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プロローグ(後編)

こちらはプロローグの後編です。前編未読の方はそちらからご覧いただけると幸いです。

「あら、起きてらしたの? お姉様」

「……え、」

「今日も食堂にいらっしゃらないから、怠惰なお姉様はまだ夢の中なのかと思いましたわ」

「……っ」


 一体誰のせいで。アンネロッテが、家族と共に食事を摂る事すら許されなくなったのは、全てこの妹の一言のせいなのだ。“お姉様の辛気臭い顔を見ていると、食事が不味くなるわ”そう言って母と共謀し、団欒の場からアンネロッテを締め出したのは己自身の癖に。それ以降、一層孤独へ放置されたアンネロッテに対する使用人の態度や食事事情は、苛烈さを増していったのだ。


「あら、怖あいお顔。ふふ、でもその醜いお姿もあと少で見納めだなんて、寂しくなりますわ」

「ノックもなく入室だなんて、いくらご姉妹とはいえ、許される事ではありませんよ」

「お前、誰に向かって口をきいているの」

「いいのよ、ダリア。……おはよう、コーデリア。……けれど、見納めって、どういう事?」 


 憤慨するダリアを制しながら投げた質問に、待ってましたとばかりのコーデリアはにんまり口角を持ち上げる。


「朝食の席でね、お父様がとっても素晴らしいお考えを話してくださったの」

「お父さ、……国王陛下が?」


 アンネロッテには、実の父母を“お父様”“お母様”と呼ぶことすら許されてはいなかった。国王陛下、王妃殿下。よそよそしい敬称を強制される度に、母も妹も、それは満足気な笑みを浮かべていたものだ。


 “お前ごときに母と呼ばれるのは、我慢なりません”侮蔑の篭った眼差しを初めて受けたのは、いつの頃だったのだろう。物心ついてすぐのことであったので、もう、アンネロッテの記憶にも遠い。


 その時だ、国王陛下の侍従が慎ましく部屋の扉をノックしたのは。その音に、いよいよコーデリアの唇が愉しげに歪む。


「アンネロッテ王女殿下。国王陛下並びに王妃殿下がお呼びです。早急にお支度くださいますよう」

「ふふ、良かったわねえ、お姉様。私、お姉様は生涯孤独のまま生を終えられるものと、心配しておりましたのよ」


 まあ、どちらにせよ、かもしれないけれど。と、両肩に置かれたコーデリアの長爪が、ぞわりと首筋を撫でる。彼女がこんなにも嬉しそうな時点で、それは決してアンネロッテには喜ばしいことではないのだ。コーデリアは、その醜い姿を見せぬよう、喫緊の事態以外は自室を出ることのないように、と自分が王妃に言い含められた時と同じ顔をしていた。


「では、私は先に行っておりますわ。お姉様も、早くいらしてね」


 国民には天使のよう、と讃えられる魅惑の微笑も、アンネロッテには悪魔のそれとしか思えない。ぞくりと震える身体を宥めるように、両腕で自身を抱き締めるのは、いつからかアンネロッテの癖になってしまっていた。


「……一体、どんなお話なのでしょう」

「なんでしょうね。けれどきっと、私にとって嬉しい話ではないのだわ」

「アンネロッテ様、」

「ごめんなさい、ダリア」


 朝食後のお散歩には、やっぱり行けそうにないわ、と申し訳ない顔を作ったアンネロッテに、ダリアは苦しそうに、痛々しそうに、唇を噛み締めた。




「失礼いたします、第一王女・アンネロッテ、ただ今参上いたしました」


 重厚な扉の前で声を上げると、門扉を守る騎士達が、気怠げに扉を開く。玉座の間には、国王陛下、王妃殿下、兄のジークハルトに、妹のコーデリアと、家族が一堂に会している。注がれる四対の視線の中、ベルベットのカーペットを踏みしめる度に、恐怖と緊張で倒れ込んでしまいそうだ。だが、慄きながらも、アンネロッテは小さく口上を続ける。


「王国を照らす太陽、国王陛下、並びに闇夜を払う月、王妃殿下にご挨拶申し上げます」

「……まったく、口上もまともにできないだなんて。そんなに蚊の鳴くような声でなく、王族らしい凛とした声は出せないものかしら」

「……お見苦しいさまで、申し訳ございません。ご拝謁賜れましたことを、心より感謝し、」

「もう、よい」


 鋭い王妃の視線に竦みながらも、なんとか続けた震える口上は、しかし、玉座にて威厳を放つ国王によって遮られる。


「余計な話をする時間も惜しい。早々に本題に入らせてもらうが、して、アンネロッテよ、お前は今年でいくつになった」

「……十八でございます、陛下」

「王家の子女ともすれば、十六も数えれば国と国の縁を結ぶため、他国へでも輿入れするのが責務というもの。その辺りの自覚はあるか」

「勿論です。王命がございましたら、すぐに承る所存でございます」


 もしかして、と、にわかにアンネロッテの胸に期待が芽生える。正直言って、祖国にアンネロッテの居場所は無い。そんな国から抜け出せるとすれば、他国の王侯貴族との婚姻が、一番の方法だろう。


 前々から、いずれ隣国のシュテルツハイムへ、アンネロッテかコーデリアのどちらかが嫁ぐと言われていた。だが、王妃ミネルバは、猫可愛がりしているコーデリアを、他国へなど渡さないだろう。


 一度、友好国でもあるシュテルツハイム国王や、王太子が我が国を訪れたことがある。少なくとも彼らは、明らさまにアンネロッテを侮蔑するような態度を取る人間ではなかった。


 厄介払いでも一向に構わない。この冷たい世界から逃げ出せるのならば。コーデリアの言っていた、“見納め”とは、きっと、アンネロッテの婚姻を指していたのだろう。


「隣国、シュテルツハイムのことは知っているな?」

「勿論でございます」


 国王の口から告げられた国名に、いよいよアンネロッテの期待は最高潮だ。嫁げと言われれば、今すぐにでも。祖国への愛着も、誇りも、そんな高尚な感情を抱けるほど、この国はいつだってアンネロッテに優しくなかったのだから。


「我が国とは友好関係にあることも?」

「ええ」

「では、話は早いな。かの国と我が国の友好関係を磐石なものとするため、」


 どくどくと、鼓動が早まる。やっと、この地獄から逃げ出せる。しかし、国王が告げた言葉は、アンネロッテの予想だにしないものだった。


「お前にはミュルスタイン帝国へと輿入れしてもらう」

「……え?」

「二度、同じ言葉を繰り返すつもりはない。出発は明日の正午だ。早々に荷を纏めておくよう」


 シュテルツハイムとの友好のために、ミュルスタイン帝国へと嫁ぐ? 一体全体、なにをどうすればそうなるのか、理解ができない。しかも、よりによって、“あの”ミュルスタイン帝国へ?


「うふふ、お姉様もやっと祖国に貢献できますわ。お元気でいらしてね。……早々に命を取られなければ、ですけれど」

「ふふ、お前には相応しい縁談ね。精々王家の名に恥じぬよう、しっかりと勤めを果たして来なさいな」

「お待ちください陛下、……僭越ながら、かの国へ嫁ぐこととシュテルツハイムとの友好に、一体なんの関係が、」

「近々、あの蛮族共がシュテルツハイムへ侵攻しようという動きがある。だが、折り良く第一王子の伴侶探しに難航しているとも。だから、お前は我ら同盟国家間の代表として帝国へ赴き、蛮行を牽制する楔となるのだ」


 つまり、アンネロッテは体のいい生贄としてミュルスタインへと売られるのだ。祖国の危機の為ですらなく、友好国へと恩を売る、たったそれだけのために。


「シュテルツハイムには女子がいないからな。それに、万一シュテルツハイムが落ちることがあれば、次は我が国の番だ。……理解できるな?」

「ですが、……ですが、帝国は、」

「お姉様には、まさに打ってつけよね。なんといっても、帝国に殺された幽鬼姫、ですもの」


 ミュルスタイン帝国。その帝国は、周辺諸国を次々と侵略し、領土を広げてきた、非常に好戦的な軍事国家だ。アンネロッテの祖国、ユーグルベルク王国と、隣接するシュテルツハイム王国の丁度北側に位置し、我が国とも幾度となく戦禍を生んできた過去がある。そして、その緊張状態は、現在も続いていた。


 もう百年ほど前の事ではあるが、アンネロッテの前にも緊張関係緩和のため、帝国へと嫁いだ王女がいた。名を、シャルロッテ・ユーグルベルクという。彼女は膨大な魔力を持ち、六属性の他、稀有な特殊魔法すらも操る大魔道士でもあった。


 そんなに偉大な彼女であれば、上手く両国の橋渡しを勤めるだろう。そう、国民の期待を一身に背負っていた彼女は、しかし、なんとも無惨な最期を迎えたのだった。


 ものの数年後、彼女は祖国へと還った。心無く惨殺された、冷たい身体で。圧倒的な力を持つ彼女ですら、帝国の悪意には及ばなかったのだ。無論、和平は成らず、ユーグルベルクとミュルスタインの緊張関係は、悪化の一途を辿ったのだった。


 そして、悲劇の王女、そう呼ばれるシャルロッテこそ、実はアンネロッテが“幽鬼姫”などと呼ばれるに至る発端でもあった。


 シャルロッテは、大層美しい銀髪に、深い紫色の瞳をしていたと言われている。産まれた当時は母の不貞を疑われたアンネロッテの色彩だが、国内ではあまりにも有名な彼女の存在が、これは先祖返りだろう、という決着を与えた。実際は艶のない白髪に、彼女よりも随分薄い紫の瞳なのだが、どういうわけか、アンネロッテの面差しは肖像画の彼女と良く似ていたのだ。


 己を惨殺した帝国への恨みを忘れられずに蘇った“幽鬼姫”。初めに誰が宣ったのだかは、分からない。だが、名前の字面が似通っていた事もあり、瞬く内にその噂は国内に広まった。後に、栄養不足から痩せ細った姿も相まって、今やアンネロッテをそう呼ばぬものの方が少ない程だ。


「しかも、お相手はあの、“魔物王子”なのでしょう?」

「……え」

「見るも恐ろしい魔物のような外見に、冷酷な気性。なんでも、気に入らない使用人なんてすぐに首を落とされてしまうんですって」

「そんな、」

「この国に、お前の居場所はないの。野蛮な帝国で蛮族の慰みものにでもなるのが、似合いなのよ」


 態とらしい妹の憐憫に満ちた声と、嫌悪感を隠そうともしない王妃の声に、目の前が暗くなっていく。


「……けれど、お姉様に務まるのかしら。そんな魔物相手に娼婦のように取り入って、しかも籠絡せねばならないだなんて。私にはとってもできない真似ですわ」

「ああコーデリア、可愛いあなたにそんな真似、させるわけが無いでしょう?」

「うふふ、そうそう、でもお姉様はシャルロッテ様のように還って来なくて大丈夫よ? “幽鬼姫”が本当の幽鬼になるだなんて、私、恐ろしくて夜も眠れなくなってしまうわ」

「そうね、亡骸とあっても、我が国に戻ろうだなんて、愚かな考えはしないでちょうだい」

「既に先方へは、お前が輿入れする旨の書簡を送っておいた。……話は以上だ、退室してよい」


 お待ちください、と縋るアンネロッテに向かって、国王は面倒臭そうに手を振った。すると、控えていた騎士達が、穢らわしいものでも扱うように、ぞんざいにアンネロッテを謁見の間から締め出す。再び堅く閉じられた扉の前で、アンネロッテは力無くくずおれるしかなかった。


「こんな、こんなことって……」


 先方にもそれを受け取る意思があるかどうかは不明の生贄。こんな滑稽な話、他にあるだろうか。ここ以上の地獄はない、と思っていたが、まさかこんなことになろうとは。


 誰かの愛情を乞うなど、とうの昔に諦めた願いだ。肉親は元より、全国民に見放され、嫌悪されるようなみすぼらしい自分に、ただでさえ偏屈と噂の王子が、情をかけてくれる筈もない。


 なんだか、もう疲れてしまった。涙を零して懇願する力も、アンネロッテには残されていない。いっその事、“魔物王子”の不興を買って、首を落とされてしまった方が楽なのではないか。そんな後暗い想いさえ、抱くほどに。




「アンネロッテ様、一体どのようなお話が、……ああ、酷いお顔色! 本当に、何があったというのです?」

「ダリア……」

「すぐに温かいお茶をご用意いたしますから」

「ええ、ありがとう」


 私室に戻ったアンネロッテを見るなり、ダリアは飛び上がった。いつにも増して、自分は相当酷い顔色をしているのだろう。彼女の淹れてくれた紅茶を飲みながら、簡潔に事の次第を話して聞かせる。だが、いつも楽観的で気丈なダリアすら、口元を押さえたまま、しばらく言葉を失っていた。


「そんな……帝国に、だなんて。しかも、明日? そんな急な話、ありますか」

「そうねえ。……ねえ、ダリアは帝国の第一王子の話を知っている?」

「ほんの噂話程度ですが。……凡そ人間とは思えぬ魔物のような外見に、冷酷非情な性格をなさっている、と」

「そうらしいわね。コーデリアが嬉々として、教えてくれたわ」

「ですが、噂はあくまでも噂ですもの。もしかすれば、アンネロッテ様をとても大事にしてくださる方かも」

「こんな私を? いいえ、けれど、そうだといいわね。私を楽にしてくださる方、かもしれない」


 一息で、と、ぼんやり言葉を紡ぐと、ダリアは今にも泣き出しそうに眉根を寄せて、アンネロッテの手を握った。


 誰かに愛して欲しい、だなんて大それた願いは持っていない。誰にも脅かされずにひっそりと生きたい、たったそれだけの願いすら、アンネロッテには過ぎたることなのだろうか。


「なんだかもう、とっても疲れてしまったの」

「アンネロッテ様……」

「駄目ね、ダリアの前ではつい弱音を吐いてしまうわ。……主人、失格ね」

「いいえ、いいえ、私の前でくらい、お辛い気持ちを吐き出してください。なにがあろうとも、いつだって私はアンネロッテ様の味方でございますから」


 ぐ、と力の篭ったダリアの掌は柔らかくて、とても温かかった。恐ろしい、アンネロッテは恐ろしくて仕方がなかった。けれどそれは、冷酷な第一王子に対する恐怖ではないことが、一層、恐ろしかった。


「あのね、ダリア」

「ええ」

「私、とても恐ろしかったの」

「そうでしょうとも、あんな野蛮な国へ嫁がねばならないなんて」

「いいえ、そうではないの。それも、確かに恐ろしいとは思ったけれど、その後、少しほっとしてしまった自分が一番恐ろしいわ」

「……え?」

「やっとこの命を終えることができるかもしれない。そう安堵してしまった自分がどこかにいたことが、私はとても恐ろしいのよ」


 ダリアは、アンネロッテの言葉になんにも言わなかった。ただひたすらにアンネロッテの掌を握り締める、震えた手の甲に、ぽたりと一雫、温かい水滴が落ちた。

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