聖剣は支持率が低いほど重くなる。筋肉ダルマの俺は支持率0%で魔王城を粉砕した
「勇者ガルド。現在の支持率、0.00%です」
神官長の声は半分泣いていた。周囲の兵士たちは青ざめ、リーゼは俺の両腕を見ながら、今にも筋が切れるんじゃないかという顔をしている。
俺たちが立っているのは、魔王城を遥か下に見下ろす《黒壁》の岩棚だった。巨大な盆地の底には黒い半球状の結界があり、その内側に魔王城がある。空に映し出された魔王の顔だけが、勝利を確信したように笑っていた。
「終わりだ、勇者! 支持率0%の聖剣など、もはや武器として扱えるものか!」
ズンッ、と両腕が沈んだ。俺が抱えている聖剣は、数秒前までとは比べものにならないほど重い。足元からバキバキと岩に亀裂が走り、靴底がじわじわと石へ沈んでいく。
普通の勇者なら、もう持ち上げることすらできない。それでも俺は、震える腕で聖剣を支えながら笑っていた。
「……すごいな。人生で初めて、ちゃんと重い」
「今そこに感動してる場合ですか!?」
話は3か月前に遡る。
◇
俺は昔から、重いものが好きだった。石を持ち上げ、丸太を担ぎ、鉄塊を抱えて坂を上る。身体が「もう無理だ」と言い始めてから、あと1回だけ持ち上げる。あの瞬間がたまらない。
ただ、鍛えれば鍛えるほど困ることも増えた。俺の筋力に合う鍛錬器具が、世の中にほとんど存在しないのだ。王都最大の鍛冶工房に作ってもらった300kgの鉄塊も、最初は感動したが、1年もすれば軽く感じるようになった。
さらに鉄を足せば大きくなりすぎる。床は抜けるし、置き場所にも困る。俺が欲しかったのは、持ちやすくて、壊れなくて、場所も取らず、それでいて好きなだけ重くできる鍛錬器具だった。
そんな都合のいいものはない。そう思っていた。王城へ呼び出され、「聖剣に選ばれました」と告げられるまでは。
「こちらが聖剣エルグラントです! 王国建国よりも古い時代から伝わる神器にして、魔王を倒せる唯一の剣です!」
神官長が胸を張って示した黄金の台座には、白銀の長剣が刺さっていた。神々しい光こそ放っているが、見た目は普通の長剣とさほど変わらない。
俺は少し肩を落とした。
「……もっとでかいと思ってた」
「第一声がそれですか!?」
横にいた女騎士が吹き出しかけ、口元を押さえた。彼女はリーゼ。今日から俺の護衛兼補佐役になるらしい。
「勇者様。神官長、朝からずっとこれの準備してましたよ。もう少しこう、感動とかありません?」
「ある。思ったより細いな、と」
「それ感動じゃないです」
神官長がこめかみを押さえ始めたので、俺は素直に聖剣の柄を握った。その瞬間、身体の奥へ熱が流れ込み、腕も脚も一気に軽くなる。全身から、さっきまでとは比較にならないほど力が溢れてきた。
「おお。これが勇者の力か」
「その通りです。聖剣に触れている間、選ばれた勇者には《加護》が与えられます。元々の身体能力が大きく強化されるのです」
説明を聞きながら、俺は訓練場の隅に置いてあった300kgの鉄塊を片手で持ち上げた。昨日までは両手で扱っていた重量なのに、今は買い物袋みたいに軽い。何度か上下させてから戻すと、ゴン、と鉄塊が床を鳴らした。
「……困った」
「勇者の力を得た直後に、何が困るんですか」
「今までの鍛錬器具が全部軽い」
「そこからなんですね、あなたは」
神官長は深く息を吐いてから、説明を続けた。
「聖剣にはもう1つ、《民意の枷》という術式があります。簡単に言えば、国民から支持されなくなるほど聖剣そのものが重くなる仕組みです」
「重くなる?」
「はい。成人した国民は《信任紋》を通して勇者への支持を登録できます。その割合が下がるほど聖剣は重くなります」
勇者の力そのものが消えるわけではない。聖剣に触れている間は加護が使える。ただし、加護で強くなっても聖剣そのものの重さは変わらない。最後には、加護込みでも持ち運ぶことも振ることもできないほど重くなる。
「重くなりすぎたら、その場に置けばいいんじゃないのか?」
「置いても加護は使えます。ですが、加護を使うには聖剣に触れていなければなりません。剣を動かせなくなれば、勇者もそこから離れられない。事実上、それ以上暴れられなくなるわけです」
約300年前、魔王を倒した勇者が、その力で王位を奪おうとしたことがあるらしい。普通の兵士では勇者を止められず、国は内戦になった。その反省から、古代より存在していた聖剣へ《民意の枷》が後付けされた。
「今の俺の支持率は?」
「84%です。選定直後としてはかなり高いですよ」
「50%ならもっと重い。30%ならさらに重い。0%だと?」
「……分かりません。そこまで下がった勇者が、ほとんどいないんです。50%以下ですら、記録がほぼ残っていません」
俺はもう1度聖剣を見た。握りやすい。壊れない。場所を取らない。しかも、条件次第ではどこまで重くなるか分からない。
「……いいな」
「その顔やめてください」
リーゼがすぐに気づいた。
「勇者になった俺でも鍛えられるかもしれない」
「やっぱりそっちですか!」
俺は長いこと世話になった300kgの鉄塊を振り返った。勇者状態では、もう軽すぎる。
「せっかく仲良くなってきたのに」
「鍛錬器具に友情を感じないでください」
とはいえ、この時点で支持率をわざと下げようとは思っていなかった。重くなる聖剣には興味があるが、筋トレのためだけに国民から嫌われるほど、俺だって馬鹿ではない。
たぶん。
◇
魔王軍との戦争が始まると、俺の支持率はむしろ上がった。最初の砦では聖剣を握ったまま城門を蹴破り、捕らえられていた住民を全員助けた。次の戦場では、壊された橋の代わりに巨大な丸太を運び、兵士たちの退路を作った。
活躍すればするほど、国民から支持される。そして支持されればされるほど、聖剣は軽くなる。
「最新の支持率、92%です。王都では勇者ガルド人形まで売られてるそうですよ」
リーゼが嬉しそうに報告してきたので、俺は聖剣を何度か持ち上げてみた。昨日より明らかに軽い。もう1度確かめても、肩にはほとんど負荷が来なかった。
「……軽くなった」
「はい。そこ、普通は喜ぶところです」
「昨日の方が良かった」
リーゼが俺の顔をじっと見たあと、妙に気の毒そうな声を出した。
「そんなに?」
「昨日はもう少し肩に来てた」
「捨てられた犬みたいな顔しないでくださいよ」
聖剣そのものは最高の武器だ。よく切れるし、加護も強い。だが軽い。俺がしばらく黙って聖剣を見ていると、リーゼは最後には本当に俺の肩を叩いてきた。
「まあ……元気出してください」
「お前が慰める側なのか?」
「ここまでしょんぼりすると思わなかったんです」
それでも戦争には何の問題もなかった。問題が出たのは、戦線が魔王領の奥まで進んだ頃だった。
◇
このまま進めば、あと1か月ほどで魔王城へ辿り着ける。王国軍の作戦もそこまでは固まっていた。西側から主力軍が進み、北側の山道を別働隊が確保する。俺は主力軍と一緒に魔王城まで進み、最後に魔王を討つ。
俺はてっきり、それで終わりだと思っていた。ところが王城で開かれた攻略会議では、地図の魔王城を囲むように太い黒線が引かれていた。
「魔王城攻略で最大の問題になるのが、この結界です」
軍務大臣が黒線を指でなぞった。
「《奈落の天蓋》。魔王城全体を覆っており、投石器の岩も、攻城魔法も、竜の炎すら弾きます。軍を魔王城まで進めることはできますが、このままでは城内へ突入できません」
「今日はその破り方を決める会議か」
「その通りです」
軍務大臣は、これまで試された方法を順番に説明した。投石器も魔法も駄目。地下から掘ろうとしても、結界は地中まで続いている。
「今のところ、突破の可能性があるのは聖剣だけです」
神官長が俺の腰の聖剣を指した。
「普通の武器は結界に触れることすらできません。しかし聖剣だけは、《奈落の天蓋》そのものに触れられます」
「なら斬ればいいんじゃないのか?」
「それが通じません。聖剣の刃は届きますが、斬りつけた瞬間の力を結界全体へ散らされてしまいます」
過去200年間で7人の勇者が挑んだ。全員が聖剣で斬りつけ、全員が失敗したらしい。
普通の岩は触れない。魔法も届かない。聖剣だけは触れられるが、普通に斬っても駄目。
俺は地図を見た。魔王城は深い盆地の底にある。その北側には《黒壁》と書かれた巨大な断崖があり、上部の岩棚が盆地側へ大きく張り出している。
「この《黒壁》は?」
「北側の別働隊が確保する予定の高地です。岩棚の先端は《奈落の天蓋》より高いですが……それが何か?」
俺はもう1度地図を見た。それから少し考えた。
「……落とすのは?」
「は?」
◇
俺が出した案は、その場では保留になった。そもそも聖剣がどこまで重くなるのか分からないし、今の支持率では試す意味もない。まずは予定通り魔王城へ向けて戦線を押し上げることになり、俺も再び前線へ戻った。
正面からぶつかる限り、魔王軍は俺を止められなかった。聖剣に触れている間は加護が使える。城門を破っても、魔物の群れへ突っ込んでも、今のところ俺が負ける気配はない。
だからだろう。
魔王は、俺を戦場で倒すのをやめた。代わりに狙ったのは、《民意の枷》だった。
最初に異変が起きたのは、北部戦線だった。魔王軍が3つの村へ迫り、俺たちは住民を川の反対側へ避難させた。最後の荷馬車が橋を渡ったあと、追ってくる魔王軍を止めるため、俺が橋を壊した。
その翌朝、王国中の通信水晶へこんな話が流れた。
《勇者ガルド、自国の橋を破壊。避難民の帰郷路を断つ》
「はあ!? 追ってきた魔王軍を止めるためでしょうが! そこ抜いたら全然違うでしょ!」
リーゼが受信水晶を机へ置いた。叩きつける寸前で止めたのは、たぶん高価だからだ。
橋を壊したのは事実だ。ただ、その理由だけが綺麗に消えている。
広報水晶網は王国だけの閉じた設備ではなく、商会や新聞社も使う公開網だった。魔王軍は奪った中継塔と偽装した発信元を使い、そこへ情報を流し込んでいるらしい。
俺は説明を聞きながら、何となく聖剣を持ち上げた。昨日より少し重い。もう1度上げてみても、やっぱり昨日よりいい。
「……戻ってきた」
「何がですか」
「負荷が」
リーゼが口を半開きにした。
「今、ほんのちょっと嬉しかったでしょう」
「支持率が下がったことは嬉しくない」
「その言い方、続きがありますよね」
「剣が重くなったのは嬉しい」
「やっぱりじゃないですか」
支持率は92%から86%へ下がっていた。まだ鍛錬にはならないが、昨日よりいい。その日の夕食は少し機嫌が良かったらしく、リーゼには「顔に出すぎです」と言われた。
◇
魔王軍の工作は、その後さらにひどくなった。敵を谷へ誘うために砦から撤退すれば《勇者、魔王軍を恐れて逃亡》。兵士の食料を確保するため市場から小麦を正規の値段で大量に買えば《勇者軍、民衆から食料を奪う》。
こちらが説明しても、「王国が勇者をかばっている」と別の噂が流れる。支持率は73%まで落ちた。
野営地で聖剣を頭の上へ持ち上げてみると、肩に少しだけ負荷が来た。
「おお。これ、ちょうどいいな」
「何がですか」
「肩」
リーゼはそれ以上聞かなかった。
俺が何度か聖剣を上げ下げしていると、騒ぎを聞いた神官長が走ってきた。
「何をしてるんですか!」
「鍛錬です」
「神器を肩の日に使わないでください!」
「壊れないんだろ?」
「そういう許可の出し方はしてません!」
神官長は俺から聖剣を取り上げたいらしかったが、すでにかなり重くなっているので手を伸ばさなかった。代わりに刀身を撫でる。
「かわいそうに……」
「お前、聖剣好きすぎないか?」
「あなたにだけは言われたくありません」
◇
魔王軍は、情報工作が効いていると気づいた。そこからは偽の命令書、切り貼りした映像、俺がわざと戦争を長引かせて権力を得ようとしているという噂まで出回った。
支持率は62%、54%と下がり、ある朝ついに48%になった。神官長は報告書の数字を3回見直した。
「50%を切った……ここから先は記録がほとんどありません。ガルド殿、本当に慎重に扱ってください」
言われる前に聖剣を持ち上げると、ズン、と腕が少し下がった。今までとは明らかに違う。肩と背中へ、ちゃんと負荷が来る。
「……来たな」
「何がです?」
「効く重さが」
俺は聖剣を胸の前へ抱え、そのままゆっくりしゃがんだ。太腿へずしりと負荷が乗る。もう1回しゃがんでも、やっぱりいい。
「これだ」
「神器を脚の日にも使わないでください!!」
神官長の悲鳴が王城の中庭へ響いた。リーゼは止めようとしていたが、神官長の顔を見た瞬間に横を向いた。肩が震えている。
「笑ってますよね?」
「笑ってません」
「こっち向いて言ってください!」
俺はもう1回しゃがんだ。
「ガルド殿!」
そこから俺は、朝起きるたび支持率を聞くようになった。46%の日に少し機嫌が良ければリーゼに「分かりやすい」と言われ、43%まで落ちた朝は、何も聞いていないのに聖剣を持ち上げた瞬間の顔だけで数字を当てられた。
ところが38%まで落ちた翌日、王国側の説明が少し効き、39%まで戻った。
「今日は39%です」
俺は聖剣を持ち上げてみた。昨日より少し軽い。
「……軽くなった」
「1%ですよ」
「でも軽い」
リーゼはしばらく俺の顔を見たあと、ため息をついた。
「朝飯、残さないでくださいね」
その日の朝食は、少し味がしなかった。
◇
支持率31%になる頃には、聖剣を担いで歩くだけで石畳に細い亀裂が入るようになった。24%では、俺が立ち止まっているだけで床板がミシミシ鳴る。神官長からは「石造りの場所しか歩かないでください」と本気で頼まれた。
「《民意の枷》は、とっくに普通の勇者なら役目を果たしてるはずなんです。普通なら加護を使っても重すぎて振れなくなり、聖剣を武器として使えなくなる」
「ちゃんと効いてますよ。昨日から肩がすごいです」
神官長は何も言わず、遠くを見るようになった。
20%を切る頃には、俺にも本気で重くなってきた。持ち上げるたびに呼吸を整える必要があり、長く歩けば背中が張る。それでも加護込みなら、まだ聖剣を運べるし、ぎりぎり武器として扱える。
「普通の勇者なら、もう無理なのか?」
「おそらく。ここまで下がった記録自体ありませんから、断言はできませんが」
「そうか」
俺は聖剣を持ち直した。重い。かなりいい。
「……ちょっと燃えてきたな」
「そこは燃えなくていいです」
ただ、笑ってばかりもいられなくなった。前線の兵士たちには家族から「本当にあの勇者について行って大丈夫なのか」という手紙が届き、助けた村へ戻っても子供たちが母親の後ろへ隠れるようになった。
俺自身が嫌われるのは構わない。でも、一緒に戦っている兵士まで疑われるのは気に入らなかった。
支持率15%。
そこで国王から、王都へ戻るよう命令が来た。
◇
「もう十分だ。反撃する」
謁見の間へ入るなり、国王は机を叩いた。橋を壊した理由も、撤退作戦も、食料を正式に買った記録も全て公表する。偽の映像も命令書もまとめて暴く、と本気で怒っていた。
俺は少し考えてから、決定的な証拠を出すのはもう少し待ってほしいと頼んだ。
「理由を聞こう」
「前に出した、《黒壁》から落とす案をやりたいです」
軍務大臣がすぐに地図を広げた。攻略会議で出した案は、その後も検討だけは続いていた。ただ、聖剣の重量が足りないことと、どこまで重くなるか分からないことから保留されていた。
今は違う。
「魔王は、俺に聖剣を使わせないために重くしてる。でも俺は、まだ運べる」
俺は地図の《黒壁》を指した。
「このまま頂上まで運びます。そこまで行ったら、残ってる支持を全部外してもらう」
リーゼが地図と俺を交互に見た。
「それで0%まで重くして……落とす?」
「ああ」
神官長はまだ納得していない顔だった。
「確認しておきます。勇者が手を離しても、聖剣そのものが神器でなくなるわけではありません。《奈落の天蓋》へ触れられる性質も残ります。ただし、ガルド殿の加護は手を離した瞬間に消えます」
「問題ないです。落とした後は、俺の力なんていらない」
国王が地図を見ながら眉を寄せた。
「今すぐ支持を外してもらうのでは駄目なのか?」
「0%の聖剣がどれくらい重いか分かりません。今ここで重くしすぎたら、《黒壁》まで運べないかもしれない」
軍務大臣がゆっくり頷いた。
「王国軍は予定通り正面から魔王軍を押し込み、北側の別働隊が《黒壁》への山道を確保する。ガルド殿はまだ動けるうちに聖剣を岩棚まで運び、そこで初めて0%にする」
「そうです」
神官長は両手で顔を覆った。
「理屈が通っているのが一番嫌です……」
リーゼだけは笑っていなかった。
「ガルド。本当にやるんですか。このまま王国が反論しなかったら、本当に嫌われたままになるかもしれませんよ」
俺は少しだけ考えた。最初は、ただ重くなる聖剣が面白かった。勇者になった俺でも鍛えられる。どこまで重くなるのか見たかった。
でも今は違う。
「評判なら、戦争が終わってから戻せるかもしれない。でも死んだ奴は戻らない。俺が嫌われるだけで魔王城を壊せる可能性が上がるなら、安いだろ」
国王はしばらく黙っていた。やがて深く息を吐く。
「本当に、お前じゃなければ出てこない作戦だな」
「褒めてます?」
「半分はな」
国王は立ち上がった。
「やれ。ただし、生きて帰れ。終わったら余が全部説明する」
「分かりました」
そこで国王が俺の聖剣を指した。
「それと、城内でスクワットするな」
「そこまで報告行ってたんですか」
「毎日来る」
横を見ると、神官長が無言で頷いていた。
◇
魔王城へ近づくほど、情報工作はひどくなった。俺が捕虜を殺したという偽映像、王様になろうとしているという偽証言、最後には「勇者ガルドは魔王と裏でつながっている」という話まで流れた。
王国側は、小さな訂正だけを出し続けた。決定的な証拠は、まだ出さない。
支持率10%では歩くだけで足元の土が沈み、7%では橋を渡るたび補強が必要になった。4%になると、聖剣を肩へ担いで歩く俺の足跡が、道へくっきり残るようになった。
2%で、とうとう聖剣の重さを測る魔法が壊れた。
パキン、と測定用の魔法陣の中央に置かれた水晶へ亀裂が入った。神官長は壊れた水晶を見下ろし、しばらく黙ったあと顔を上げる。
「……測れません。測定範囲を超えています」
俺は聖剣を両手で持ち上げた。本当に重い。脚も腹も背中も肩も腕も、全部使わなければまともに扱えない。
「すごいな。こんなに持ちやすいのに、全力じゃないと上がらない」
リーゼが額を押さえた。
「明日は《黒壁》を登るんですから、今夜は本当にやめてくださいね」
「今日は確認だけだ」
「その確認で3回持ち上げましたよ」
「明日は全身だからな」
「もう何も言いません」
◇
翌朝、王国軍の主力は魔王城正面へ進み、北側の別働隊は予定通り《黒壁》への山道を奪った。
俺はその道を、支持率2%の聖剣を担いで登った。ズン、ズン、と1歩進むたびに地面が沈む。急な岩場では聖剣の重さに身体を後ろへ引かれ、腕より先に脚と背中が悲鳴を上げた。
途中から、周囲の兵士も距離を取るようになった。万が一俺が転べば、巻き込まれた方が危ない。
「あと少しです!」
下からリーゼの声が飛んでくる。
「大丈夫だ。今日の脚にはちょうどいい」
「まだ言う元気あるなら大丈夫そうですね!」
数時間後、俺はようやく《黒壁》の上へ辿り着いた。
断崖の上部には、盆地へ向かって巨大な岩棚が張り出している。その先端からは《奈落の天蓋》の頂点と、内部にある魔王城の中央塔をほぼ真下に見下ろせた。
軍務大臣が位置を確認する。
「ここです。中央塔の真下には、城全体を支える主基礎があります。狙いがずれなければ、結界を抜いた後もそのまま城の中心へ落ちる」
俺は崖の縁に立ち、聖剣を両手で持った。
もう運ぶ必要はない。
あとは重くするだけだ。
その時、空に巨大な魔王の顔が浮かんだ。
「勇者ガルド! ようやく限界か! 貴様の支持率は、もはや1%を切る寸前! 聖剣を振ることすらできなくなるぞ!」
リーゼが表示器を確認する。
「0.4%です」
俺は聖剣を胸の高さまで持ち上げた。本気で力を込めれば、まだ動く。
「確かに、振るのはきついな」
「ならば終わりだ! それが《民意の枷》だ!」
「そうだな」
俺は崖の下を見る。
魔王の顔から、少しずつ笑みが消えた。
「……待て」
通信兵が王国全土へつながる水晶を開いた。
「全国接続、完了しました!」
俺は通信用の水晶を見る。
「聞こえてるか。勇者ガルドだ。頼みがある。俺への支持を外してほしい」
すぐに数字が動き始めた。
「俺を嫌いになる必要はない。魔王軍の話も信じなくていい。ただ、今日だけ外してくれ。今、俺に必要なのは信頼じゃない。重さだ」
支持率が0.3%、0.2%と落ちるたび、ズシリ、ズシリと聖剣が重くなる。俺の足元の岩にも、ミシッ、ミシッと細い亀裂が増えていった。
0.1%を切ると、表示は割合ではなく人数へ切り替わった。
《支持者 842》
《支持者 311》
《支持者 78》
魔王が目を見開く。
「自分から支持を捨てさせるだと!? 正気か!」
俺の周りの兵士たちも《信任紋》へ手を伸ばした。最前列にいた老兵が、胸元を見ながら苦い顔をする。
「……終わったら、戻しますからね」
「勝手にしろ」
「へい」
老兵の光が消え、数字は19人、7人、3人まで減った。
最後に1人だけ残る。
俺は横を見た。
リーゼだった。
「……私、これ嫌なんですけど」
「外してくれ」
「分かってますよ」
リーゼは胸元の《信任紋》を睨んだ。
「ずっと隣で見てたのに、最後に私が『支持しません』って押すの、普通に嫌です」
「終わったら戻せばいい」
「そういう問題じゃないんです」
しばらく黙ったあと、リーゼは俺を見る。
「……好きですよ、あなたのこと」
「急だな」
「今言わないと、たぶん言えない気がしたので」
そう言って、リーゼは《信任紋》に触れた。
「だから、これ嫌なんですよ」
光が消える。
《支持者 0》
《支持率 0.00%》
ズンッ、と聖剣の重量が跳ね上がった。
「ぐっ……!」
初めて声が漏れた。両腕が一気に下がり、俺の足が岩へ沈む。バキバキッ、と足元から亀裂が広がり、予備の測定水晶までパキン、と砕けた。
腕が震える。背中が軋む。脚も潰れそうだ。聖剣に触れているから、加護はちゃんと身体へ流れ込んでいる。それでも重い。
《民意の枷》は壊れていない。むしろ、正常に働いている。普通の勇者なら、ここで終わりだ。
それでも俺は、歯を食いしばって聖剣を支えた。
「……やっとだ」
リーゼが俺の顔を見た。
「その顔、やっぱり嬉しいんですね」
「人生で初めて、ちゃんと重い」
「もう好きにしてください」
魔王はそれどころではなかった。
「あり得ない! 支持率0%だぞ! その重量は、加護を得た勇者でも扱えないように設定されている!」
「そうみたいだな」
「ならなぜ持てる!?」
「鍛えたから」
「そういう問題ではない!!」
俺は大きく息を吐いた。
もう持ち上げ続ける必要はない。
ここまで運べれば十分だった。
聖剣の切っ先を谷底へ向けると、魔王の顔が固まった。
「待て」
俺は手の中の聖剣を見る。3か月前は、もっと大きければいいのにと思った。今は違う。小さくて、握りやすくて、壊れない。そして、とんでもなく重い。
最高だった。
「行ってこい」
「最後までそれなんですね……」
リーゼの呆れた声を聞きながら、俺は手を離した。
聖剣が落ちる。
ヒュオオオオオッ!
白銀の剣が、盆地の底へ向かって加速していく。
「止めろ! 止めろおおおお!!」
魔王の絶叫が谷へ響いた。
数秒後。
ドォン!!
《奈落の天蓋》の頂点が大きくへこんだ。黒い半球全体が震え、ゴゴゴゴゴ……と低い音を立てながら沈んでいく。
聖剣は弾かれない。
ミシッ、と白い亀裂が走った。
「……待て」
ミシミシミシッ。
亀裂が一気に広がる。
「待て待て待て!!」
バァン!!
《奈落の天蓋》が砕け散った。
聖剣は、そのまま落ちた。
ドゴォォォン!!
中央塔の屋根が潰れる。さらにズドンッ、ズドンッと上階を抜き、その下を抜き、聖剣は一直線に城の中心へ沈んでいった。
やがて地下深くから、今までとは違う低い音が響いた。
ゴォン。
軍務大臣の顔が変わる。
「主基礎まで届いた」
魔王城全体が、一瞬だけ静止した。
次の瞬間、中央塔が傾いた。
ゴゴゴゴゴゴ……。
左右の塔が引っ張られるように倒れ、城壁へ巨大な亀裂が走る。中庭が沈み、石橋が折れ、巨大な城全体が中央へ向かって崩れ始めた。
「待てええええええ!!」
魔王の映像も、途中で消えた。
しばらく誰も喋らなかった。断崖の上から見えるのは、《奈落の天蓋》も魔王城も消え、巨大な土煙だけが盆地いっぱいに立ち上る光景だった。
神官長は口を開けたまま固まっている。リーゼがゆっくり俺の横まで歩いてきた。
「……終わりました?」
「ああ」
俺は空になった両手を見た。
「聖剣、下に行ったな」
「その顔、まさか寂しいんですか」
「0%の重さ、もう1回持ちたい」
リーゼはしばらく黙ってから、俺の背中を叩いた。
「帰りますよ」
◇
戦争は、それで終わった。魔王城が崩壊したと知った各地の魔王軍は次々と降伏し、数日後には国境での戦いも止まった。
聖剣は、魔王城跡にできた巨大な穴の底から発見された。支持率0%の間は、俺が触れて加護を得ても簡単には動かせない重量だった。
わざわざ瓦礫の底まで降りて再挑戦しようとしたら、リーゼと神官長の2人から止められた。
「持ち上げるだけだぞ」
「駄目です」
「1回だけ」
「それを信用できるなら、今こんなことになってません」
仕方なく放置している間に、国王が約束通り真実を公表した。
橋を壊した本当の理由。撤退作戦。食料を正式に買った記録。偽造された命令書や映像。さらに途中からは、魔王軍の情報工作を利用して聖剣を重くするため、王国側が決定的な反論を遅らせていたことまで全てだ。
支持率は3日で80%を超え、1週間後には98%になった。軽くなった聖剣は無事に王城へ戻ってきた。
俺は中庭で、久しぶりに聖剣を持ち上げてみた。何度確かめても軽い。魔王城を丸ごと沈めた剣とは思えないほど、肩にも背中にも何も来ない。
「……前のお前の方が好きだった」
リーゼが振り返った。
「聖剣に失恋したみたいな顔しないでください」
「0%の時、すごく良かったんだ」
「まだ言ってる」
神官長は俺から聖剣を奪うように抱きしめた。
「良かった……軽くなった……もう魔王城へ落とされない……」
「もう1回くらいなら」
「駄目です」
即答だった。
◇
その夜、国王から戦争を終わらせた褒美として、何でも1つ望んでいいと言われた。領地でも爵位でも金でもいいというので、俺は少し考えてから頼んだ。
「聖剣に、好きなだけ重くできる機能を付けられませんか。見た目と握りやすさは今のままでいいです。できれば0%の時くらいまで」
謁見の間が静まり返った。
最初に口を開いたのは神官長だった。
「嫌です」
「お前に決定権ないだろ」
「陛下、嫌です」
国王はものすごく疲れた顔で額を押さえた。
「余も嫌だ。それどころか今回の件を受けて、《民意の枷》そのものを改修する」
「どう変えるんです?」
「一定以下の支持率になった時点で加護を停止する。ついでに、聖剣の重量もそれ以上増えないようにする」
俺は思わず身を乗り出した。
「それは困ります」
国王が机を叩いた。
「困っているのは国だ!!」
横でリーゼが吹き出した。
仕方がないので、褒美には王都の鍛冶工房で俺専用の鍛錬器具を作ってもらうことにした。見た目は小さく、重さだけを自在に変えられる器具だ。
謁見の間を出たあと、リーゼが笑った。
「良かったですね。これでもう、支持率が下がらなくても鍛えられますよ」
「ああ。好きなだけ重くできるんだろ」
「本当にそれだけで機嫌直るんですね」
「悪いか?」
「いえ。その方がガルドらしいです」
聖剣の《民意の枷》は、国民から嫌われた勇者を止めるために作られた。嫌われるほど剣が重くなり、加護を使っても扱えないほど重くなれば、勇者はその場から動けなくなる。
仕組みそのものは、たぶん正しい。
ただ、約300年前の設計者たちは1つだけ想定していなかった。
剣が軽くなるとしょんぼりし、重くなると目を輝かせ、最後には支持率0%の聖剣を断崖まで担ぎ上げて、魔王城の真上から落とす筋肉ダルマが、いつか勇者に選ばれる可能性である。




