第1話 最弱スキルと最初の別れ
トラックのタイヤがアスファルトを擦る甲高い音が耳に響き、全身に激しい衝撃が走った。ああ、これがいわゆる「トラックにひかれて異世界転生」ってやつか。意識が遠のく中、わいはWeb小説で読んだベタな展開を思い出し、どこか他人事のように納得した。
(まあ、ワイの人生、特に見せ場もなかったしな…来世はチートスキルで無双したるで…!)
そんな未練とも希望ともつかぬ思いを最後に、わいの意識は完全に途切れた。
次に目が覚めた時、わいは真っ白な光だけの空間に浮かんでいた。目の前には、輪郭がぼんやりとした巨大な人影…いや、神様らしき存在が、腕を組んでわいを見下ろしている。
「――目覚めたか、異界の魂よ」
頭の中に直接響くような、荘厳でめちゃくちゃええ声。思わず脳内で有名声優の声を当てはめてしまう。
「そなたの魂は、この世界にはない特殊なもの。ゆえに、我の世界へ転生させてやろう」
「え、マジすか!?ワイ、やっぱりトラックにひかれて死んだんか…って、神様やん!ホンマもんの神様やんか!」
思わずガバッと起き上がろうとするが、身体がないのかフワフワと浮くだけだ。わいの興奮した言葉に、神様は「うむ」と静かに頷く。
「そして、転生のお祝いとして、好きなスキルを一つ授けよう。そなたの望むもの、なんでも叶えてやるぞ」
「ええんですか!?太っ腹やな神様!じゃあ、もう遠慮なく!最強のスキルお願いします!チート中のチートで、もう何もかも楽勝になるやつ!できれば働かなくても美女に囲まれて暮らせるようなやつで!」
わいが前のめりになりながら、ありったけの熱意と欲望を込めて叫ぶと、神様はふっと優しく微笑んだ。その手の中に、ぼんやりと光る玉が生まれる。
「そうか。ならば、これを授けよう。このスキルがあれば、そなたは真理を見極め、どんな困難も乗り越えられるだろう」
「おおきに!さすが神様や!話がわかる!」
手を伸ばして光の玉を受け取ろうとしたわいは、ふと気づく。
「…って、ちょっと待ってや。なんか、この光の玉、めっちゃ地味やないか?もっとこう、虹色に輝いたり、ゴゴゴゴって効果音が鳴り響いたり、そういうド派手な演出はないんか?ソシャゲやったら星3くらいのレアリティやで、これ」
神様の言葉に一抹の不安を感じながらも、わいはツッコミを入れずにはいられない。
「見た目で判断するでない、若人よ。真の力とは、その内に秘められるものだ」
「うわ、なんかフラグっぽいセリフやめてや!まじで頼むで、神様!ホンマに最強なんやろな!?…って、うわ、目が覚める!ほんまに最強のスキル頼むでー!」
わいの懇願もむなしく、視界は急速に白く染まっていく。神様の意味深な微笑みが、やけに目に焼き付いて離れなかった。
◇
次に目を開けた時、わいは「アレス・エルドゥール」という名の8歳の少年になっていた。
エルドゥール辺境伯家の嫡男。何不自由ない暮らしの中、わいは来るべき日のために、内心ほくそ笑みながら日々を過ごしてきた。
そして今日、ついに運命の日がやってきた。
年に一度、この地方の貴族の子らが集い、神からスキルを授かる儀式の日だ。
場所は壮麗な大聖堂。高い天井のステンドグラスから色とりどりの光が差し込み、厳かな雰囲気が漂っている。わいは貴族用の良い生地で作られた、少し窮屈な服を着て、父と母と共にその時を待っていた。
「アレス、リラックスしなさい。お前なら、我がエルドゥール家に栄光をもたらす、素晴らしいスキルを授かるに違いない」
隣に座る厳格な父上が、期待に満ちた目でわいの肩を叩く。
(任せとき!父上!ワイ、神様から『最強』のお墨付きもろてるからな!)
「次に、ジェイク・ブラウン!」
神官の声が響き、他の男爵家の息子が壇上へ上がる。
神官が杖をかざすと、少年の体がまばゆい光に包まれ、その手の中に炎の剣が現れた。
「おお!『炎剣召喚』!素晴らしい戦闘スキルだ!」
会場がどよめき、ジェイク少年は得意げに胸を張る。
(ふっ、炎の剣か。悪くないけど、ワイが授かるスキルに比べたら霞むで!)
わいは自分の番が近づくにつれ、高鳴る鼓動を抑えきれなかった。
「次に、アレス・エルドゥール!」
ついに名前を呼ばれ、わいは自信に満ちた足取りで壇上へと進む。父と母の誇らしげな視線、周囲の貴族たちの注目が一身に集まるのを感じる。
(見ててや、皆の衆!これが次代の英雄の誕生や!)
祭壇の中央に立つと、白髭の神官がわいの前に立ち、厳かに杖を掲げた。
「若き魂よ、神の恩恵を受け入れるがよい」
神官が杖をわいの額にかざすと、温かい光が全身を包み込む。他の誰よりも強く、清らかな光だ。
(キタキタキター!この光の量はSSR確定演出や!)
光が収まると、わいの脳内に直接、一つの言葉がはっきりと浮かび上がった。
『鑑定』
「…………は?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
え、うそやろ?鑑定?あの、アイテムとかの情報を調べるだけの…?
Web小説の世界じゃ、最強スキルの代名詞やけど、この世界じゃみんなオマケで持ってるんじゃー。
わいが呆然としていると、水を打ったように静まり返っていた会場が、ざわつき始める。
「…かんてい…?それだけか?」
「戦闘には全く役立たんな…エルドゥール辺境伯家のご嫡男が…」
「なんと不憫な…」
嘲笑と憐憫が入り混じった囁き声が、容赦なくわいの耳に突き刺さる。
恐る恐る振り返ると、父上の顔から一切の表情が消え、石像のように固まっていた。さっきまでの期待に満ちた温かい眼差しは、氷のように冷たい侮蔑の色に変わっている。母上はショックのあまり、ハンカチで口元を押さえて俯いていた。
「おいコラ、神様ァァァ!話がちゃうやんけ!最強ゆうたやろ!これ、どう見ても最強ちゃうやんけ!消費者センターに訴えたるぞ!」
心の中でいくら叫んでも、もちろん神様からの返事はない。
壇上から降りると、父は一言も発さず、わいの腕を乱暴に掴んで聖堂を後にした。その握力は、わいの腕がミシミシと音を立てるほど強い。
(あかん、これガチでやばい流れや…)
貴族の面子を潰された父の怒りは、わいの想像をはるかに超えていた。
だが、その一方で、わいの心の中には別の感情も芽生えていた。Web小説を読み漁ったオタクの魂が、この状況に囁きかける。
(…待てよ?主人公が授かったスキルが、最初は最弱だと思われてて、実はとんでもないチート能力でした、っていう展開…これ、王道中の王道やないか!)
絶望的な状況。周囲からの嘲笑。そして、未知の可能性を秘めた(かもしれない)不遇スキル。
役者は、揃いすぎている。
「…まぁええか」
わいは心の中のツッコミとは裏腹に、不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「人生これからやしな。ワイ、こんなもんじゃ終わらへんで」
これは、絶望からのスタートじゃない。
最高の成り上がりストーリーの、最高の幕開けだ。
わいは、これから始まるであろう波乱万丈の人生を思い、ぎゅっと拳を握りしめた。
◇
その日の夜、夕食にも呼ばれず部屋で待っていると、父の書斎に呼び出された。
重厚なマホガニーの机、壁一面の本棚、そして暖炉の火だけが揺れる薄暗い部屋。父は窓の外を見ながら、わいに背を向けたまま、そこに立っていた。
「アレス」
静かで、温度のない声だった。
「お前が授かったスキルは『鑑定』。エルドゥール家の歴史において、これほど戦闘に役立たぬ、無価値なスキルは前例がない」
父はゆっくりとこちらに振り向く。その目は、昼間の聖堂で見たものよりもさらに冷たく、わいを息子としてではなく、何か汚れたものでも見るかのように細められていた。
「我がエルドゥール家は、代々武勇をもって王家に仕え、この辺境の地を守ってきた。その家に、お前のような才能のない者を養う余裕はない。我が家の汚点だ」
淡々と告げられる言葉は、一本一本が鋭い氷の矢となってわいの胸に突き刺さる。
8歳の子供に向けられるには、あまりにも残酷な宣告。
一瞬、視界が滲み、悲しみで喉が詰まる。だが、それ以上に腹の底から湧き上がってきたのは、燃え盛るような怒りにも似た感情だった。
(汚点…?ワイが?この、Web小説の王道を行く主人公が!?)
わいは滲んだ涙をぐっとこらえ、父を睨みつけた。ここで泣いて許しを乞うなんて、三流のやられ役がすることや。
「…はっ!あんた、正気か!?スキル一つで、今まで息子やったわいを捨てるんか!」
「お前はもはや私の息子ではない」
「上等や!こっちから願い下げや!」
わいは叫び返す。恐怖はもうない。あるのは、この理不尽な状況をひっくり返してやるという強い意志だけだ。
「ええか、よう聞いとけよ!ワイはこんなもんじゃ終わらへん!あんたが見捨てたこの最弱スキルで、誰よりも強くなって、誰よりも成り上がったる!その時になって後悔しても知らんからな!絶対あんたをギャフンと言わせたるわ!」
わいは啖呵を切ると、父が何か言う前に書斎を飛び出した。
廊下を走っていると、物陰から母が駆け寄ってきた。その目は赤く腫れている。
「アレス…!ごめんなさい、私には、あの人を止める力が…」
母は泣きながら、小さな革袋をわいの手に握らせた。中からは金貨の重みが伝わる。
「これを持って…どうか、どうか達者で…」
「母上…」
わいは革袋を強く握りしめ、一度だけ母の顔を見て、そして再び走り出した。振り返れば、きっと足が止まってしまうから。
衛兵に無言で門の外に追い出され、背後で重い扉が閉まる音が響く。
これで、わいの貴族としての人生は終わった。
村の入り口まで来たところで、わいは途方に暮れた。所持金は母上がくれた金貨が数枚と、なけなしの知識だけ。これからどうすればいいのか。
「…くそっ!」
やり場のない怒りに任せて、足元の石ころを思い切り蹴り飛ばす。石は乾いた音を立てて、道の先へ転がっていった。
しばらくその石を眺めていると、ふと、ある考えが頭をよぎる。
(…そうや。まずはこいつのことから、ちゃんと知らなあかんな)
わいは暇つぶしではない。明確な意志を持って、全ての元凶であるスキルを発動させる。
「――『鑑定』」
わいが転がっている石ころに意識を集中すると、目の前に半透明のウインドウが浮かび上がった。
【 ただの石ころ 】
詳細:道端によく落ちている、ごく普通の石。特に価値はない。
「…やっぱり、こんなもんか。ただの情報が見えるだけやんけ」
わいが失望のため息をついた、その瞬間。
ウインドウの表示が、チカッと瞬いた。
【 裏鑑定:微量の魔力を帯びた『魔光石』の欠片 】
詳細:特殊な条件下でのみ、内部の魔力が励起し発光する性質を持つ。武具の装飾や、魔道具の触媒として、識者の間では高値で取引される。
「……は?」
わいは自分の目を疑った。
裏鑑定…?なんだそれは。神様も、教会の神官も、そんなこと一言も言うてへんかったぞ。
わいはもう一度、今度は自分の着ている服に『鑑定』を使った。
【 擦り切れた貴族の服 】
詳細:上質な生地で作られているが、もはや中古品。仕立て屋に売っても小銭にしかならない。
【 裏鑑定:古代魔法文明の技術で織られた『魔糸の布』】
詳細:魔力を通すと驚くべき強度と耐性を発揮する。解体して素材として売れば、金貨10枚は下らない価値を持つ。
「…………」
わいは言葉を失い、そして次の瞬間、天を仰いで大声で笑った。
「はは…はははは!アハハハハハハ!」
最弱スキル?家の汚点?
冗談やない。
「これ…やっぱ最強のスキルやないか!!」
わいは、自分のスキルがただの『鑑定』ではないことを確信した。
あらゆるものの「真の価値」を見抜く、『裏鑑定』。これさえあれば、金も、力も、全てが手に入る。
「まずは…軍資金の確保と、この力の検証やな」
わいは街の裏路地に入り、手始めに落ちていた汚い空き瓶を拾う。
【 汚れた空き瓶 】
詳細:ただのゴミ。
【 裏鑑定:不純物が少なく、ポーションの容器として最適 】
「ほほう、なるほどな」
次に、さっき見つけた『魔光石の欠片』(ただの石ころ)をいくつか集め、硬い石で粉末状に砕き、近くの水汲み場から拝借した水と共に瓶の中へ入れる。
【 ただの濁った水 】
詳細:道端の水たまりから汲んだ水に、石の粉を混ぜたもの。不衛生であり、飲むと腹を壊す。
【 裏鑑定:低品質な『魔力回復ポーション(小)』】
詳細:『魔光石』の魔力が水に溶け出し、ポーションへと変化したもの。魔力による中和作用で有害な性質は無効化されている。飲むと魔力がわずかに回復するが、味は泥水のように不味い。
「うっし、できた!ワイの記念すべき初プロダクトや!」
泥水にしか見えないポーションを手に、わいはほくそ笑む。
(…とは言え、見た目は完全にアウトよな。ワイには『ポーション』て真実が見えとるけど、他の奴が普通の鑑定スキルを使ったら『飲んだら腹を壊す、ただの濁った水』って表示されるわけや)
わいは瓶を軽く振りながら考える。
「人に渡すときには、ちゃんと説明せんとただの嫌がらせやと思われるな。これは気をつけんとあかんな」
こんなガラクタからでも価値を生み出せる。このスキルの可能性は無限大だ。
わいが次の獲物を探そうと路地裏から出た、その時だった。
街の広場の方が、やけに騒がしい。何かの見世物でもあるのかと人だかりに近づくと、その中心で繰り広げられていたのは、わいが前世で幾度となく読んだ、あの光景だった。
「セレニア・フォン・クラウゼン!お前のような嫉妬深く、傲慢な女との婚約は、今この時をもって破棄させてもらう!」
金髪を輝かせた、いかにも王子様な美青年が、豪華なドレスを身にまとった美少女を指さし、高らかに宣言している。周囲の野次馬は「まあ、可哀想に」「いや、自業自得だ」とひそひそ噂している。
(うわ、マジか…。リアル婚約破棄イベントやんけ!異世界、エンタメに事欠かんな!)
わいがオタク心をときめかせていると、王子様の隣にいた、これまた可憐な少女が「もうおやめください、殿下!セレニア様もお辛いのですから…!」と、火に油を注ぐタイプの聖女ムーブをかましている。完璧な布陣だ。
指をさされた美少女――セレニアは、屈辱に顔を歪め、拳を強く握りしめている。
わいは面白半分に、彼女に『鑑定』を使ってみた。
【 セレニア・フォン・クラウゼン 】
詳細:クラウゼン公爵家令嬢。誇り高い性格だが、最近、魔力の制御がうまくいかず、周囲に当たり散らしているため、性格の悪い「悪役令嬢」と噂されている。
【 裏鑑定:『才覚の呪い』にかかっている 】
詳細:聖女がもたらした嫉妬の呪い。対象の持つ絶大な才能を封印し、精神を不安定にさせる。呪いを解けば、国一番の魔導師となる才を持つ。
「…なるほどな。そういうことか」
彼女は悪役なんかじゃない。ただ、その巨大すぎる才能が、呪いによって暴走させられているだけだ。
そうこうしているうちに、王子様は新しい婚約者(聖女)の手を取り、勝ち誇ったようにその場を去っていった。
野次馬たちも満足したのか、蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。
広場の中心に、たった一人残されたセレニア。
俯き、震えるその肩は、誰が見ても哀れで、惨めだった。
だが、彼女は顔を上げると、王子が去った方を睨みつけ、涙で濡れた声で、それでも精一杯の虚勢を張って叫んだ。
「――こんな男、こっちから願い下げですわ!」
その姿に、わいはなぜか、スキル一つで家を追い出された自分を重ねていた。
理不尽に全てを奪われ、それでも必死に前を向こうとする、その気高さに。
気づけば、わいは彼女の前に歩み出ていた。
「お姉さん」
わいの声に、彼女はビクリと肩を震わせ、驚いたように目を見開いてわいを見る。その美しい翠色の瞳は、絶望と怒りに濡れていた。
「…な、なんですの、あなた。わたくしに何か用ですの?」
「いや、大したことやないんやけど」
わいはそう言って、さっき作ったばかりの泥水ポーションを彼女に差し出した。
「これ、やるわ。たぶん、今のあんたに必要やと思うから」
「…は?これは、何ですの?こんな汚い水…わたくしを愚弄していますの!?」
「まあ、そう言わんと。良薬は口に苦し、って言うやろ?」
わいはニヤリと笑い、彼女にしか聞こえない声で囁いた。
「あんたがイライラすんのも、魔力がうまく暴発しよるのも、全部その首筋についてる『呪いの紋章』のせいやろ?そんなもん、さっさと消してもうて、自分を振ったアホな王子様に本物の実力見せつけたらええねん」
「なっ…!?」
セレニアは息を呑み、信じられないという顔でわいを凝視する。
彼女の一族ですら気づかなかった秘密を、なぜ、目の前の見すぼらしい少年が知っているのか。
こうして、わいの新しい人生は、最弱スキルと、婚約破棄された最強の才能を持つ悪役令嬢との出会いから、本格的に動き始めたのだった。
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