一章一話(前編)
こちらの前にプロローグがあり、実質第3話目となります。
「お荷物は、整えておきました」
「ええ、ありがとうダリア」
普通、一国の王女の輿入れともなれば馬車を二台も三台も使って荷物を詰め込むものだろう。しかし、生憎、アンネロッテの荷物は小さなトランクケース数個しかない。普段から最低限のものしか買い与えられない上に、少しでも質のいいものは皆、コーデリアに取り上げられてしまうからだ。
外出なさらないお姉様に、ドレスや宝飾品って必要かしら。そう言って全て取り上げられたアンネロッテの装いを、王妃はみすぼらしい、と一層蔑む。だが彼女とて、アンネロッテがどんなに着飾ろうとも、どうせその言葉を変えたりはしないのだろう。
「……ダリア、あなたには本当に感謝しているの」
「いいえ、私はなんにも、……なんにもできませんでした」
昨日、ダリアは国王と王妃に輿入れの中止を掛け合おうとしてくれたらしい。だが当然、一介の侍女の嘆願などが聞き入れられる筈もない。謁見すら叶わなかったと、ダリアは肩を落としてアンネロッテに謝罪した。
「いいえ。あなたがいてくれなければ私、帝国へ行く前に死んでしまっていたわ」
「アンネロッテ様」
「本当に、ありがとう。なにか、あげられる宝石でもあれば良かったのだけれど」
「とんでもないことでございます。……アンネロッテ様にお仕えできる事が、ダリアへの褒美なのですから」
ダリアと抱き締め合いながら、十八年閉じ込められた部屋を見渡す。こんなに酷い檻は他にないと思っていたが、こんな場所にすら未練が残る日が来るだなんて、予想もしていなかった。
「……そろそろ行くわ。馭者を待たせるのも、申し訳ないし」
「……ええ」
ミュルスタイン帝国までは、順調に行けば五日程度の道程だ。お喋りの楽しいダリアがいない旅は寂しくなるだろうけれど、あんなに危険な国へ着いてきて欲しい、とは到底言えない。
いざ出立の時を迎えても、国民は愚か、両陛下すら、見送りには来なかった。唯一コーデリアだけが現れ、二言三言、悍ましい帝国のエピソードを語ってから、お幸せに、だなんて心にもない祝辞を述べていった。
「まったく、あの方は最後まであんなご様子で」
「もう、ダリアったら。私が城を去れば、あなたもコーデリアに仕えることになるかもしれないのよ? 上手くやってちょうだいね」
「……? 私の主は、アンネロッテ様だけと決めております」
従僕が荷物を積み終わるのを見届け、馬車に乗り込んだアンネロッテへ、ダリアがそんなことを言う。どこまでも主想いの侍女だ。彼女に出逢えたことこそがこれまでの人生で、最大にして唯一の幸福だと、胸を張って言える。
そんな、親友のような、姉妹のような彼女への別れの言葉を探しあぐねていると、なにを思ったか、ダリアも続いて馬車に乗り込んでくる。
「ダリア?」
「さ、出してくださいな。そうそう、道中で召し上がっていただこうと、軽食も作ってまいりましたから」
「いえ、あなた、どうして? あなたを連れては行けないわ」
「え?」
互いにきょとんとした顔を見合せたあと、ダリアはさも心外、という風に肩を落として見せた。
「アンネロッテ様は、このダリアを置き去りにするおつもりだったのですか?」
「だって、あなたには家族が。無事に生きて帰れるかも分からないのよ?」
「家族の了承も、侍女頭の了承も得ています。帝国だろうと、地獄の果てだろうと、アンネロッテ様のお傍に置いてくださいませ」
「……ダリア」
やがて、ゆっくりと馬車は走り出す。慣れ親しんだ城の輪郭が、じんわりとぼやけていく。王族たるもの、しかし、感情を露わにするわけにはいかない。しかし、静かに俯いて涙を堪えるアンネロッテに、ダリアが優しく声をかける。
「アンネロッテ様は、私にとっていつでも立派な王女様でいらっしゃいました。どんなに辛い目にあっておられても、お優しく、気丈に振舞ってらした。……けれど、今はこのダリアと二人きり。他には誰もおりません」
「……?」
「涙は流せる時に流しておかなければ。……だって、帝国に着いてしまったら、あなたは立派な王子妃にならなければいけないのですから」
「ダリア……っ!」
遠い昔に枯れ果てたと思っていた涙は、後から後から零れて止まらなかった。この髪の色がいけなかったのか、瞳の色がいけなかったのか。それとも、魔力を一匙も受け継げなかったことが? こんな、身売りのような形で祖国を追われるほど、アンネロッテは酷い罪を犯したのだろうか。
「とうに諦めた筈だったのに。私は、懲りずに心のどこかでまだ、家族に愛されたいと願ってしまっていたのね」
「アンネロッテ様、……いいえ、実の家族に愛情を期待するのは、至極当然のことでございます」
「ふふ、……あなたがいてくれて、本当に良かった」
王族用の豪奢なそれでなく、用意された馬車は、大衆向けの貧相なものだった。車輪の質も悪いのか、振動も酷ければ、騒音も酷い。だが、今はそれがありがたかった。それはアンネロッテの嗚咽を、誰にも聞こえぬように、全て掻き消してくれるのだった。
ミュルスタイン帝国への道程は、果たして順調に進んだ。ユーグルベルク王国の城も中々に荘厳であったと思うが、ミュルスタイン帝国の規模とは比べ物にならないだろう。かの国の城は、何棟もの棟が連なり、尖塔も数え切れないほど聳え立っている。
城は国力を測る一つの指針と言えるが、確かにこのような規模の国に攻められては、祖国などひとたまりも無いだろう。父王がこのような強硬手段に出たのも、素直に頷ける壮麗さである。
馭者が来訪の目的を門兵に伝えると、しかし、兵はなにやら彼に別方向を指し示し、案内をしている。どうやらアンネロッテが輿入れする第一王子は、この城にはおらず、一人、離宮で生活をしているのだとか。
「アンネロッテ王女殿下、離宮はそちらの左手の森を抜けた先にあるそうです。悪路のため、かなり揺れるかと思いますが、何卒ご容赦ください」
馭者の言のとおり、凄まじい振動がアンネロッテの尻を容赦なく突き上げる。隣に座ったダリアも、がくがくと揺さぶられながら、手摺りに縋り付いていた。
「アアアンネロッテさままま、」
「ダ、ダダ、ダリアア、ア」
「だだだ、だいじょうううぶ、ぶですか」
「だだだいじょうぶ、し、し、しししたをかむ、むわよ」
仮にも王家の、しかも第一王子の居城への道がこんなに整備されてないだなんてこと、あるだろうか。やっとの思いで馬車の揺れから解放された二人を迎えたのは、大理石で拵えられた、しかし、慎ましやかな宮殿──というより、子爵程度の屋敷のようなもの──だった。
「……本当に、ここに第一王子殿下が?」
「ええ、城の門兵にによれば、確かにこの離宮にお独りで住まわれている、と」
アンネロッテの問いに、馭者も困り顔で、後頭部を掻く。庭園は良く手入れされている風で、季節の花が咲き誇っているし、玄関ポーチや連なる曲がり階段も塵一つなく、白く輝いている。が、先に本城の方を目にしてしまうと、どうにも慎ましやか、というイメージが拭えない。
これではユーグルベルク王国の下級貴族と遜色ない、いや、彼らの方がよほど豪奢な屋敷を造っている。煌びやかな物に耐性のないアンネロッテとしては、実際この程度の規模の方が落ち着くのだが、第一王子の居城としては違和感が拭えない。
「……あまりに凄惨な事件を引き起こしてばかりのため、離宮へ幽閉されている、というお噂は本当だったのでしょうか」
「……そんな噂まであるの」
「ええ、……アンネロッテ様を不安にさせないよう、黙っておこうかと思っていたのですが」
「直前に言われた方が、堪えるのだけれど」
ダリアとそんな会話をしていると、来客に気づいたのか、家令と思しき初老の男性がこちらへ向かってきた。
「ようこそおいでくださいました。お話は伺っておりますよ。私は執事のシモンと申します」
「ユーグルベルク王国から参りました。第一王女のアンネロッテと申します。こちらは、侍女のダリアと」
「アンネロッテ王女殿下とダリア殿ですな。ええ、ええ、どうぞこちらへ」
シモンの指示で現れた従僕達が、アンネロッテの荷降ろしをはじめる。その少なさに彼らが顔を見合せるのを横目に見ながら、ダリアと二人、エントランスを潜る。
青を基調に揃えられたその屋敷は、決して華美ではないが、どこもかしこも丹念に磨き上げられており、使用人の質の高さを感じられる。ダリアが来てからは随分ましになったが、以前のアンネロッテの部屋など、カーテンは黄ばみ、鏡台に埃は積もり、と、目も当てられない有様だった。
「主人はあまり華美なものを好む質ではなく。……王女殿下には些か質素に思えてしまうでしょうが」
「いいえ、調度品の一つまで磨きあげられているもの。使用人たちもみんな素晴らしいのね。清潔感があって、とても素敵だわ」
「我々にまでお優しいお言葉、感謝いたします。……王子殿下もすぐにお出ましに、」
その時だ、ホールによく響く低音が、上階から投げられたのは。
「俺は妻を娶る気はないと、何度も書簡をしたためたというのに。貴国の王は、盲目なのだろうか?」
紺碧の絨毯が敷き込まれた階段の上に、すらりとしたシルエットが現れる。その男の艶のある髪は、何もかもを飲み込む闇ような、漆黒。少し長い前髪から覗く双眸は、ルビーよりも鮮やかな真紅だ。
アンネロッテは、呆然とその姿を見つめ、いつだか見た夢を思い出す。焼け落ちる城のホール、自らの胸を、長剣で刺し貫いた男。は、は、と、無意識に呼吸が浅くなる。
「……そんなにも、この姿が恐ろしいか」
声を掛けられ、我に返ったアンネロッテは、慌てて臣下の礼を取り、名乗りを上げる。
「不躾にご尊顔を眺めるなど、とんだ失礼を。ユーグルベルク王国第一王女、アンネロッテ・ユーグルベルクと申します、ミュルスタイン帝国第一王子殿下」
「堅苦しいのはいい、顔を上げてくれ」
感情のない声で告げられ、アンネロッテはおずおずと顔を上げる。やはり、間違いない。夢に見た、あの男だ。自然と体が震えそうになる。
「そんなに怯えずとも、出会い頭に取って食ったりはしない」
「申し訳ございません……」
「いい、慣れているからな」
つい、と向けられた真紅の視線が、アンネロッテを真近に捉える。瞬間、見開かれた瞳が、戸惑ったように揺れる。きっと、彼も祖国の皆と同様、アンネロッテの容貌を醜いと感じているのだろう。明らさまな嫌悪に満ちているわけではないが、そこには明確な困惑が読み取れた。
「ルーファウス・ミュルスタインだ。……礼儀として名乗っておくが、覚える必要はない」
「……え、」
「無理に、恐ろしい男の元へ嫁ぐ必要はないと言っているのだ。ふん、先程から随分震えているぞ」
「これは、」
「……この醜悪な姿を見せられては、仕方ないことだが」
その言葉に、アンネロッテは失礼を承知でまじまじとルーファウスを眺めた。あの夢の件がなければ、どこからどう見ても非常に整った顔立ちをしている。
意思の強そうな、きりとした眉。切れ長の、真紅を湛えた瞳は、漆黒の長いまつ毛に縁取られている。すうと通った鼻筋に、薄く、しかし、形の良い唇。確かに漆黒の髪に真紅の瞳、というのは、どちらも珍しい色だとは思うが、色彩の乏しいアンネロッテにとっては、その鮮やかな彩色もとても美しく思えた。
「醜悪……? とても、端正なお顔立ちをなさっていらっしゃると思いますが」
「……は?」
「あの、黒髪に赤眼という彩色は珍しく、初めてお会いしましたが、とっても素敵な色だと思います」
「……君は、」
いや、とルーファウスは一つ首を振って、アンネロッテに鋭い視線を向ける。
「ここに君の居場所はない。とっとと国へ帰るがいい、さもないと、命の保証はしかねる」
そう言い放つと、ルーファウスは踵を返し、執務室へと戻ってしまった。呆然としたアンネロッテに、シモンとダリアの両名から、気遣わしげな視線が寄せられる。
帰れと言われても、迎えてくれる国もない。命の保証が無いというのも、元より承知の上だ。アンネロッテは、それでもここでやっていくしかないのである。
「分かっていたけれど、私の居場所は、どこにもないのね」
「アンネロッテ様、」
「ふふ、ルーファウス殿下も、突然このように押しかけられてご迷惑でしょう。この場で切り伏せられても、文句は言えないもの」
「……ひとまず、客室にご案内します」
柔和な笑みを浮かべたシモンに、ふ、と、肩の力が抜ける。確かに厳しい物言いをする方ではあったが、そんなに乱暴な印象も受けない。彼が魔物王子とまで呼ばれる由縁はどこにあるのか、そして、あの夢との関係は、と、その端正な容貌を思い返しつつ、アンネロッテはシモンに続く。




