転生探偵1
ーーープロローグーーー
深夜4時、ペンションに響き渡る坂本華の悲鳴を聞いて俺は目を覚ました。とても人間の声とは思えない甲高い悲鳴を聞き、常人であれば何事かとパニックになり騒ぎ立て、恐怖するだろう。だが俺ーー黒野圭は分かっていた。殺人だ、殺人事件が起こったのだ。なぜなら今俺がいるのは、大学生時代に気まぐれで書いた駄作ミステリーの世界なのだから。目は完全に覚めているが頭はいまだにぼんやりする。確か原作では一階の洗面所で死んでいる被害者を坂本華が発見することになっていた。被害者はーーそんな事を考えながら一階の洗面所へと向かう。ようやく頭も働くようになってきたところで俺は洗面所前で尻もちをついている坂本華の姿を見つけた。
「坂本さん、どうかしま…」
そういいながら俺は洗面所内部をのぞき込む。その瞬間、背筋に恐怖が走った。死体があったからではない。問題はその死体の持ち主が、俺の想像していた人物ではなかったからだ。
「どうして…お前が…」
俺はまだこの時、自分の行動が世界を変えてしまったことに気づいていなかった。
「おー…雪強くなったな…」
見通しの悪い雪道。その中を進む女子大生が乗っていそうなピンク色の車。まさかその中にいるのが女性とは全く縁のない男子大学生2人組だと思う人間はおそらくこの世に存在しないだろう。
「お前が起きる2時間前から雪しか見えなかったよ」
助手席にも乗らず、後部座席で横になっていびきをかいていた友人こと森田大地を尻目に、俺ーー黒野圭はスマホのナビを見ながら目的のペンションまで車を走らせる。
俺たち二人は高校の同級生で、今はお互い違う大学に通っている。お互い友達が多い性格ではなく、大学にはいってパリピなサークルに入ったとか、美人な先輩と運命的な出会いをした、とかそんな大学生らしいエピソードや浮いた話は一つもない。お互いなんとなくの大学生活を送っているわけだが…どういう訳か、年に数回男二人で旅行に行くというのが恒例行事になった。-----------いや違う…何かがおかしい…。
「こんな山に本当にペンションなんてあんのかー?」
「え…?ああ、物好きな爺さんがやってる昔からの場所らしい。」
ーーーなんで俺はそんなこと知っているんだ…?いや、知っていて当然なのだ、旅行先の情報くらい調べるのが当然なのだから。それは問題ではない。
「どこだ…?ここ」
「はぁ?男二人旅が悲しすぎて記憶喪失にでもなったか?」
森田が笑いながら言う。いや、ちがう。そうではない。むしろ逆なのだ。記憶がありすぎる。
ーーー思い出した。俺は…俺は自殺しようとしたんだ。駅のホームで。大学時代特に何もせず、惰性で入社した企業が典型的なブラック企業で、精神を病んで、そして自殺を図った。そして今、俺は車を運転している。それもどこか見覚え…いや聞き覚え?のある名前の友人とともに。
「お、あの建物じゃね?」
森田の声で現実…に引き戻される。
「あぁ…あれだな、あの建物が今夜俺たちが泊まるペンションだ。」
暗めの木材でできた側面と、やけに赤い屋根。建物の周りにはいくつかの窓が取り付けられており、そこから暖かみの感じられるオレンジ色の灯りが漏れている。ペンション、という言葉を聞いたときに真っ先に思いつく、典型的な造りと外見をしている。
「いかにもって感じのペンションだな…殺人事件でも起こるんじゃないか?」
森田が軽口をたたく。だがそれは間違ってない。このペンションでは今夜、人が死ぬ。そして探偵役である俺…黒野圭が事件の犯人を突き止める。犯人はペンションのオーナーで、雪を使ったトリックを披露する。全て知っている。なぜならここは、俺が大学生時代に気まぐれで書き、その稚拙さからまったく日の目を浴びることのなかった駄作のミステリー小説そっくり、いやそのものだからだ。
いったいどうなっているんだ…?俺はペンションの脇に備え付けられてる屋根付きの駐車場に車を停めながら頭をフル回転させる。俺はまず、黒野圭がおかしくなったんじゃないかと考えた。しかしそれは、俺の記憶が否定した。ブラック企業で毎日残業してぶっ倒れそうになった事、大学時代、授業にも出ず家でネットゲームに勤しんだ事、それらすべての記憶が、自分が黒野圭じゃないことを証明している。
「おい!荷物運ぶの手伝えよ」
俺は森田の呼びかけに応じて荷物を車から降ろす。頭にはいまだ疑問が多く浮かび上がってくるが、その疑問を解決するためにもまずは確認することがある。それは本当にここが駄作ミステリーの世界なのかということだ。俺は森田とペンションに続く雪道を重たいブーツを引きずりながら歩いていく。ペンションへの道を歩く途中、前から短髪で、白髪の目立つ六十代の男がやってきた。いや、やってくるはずだ。その数秒後、前から白髪の目立つ六十代と思われる男がやってきた。彼は佐藤文男。このペンションのオーナーで、殺人事件の犯人である。
「黒野様と森田様ですね。こんな天気の中、良くお越しくださいました。私、当ペンションのオーナーをしています。佐藤文雄と申します。」
彼はそう言いながら、慣れた手つきで俺たちの持っている荷物を受け取りペンションへ続く道を歩き始める。駄作ミステリーと全く同じ展開、同じ風貌をした人物。やはりここは駄作ミステリーの世界だと確信した。ペンションの前につくと、佐藤は手際よく荷物を室内に運んで行った。俺たち二人はダウンコートに軽く積もった雪を落とした後、入り口入ってすぐのカウンターでチェックインの準備を進めた。チェックインの書類はあったが、ペンがなかったので立ち往生していると荷物を室内に運び終わった佐藤が戻ってきた。
「荷物はこちらでお部屋まで運んでおきますので、チェックインの書類を書き終えましたら、左手に見える扉の先にあるリビングでお待ちください。」そういって佐藤は一本のペンを差し出した後、60代とは思えないパワフルな動きで荷物を二階の客室へと運んでいく。60代の爺さん一人に荷物を運ばせるのは心が痛むような気もするが、お言葉に甘えて書類を書き終えた後はリビングで休むこととした。カウンターから見て真左にある木製の扉を手前に引いて入ると、むわっとした熱気が顔にかかった。カウンターの時点でもそれなりに温かい室内だったが、リビングはそれよりも温度が高いようだ。駄作ミステリーの世界を実際に再現するとこういう感じになるんだなぁと俺は感心していた。リビングは入ってすぐの右手には古風な暖炉があり、部屋の真ん中には正方形のテーブルと、それを囲うように置かれている茶色い革製のソファーがある。ひとまず目の前にある四人ほど座れるであろうソファーに腰かけて現状を整理することにした。整理するとは言ったが、俺の心の中はやけに落ち着いていた。この世界が現実なのかどうかは分からないが、よくよく考えればどちらでも構わない気がしてきたからだった。そもそも俺は現実世界…ややこしいので前の世界としよう、では死のうとしていたのだ。自作の小説の世界に転生しようが、大した問題ではない…と考え始めていた。前の世界では転生物の小説を読むたびに、主人公が転生を受け入れるのが早すぎる!と思っていたが、いざ自分が転生してみると、意外と受け入れるのが早かった。それとも衝撃が大きすぎて理解が追い付いていないだけなのか、それはパニックになってみないと分からない。
「なあ、トイレってどこにあるかな?」
本来なら俺がトイレの場所など知るわけないのだが、たまたまこちらは自作小説の世界に転生してきたので、場所を教えることができた。奇跡である。入ってきた扉とは別の扉を指さしながら言う。
「その扉を出て、目の前にあるドアがトイレだよ」
なぜ俺がトイレの場所を知っているのか、不思議そうな顔をすることもなく森田は扉を出て行った。よっぽど漏れそうだったのだろう。仮にも自分が書いたミステリーの舞台なのだ。ペンションの間取りくらいは頭に入っている。まず俺たちが入ってきた玄関はペンションの右下に位置する。そして入ってすぐ目の前にはチェックイン用のカウンターがある。カウンターの後ろには一枚の扉があり、オーナーの部屋へと繋がっている。玄関からみて左側には今俺が座っているリビングに続く扉がある。その扉の手前、カウンターとリビングの間にある通路は奥へと続き、長方形の広い空間に出る。左側には先ほど森田が入っていったトイレと、それに隣接する洗面所がある。トイレに行くには洗面所に一度入り、そこからもう一度洗面所内の扉を開けてトイレに入る必要がある。その洗面所へとつながる扉の目の前に先ほど森田が出て行ったリビングのもう一つの扉がある。なんとも変な設計である。そして通路の正面にはダイニングがある。ここは扉などでは仕切られておらず、円形のテーブルが四つと、それを囲うようにして椅子が並んでいる。右手にはキッチンがあり、簡素な冷蔵庫といくつかの調理器具が並んでいる。そしてその更に右、つまり建物の右端に二階の客室へとつながる階段が用意されている。ペンション全体を上から見たとき、Tの形に廊下がある感じだ。二階に上がると一本の通路があり、その左右に客室が並んでいる。客室は部屋の大きさこそ違けれど、全部で6部屋あり、それぞれの客室にトイレと風呂までついている。こんな山中の個人が運営しているペンションに部屋ごとの風呂がついているなんてありえないかもしれないが、そこは駄作ミステリーの適当設定なのだから仕方ない。プロの作家が書いたミステリー小説であれば部屋の防音性能がどうだとか、各部屋の微妙な違いだとかこと細かく描写するのかもしれないが、何度でもいうがこれは小説も書いたことのない男子大学生がその時読んでたミステリー小説に影響されて気まぐれで書いた作品である。そんな小さい細かいことまで書いているわけがない。というわけで、これに関しては実際に部屋に行ってみないと分からないのである。
「あ、そういえば」
俺はズボンや来ていたダウンのポケットなどを漁った。目的は現代人であればだれもが持っているはずのあれを探すためである。そう、スマホである。そして、なんとスマホはあった。携帯電話にすると逆に勝手がわからなくて書きずらいということで大人しくスマホを持たせたのだった。どうせあとで大雪が降ってきて電波が通らなくなることになっているため関係ないと考えていたのだ。ロックが掛かっていたらどうしようかとも思ったが、それは杞憂に終わった。何の障害もなくスワイプ一つでホーム画面が開けた。スマホの中はどういう訳か、前世の俺のスマホの中身そのままだった。しかもこの時気づいたのだがこのスマホは其りんご会社の最新スマホであった。スマホの機種やアプリまで書いた覚えはないが、どういう原理でこのスマホが選ばれたのだろうが。疑問は多いが、ひとまず現在の時刻を確認する。午後五時三十分にまもなくなるという所、部屋の準備が終わった佐藤さんが俺たちを呼びに来る時間だ。そう考えた矢先、ーーガチャッ 佐藤さんが俺たちを呼びに来た。
「お部屋の準備が整いましたので、どうぞ二階へ」
いつの間にか戻ってきていた森田とともに俺たちは予約していた部屋に向かう。リビングを出て階段に向かう途中、玄関のドアが開いた。他の登場人物が到着したのだ。確か最初に来るのは…
「うわぁ…服の中に雪入った…最悪」
「大丈夫?タオル貸そうか?」
あぁそうだ、今作のヒロイン役である坂本華と、その友達の斎藤里香が俺たちの次に到着することになっていた。二人は大学四年生で、卒業旅行としてわざわざこんな山奥のペンションに泊まりに来た。目的は確かスキーをすることだったはずだ。斎藤里香は小柄で、髪を茶色にそめて肩付近で切りそろえている、良くも悪くもどこにでもいる女子大生という見た目だ。坂本華の方はというと…モデルのようなすらりとした体形、長い手足、確かな存在感を感じさせる胸元の膨らみ。肩と腰の中間まで伸びている、艶のある黒髪、そして見るものを魅了する美しさと儚さを含んだ大きな瞳。ヒロインに必要な要素をこれでもかと詰め込んだ、美人という言葉の典型例のような容姿をしている。なぜ探偵役でもないただの登場人物の彼女がここまでラノベの主人公のような要素をてんこ盛りにされているのか、それはこのペンションでの事件を通じて俺、つまり黒野圭と恋人になることになっているからだ。恥ずかしい話だが、この黒野圭という人物は、自身をある程度モデルにして書いている。そんな人物と恋仲にするのならまぁ…できる限り美人がいいだろう。これは現実世界ではまったくと言っていいほど女性と関わりがなかった俺の最後の抵抗なのだ。致し方あるまい。
「申し訳ありません、到着に気づくのが遅くなってしまいました、ただいま伺います!…黒野様、お部屋は二階の右奥となっています。階段は突き当りの右手にあるのでそちらをご利用ください、お部屋の鍵はこちらとなっています。7時ごろにご夕食の用意をする予定ですので、時間になりましたら正面に見えるダイニングにお集まりください。」
了承の意を伝えると、佐藤さんは足早に玄関へと向かった。俺たちはひとまず自分達の部屋に戻り夕食まで時間をつぶすことにした。ギシギシと音の立てる階段を上がり、右奥にある部屋に先ほど受け取ったカギを使って入る。部屋に入ってすぐの左手には洗面所と浴室があり、トイレも浴室とセットになっている。いわゆるユニットバスというやつだ。わざわざトイレと浴室を分けて書くのが面倒くさかったのでこうなった。部屋の奥に進むと左手側にはベッドが二つ置かれていた。
「お~、結構いい部屋なんじゃないか?」
そう、二人部屋なのである。どうしてわざわざ二人とも同じ部屋にしたのか、原作者の自分に小一時間問い詰めたい気分になった。そしてたった今森田が手前のベッドにダイブしたので、俺のベッドは奥に決定した。ベッドの反対方向、つまり部屋の右手側には化粧台が置かれており、大きめの鏡がこちらを向いている。設置理由は…特にない。そういうイメージがあったから書いただけである。
「体中が痛い…夕飯の時間になったら起こしてくれ」
そういって森田は手洗いもせずに綺麗なベッドで寝始めた。原作では俺たちは朝から一日中スキーで遊んだことになっている。その疲れが今来たのだろう。手も洗わずベッドで寝始めるとはドン引きだが、今の状況ではむしろ有難かった。今はとにかく、今後どうするべきか考える時間が欲しい。ひとまず俺は洗面所で手と顔を洗う。…恐ろしいほど冷たい。夢なんかではないことがより一層分かった。洗面所を出て、ひとまず化粧台に座り鏡を見る。そこで俺はようやく自分の顔を初めてみた。鏡に映ったのは超絶イケメン…などではなくいつも通りのパッとしない顔だった。いや、少し…若返ったか?ここに着いてから一つ気がかりなことがあった。それは、原作には書かれていない細部、つまり描写されていないはずの情報はどうやって決まっているのかということだった。チェックインを澄ましてリビングに入ったとき、かなりの熱気を感じたが、そこまで作品の中で描写した覚えはない。しかし、考えてもみれば密閉された空間に暖炉があれば、そとの空間より暑くなるのは当然なのである。そして登場人物の顔も特徴こそ描写はしたが、特徴だけで人間の顔を完璧に再現することなどできない。そういった事を考慮すると、一つの仮説が浮かび上がってくる。小説の世界、というよりは小説を書いた時の自分の脳内にあった映像イメージが具現化された世界に来ているという説だ。だから登場人物の顔やペンションの見た目がまるで一度見たことのあるもののように感じられるのだ。それに伴って先ほどのリビングの熱気のように、映像に合わせて細部も調整されているのだろう。俺がやけに若返って見えるのも、その小説を書いたときは大学生でまだ若かったからだとすれば説明がつく。だがこれはあくまで仮説だ。実際に細部の調整がどのように行われているのか、それは情報を収集しないと分からない。
「まぁ…説明がついたところでどうしようもないけどな…」
俺はいったいどう行動するのが正解なのだろうか。何度でもいうが、この世界はミステリーの世界だ。それも王道中の王道、「犯人はこの中にいる」タイプのミステリー。もし仮に原作に沿って事件を解決した場合、どうなるのだろうか。事件を解決した瞬間に俺の人生は終わり、今度こそ閻魔大王のもとへ行くのか、それともこのままミステリーの世界が続き、黒野圭として生きていくのだろうか。しかしこれはどれだけ考えても分からない、実際に事件を解決してみないと分からないのだ。次に原作とは異なる行動をとった場合だ。最たる例は事件を未然に防ぐことだろう。事件が起こらなくなった段階で終了なのか、そのまま平和な世界が進行するのか、はたまた結末は変えられず、事件が起こってしまうのか。しかしこれも実際に未来を変えてみないと分からない。だが一つだけ確かなことがある。
「キスシーン…キスシーンがあったな…そういえば」
黒野圭は事件を通じて坂本華と恋仲になり、事件解決後、熱いキスを交わす。そんな展開だったことを思い出した。いや、キスのために殺人事件を見逃すなんてことあってはならないのだ。それは分かっている。しかしここは小説の世界だ、現実ではあるが現実ではない。人が死ぬといっても、どうしてもフィクションのような気持ちになってしまう。それに確か犯人はどうしようもないクズ人間だったはずだ。犯人は過去このペンションで起こった死亡事故をネタにオーナー、つまり佐藤さんを脅して金銭を要求する。そして感情を抑えきれなくなってしまった佐藤さんが犯行に及ぶ、そういうシナリオだったはずだ。それに事件を未然に防いだ段階でこの世界が終ってしまう可能性だってあるのだ。原作通りに進めればその後の世界として黒野圭として普通に生きられるかもしれない、だが事件を未然に防いだが故にその後の世界に行けなくなってしまうかもしれない。というか、自分が書いた小説の登場人物が死んで誰が悲しむというのだろうか、彼らは人間であって人間ではないのだから。その後も30分ほど脳内で天使と悪魔が戦い、ついに決着がついた。
「一旦、一旦原作通りに進めてみようか…」
決してキスがしたいからこうなったわけではない。原作と違う行動を取ったことによる異変が怖いだけである。断じて、実物として現れた坂本華が想像より魅力的だったからというわけではない。自分の決断に若干の罪悪感を感じながらも、ひとまず今後どう行動するかは決まった。
「今後の方針が決まったのなら…まずは情報収集だな」
俺は早くもいびきをかいている友人を置いて一階へと向かった。




