第3話 公爵令嬢のドレスの値段
「なっ、ななな、なんですってぇぇぇぇぇぇ!?」
静かになった王都の広場に、元公爵令嬢の悲鳴がこだました。
わいは思わず耳を塞ぐ。目の前の少女――セレニアは、わが身を守るように自分のドレスの裾をぎゅっと掴み、わいを涙目でにらみつけていた。
「き、聞こえませんでしたの!?もう一度言ってみなさい!」
「せやから、そのドレスを質屋に入れて、当面の生活費にするんや、言うとるんや」
わいが呆れながら繰り返すと、彼女の瞳からぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ひどいですわ!このドレスは、わたくしが16歳の誕生日の夜会で、初めて王子殿下にダンスのお相手をしていただいた、思い出の品ですのよ!?」
「ほう、あんたを捨てた男との思い出の品か。縁起悪いことこの上ないな」
「そ、そういうことですわ…って、違いますわよ!見ず知らずの男(質屋の店主)に、この美しいシルクの生地をベタベタ触らせるなど、断じて許しませんわ!」
(あかん、完全にスイッチ入っとる…)
わいは内心でため息をついた。確かにこのドレスは、素人が見ても最高級品だとわかる。だが、だからこそ問題なのだ。
(こんなもん着て街をウロウロしとったら、「ここに追放された公爵令嬢がいます」て宣伝して回るようなもんや。足が付くかもしれんし、何より面倒くさい。ここは別の手を考えるか…)
わいはセレニアの全身を、金目のものはないかと改めてジロジロと眺める。宝石類はほとんど外されているのか、あまりない。だが、夕暮れの光を受けて、彼女の結い上げた金髪の隙間で、何かがキラリと光った。
「しゃあないなぁ…」
わいはわざとらしくため息をつくと、彼女の髪を指さした。
「分かった分かった、ドレスは売らん。代わりに、その髪飾りを売るで」
「髪飾り…?」
セレニアはきょとんとして、自分の髪に手をやる。そして、指先に触れた一本の簡素な髪飾りを、不思議そうに抜き取った。
「…これですの?ですが、このようなただの金の髪飾りでは、はした金にもなりませんわ」
彼女がてのひらの上に乗せたそれを見て、わいはニヤリと笑う。わいの目には、その真の価値がはっきりと見えていた。
【鑑定結果:表】
名称:金の髪飾り
詳細:純金製。金としての価値はそこそこ。
【鑑定結果:裏】
名称:ドワーフの名匠『ギムリ』の幻の初期作品
詳細:頑固一徹で有名なドワーフの金属工芸家が、若気の至りで作った超絶技巧のかわいらしい髪飾り。本人は黒歴史として存在を消したがっているため市場には出回らず、好事家の間では金貨100枚でも買いたい者がいると言われる幻の一品。
「ええか、セレニア」
わいは彼女の目を見て、自信たっぷりに言った。
「ワイの『鑑定』を信じろ。そいつは、お前が思ってる100倍は価値がある代物や」
その言葉に、セレニアはまだ半信半半疑ながらも、目の前の不思議な少年の言葉を信じてみるしかない、という顔でこくりと頷いたのだった。
◇
「金を扱うなら、信用できる筋を通すのが一番ですわ」
セレニアはそう言うと、わいの手を引き、貴族街の裏通りにある一軒の店へと案内した。
表通りにあるような派手な宝飾店ではない。看板には小さく「ベルモンド商会」と書かれているだけ。埃をかぶったショーウィンドウには、年代物の家具や美術品が無造作に並べられており、一見するとただの古物商だ。
「ここですわ。ベルモンド商会は、父の代から付き合いのある、信用のおけるお店ですの」
「ほう、あんたの親父の知り合いか。なら話が早そうやな」
わいらは重い木の扉を押して、店の中へと入った。
カラン、とドアベルが鳴ると、店の奥から人の良さそうな小太りの老人が顔を出す。柔らかな物腰で、口元には人の良い笑みを浮かべているが、その目は値踏みするように、わいらの身なりを素早く観察していた。
「これはこれは、可愛らしいお客様だ。何かお探しかな?」
「これを買い取っていただきたいのですわ」
セレニアはそう言って、カウンターの上に例の髪飾りを置いた。
店主はルーペを片眼鏡のように目にはめると、髪飾りを手に取り、様々な角度から入念に調べ始める。
「ほう…これは見事な金細工ですな。細工も丁寧で、金の純度も高い。素晴らしい」
店主は感心したように何度か頷くと、にこやかな笑みを浮かべたまま、こう言った。
「よろしいでしょう。金貨5枚で買い取りましょう」
「金貨5枚…!」
セレニアの顔がぱあっと輝く。金貨1枚あれば、庶民の家族が1ヶ月は暮らせるのだ。彼女にとっては「はした金」でも、今のわいらにとっては十分すぎる大金だった。
「まあ、そんなものですわよね!アレス、やりましたわ!」
「ちょい待ち」
セレニアが取引を成立させようとしたその時、わいは彼女を制してカウンターの前に乗り出した。そして、目の前の食わせ者ジジイを、じっと見つめて『鑑定』を発動させた。
(なるほどな…弱点だらけやないか)
【鑑定結果:表】
名称: ベルモンド(68)
詳細: ベルモンド商会の店主。鑑定歴50年のベテラン。
【鑑定結果:裏】
名称: 元・王国諜報部所属『影の梟』の伝説的鑑定士。
詳細: 歳には勝てず、最近は持病の腰痛に悩まされている。恐妻家で小遣い制のため、客から安く買い叩いた品を裏で売却し、へそくりを貯めている。大事なへそくりは、カウンターの裏の隠し板の中に隠している。あと、カツラが少し右にズレている。
わいはニヤリと笑うと、セレニアには聞こえないよう、小声で店主に囁いた。
「おっちゃんなかなか意地悪やな。ドワーフの名匠ギムリの黒歴史に、金貨5枚は安すぎるんちゃうか?」
「…なんのことかな、坊主?」
とぼける店主に、わいは決定的な一言を告げる。
「なあ、おっちゃん。そのカツラ、もうちょい左やで」
「―――っ!?」
店主の顔が、面白いぐらいにサッと青ざめた。その手が無意識に頭頂部へと伸びる。
わいは追い打ちをかけるように、カウンターをとんとんと指で叩いた。
「あと、そのカウンターの裏の隠し板。あんたの奥さん、そろそろ大掃除する頃ちゃうか?へそくり、見つかったら大変やなァ?」
「~~~~~っ!!!」
店主は完全に凍り付き、滝のような冷や汗を流し始めた。さっきまでのポーカーフェイスは見る影もない。
「よっしゃ商売に話をもどそか、金貨100枚。それ以下なら、よそを当たるわ」
わいがそう言うと、店主はゴクリと喉を鳴らした。冷や汗を流しながらも、鑑定士としての最後のプライドか、震える声で尋ねてきた。
「…坊主、なぜお前が、ギムリの名を知っている…?」
「そら、ワイの『目』が良いからや。この髪飾りには、ギムリの若かりし頃のサインが、針の先ほどの大きさで彫られとる。それも、ドワーフにしか読めん特殊な文字でな」
もちろん、そんなサインはわいには見えない。全ては『裏鑑定』が教えてくれた情報だ。
わいの言葉に、店主は慌てて再びルーペで髪飾りを確認する。その額には、うっすらと汗が浮かんでいた。
「まさか…本当にあったとは…。坊主、お前さん、いったい何者だ?」
「ただの目が良いガキや」
店主はしばらくの間、わいの顔と髪飾りを交互に見ていたが、やがて観念したように、はぁーっと深いため息をついた。
「…参りました。このベルモンド、年の功より亀の甲とは言うが、これほど見事な鑑定眼を持つ子供は初めて見ましたわい」
彼はそう言うと、カウンターの内側から革袋を取り出し、金貨を数え始めた。
「金貨100枚はちと厳しい。わしの儲けも考えさせていただきたい。…ええい、金貨90枚!これでいかがかな!?」
その言葉に、今度はわいが目を丸くする番だった。
(90枚!?マジか!ダメ元で吹っかけたつもりやったのに!)
隣では、セレニアが「きゅ、きゅうじゅうまい…!?」と、わなわなと震えている。
「…よっしゃ、交渉成立や!」
こうしてわいらは、セレニアの髪飾り一本で、当面の生活には十分すぎるほどの大金を手に入れたのだった。
◇
金貨90枚が入った、ずっしりと重い革袋を懐にしまい、わいらはベルモンド商会を後にした。店の外に出ても、セレニアはまだ夢見心地といった表情で、革袋とわいの顔を交互に見ている。
「本当に…髪飾り一つで、金貨が90枚…」
「せやから言うたやろ。ワイの『目』は本物やて」
わいが胸を張ると、不意に店主のベルモンドがひょっこりと店から顔を出した。
「坊主、いやアレス君。もし急いでいないのなら、この爺さんと少しばかり誼を通じてもらえんかの?」
その目は、商売人の目だった。わいの才能に、未来への投資価値を見出したのだろう。
「君のその『目』は、いずれ国を動かす宝になるかもしれん。何か探している物でもあるのか? ワシの情報網は安くないが、君になら特別に話してやろう」
渡りに船とはこのことだ。わいはすかさず、解呪薬の材料について尋ねた。
「ほな、おっちゃんの言葉に甘えさせてもらおか。『月の涙の雫』と『太陽草の花弁』、この二つに心当たりはないか?」
「ふむ…」ベルモンドは腕を組み、少し考える。「『月の涙の雫』というのは初耳ですな。ですが、『太陽草』の名には心当たりがある」
その言葉に、わいとセレニアは顔を見合わせた。
「太陽草…確か、王都から南に三日ほど馬車で行った先にある、『サンヘイブン』という村で見たことがある、という話を昔聞いたことがありますな。なんでも、驚くほど甘い作物を作る農家がいるとか…ちと、変わり者が多い村だと聞きますがの」
サンヘイブン村。それが、わいらの最初の目的地になった。
◇
その日の夜、わいらはベルモンドに紹介してもらった、清潔で安全な宿の一室にいた。
もちろん、セレニアが希望した『金獅子亭』程ではないが、暖炉の火が温かく、テーブルの上には焼きたてのパンと湯気の立つ肉のシチューが並んでいる。追放されて以来、初めてのまともな食事だった。
夢中になってシチューを頬張っていたセレニアが、ふとスプーンを置き、まっすぐにわいを見つめた。
「アレス…あなた、はいったい…。その『鑑定』の力は、どうなっているのですか?わたくしの呪いのことも、母のブローチのことも、そしてあの髪飾りのことも…まるで全てをお見通しですわ」
その問いに、わいはパンをちぎりながら、肩をすくめてみせる。
「まあ、ワイだけの特別仕様ってことや。あんたの呪いも、髪飾りの価値も、全部こいつのおかげ。それ以上でも、それ以下でもないで」
「特別仕様…」
セレニアはわいの言葉を反芻していたが、やがてふわりと、心の底からの笑みを浮かべた。それは、婚約破棄の場で見せた虚勢の笑みとは全く違う、年頃の少女らしい、可憐な笑顔だった。
「…そうですのね。わたくし…あなたと出会えて、本当によかった。もう、全てが終わってしまったのだと思っておりましたのに…」
「終わりやない、始まりや。あんたも、ワイもな」
わいがそう言うと、彼女はこくりと力強く頷いた。
その瞳には、もう迷いはなかった。
わいは最後のパンをシチューに浸して口に放り込むと、満足げに腹を叩いた。
「よし、腹も膨れたし、明日の朝イチで出発や!」
わいは椅子から立ち上がると、窓の外に広がる王都の夜景の先、遥か南の空を指さす。
「目指すは『サンヘイブン村』! 待っとれよ、『太陽草の花弁』!」
わいの宣言に、セレニアも「はい!」と力強く答える。
こうして、二人の本格的な旅が、温かい食事と確かな希望と共に、始まろうとしていた。