妖艶な誘惑、暗躍する影
フォルネは路地裏に潜む扉を開けて、中にカザフ子爵を連れ込む。
そこは使われなくなった酒場の一室で、椅子やテーブルも置き去りになっている。
フォルネは丸テーブルの椅子に座り、対面にカザフ子爵を促した。
「静かで素敵なところでしょう? さあ、どうぞお座り下さい」
「なんだ? やけに埃っぽい酒場ではないか。寂れた場所で外の空気を浴びながら体を重ねる趣味でもあるのか? 俺と商談したいなら、もっと豪勢な一室でだな……」
フォルネは妖艶な微笑みを浮かべて、カザフ子爵と目を合わせる。
そしてローブのボタンを一つ二つ、おもむろに外してみせた。
すると、はだけたローブの隙間から、豊満な胸の谷間が露わになる。
「おおお……なんと見事な!」
「んふふ。ずっと窮屈だったんです。ここならカザフ子爵しかいませんから……」
「ハッハッハ! そういうことか! 俺は特等席を独り占めしているわけだ!」
フォルネは愛想笑いを浮かべると、ローブから一枚の契約書を取り出し、テーブルに広げた。
「単刀直入に申しますと、カザフ子爵のお力を貸して頂きたいのです」
「なに? 俺は面倒なことは一切やらん! まあ、フォルネがローブの下に隠したご馳走を露わにし、俺の相手をするというなら考えてやるが……」
「カザフ子爵の手は煩わせません。しばしの間で構いませんので、カザフ子爵の土地を使わせて頂けませんか?」
カザフ子爵は苦々しい表情を浮かべ、首を横に振る。
「ダメだダメだ! 何を言い出すかと思えば……身の程をわきまえろ余所者風情が!」
「そうですか……ところで、カザフ子爵はお金に困っていたのではありませんか? それも大金が必要だとか……」
「な……なぜそれを知っている!」
フォルネは片手で口元を隠し、クスクスと笑った。
「質屋でのやり取りを耳にしていたもので……あと、こんなものも拾いました」
フォルネはクシャクシャに丸まった紙を広げて、それもテーブルに広げる。
それは、エリーナの両親からの手紙だった。カザフ子爵が窓から投げ捨てたものである。
「そ、それは……! 一体どこから拾ってきた!」
「カザフ子爵の邸宅のそばで見つけました。こういうものは外に捨てないほうがいいですよ。放り投げるなら暖炉の中ですね」
フォルネはそう言って、手紙の内容を簡潔にまとめ上げる。
「どれどれ……元婚約者の両親に資金援助を要請。応じなければ婚約を破棄すると脅す。でも、企みをアッサリと看破され、絶縁されてしまったと」
「や、やめろ! 読むんじゃない!」
「これは確認ですよ、カザフ子爵。やっぱりお金が必要なんじゃないですか?」
カザフ子爵は観念してうなずいた。
「ああ、そうだとも! 早急に金が必要なのだ!」
「やっと素直になってくれましたね……カザフ子爵が協力してくれれば、私達はすぐに仕事を始められます。利益の九割はカザフ子爵のものです。契約書にそう書いてあります」
「ほとんど俺のものなるのか!」
「ええ。少しだけ土地を貸して頂ければ……すぐに大金が舞い込みますよ」
カザフ子爵は契約書に目を通すが、書き方が複雑で内容を一つも理解できない。
すると、フォルネがカザフ子爵の右腕に抱き着いて、彼の二の腕に豊満な胸をゆっくりと押し付けた。
「私が説明した通りのことしか書いてありませんよ? もう読まなくても大丈夫。あとは名前を書くだけです」
フォルネはカザフ子爵の耳元でそうささやくと、細く華奢な指先でカザフ子爵の手を包む。
そして彼に羽根ペンを握らせた。
カザフ子爵は興奮のあまり鼻息を荒くする。
「ムハハハハ! お安い御用だとも!」
カザフ子爵は羽根ペンの先にインクを付けて、荒々しい筆致で署名した。そしてフォルネの胸元を凝視する。
フォルネは突風のような勢いで契約書を回収し、カザフ子爵の腕から離れた。
「ありがとうございます。では、私たちはのちほど邸宅へうかがいますので……また会いましょう」
「おいおい、ここで続きはしないのか? 俺なら準備万端なんだが」
「あらそう。それなら独りでお愉しみ下さいな。ではごきげんよう」
フォルネはそそくさと部屋から出ていき、街中を走り抜けてひとけのない路地裏へ。そこで仲間たちと合流する。
そこには、彼女と同じように黒いローブを纏った人物が五人。
フォルネは深い溜め息を吐き、五人の中で最も背丈が高い男に契約書を渡した。
「はぁ……なんなの、あのカザフ子爵とかいうブタ野郎。キモイ。まじでキモイ。子爵なんて名ばかりの破産寸前のデブのくせに。あ~マジで無理。吐きそう」
背丈が高い男は契約書を広げて、カザフ子爵の署名を確認する。
「良くやった、フォルネ。念の為聞くが、契約書の内容は把握されていないだろうな?」
「大丈夫。あのデブ、道に迷った子豚みたいに間抜けな面してたわよ。本当は全財産を私達に譲る契約だったなんて……気付くはずないわ」
「完璧だ。では手始めに、我ら盗賊団アンツ・バエナは、カザフ子爵の財産を頂くとしよう。やがては暴君の息子であるアーノルド・サンダルクを討ち、国家転覆の序曲としようじゃないか」