受付ちゃんと後悔
私は食堂でハンバーグを食べている二人を眺めていた。そこには友達になって、明日も一緒にダンジョンへ行く約束を交わす、微笑ましい二人の姿があった。
……痛い。 ここ数百年、いや、このダンジョンを管理するようになってから一番と言っていいほど、胃のあたりがキリキリと悲鳴を上げている。
「『新人ちゃん』、ね……。よくもまあ、あんな名前を臆面もなく名乗れるものだわ」
手元の名簿に記された、あまりにも適当な名前を睨みつける。 エントランスは相変わらず賑やかだ。探索者たちが笑い、飯の話をし、武勇伝を語り合っている。彼らはまさか、私にとっての「最大級の厄ネタ」が、すぐそこの食堂で無邪気にハンバーグを頬張っているとは夢にも思うまい。
「はぁ……」
溜息が自然と漏れた。 それは、とんでもないものを抱え込んでしまったというストレスと、ひとまずは「最悪の展開」を避けられたという安堵。その両方が混ざり合った、複雑な溜息だった。
「本当、どうしてこんなことになったのやら……」
私は重い瞼を閉じ、記憶を遡る。 あの「緑の嵐」が、初めて私の前に現れた場面へと。
「ドッグタグ、2つ欲しいんだけど! どうやったらもらえるの?」
それが、彼女の第一声だった。 ここは専用受付とは名ばかりの、私の「特等席」だ。ぼーっとエントランスの人々を眺めて暇をつぶすための場所で、本来、誰かが訪れることなど想定していない。
返事をするのは気が進まなかったが、目の前の少女のあまりに真っ直ぐな視線を無視するのも寝覚めが悪い。私は少し悩んだ末、業務用のスマイルを貼り付けて答えることにした。
「……ダンジョン攻略をして、1枚目のスタンプカードを全部埋めたら、2枚目が発行されるわよ」
そう答えた瞬間、少女の顔がパッと輝いた。「わかった! じゃあ、今からダンジョンに行ってくる!」 そのまま脱兎のごとく走り出そうとしたので、私は慌てて身を乗り出して止めた。
「ちょっと待ちなさい! まずは1枚目を受け取って登録しないと、スタンプなんて埋められないわよ」
お節介だったかもしれない。適当に追い払ってもよかったのだ。 けれど、命のやり取りをするはずの探索者ギルドに、ピクニックへ行くような軽やかさで現れた彼女に、私はつい聞いてしまった。
「……そもそも、なんで2枚も欲しいの? 1枚で十分でしょう?」
すると、少女は世界で一番素晴らしい正解を見つけた子供のような笑顔で答えた。
「だって! あれが風で舞って、ぶつかり合う音がすっごく綺麗なんだもん!」
――音が、綺麗だから。 いっそ清々しいまでの巫山戯けた理由。命の重みの象徴であるドッグタグを、楽器のように捉える感性。呆れて力が抜けると同時に、私はこの風変わりな少女に、ほんの少しだけ興味が湧いてしまった。
(そういえば……ここは一応、専用窓口だったわね)
数千年の退屈が、一瞬だけ揺らいだ。そう自覚した瞬間、私は口を動かしていた。
「なら、1枚目をあげるわ。ただし……これからの報告は、必ずここですること」
「いいの? やったぁ、約束だよ!」
元気よく手を振って駆けていく背中を見送りながら、私は自分の気まぐれに肩をすくめる。 少なくともこれからの日々が「退屈だけはしなさそう」だという予感だけは、恐ろしいほど正確に当たっていた。
予感は、確信に変わった。 あの日から、私の専用窓口は「緑の嵐」の中心になった。
彼女のカードにスタンプが増える速度は、控えめに言っても異常だった。 そもそも、ドッグタグへの魔力チャージには、大きく分けて三つのやり方がある。
一つ目は、安全な場所で大気中の魔力をコツコツ集める方法。フルチャージには数日かかる、普通の新人のやり方。 二つ目は、辺境の濃い魔力溜まりを狙ったり冒険者として街の外で魔物を倒しながらチャージする方法。危険度は段違いで怪我も多いし、なによりダンジョン自体も「個性的な子」が多くて環境が厳しい。中堅以上の道ね。そして三つ目は……魔力の発生源、つまり最深部付近で直接吸い上げる方法。
本来なら職人芸が必要なはずのその三つ目を、彼女は「なんかこっちにある気がした!」というふざけた直感だけで見つけ出してくるのだ。
「……はいはい。確かに、ちょっと澄んだ音になったわね」
私は手慣れた手つきでスタンプを確認し、報酬を渡す。 彼女の話を聞くのは、数千年の退屈を紛らわせるには十分すぎるほど面白かった。
「今日はね、地下3階の大きなトカゲがいたんだよね! 風でくすぐったら、すぐどいてくれたの!」
「……それは『くすぐった』んじゃなくて、風圧で叩き伏せたっていうのよ」
彼女にとってダンジョンは魔物の巣窟ではなく、少し散らかった「お部屋」のようなものらしい。 戦い方もデタラメだ。ただ「風が吹けばいいな」と願うだけ。それで、立ち塞がる全てを文字通り吹き飛ばしてしまう。
「受付ちゃん、ほら、これ。お掃除のご褒美」
私は引き出しから、自分用に買っておいた飴玉を一つ、彼女に放り投げた。彼女はそれを器用に口で受け止めると、リスのように頬を膨らませて笑った。 いつの間にか、私は彼女が来るのを少しだけ楽しみにしている自分に気づいていた。
「受付ちゃんは本当に物知りだね! 将来、私が誰か友達を連れてきたら、受付ちゃんが色々教えてあげてよ!」
「友達、ねぇ。あんたのこの滅茶苦茶なペースについていける新人なんて、世界中探してもいないわよ」
「えー、そんなことないって!」
私は鼻で笑い、無責任に言葉を返した。
「もし万が一、そんな物好きが現れたら……。そうね、その時は私が責任を持って、最高の新人研修をしてあげるわよ」
「本当!? 約束だよ!」
彼女は嬉しそうに、2枚目のスタンプを待ち遠しそうに見つめていた。 私はその時、心から平穏を感じていた。ダンジョンに異常はなく、ダンジョンの秩序は守られ、お気に入りの新人は順調に育っている。
これ以上の波風なんて、もう起きようがない。 あっても「今日は食堂が混んでいる」とか、その程度の些細なことだろう。
……私は、甘かった。 「緑の嵐」が友達認定するような新人が、どう考えてもタダモノであるはずがない。そんな相手に「新人研修をする」と大見得を切るなんて、正気の沙汰とは思えない。
そんな当たり前の事実に、当時の私が気づくはずもなく。 私はただ、穏やかな午後の光の中で、次に彼女が持ってくる土産話を楽しみにしていたのだ。




