親心、子心 一
「彼我師 ~藍編~」の姉妹物です。
主人公は白藍の弟弟子、珠黄。
藍編と較べ多少気まぐれ更新になりますが、お暇な方はどうぞご贔屓に。
感想ご意見などもお待ちしております(^-^)
厳しい残暑もようやく去り、秋の気配がそこかしこに感じられるようになってきた。
彼岸花が畠の脇に群生し、とんぼが軽やかに宙を舞う。
風が山を吹き抜ける度、金木犀の華やいだ香りが一面に広がる。
秋空の下、のんびりと寝転がっていた珠黄は、深く空気を吸い込み、その香りに胸一杯にため込んだ。
―――贅沢だ。
この静かな時間を過ごせることに、珠黄は心底そう思った。
年寄りくさいと言われそうだが、しかし本心である。
厳しい修業から解放される、十日に一度の貴重な休日なのだ。
「珠黄、昼寝してるの?」
不意に、頭上からおっとりした声が降ってきた。
「柿を拾いに行かない?道生さんからいい所教えてもらったんだ」
ひょっこりと珠黄の顔を上から覗き込んだのは、七星であった。
珠黄と同年の十一歳である。
首筋まで伸びた七星の黒髪が、秋風に揺れた。
珠黄は頭の後ろで両手を組んだままの姿勢で答える。
「柿?まだ青いんじゃないか?」
「何言ってるの。今が旬じゃない。ぐずぐずしてると鳥たちに先越されちゃうよ」
寝ころんだ珠黄の横に、七星は座った。
やんわりした性格の七星とは、五歳の頃からの付き合いである。
同い年の子どもは他にもたくさんいるが、七星とは何故か馬が合い、彼我師の修業がない時はこうしていつもつるんでいた。
「少し多めに収穫して、余った分は余所の村へ売りに行ってみようと思ってるんだ。だから手伝って」
「売る?どうしたんだよ急に」
どちらかと言うと消極的な七星には珍しい事である。
「母さんがね、ちょっとやってみたら?って言うから。僕も将来は行商人になるんだし、今から練習しとこうかなあ、って」
「そうか。今はおばさんが家にいるのか」
七星の両親は、商品を売り歩く行商人である。
昔は二人で揃って村々を廻っていたらしいが、七星が生まれてからはこの村に居着いた。しかし商売を辞める訳にはいかず、夫婦が交互に旅に出るようにしている。
「うん。売り残したやつは、砂糖で甘く煮てくれるって言ってたよ」
七星の母親は優しい。
母を知らない珠黄には、時折とても七星が羨ましくなる。
その一言で、珠黄はにっと笑うと、勢いをつけて起き上った。
「それなら行くしかないだろ。おばさんの砂糖漬けは美味いもんな」
珠黄がついて来てくれると分かると、七星は嬉しそうに笑った。
道行を決めた二人は、ぶらぶらと目指す場所まで歩く。
「白玄さんは?」
珠黄は後ろを歩く七星を振り返った。
「いつも通りさ。俺に教えない日は、黄舫堂に行ってる」
黄舫堂とは、彼我師たちの本部のような場所だ。
珠黄らの住む村よりも少し上、つまり山頂に存在する。
珠黄の師である白玄は、休日の度にその黄舫堂へ向かう。
十日に一度の休みは、珠黄のためと言うより白玄の用事のためであるらしい。
何をしているのか、問うた事はない。いつか、時期が来ればあちらから教えてくれるだろう。珠黄はそう思っている。
「それなら白玄さんの帰りは遅いね。二人で夕食作っておこうよ」
七星の提案に、珠黄は目をしばたかせた。
「あの人に食事を?俺たちが?」
「そう。だって白玄さん、黄舫堂に行った日は夕食食べてないんでしょ?」
休日、珠黄は七星の家で食事をとる。遅くに帰宅する白玄は、どうやら夕食を抜いているようだ。一人分だけを用意するのも面倒なのだろう。
「いいよ。あの人も食べるつもりで帰って来ないだろうし」
気恥ずかしさが先立ち、珠黄はぶっきらぼうにそう言った。
今まで一緒に食事は作ってきたが、師匠のために珠黄一人が用意したことはない。
すると、七星はにこりと笑った。
「じゃあ、茶菓にしよう。甘いものなら白玄さんも食べてくれるよ。大丈夫、二人っきりにしないから」
照れから気まずい雰囲気になるのを恐れていることを、あっさりと見破られた上での発言であった。
そこまで言われては断れない。
しぶしぶ頷いた珠黄の横で、七星はにこにこと笑っていた。