髑髏夜語
中庭の桃の樹のてっぺんでは、亡き妻の髑髏が今も枝に首を挿げて私を見下している。
ひと昔前に都で流行った妙な呪いがある。
死人の頭蓋骨を香水で洗い、新鮮な蓬の葉で包んでおく。
あるいは、頭蓋骨の中を土で満たし、小豆の種を植えておくと、真夜中に言葉を発するようになるのだとか。
最初にこの話を聞いたのは、妻を失う数年前のことだった。
詩画双通、一表人才と世間からもてはやされた私は、日がな一日画室に籠もり、書画を書いて生計を立てる画家だった。
しかし、その日は桃花の香気に満ちたおだやかな朝で、筆を動かす気も起きなかったので、気晴らしに花見でもしてやろうと思って郷へ下りた。
そこでごく稀にやってくる行商が、世間知らずな農民どもに謳っていた売り文句である。
都で売れ残ったがらくたを買わせるためだったのだろう。
伝承を信じる気はさらさらなかったが、品の良さそうな花茶が目にとまったので、ついでに二包ほど手にして帰った。
件の呪いについては、特に気に留めもしないで軽く聞き流したのを覚えている。
ところで、あとになって気づいたことだが、例の花茶はやはりよくできた贋物に違いなかった。
ほのかに酸味の混じった香りと泥水のような舌触り……あの後味は、死してもなお忘れられないだろう。
読書人であった父の山積みの古書から髑髏夜語の一節を偶然見かけたとき、すぐにあの苦々しい記憶と結びついたのはきっとそのせいだ。
数年の時を経ていたからか、掘り返された妻は見るも無惨な姿と成り果てていた。
土をかぶせて隠したはずだが、飢えた虎狼か何かに襲われてしまったのだろう。
だが、奇しくも髑髏だけは傷ひとつなく残っていたから、変な動揺や憐憫は少しも浮かび上がってこなかった。
それらの情よりも、髑髏が無事だったことに対する安堵が勝ったと言うべきか。
ひょっとして、私はここですでに道を踏み外していたのかもしれない。
ともかく、わずかに残った白骨は後で埋め直しておいた。
妻の髑髏を持ち帰ると、私はあの話の通り藿香で作った芳香油で丁寧に土を拭ったが、新鮮な蓬の葉がどうしても見つけられなかったので、代わりに土くれを喰らわせてみた。
本来ならば伝承に従うのが好ましいのだろうが、こればかりは仕方がない。
他にも小豆を植えようとしたが、あいにく持ち合わせていなかったので、大ぶりの桃の種で代用するなどをした。
ちょうど山麓の桃花林が瑞々しい実をたっぷりとつけていたのである。
髑髏を置く場所には頭を悩ませた。
屋敷の角などに置くとうっかり忘れてしまうかもしれないが、かといって目立つところに置くとやはり気味が悪い。
しかし、所詮うわさはうわさに過ぎぬ、どうせすぐに飽きてしまうからと、しばらくは中庭に置きっぱなしにしていたのだが、ある夜半に異変が起こった。
最初はうめき声を上げるばかりであったが、まいた種が芽吹く頃になると、徐々に言葉を紡ぎ始めたのである。
古書曰く、言葉を思い出した髑髏は吉凶を告げることもある。
だが、私が妻の髑髏を拾ったのは、当然来るべき幸や避けるべき禍を知るためではない。
そも、生きている間に良い人間ではなかった者が、死後善霊になりえようか。
私の画室からは中庭のようすがよく見える。
妻は陽が出ているあいだは、伸び切った草花の影でただの置物に擬態していたが、夜になると文字通り異形へ変貌した。
顎をがたがたと震わせ、窪んだ眼窩を炯々と光らせて、延々と言葉を紡ぎ続ける髑髏。
なるほど、たしかに例の話の通りだ。だが……
やはり彼女は私の予想通り、古書に書かれていたような縁起物にはなり得なかった。
真夜中にたいてい喚き散らしていたのは、未来の禍福などではなく、過去のちょっとした秘め事だ。
例えば、あのとき出かける予定をすっぽかしたのは、どこそこの誰某と会うためだったから、だとか。
あのときはこう言って笑って誤魔化したが、本心ではそのようなことは思ってもいなかった、だとか。
生前口数が少なかったはずの人間が、よくもこう饒舌な幽鬼になったものだ。
中庭からはたまに女のすすり泣くような声も聞こえたが、私はただ画室からそのようすを見ているだけだった。
そうしていると、半分は自分も共有する記憶の断片のはずなのに、名も知らぬ誰かの哀れな人生を描いた劇を見ているような錯覚に陥る。
私はいつも取るに足りないそれらの話を聞きながら、妻との日々の回想に没頭していた。
だが時折、桃の芽に水をやりにいくついでに、私から生前のことについて語ってやることがあった。
そのときばかりは小煩い髑髏も珍しく黙りこんで、私の話に耳を澄ませていたものだ。
妻は生前、たいそう美しい女だったのを覚えている。
花のような顔に流れる柳眉を持ち、玉のごとき唇には常に微笑をたたえる。
この世には人面桃花という言葉があるが、まさに桃花が化けて出たような妖しさをまとうたたずまいだった。
だから、この私がひと目見て魅入られてしまったのも納得がいく。
幼い頃から利発で何でも器用にこなせた私は、本気で何かに執着をするという感覚を知らなかった。
青年となって早くも進士に登第したが、肌に合わなかったため官職を捨て、半ば逃げ出すように桃花林のある山麓に居を移したときも。
困窮すると思われたときも、得意としていた書画で名を上げ、生活は順風満帆。
天性の才能と幸運には恵まれていた方なのだろう。
思うに、栩栩然として風間に漂う胡蝶のように、ひたすら流れに身を任せた生涯だった。
ただ、桃花林のもとで凛と佇む女の姿を見るまでは。
初めて彼女に笑みを向けられたとき、まるで底なしの淵に突き落とされる心地がした。
体は沈んでいるように重くて、身動きすら取れないというのに、心は舞い上がってしかたがない。
たまたま立ちよった画廊で、偶然にも稀代の名書を見つけたときのあの高揚感に似ている。
書画はともかく、人に心動かされるというのは初めての経験だったから、私はたまらなく彼女を自分のものにしたくなった。
幸い私は女の好むような顔をしていて、詩もうまく詠めたので、持ち前の口のうまさと機転ですぐに彼女と親しくなることができた。
数度逢瀬を重ね、ついには妻として迎え入れることになる。
本来ならば、結婚というものはあくまで家庭を築き、先祖代々続く血筋を後世に残してゆくもの。
だからこそ、私たちの関係は我ながらひどく歪んでいたと思う。
しかし、そんな狂うような恋も所詮は束の間の幻想で、私も欲しいものが手に入ると徐々に仮面が剥がれ、また以前の無愛想に戻って書画に熱を注ぐようになった。
私がもっぱら熱心に描いていたのは、妻の姿である。
日常で心惹かれた表情や仕草を捉え、ただひたすらに筆をもって紙の世界に落としこむ。
描くならば絹本と紙本のどちらがいいだろう。
どちらがより美しく、生き生きとした彼女を絵の世界に顕現させられるだろう。
少し水を足してみようか。流れるような仕草を表現するにはどう工夫すればよいか。
背景に添える花は牡丹か、芍薬か、はたまた桃花か……。
此度はどうしても納得のいくものができなくて、何度も何度も同じように筆を動かした。
私の書画は都の風流人士をも唸らせる逸品だ。
草花を描けば国随一の美と称され、鳥獣を描けば悠久の呼吸だと絶賛される。
目の前の本物に及ばぬことなど、これまでにあっただろうか。
心底で燻る焦燥とは裏腹に、画室の机上にはただ墨汁が滲んだだけの紙が日を追うごとに積み重なっていく。
しかし、私のくだらない執着にだんだんと飽きてきたのは妻の方だった。
一説によると、桃花はあの妖艶な色香で虫を誘うらしい。
かつては私の掌中にあったはずの可憐な桃花も、例にも漏れず変な虫がたかっていた。
妻は私が画室に籠もって絵を描いている間に、屋敷を抜け出していることが多くなった。
一体どこに繰り出しているのか、一晩中出かけているときもあり、朝になると奇妙な残り香をまとって戻ってくる日もある。
さすがに夜は屋敷にいてほしいと頼んだこともあるが、彼女はいつでも微笑んでこう言う。
――ずっと山奥にいると息が詰まってしまうもの。少しだけならいいじゃない。
初めて出会った頃と何も変わらない、人を惑わすような笑みを見ると、私は可愛い妻の望むことだからと、つい許してしまうのだった。
それに彼女にとっては、屋敷で変わらぬ毎日を過ごすよりも、町の活気や春夏秋冬の移り変わりを直に感じる方がよほどいいのだろう。
当時はまったく愚かなことに、心のどこかではまだ妻を信じていたかったからか、結局は妻の汚行に見て見ぬふりをし続けていたのだ。
しかしある日、ふと思い立って離れにある閨房をのぞきに行ったことがある。
格子の隙間から見たのは、ふたつの人影だった。
見慣れない風体の悪い男と、しどけなく寝乱れた私の知らない妻の姿。
ごく軽い気持ちで行った私は、予想もしていなかった光景に頭が真っ白になった。
それから何が起こったのかは、とんと記憶にない。
ひどく上がった呼吸を整え、気づいた頃には、閨房の中に立ち入っていた。
足もとで音もなく静かに血の海が広がり、変な方向に首を曲げた妻が苦悶の表情で固まり冷たくなっていた。
間男の姿はもうない。代わりに、外で慌ただしく騒ぐ人の声がした。
もう察しはつくだろうが、妻を殺したのは他でもない私だ。
いっときの気の迷いで細い首を折ってしまったのだと気づいたときは、相当焦った。
私はしがない絵描きで、刺客でもなければ、死体の処理などしたこともない。
とはいえ、このままにしておくのも気が引けたので、適当に山奥に埋めておくことにした。
それら一連の追憶の中で、もしあのとき違う選択をしていたのなら、彼女にも違う未来があったのではないだろうか、と度々思うことがある。
だが、それを正直に言うと、妻は必ず煙ったようにくぐもった声で、すすり泣き始めるのだった。
妻が死んでからしばらくの間は、また以前と同じように絵を描き続けていた。
私の描いた書画はどれも飛ぶように売れる。
画室にやってきた者たちは、妻の絵姿を見ると、みな口をそろえて「この絵を売ってくれないか」と言ったから、ひとつ残らず売り渡してしまった。
幼い頃から変わらず無欲だった私は、己の唯一とも言える絵にも大した執着を見せなかった。
だからこそ、絵を捨てて呪いを選んだときも、意外にもすんなりと受け入れることができた。
妻を失って初めて本物の執着を知った私は、もはや絵ごときでは満足することができなくなってしまったからだ。
数年ぶりに見かけた妻の頭は変わり果てていたが、彼女を彷彿させる口調と声音で、呪いの言葉をはき続ける髑髏の姿には安堵する。やはり愛しく思う。
なぜなら、それは薄っぺらい紙の上の住民などではない。
まるで、あの世から還ってきた魂がそのまま髑髏のなかに囚われているようだった。
実際にそうなのだろうと思う。
まじないはときにのろいにもなり得る。
つまり私は、己の知らないうちに妻を呪ってしまったのだろう。
それからはただ飢えぬようにと、半ば作業のように絵を描きながら、細々とした暮らしを続けている。
絵を描くのは本当にそれきりだった。
代わりに、絵を描かなくなってからは、妻の話を遠くから聞きながら、気の向いたときに桃の樹の世話をすることが多くなった。
種から苗へ、苗から若木へ、成長してゆく姿を見ると、ふとこんなことを考えることがある。
あの山麓の見事な桃花林の、樹の一本一本それぞれのてっぺんにも、きっと髑髏が挿げられているに違いない。
妻と同じようにごくささやかな、しかし呪われるに足る判断を誤った狂人たちの髑髏だ。
そして、人々はそんなことも知らずに桃の樹の美しいの讃え、詩を詠み書画を描いている、と。
無限に増殖し、広がり続ける桃花林の誰も知らないちょっとした秘密だ。
妖しい桃花林は、今も昔も私を何よりも安心させる存在だった。
きっとこの先も、中庭の桃の樹のてっぺんでは、亡き妻の髑髏が枝に首を挿げて私を見下すことになるのだろう。
私が病で床に臥すようになると、妻の声は徐々に遠くなり、ついには聞こえなくなってしまった。
とうとう喋るのに飽きてしまったのか、はたまた、私の死期が近いことを知って清々しているのか。
どちらかは定かではないが、すっかり淋しくなってしまったものだ。
もし……とは言ってみるが、無理な願望なのは重々承知している。
だが、もし私の髑髏を偶然何者かが見つけ出して、妻と同じように桃の樹を植えつけてくれれば、どんなに良いだろうかと、考えることがある。
さすれば私も、ゆくゆくは千歳の春を迎え、恐ろしく艶美な桃の樹の一部となる。
そのまま郷を一望できるようになれば、私も桃の樹のてっぺんで、生前は誰にも打ち明けることのなかった些細な秘密を語ってやるのだ。
人々は私の骸に気づくだろうか。
それとも気づかないまま春に咲き誇り、真夜中に語り出す不気味な桃の樹として名を広めることになるのだろうか。
いつか妖樹として、詩歌や書画の題材になることもあるかもしれない。
そうなれば、少しくらいは、この罪に汚れた魂も慰められるというものだ。
人を呪わば穴二つ。
いずれにせよ、私のような狂人は、桃の樹に挿げられるくらいがお似合いだ。