠に反抗的だったとは。
あまり詳しい事を知らない兄弟子の過去を聞き、頬が緩んだ。ほんの僅かだが、近くに感じられるようになる気がしたのだ。
「うれしいの?珠黄」
それを見逃さなかった七星が、無邪気にそう言った。
違げぇよ、と言いかけたが、七星にそういう見栄は通用しない。
「・・・まあな」
七星は笑んだ。
「藍兄ぃも、珠黄にとっては家族だもんね」
「お前はいつも一言多い」
「そう?珠黄の気持ちを代弁してるつもりなんだけど」
「それが余計っつうんだ。無駄口は身を滅ぼすぞ」
つらつらと言葉の応酬を繰り返していると、七星がふと足を止めた。
七星が見上げた視線を追うと、そこにはたわわに実る多くの柿があった。
夕日のように鮮やかな柿だ。
「これはすげえな」
珠黄は思わず感嘆の声をあげる。
一つひとつの実が大きく、果汁が溢れだしそうな程に太っている。
山師が勧めるだけはあった。
「おい、こんなでかい柿、どうやって運ぶんだ」
商売とするならば、ちょっとやそっとの量では話にならない。子ども二人が運べる量は、たかが知れている。
すると七星は木の幹にしゃがみこむと、落ち葉の下からかごを取り出した。
珠黄を見返し、にこりとした。
その準備のよさに、珠黄もにっと笑う。
「お前、もしかしたら大商人になるかもな」
「かもね。だから珠黄、安心して彼我師を首になっていいよ」
やはり、一言多かった。
半眼で睨む珠黄をよそに、七星は素直に喜びながら柿へ手を伸ばしていた。