第5話 村の嫌われ者と、畑の厄介者
わいとセレニアがサンヘイブン村に足を踏み入れると、むわりと甘い空気が鼻をくすぐった。街道から見ただけでも分かっていたが、この村は明らかに普通ではなかった。
道端の花はどれも人の頭ほどに大きく、色も目に痛いほど鮮やかだ。畑に実っている作物に至っては、もはや常軌を逸している。
「まあ…!なんて、生命力に溢れた村ですこと!空気まで美味しい気がしますわ!」
セレニアが無邪気に感動しているが、わいの目には違うものが見えていた。
(生命力に溢れとるっちゅーか…土地の魔力がダダ漏れなだけちゃうか、これ。おかげで、作物がありえん方向に突然変異しとるな)
わいの転生者としての知識が、この村の異常性を告げている。そして、そんな異常な作物の数々が、わいの鑑定魂に火をつけた。
「アレス?どこへ行きますの?」
「ちょっと、そこのニンジンに挨拶してくるわ」
わいはセレニアの制止を振り切り、畑に突き刺さるように生えている、赤ん坊ほどの大きさのニンジンに駆け寄った。
「なんやこのニンジン…デカすぎるやろ…」
わいはその表面にそっと手を触れ、『鑑定』を発動する。
【鑑定結果:表】
名称: とても大きなニンジン
詳細: とても大きい。抜くのが大変そう。
【鑑定結果:裏】
名称: 魔力過多で巨大化したニンジン。
詳細: 甘すぎて料理には向かないが、すり潰して特殊な酵母と混ぜて発酵させると、馬車がマッハで走るジェット燃料になる。
(ジェット燃料て!どんなテクノロジーやねん!ニンジンは食いもんやろが!)
わいは内心で激しいツッコミを入れ、次に道端の民家の軒先に置かれていた、ぼんやりと自発光するカボチャに狙いを定めた。
【鑑定結果:表】
名称: なぜか光っているカボチャ
詳細: 綺麗。
【鑑定結果:裏】
名称: 夜光カボチャ
詳細: 叩くと衝撃で内部の成分が化学反応を起こし、3日間、魔力で発光し続ける。中身はほぼ空洞で食用には適さない。 ランタン専用。
(食えんのかい!観賞用かよ!農家なら食えるもん作れや!)
わいが一人で鑑定とツッコミを繰り返していると、セレニアが「アレス、村の方に話を聞きに行きましょう」と袖を引いた。
わいらは村の中心部へ向かい、井戸端会議をしていた村人らしきおばちゃんたちに声をかけた。
「ごきげんよう。少しお尋ねしたいことが…」
セレニアが優雅に挨拶すると、おばちゃんたちは人の良さそうな笑顔を向けてきた。
「おや、旅の方かい?どうしたんだい?」
「この村に、『太陽草』という植物を育てている、魔法使いのようなお嬢さんがいると聞きましたの。その方の家はどちらでしょう?」
その瞬間、おばちゃんたちの顔から、すっと笑みが消えた。
「……ヒッ!」
「ま、魔女のことかい!?」
「リリアのことだべか…!?」
さっきまでの和やかな雰囲気はどこへやら。彼女たちは蜘蛛の子を散らすように、悲鳴を上げて家の中へと逃げていく。
バタン!バタン!と、次々と窓や扉が閉ざされた。
「なっ…なんですの、あの態度は!不愉快ですわ!」
「まあまあ。どうやらワイらの仲間候補は、相当な嫌われ者みたいやな」
わいらはその後も何人かの村人に話を聞こうとしたが、皆「リリア」の名前を出した途端に顔を青くして逃げてしまう。
ようやく捕まえることができた気の弱そうな青年も、「あの子は呪われた魔女なんだ!関わると畑が枯れるぞ!」と震えながら、村の外れにある丘の上の、ポツンと建った一軒家を指さすと、脱兎のごとく走り去っていった。
後に残されたのは、不満げに頬を膨らませるセレニアと、やれやれと肩をすくめるわいだけだった。
わいは丘の上の家を見据え、ニヤリと笑う。
「面白くなってきたやないか。行こか、セレニア。その『魔女』とやらに、ご挨拶しに」
◇
村人たちに指さされた丘の上の農場は、麓の村とは別世界だった。
空気が澄み、花の香りが濃く、そして畑に実る作物の一つ一つが、まるで宝石のように輝いている。
「まあ…!王宮の庭園よりも美しいですわ…!なんて、生命力に溢れた場所なのでしょう!」
セレニアがうっとりと感嘆の声を上げる。
だが、わいの目にはその理由がはっきりと見えていた。
(なるほどな。この畑だけ、魔力の濃度が段違いや。村中のマナを、根こそぎ吸い上げとるんちゃうか?これじゃあ、村人から気味悪がられるわけやな)
わいらがその異常な光景に圧倒されていると、畑の奥から、か細い泣き声が聞こえてきた。
声のする方へ近づくと、そこには信じられない光景が広がっていた。
馬車ほどもある巨大なキャベツの葉の陰で、小さな女の子が一人、泣きじゃくりながら、必死に何かを手で払っている。歳はわいより少し下くらいか。そばかすの散った顔は、土と涙で汚れていた。
「あっちへ…!あっちへ行ってください…!」
彼女が追い払おうとしているのは、キラキラと七色に輝く、てんとう虫くらいの大きさの甲虫の大群だった。宝石のように美しいその虫たちは、巨大なキャベツの葉にびっしりと張り付き、その瑞々しい緑を、端からじわじわと茶色く変色させている。
「まあ、お可愛そうに…」
セレニアが眉をひそめ、助けようと一歩踏み出す。
「わたくしたちが助けてさしあげましょう!風よ!」
彼女が起こした風の魔法が虫たちを襲うが、虫たちはびくともしない。まるで葉に根を張っているかのように、その場から動かなかった。
「待て、セレニア。相手の正体が分からんうちに手を出すのは素人や」
わいはセレニアを制すると、冷静に虫の群れへと近づいていく。
わいらに気づいた少女――リリアが、涙の滲んだ瞳で叫んだ。
「だ、だめです!その虫、硬くて、叩いても潰せなくて…!近寄ったら危ないです…!」
「大丈夫や」
わいは彼女に短く応えると、一匹の甲虫に意識を集中させ、『鑑定』を発動した。
【鑑定結果:表】
名称: キラキラ甲虫
詳細: とても硬そうだ。綺麗。
【鑑定結果:裏】
名称: マナドレインバグ
詳細: 魔力の高い植物の樹液を吸う害虫。ダイヤモンド並の甲殻は物理攻撃をほぼ無効化する。ただし、極度の甘党で熟した果実の匂いにめっぽう弱い。 また、強い酸性の液体を浴びると甲殻がプリンのように溶ける。
(なるほどな…物理無効で、甘いもんと酸っぱいもんに弱い、と。面倒くさいけど、倒せん相手やないな)
全ての情報を一瞬で理解したわいは、振り返って、泣きじゃくるリリアにニッと笑いかけた。
「泣くなや、お嬢ちゃん」
わいは親指でビシッと自分を指さす。
「そいつら、もうすぐ一匹残らず、その自慢の畑の肥やしにしちゃるからな」
その自信に満ちた言葉に、リリアとセレニアは、ただ呆然とわいを見つめることしかできなかった。
「アレス…?また、何か突拍子もないことを考えているのではなくて…?」
「突拍子もないことで、世界は変わるんや」
わいはニヤリと笑うと、リリアに向き直った。
「お嬢ちゃん、泣いてる暇あったら、この畑で一番甘い匂いのする果物、ありったけ持ってきてくれ!急ぎや!」
「は、はいぃ!」
リリアはわいの気迫に押され、涙を拭うと、畑の奥へと走っていく。すぐに、籠いっぱいの、蜜のように甘い香りを放つ黄金色のリンゴを持ってきた。
「セレニア、見とけや。これが即席アイテムクリエイトや」
わいはそのリンゴの一つを手に取り、『鑑定』する。
【鑑定結果:表】
名称: 黄金リンゴ
詳細: サンヘイブン村でのみ栽培されている希少なリンゴ。蜜のように甘い香りを放ち、糖度が非常に高い。市場に出せば高値で取引されるだろう。
【鑑定結果:裏】
名称: ハニーアップル
詳細: そのまま食べても気絶するほど美味いが、近くの木の樹液と混ぜてすり潰すと、半径1kmの虫という虫を狂わせる『禁断の蜜』が完成する。
「ビンゴ!」
わいは近くの果樹の幹に石で傷をつけ、滲み出てきた樹液を葉っぱですくい取る。そして、平たい石の上でリンゴを叩き潰し、樹液と混ぜ合わせた。
すると、今までとは比較にならないほど、濃厚で、脳が痺れるような甘い香りが周囲に立ち込める。
「よし、『禁断の蜜』、第一段階完了や!」
わいはその蜜を葉っぱに乗せ、畑から少し離れた開けた場所に置いた。
その瞬間、巨大キャベツに群がっていたマナドレインバグの動きが、ピタリと止まる。全ての虫の触角が、蜜の置かれた方向へと向いた。
次の瞬間、羽音が一斉に鳴り響き、キラキラと輝く甲虫の大群が、巨大な竜巻のように蜜へと殺到していく!
「す、すごいですわ…!」
セレニアが息を呑む。だが、わいは休まない。
「よし、第一段階はクリアや。次はこいつらの息の根を止めるで」
次にアレスは、畑の隅に生えている、見るからにすっぱそうな、真っ赤な実がなる低木に駆け寄った。
【鑑定結果:表】
名称: イラズラベリー
詳細: 鮮やかな赤色が特徴的な木の実。強い酸味と毒性を持つため、食用には適さない。鳥や虫も食べないことから、「魔女のベリー」と呼ばれることもある。
【鑑定結果:裏】
名称: アシッドベリー
詳細: 強力な酸性で食用不可。果汁を布に染み込ませて投げつければ、着弾と同時に酸を撒き散らす『即席アシッドボム』になる。
「よし、武器も確保やな」
わいは自分の服の袖を掴み、力いっぱい引き裂こうとする。…が、ゴブリンレザーは思いのほか頑丈で、8歳の腕力ではびくともしない。
「……」
わいは無言でセレニアの方を振り返った。
「セレニア、ちょっとええか」
「はい、なんですの?」
「…服の袖、破ってくれ。ワイの力じゃ、硬くて破れん」
「はぁ…?」
セレニアは心底わけがわからないという顔をしながらも、わいの袖を掴むと、いとも簡単にビリリと引き裂いた。
わいはその布を受け取ると、アシッドベリーの実を大量に摘み取り、手早く布に包んで即席の爆弾をいくつも作り上げた。
全ての準備が整った。
蜜に群がる、無防備な虫の大群。
わいの手の中には、必殺のアシッドボム。
そして、隣には、少しずつ状況を理解し始めた、強力な魔導師の卵。
わいは不敵な笑みを浮かべ、セレニアに向き直った。
「セレニア、お前の出番や。風の魔法、使えるな?」
その言葉に、彼女はこくりと頷く。その瞳には、先ほどまでの不安はなく、信頼と、そして少しのいたずらっぽい好奇心の光が宿っていた。
「はい…!ですが、わたくしの魔力はまだ完全ではありませんので、あまり強い風は…」
「大丈夫や、ただの風起こしでええ。狙いは、あの虫の塊の真上や!」
わいはそう言うと、即席アシッドボムをいくつかセレニアに渡す。
彼女は深呼吸を一つすると、両手を前へと突き出した。
「届け、風よ!」
セレニアの手のひらから、優しい風が渦を巻いて生まれる。彼女はその風を巧みに操り、アシッドボムをふわりと空中に浮かび上がらせると、蜜に群がるマナドレインバグの大群の真上へと、ゆっくりと運んでいく。
「今や!」
わいの叫び声と同時に、セレニアが魔法の力を解く。
重力を取り戻したアシッドボムが、虫の塊のど真ん中へと落下し、次々と弾けた!
ジュウウウウウウウウッ!
強烈な酸の雨が、虫の大群に降り注ぐ。
ダイヤモンド並の硬度を誇ったキラキラの甲殻が、まるでプリンのようにドロドロに溶けていく。断末魔の羽音を立てる間もなく、あれほど畑を荒らし回っていた厄介者たちは、一匹残らず緑色の液体と化して、地面の染みになった。
後には、鼻を突く酸っぱい匂いと、蜜の甘い香り、そして圧倒的な静寂だけが残った。
「…………」
リリアは、目の前で起こった奇跡のような光景を、ただ呆然と見つめていた。何日も、何週間も、彼女を泣かせ続けた悪夢が、ほんの数分で消え去ってしまったのだ。
やがて、彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。それは先ほどまでの悲しみの涙ではなく、安堵と、そして目の前の二人に対する、尊敬と感謝の涙だった。
彼女はわいらの前に駆け寄ると、深々と頭を下げた。
「あ…あの…!ありがとうございます…!わたくし、もうダメかと思って…」
「ええんやで。困ったときはお互い様や」
わいはそう言って、彼女の頭をわしわしと撫でる。リリアは顔を上げ、不思議そうに尋ねた。
「あの…どうして、わたくしのような者を…助けてくださったのですか…?」
村の皆は、わたくしを魔女と呼んで、誰も助けてはくれなかったのに。
その問いに、わいはニヤリと笑うと、畑の一角でひときわ神々しく、黄金の光を放っている植物を指さした。それは、虫の被害に遭って少しだけ元気がなかった。
「お前さんに、あの『太陽草』のことで、ちょっとばかし用事があってな」
「えっ!?太陽草を…ご存じなのですか!?村の人ですら、誰も知らないはずなのに…!」
リリアが驚きに目を見開く。わいはそんな彼女の前にしゃがみ込むと、人差し指を立てて、悪戯っぽく笑った。
「詳しい話は後や!それより、ワイらにはもっと大きな問題がある」
「も、問題、ですか…?」
「せや。見ての通り、ワイら、宿無し!無一文!金もなければ寝るとこもないんや!」
わいは立ち上がると、腰に手を当てて、ふんぞり返った。
「あんたの畑の厄介事を、こーんな風に見事に解決してやったんやから、そのお礼、期待しとるで?今夜、泊めてくれるやろな?」
わいはにっこりと、最高に人の良い(そして、腹黒い)笑顔を彼女に向ける。
「もちろん、あんたが作った、あの馬鹿みたいに美味そうな野菜たっぷりの晩飯付きでな!」
あまりに堂々とした要求に、リリアはぽかんと口を開けていたが、やがてくすくすと笑い出した。そして、涙で濡れた顔で、何度も何度も、力強く頷いた。
「は、はい!もちろんです!わたくしのおうちでよければ、いくらでも!」
こうしてわいらは、無事に三人目の仲間(と、今夜の宿主)をゲットしたのだった。




